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第三十四話 朝霧の瑞々しさ

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島左近は三成に前日の杭瀬川での奇襲攻撃の報告をした。

五十人ほどの兵士を討ち取り、中村一栄と有馬豊氏の家臣数名も戦死させたという。
島津義弘や長宗我部盛親からも奇襲攻撃で成果を上げたという。

小競り合いには勝利し、いつ戦っても良い万全の陣形。
そして、兵士の士気は整っている。

しかし、戦わない。

疑問に思った島左近は三成に尋ねる。

「何故に秀忠の軍を待つのですか?」

「秀忠の軍勢は4万近い。この戦で勝とうとも信濃あたりで合流されてまた大きな戦となろう。戦とは何が起こるかわからぬゆえ、叩けるうちに叩かねば……太閤殿下も内府殿に何度も苦渋を飲まされたからな……それに……」


三成の前に伝令がやってくる。

「中津城が落城! 黒田官兵衛はすでに逃亡し行方がわからぬとのこと。さらに伊達軍が崩壊、上杉景勝が伊達政宗と重臣を捕縛したとのこと」


三成は微笑みながら左近に言う。

「ということだ」

長い時間をかければかけるほど、戦況は西軍が有利となる。
東軍の前田利長も上杉、丹羽、前田利政に囲まれて動ける状態ではない。

三成はもちろん毛利輝元を信頼していない。

三成は挙兵の直前、島津義弘、長宗我部盛親、石田正澄、石田正継、宇喜多秀家、島左近、十郎の八人で敗戦後について話し合った。

三成、左近が戦死した場合、九州四国連合軍は島津義久が指揮する。

その間に十郎、飯田直景と残った武将たちが佐和山に籠り、籠城戦。

上杉景勝が指揮して関東に侵攻。

義弘、盛親の帰国が完了するまで淀、北政所、安国寺恵瓊が毛利輝元を留置く。

その間に秀包と毛利元康、天野元政が吉田郡山を制圧し、毛利は秀包が継ぎ輝元を隠居させるというもの。
西軍は徳川家康を倒すということで団結するだろう。
江戸に250万石あり徳川四天王が健在な今、最低でも数年はかかる。
秀頼が元服するまでは島津義久、上杉景勝、毛利秀包、最上義光、宇喜多秀家、十郎、の六人が支える形で少しずつ徳川を削っていく。
全国的な検地作業は引き続き、小西行長、増田長盛、前田玄以、長束正家、石田正澄にやらせればいい。

三成は敗戦し自身に何があっても体制を維持できるようにしていたのだ。
ただ、三成の構想には黒田官兵衛の入閣もあり生捕りにせよと九州軍には伝えている。

「負けることを考えるなど愚策でございます。我々は勝つのみ」

宇喜多秀家がそう言う。

彼はまだ若く、戦国時代の絶望的な敗戦を知らない。
だが、他の武将はそれを知っている。

だからこそ、敗戦後についても決めなければならないことがある。

秀家は父が乱世の梟雄と呼ばれた宇喜多直家。
彼は様々な人間を裏切り、大名に成り上がっていった。
しかし、息子の秀家は違う。
秀吉に自分の息子のように大切に育てられ、人から裏切られることを知らない。

それ故に豊家を蔑ろにする家康に対しては疑問のみが残った。

「なぜ、律儀者と言われた内府殿が?」

家康は彼自身の正義を成そうとしている。

彼はそれを理解できず、家康を悪と意識している。

その瑞々しい純粋さ故に家中を纏めることができず、去っていく者もいた。

義弘が冷静な口調で言う。

「秀家どん、良いか? 日の本最強と呼ばれる薩摩兵ですら勝ったり負けたり。特に家康軍は屈強と呼ばれる武田兵、三河兵がおりもんそ。この戦かて勝ち負けはわからん。負けても戦えるようにしておくことが戦の定石」

秀家は義弘を見つめる。

「おいどんが三成どん有利だと思うのは此度の戦、内府は負けた後の策を組めん。勝った後も相手の寝返りを待つのみ。なぜかわかるか?」

秀家はハッとする。

「家臣が絶望的な負け戦を知らん。おぬしと同じよ。負けた後を考えておらん。内府は戦さなんてせず、一度退き、次なる別の手をべき。だが、今になってそれはできん。皆が内府の世を待っておるのだ」

秀家は何かに気づき義弘に一礼して、それ以降は黙り込んだ。

「秀家どん、兄上と会う機会が増えよう。そこで何かを学ぶとよかと」

義弘の言葉を秀家は心の深くに受け止めた。

その日の評定で全て決めていた。

三成は言う。

「此度の戦、一日で決まるまい。だが、日の本が纏まるためには必要。そろそろ参るか」


9月20日

史実より5日遅れ、秀忠が到着し関ヶ原の合戦が始まろうとしていた。

家康は恐ろしく静かな気持ちで、この日を迎えていた。
上杉佐竹最上軍はすでに徳川領に進軍を開始しているという。

ーーすっかり嵌められたわ。三成め、どこでこのようなことを覚えたか? だが、これこそ面白い。さぁどう戦うか?

家康は武田との一戦以来、敗北と背中合わせの戦いを行おうとしていた。

ーー今までが良かっただけか。何故か心が躍る。

家康はその緊張感を楽しもうとしている。

一方。


朝の霧で視界が見えづらい中、一人の男が東軍最前線の福島正則に近づいた。

加藤清正である。

福島正則はそれに気づき、戦闘準備を開始しようとした軍勢を止める。

正則は近づきながら言う。

「清正! 久しぶりだな!」

清正は笑顔で頷いた。

「どちらかは生きては帰れぬだろう! 寧々様のこと、頼んだぞ!」

正則の言葉に清正は悟った。

本来なら北政所の支援が確定し、有利な西軍につきたいのだろう。
しかし、三成との関係、治めているのが清州と東軍に挟まれいることから動けない。
彼は一族を出奔させて、大阪城の警備をさせている。
自分と可児才蔵、古くからの配下数人と7000の兵士と東軍にやってきた。

そのまま、二人は離れた。

正則に才蔵は話しかける。

「英雄になり損ねたな!」

正則はため息混じりに返す。

「何を、、、」

才蔵は正則の肩をポンポンと叩きながらさらに言う。

「そこもアンタらしくて好きだぜ」

そして、二人は笑い合って群衆の中に帰っていく。


そして、十万人以上の人々から発せられる緊張感が周囲の空気を針のように刺激あるものに変えていく。

しかし、正則、清正、才蔵からは朝霧の瑞々しさが感じられていた。







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