学問のはじめ

片山洋一

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第一話「思案橋」

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   思案橋

   一

 行こか戻ろか思案橋。
 行こか戻ろか思案橋。
 いつの頃からか、誰が名づけたのか。大坂城大手門を西に東横堀川に架かる橋の名を「思案橋」と云う。大坂築城時代。奉行・増田長盛が太閤秀吉より命じられ、あれこれと思案したがためにそう呼ばれるようになったとも云う。
 また橋を渡ると突き当たりになっており、北へ行けば淡路町、南に行けば瓦町のどちらかにしか行けない。そのため往来する人々があれこれと思案をしたために、いつしかそう呼ばれるようになったとも云う。
 いずれにせよ、この橋を渡る者は数知れず、その人の分だけ様々な思案が飛び交ったに違いない。
 ――先生も、いや、「あのお人」も、そうやったんやろか……。
 天保九年(一八三八)三月。寒天の下、思案橋の上で緒方三平はそのようなことを考えた。思えば十三年の歳月が過ぎ去っていた。
――あの頃はそう、まだ十七の子供やったな。
 あの頃からずっと悩み続けてきたことか。あの頃はと思ったが、すぐさま三平は苦笑しつつかぶりを振った。歳を重ねるほど悩みが増え、思案することが山のように積み重なっていく。成長したように思えたが、本当に成長したのか、また悩んでしまう。
 ――益体もない。
 自嘲するものの、その益体もないことを考え続けることが人なのだと、三平はこの十三年間で学んできた。
 ――もし私やみんなと同じように立ち止まれたなら、あのようなことには……。
 ふと三平はそのように考えた。「あのお人」はきっと、その生涯において立ち止まることがなかったのか、全てを振り切る強さ――いや、危うさを持ち続けてきたように思えて仕方がない。人は誰しもあれこれと思い悩む。だがその悩みの多くは他愛のないもので、他人にとっては実にくだらない。人はどう生きるか、国がどうかだの大仰なことを悩む者はそうはいない。だが「あのお人」は意味のない思案を嫌い、強く憎んでいた。その不器用さは人によっては美しさを感じさせ、憧れを抱かせた。だが多くの人からは滑稽で不可解に思えたに違いない。「あのお人」を識る三平は愛しさと虚しさ、そして哀しみを感じずにはいられなかった。
 大坂という街は実に目まぐるしい。田舎における一年が、この街では一日に値するほどせわしない。三平が上坂した頃、三年前に離れる前の大坂はいずれも違った表情を見せていた。だが今の大坂は三平が見知っている生彩に溢れた顔ではなかった。
 いたる場所から槌の音が鳴り響き、焼け爛れた臭いが鼻につく。すべてを奪ってしまった火には人の恨みと、大きな虚無感を孕んでいる。これほど悲しみに満ちた臭いを三平は知らない。
 一年前。大坂は五分の一を灰にした大火に見舞われた。
 ――火事と喧嘩は江戸の華。
 そんな言葉があるが、火事は江戸の占有物ではない。人が集まる所に必ず大火があり、江戸・京と並ぶ大坂もまた幾度も大火を経験してきた。
 その一つは慶長二十年(一六一五)の大坂の陣であり、この戦いで大坂は壊滅した。
 それから百年。大坂は天下の台所と称せられるほど繁栄を極めたが、享保年間に未曾有の大火災に見舞われる。世に言う「妙知(みょうち)焼け」であり、この時も多くの人命が失われた。
 そして天保八年(一八三七)二月。大坂はまた大火で焼かれてしまったのである。だがこの火災は「災害」でなく「戦災」、いや「人災」であった。この人災を引き起こしたのは大坂の街を守るべき与力であり、人々は張本人の名を取って「大塩焼け」と称した。
 大火は人々からすべてを奪う。そのため、大火を起こした張本人は怨みの一切をその身に受けなければならない。だがこの火事は他の火災とは大きく異なる点があった。
 ――ようやったッ。
 何と歓声を挙げる者がいる。
 ――ようやったわ……。
 空虚に満ちた声を出す者も多い。
 ――ようやりおったのう。
 無論、怒りと怨みを抱く者もあふれている。
 これほど喜怒哀楽が交じり合う火災が他にはない。
「ほんま、中斎(ちゅうさい)先生は……」
 そう言いかけて、三平はあわてて口をつぐんだ。今の大坂で「あのお人」の名を口にすれば、どのような災いを招くかわからない。三平は意識を強くしてその名を心奥深く封印した。だがいかに封印しようとも、彼――すなわち大塩中斎平八郎の名を忘却することなどできなかった。
 三平は蒼く広がる空を見上げ、大きく息を吸い、そして吐いた。十三年前。全ての始まりは十三年前のここ、思案橋からであった。

   二

 ――あの頃は田上騂之助(たうえせいのすけ)やったなァ……。
 この名を思い出すたびに、三平の胸は不安と切なさでいっぱいになる。三平、すなわち田上騂之助十六歳。元服を終えてからまだ三ヶ月しか経っておらず、剃りたての月代がどうにも頼りがなかったことを今でもよく憶えている。
「まるで人さらいだ」
 往来の激しい思案橋の上で、騂之助は一人ごちた。
 備中足守(あしもり)という物静かな地で生まれ育った騂之助にとって、大坂の賑やかさはわずらわしくて仕方がない。あの山紫水明な故郷で過ごしたかった。だが騂之助は武士として育てられている。武士の子は十五、六で元服をし、その後は否応なく己の生き方を見出さなければならない。一人前になれ――姿形こそ大人になったものの、一朝一夕で一人前になれるのならどんなに楽なことか。元服を終えた騂之助に父・佐伯瀬左衛門は厳粛な表情で言葉をかけた。
「騂という字の意味がわかるか」
 騂之助はあまり勉学好きではなく、そのようなことは無論知らない。
「騂とは赤黄色の馬のことを指す。論語にある言葉で才ある者は必ず人に認められる――そういうありがたい名だ」
 どうでもいい、とはさすがに思わなかったが、父の鼻息の荒さに辟易せざるをえなかった。才ある者は認められる ――ならば才なき者はどうなるのか。父は息子に希望を託したいのであろうが、才なく力なき者だと思っている騂之助にとっては有難迷惑な期待でしかない。
「大坂へ参るぞ」
 晴天のへきれきで、父はこちらの都合など斟酌しない。とにかくいつも唐突なことを命じてくるのである。瀬左衛門は三十三俵四人扶持の小身、いわゆる下士であった。仕える足守藩も二万五千石と小さい。小藩の下士であり、騂之助は瀬左衛門の末っ子であったため、彼を養う余裕など佐伯家にはなかった。そもそも騂之助が佐伯家で養ってもらうことは生まれた時から計算に含まれていない。元服する以前から佐伯ではなく、田上を名乗ることが決められていたのだ。つまり早々に自立しなければならないのである。
「才ある者は認められる」
 騂の一字には父の想いと共に、自立せよという過酷な試練も込められていたのであった。
「足守を離れたくありませぬ」
 叶うことなら騂之助はそう叫びたかった。だが運命は騂之助少年に甘えることを許さなかった。
「仰せのままに……」
 拒絶はしなかったが、覇気のないその声だけが、少年に成し得る唯一の反抗であった。
 ――人さらいだ。
 改めて騂之助はそう思う。我ながら何と情けないことか。ただ自嘲するしかない。気がつくと、その身体は大坂にあり、呆然と騂之助は雑踏の中に心を漂わせるのであった。 時に文政八年(一八二五)五月のことであった。

「まずは修業せよ」
 大坂へ着くや、休む間も与えずに父は命を下した。このたびの上坂は言わずもがな物見遊山ではない。藩命で来た以上は無駄飯を食らうことは決して許されない。
「修業せよ、は良いが……」
 何をどう修業すれば良いかまるでわからない。己の意思で上坂したのであれば、すぐさま行動できる。だがさらわれた騂之助に志などなく、何を学んでいいのかわからなかったのだ。では父に聞けばいい――心の中にいるもう一人の騂之助がささやいた。だが瞬時にその考えを拒絶した。
 父はとかく多忙である。それ以上に性格が荒々しく、とても息子の悩み事を聞いてやるような優しさはない。瀬左衛門は若き頃より悍馬と渾名されるほど活動的であり、そのため幾度も上坂しては藩財政を立て直す事業に関わっていた。さらに言えば大坂に多くの知己を得ており、人材が乏しい足守藩は下士ながら彼を重宝している。
 瀬左衛門が与えられた藩命とは蔵屋敷の購入で、大坂に着くや否や東奔西走、日々走り回っていた。この頃、小藩たる足守はもちろんだが、いずれの藩も財政難にあえいでいる。その財政立て直しに有効であったのが、特産物専売であり、蔵屋敷はその拠点として欠かせなかった。幕法において諸大名は京・大坂に屋敷を持つことは禁じられている。そこに目をつけたのが中之島に屋敷を所有する商人たちであった。
 中之島は大坂の陣後、すなわち元和年間より築かれた大川の中洲であり、大坂のみならず日本全国の物資が集まる商業地域であった。やがて元禄期を迎え、「天下の台所」と称せられるほど発展を遂げていく。江戸中期より各藩は財政立て直しのために物産販売を始め、中之島付近に拠点を構えるようになる。その拠点が蔵屋敷であった。瀬左衛門の役目はその人脈と交渉術を駆使し、より良い条件で蔵屋敷を獲得することであった。そのため瀬左衛門は朝夕なく大坂中を駆け巡り、騂之助は挨拶する暇もないほどであった。これでは例え父が話しやすい人物であっても相談することなどできなかったのである。
「今日も……陽が沈む」
 へとへとになった身体を橋の欄干に押し付け、今日も暮れる太陽にため息をついた。何もしていないのに――いや何もしていないからこそ一日が途方もなく長く感じてしまう。大坂は雑多で騒がしく、情緒を楽しむゆとりなどない街に思える。だがひと時だけ幻想的な瞬間があった。それは夕陽に染まる頃で、この時ばかりは大坂はどこもかしこも黄金の輝きを見せ、人々の心を安んじた。
 誰であったか、父であったかもしれない、または寝起きしている宿の主からであったか。
 上町台地にある荒陵山(あらはかやま)・四天王寺から見る大坂は絶景で、それも西門からの眺めはまさに極楽浄土だと云う。
 ――大袈裟な。
 この話を聞いた時、騂之助は鼻で笑った。だが幾日か過ごすうちにあながち嘘ではないと思うようになっている。大坂にはあふれんばかりの人がそれぞれ懸命に過ごしている。その息吹が夕陽に染まると、えも言われぬ安らぎが訪れるのである。
 美しい――騂之助はそう思う。だがこの美しさは今の騂之助には辛いものであった。無為なる日々を過ごし、あてのない自分をこの美しき夕景はより惨めさを浮き彫りにしてしまうからだ。安堵よりもただ空虚さだけがどこまでも大きくなる。
 思えば十歳の頃であった。
 ――あの頃から私はどうしようもない人間だった。
 騂之助は今も残る顔のあばたをさすりながら、苦笑した。
 十歳の頃、騂之助は兄・馬之助(うまのすけ)と共に疱瘡を患い、生死の間をさまよったことがある。幸い一命をとりとめたものの、騂之助はすぐに快癒しなかった。長く床に着き、家族にひどく心配させた。ようやく起き上がることができたものの、すっかり病弱となり、何をするにも億劫な性格となってしまった。このことが騂之助の劣等感となり、何をやっても駄目だと思い込む性格を作り上げてしまったのである。
 大坂へ上ってからも度々発熱し、自身を叱咤するのだが、どうにもならない。塾では何を言っているのかわからず、道場では隅に隠れるようにして縮こまっていた。そうこうしているうちに無駄な一日が終え、夕陽を目にしてはため息をつく――そんな日々を過ごしていたのだった。
 騂之助は橋下の東横堀川に目をやった。東横堀川は大坂城の外濠にあたる運河であり、その流れは大川から淀川、そして海へと続いていく。
 ――川は海に、海はやがて足守川に……。
 やりきれない思いになると必ず川に目をやった。どこもかしこもなじめぬ大坂だが、川だけは大好きな郷里に通じている――そう思うだけで心が安らいだ。故郷を思い出せば思い出すほど自分が孤独に思え、ついには生きていることが辛くなる。
 そんな時であった。
「阿呆ッ、何してんの?」
 雷のような声に騂之助は驚いて振り返った。だがどうしたことか声の主がどこにもいない。
 ――気のせいか?
 騂之助は再度周囲を見渡したが、やはり誰もいない。もしや物の怪ではないか――騂之助はこの手の話が苦手で、顔を青ざめさせた。すると、
「どこ、見てんの」
 その声はどうやら足元からだとわかり、あわてて目を下にやった。 
「か、貝吹坊(かいぶきぼう)ッ」
 武士にあるまじき驚きようで、騂之助は思わず声を挙げてしまった。
 貝吹坊とは吉備地方に伝わる妖怪のことで、草陰に隠れて声低く鳴くとされている。幼い頃より姉から何度も聞かされてきたため、すぐさま連想してしまったのである。
貝吹坊――いや、よくよく見ればただの童女であり、聞き慣れぬ妖怪の名に首をかしげている。
――何だ、ただの童か。
 人騒がせだと思う一方で、我ながら何と臆病なのかと情けなくなる。
「貝吹坊とはね。ぼぅぼぅと鳴く物の怪のことよ」
 童女にそう説明したのは、二十前後の声に艶のある女性であった。
「ぼぅぼぅ……ははは。蛙みたい、はははは」
 童女は自分が蛙のようだと言われていることに気づかず、弾けるように大笑いした。
「今は本当にどこもかしこも物の怪だらけね」
 女性はにこやかにほほえみながら、騂之助の顔をのぞき込んだ。この頃、江戸でも大坂でも物の怪話が流行していた。特に子供たちにこの手の話をするとひどく喜ばれたものである。しばらく笑っていた童女であったが、思い出したように「あっ」と小さく叫んだ。
「あかんッ」
 童女は騂之助の袴裾を強く引っ張った。
「身投げしたらあかん」
 あまりの言葉に騂之助はすっかり興奮し、言葉を詰まらせた。騂之助は武士である。武士の死に方に身投げなどない。それを物知らずにもよくぞ身投げなどと――騂之助はすっかり頭に血を上らせている。
「お武家様。お八重はまだ三つの童。どうかお赦しくださいませ」
 我に返った騂之助は眼下の童女――八重に顔を向けた。
「お八重……」
「億川八重(おくかわやえ)と申します」
 つぶらな瞳を持ち、顔つきがどこまでも凛としており、このまま成長すれば美人になるだろう。ただ、誰も手の付けられないお転婆になるかもしれなかった。いずれにせよ扱いにくい童女であることには違いはない。騂之助は八重の力強い眼光を避けつつ、視線を女性に転じた。
 その瞬間、騂之助は生まれて初めての衝撃を受けた。心の琴線に触れたと言うべきか、はたまた全身に雷が走ったと言うべきか。鼓動が高まり、息を忘れるほどその女性の容貌が騂之助の胸に深く染み込んでくる。
「どうされました?」
「いや、その……」
「さだ、でございますよ」
 この世に、これほど美しい名があるものか――騂之助は息を呑みながら本気でそう思った。他人が聞けば何の感慨もないほどありふれた名であったが、この時の騂之助は違っていた。つまりは一目惚れ、初恋をしてしまっていた。
「中さだ、と申します」
 歳の頃は恐らく二十二、三であろうが、内から湧き出すような明るい笑みのため、もっと若いように騂之助には思えた。
「どないしたん?」
 騂之助を夢の世界から無造作に呼び戻したのは、八重の声であった。
 ――うるさい娘(やつ)だ。
 この時ほど子供を、いや人を疎ましいと思ったことはない。だがこの無神経な声が、騂之助を幾分か正気に戻させてくれた。
「お、思い違いをされては困ります。武士が川に身を投げるなどあろうはずもござらぬ」
 大きくなりたい、見せたい――少年が偉いなる青年になり、そして有為の人になるかどうかは、良き意味で愚かでなければならない。大人からは愚かであっても、それは可能性という名の愚かである。可能性という愚かさのない少年など付き合っても意味はない。
 果たして騂之助は見栄を張った。懸命にさだへの恋心を隠し、そして自分は立派な武士であると胸を張った。ただ見栄を張っているだけでない。どこか人として「可愛げ」があった。可愛げがある人間は様々な助けを得て大きく成長をする。何よりもさだ自身が何か出来ることがあるなら力になってやりたいと思えた。
「されば拙者は大事ないゆえ、お構いなく」
 そう言って騂之助が思案橋から去ろうとしたその時。急に咳がこみ上げて、その場にしゃがみ込んでしまった。
「どうしたん、お武家様?」
 先ほどまでただ生意気であった八重は、小さな手で騂之助の背をさすり、その暖かさは騂之助の苦しみを少しばかり和らげた。さだも別人にように冷静な顔つきで、騂之助の様子を伺った。
「心配あらへん」
 そう言うと、八重に代わって背をさすってやった。騂之助から離れた八重はさだが手にしていた風呂敷をおもむろに開き、その中の袋を取り出してきた。
「お武家様は……」
「せ、騂之、助……です」
 少し咳が収まってきたのだが、まだ騂之助はまともに喋ることができない。
「騂之助さん、しっかりと食べてないでしょう」
 この問いに騂之助は顔を赤らめるばかりで云とも寸とも言わなかったが、この反応でそうなのだとさだは察した。
「以前に大きな病……例えば疱瘡などを患ったのでは?」
 この言葉に騂之助は驚いた。なぜわかるのか、まるで医者のようだ――騂之助の目がそのように語っていた。さだはようやくにこりと笑い、
「私は医術を心得ています」
「女子(おなご)の医者?」
 騂之助は目を白黒させて、さだを凝視した。江戸期において女医は限りなく少ない。当然であるが片田舎である足守に女医などいようはずもなく、大坂においても女医と出会ったのは初めてであった。
「寝る前にこれをお飲みなさい。大変でしょうが、しっかりと食べるよう心掛けてください。夜更かしはいけませんよ」
 そう言うと艶やかな白い手で騂之助の手をなでて、立ち上がった。
「まだお若いから悩みが多いでしょう。病は気からと申します。いつも心にお天道様を照らしなさい」
 笑う門に福は来る――そう一言残し、八重にほほえんだ。
「お八重ちゃん、行きましょう」
「はい、小町先生」
 八重は小さな足で必死になってさだの後を追った。その場に残された騂之助は手に残った薬とさだの手の温かみを思い出しながら、いつまでも二人の背を見送った。
「さだ……さん。……小町先生?」
 小町先生とはどういう意味なのか。いやそんなことはどうでも良かった。騂之助はさだのことを聞いておくべきであった、とひどく後悔した。
 さだと会いたい。ただ会いたいのではなく、刮目すべき男子にならねばならない。何もなく上坂してきた騂之助に出来た小さな、まことに小さな目的が生まれたのである。
 
 さだと出会った日から騂之助は生まれ変わった――のか、実に疑わしい。それまではすぐに発熱をしては寝込み、どこへ行くにも足取りが重く、まさに吹けば飛ぶような弱々しさが漂っていた。ところが昨今の騂之助は実に活発的であった。
「よろしかったですなァ」
 あれから二ヶ月。にこやかに瀬左衛門に声をかけてきたのは中之島一帯に蔵屋敷を所有する庄右衛門であった。
「何の話だ」
 場所は中之島西端に架かる船津橋の上であった。
「ですから、ご子息のことです」
「……ああ。倅のことか」
 どうにも瀬左衛門には愛想というものがない。
 正午。初夏の大坂は蒸し暑かった。瀬左衛門は吹き出る汗を流しながら拭おうとしない。武士たる者は汗を拭うなどはしたないという信条があり、頑なにそれを守り続けた。
「大坂へお越しになられたばかりの頃は顔色悪しく、どうなることか心配したもんです」
「そなたが心配することではない」
「ですが近頃は何と申しますか……顔に張りが出たと申しますか、大坂に慣れてきはったのでしょうな」
 ――大坂に慣れた?
 瀬左衛門は小首をかしげた。
 ――あれは慣れたと申すより……。
 何かに夢中になっている顔であった。それは恐らく勉学でも武芸でもあるまい。息子の表情からそんな殊勝な雰囲気は微塵もない。
 ――女子(おなご)だ。
 それ以外に考えらなかった。かく断定する瀬左衛門にも覚えがあった。男は単純で、特に青少年の頃は好いた女子が出来れば途端に意欲を燃やす。
 ――騂の奴は晩生(おくて)だと思っていたが……。
 女子云々以前に成すべきこと、進むべき路を見出すことが先決ではないか。瀬左衛門は自分のことを棚に上げてひそかに憤慨した。
「ところで、お心は定まりましたか?」
 この問いに瀬左衛門はそうさなァとも何とも言わず、ただ船津橋を中之島方面へと渡っていく。中之島は大坂の北に流れる大川の中州であり、元和年間より流通の拠点として栄えてきた。この大きな中州とその周辺には数多くの蔵屋敷が林立しており、船津橋は最も西端にある橋であった。二人が足を止めたのは橋近くにある古屋敷の前であった。
「いかがでござりましょう」
 とは、庄右衛門は言葉を重ねない。商いの妙とで、あまり勧めすぎると足元を見られてしまう。ここは瀬左衛門から「頼む」という言葉を引き出さなければならない。瀬左衛門は無言でその古屋敷を眺めた。
 ――随分と普請の悪い屋敷だ。
 顔色を変えてはいなかったが、正直なところ、辟易していた。ここは中之島の西端にあるため、船便が悪い。風当たりも強く、そのため屋敷が破損していた。湿気も多く、そのため諸所でカビの臭いが充満している。
「庄右衛門。御家(藩)のお許しを得て在坂するは夏までじゃ。実はのう。他に話が無い訳ではない。他に屋敷を借りてくれとしつこく頼む馴染がおってのう」
 不審な表情になりかけた庄右衛門に、瀬左衛門は凛とした表情でかぶりを振った。
「じゃが、わしは庄右衛門が大坂で最も頼うだる者だと思っておる。そなたほどわしと肝胆相照らす者は他にはない」
「手前も同じでございます」
 甘言には甘言で庄右衛門は答える。だが瀬左衛門も自分の言葉にも、そして庄右衛門の言葉もただのやり取りだとしか思っていない。狐狸の化かし合い――甘言の中にこそ大坂の修羅場が隠れている。
 瀬左衛門はここが勝負所だと見極めている。足守藩は安く蔵屋敷を借り受けしたい。
 庄右衛門はこのぼろ屋敷をさっさと高く貸してしまいたい。
 どこまで取り、そして譲るのか。大坂へ上ってから瀬左衛門は庄右衛門を初め、多くの商人と渡り合い、ようやく折り合いをつけても良い物件を見つけたのである。ここで最後の駆け引きをしなければならなかった。
「もし御重役の面々が庄右衛門の想いを踏みにじり、そっぽを向くならば、この瀬左衛門は隠居するつもりだ。どうしてここまで御家のために骨折りをしてくれたそなただけに煮え湯を飲まさせようか」
「厄介なお方ですわ、佐伯様は」
「厄介?」
「お惚けはご無用。いやはや足守様も難儀な方をお遣わしになられましたわ」
 口でこそ迷惑がっていたが、庄右衛門の顔色は明るい。これは瀬左衛門の要求を飲むという意思表示に他ならなかった。
「良き者じゃな、庄右衛門は」
 もう結構――庄右衛門の笑い声は世辞を一蹴し、再び商談に話を戻した。
「それにしても随分と諸色(様々な物品)の値が上がったものじゃ。何をするにも銭失いばかりで辟易する」
 そう言うと瀬左衛門はちらと庄右衛門の目を見つめた。その瞬間、何を言いたいのか察したらしく、庄右衛門は力無くかぶりを振った。
「臭いでっか……。まったく、これやから佐伯様とは商いをしたくはないんですわ……まあ時は命。ここまでお付き合いしてご破算になるのは銭失いですわな。お武家様も虫は苦手ですか?」
「敵は恐れぬが、虫はどうにもいかん。寝るも難儀で、何よりも病を得てしまう」
「わかりました。庄右衛門も男。畳はご用意しましょう。ただし。貸し代はそのままで」
「ああ。そなたに損はかけぬ。この佐伯瀬左衛門、命に代えても御家老を説き伏せる」
「佐伯様……手前どもはお武家様の命など要りまへん。欲するは――」
 皆まで申すな、わかっている――瀬左衛門の屈託のない笑みはそう答えていた。つまり畳を新調し、その経費を庄右衛門に負担させ、その代わりに蔵屋敷の借り賃を値引きしないことに同意したのである。これが交渉下手な者であれば屋敷の貸し賃は割高にされ、しかもすぐに使えない状態で引き渡される。屋敷の畳替えだけでいくら出費することか。だが瀬左衛門は条件の悪い屋敷を見つけ出し、そして値切り交渉の中で畳を新調させることに成功したのである。彼の交渉術は名人の域に達していた。
「では決まりだな」
 瀬左衛門は再度、古屋敷に目をやり、面には出さなかったが、心内で安堵の息を漏らした。とにもかくにも瀬左衛門は一度、国許に帰らなければならない。
 ――さて……騂はどうするか。
 このまま一人置いていく訳にはいかない。捨てておけば色恋に盲進をすることは火を見るより明らかであったからだ。
 親の心、子知らず。子の心もまた親は知らない。
 瀬左衛門の目からは息子は性根を入れず、ただ色香に迷っているようにしか見えなかった。だが十六の世間知らずがいきなり人のるつぼと言うべき大坂に放り出されては路頭に迷うのも無理はなかった。わずか三月ほどで人生を定めることが出来るならば誰も苦労はしない。色香に迷ったという見方も酷であった。不純と言えば不純であるが、あの女医の存在こそが騂之助の不安な気持ちを和らげ、生きる力を与えてくれた。
 ――あの女の前でみっともない真似はできない。
 少年にとって見栄こそ生きる力になり、その見栄こそが青年へと成長させる糧となる。嘘から出たまこと、瓢箪から駒が出ることは世にある。見栄であったが、騂之助は多少なりとも学問にも武芸にも力を入れる兆しを見せていた。庄右衛門が「変わった」と感じたのはそのことである。
 もっとも瀬左衛門は理不尽で一理もないかと言えばそうでもなかった。もしあの女医がどこの女性であるかわかっていたら、問題は少なかった。女医は大坂においても極めて珍しく、すぐさま見つかるかと騂之助は思っていた。だが女医が開業しているなどの噂はなく、恐らくはどこかの助手なのだろうと庄右衛門などが教えてくれた。女医が主にやっているなど広まれば患者が気味悪がってしまうからだ。
 騂之助につてなどなく、ただ彼女と出会った思案橋だけが頼りであった。思案橋は大坂の経済区と行政区の堺にある橋である。医者は人外の者、いわゆる士農工商の身分外である。つまり武士が住まう行政区で開業しているはずがなく、瓦町か淡路町のいずれかであると考えるのが自然であった。そのため騂之助は日々、両町の医療所を探したが、一向にさだという女医も、そして小町先生などの噂も聞かなかった。恋路は障害があればあるほど没頭してしまい、本業がおろそかになってしまう。だが躍起になってさだを探せば探すほど、瀬左衛門の目には息子が堕落していると映ってしまうのである。
 
 失意と意地の境目で日々を過ごしていた七月末、騂之助は父より厳命を下された。
「足守へ共に帰るぞ」
 瀬左衛門は冷たく、そして刺すような眼差しでにらみすえた。それにしても、と騂之助には憤懣やるかたない気持ちが沸き起こる。こちらの思いも都合も聞かず、ただ父は気ままに大坂へ行けだの帰郷しろと言う。これではあまりにも理不尽ではないか。どうせ帰郷を命ずるなら上坂させなければ良かったのだ。
「不服か?」
「滅相もありませぬ」
 当たり前だ、とは言わなかったが、騂之助にとって父の無言ほどみじめさを感じさせるものはなかった。根深い怖れがあるが、それ以上に悔しかった。面と向かって不服を言えなかったが、勇気を振りしぼって帰郷を猶予してほしいと願い出た。
「御家より大坂修業の掛かり(費用)を賜っています。何も得ず、成さないまま戻るのは不忠かと……」
「忠欲すれば孝ならん、孝欲すれば忠ならん、というわけか。何も成さずに郷関をくぐるはまさに武門の恥というわけか」
 ひょっとすると父を説得出来たのか、と考えたのは騂之助の浅はかさであった。
「たわけがッ。心易く忠だの孝だのと口にするな。父の眼が節穴だと思っているのか。むなしくうち過ごしているかと思えば、昨今は色香に惑わされているだけではないか」
 ――父は全て見抜いている。
 騂之助の顔面は見る見る間に汗で濡れた。
「お前を大坂へ連れて来たのは佐伯家の為だけではない。まさに忠を尽くす者にしようと連れて参ったのだ。ところが熱が出たと言っては修業をなまけ、挙句の果てに女子を求めて出歩くとは言語道断。四の五の言わず、父について参れッ」
 返す言葉などかけらもなかった。ただ顔を畳にこすりつけ、悔し涙を出すほかなかった。ただ一つ泣き声だけは父に聞かせまいとしたことだけが騂之助の精一杯の意地であった。
 八月四日、わずか三ヶ月。騂之助は虚しさと無念、屈辱、そして淡い恋心を抱いたまま何も成すことなく大坂を去っていった。

   三
 
 ――あんなに戻りたかったはずなのに……。
 大坂を立って五日。騂之助は故郷・足守にいた。
 一体何だったのか。有無を言うことも許されず連れていかれ、ただ無為なる日々を過ごし、そして無念の心を抱えての帰郷。一体何をしに大坂へ上ったのか、騂之助の心にただようのは虚しさしかない。
 ――わずらわしい。
 大坂へ上った頃は人のあまりの多さに辟易したものであったが、こうして静寂な足守に戻されてしまうと、妙にあの煩雑さが恋しくならなかった。大坂では絶えず人の声が耳に飛び込んだものだが、足守では人の声よりも足守川の流れや虫や蛙の声が大きい。邯鄲の夢とはまさにこのことだと思うしかなかった。複雑な気持ちに浸ろうとする騂之助に瀬左衛門は無造作に声をかけた。
「足守川だ」
 それがどうしたのか、見ればわかるではないか――行きがかり上、騂之助は父に対して底意地が悪くなっている。瀬左衛門は無愛想な人間であり、人前で笑顔を見せることは滅多にない。と言って喜怒哀楽に乏しいかと言えばそうではなかった。感情の起伏が激しく、それが人の誤解を招いてきた。ただ隠れた激情を愛嬌だと思ってくれる人もいて、彼特有の人脈を築かせてきた。蔵屋敷で交渉した庄右衛門なども瀬左衛門の愛好者の一人であった。そんな瀬左衛門の感情を推し量るには目許の変化を観察するしかない。目許を緩ませたと言うことはすなわち喜びを示している証であった。
「乗典寺(じょうてんじ)へ参ろう」
 その言葉が終わらぬうちに瀬左衛門の足はすでに歩み始めている。幼い頃から家族の都合などお構いなく、思いつけば動いてしまう。騂之助は心の中で舌打ちしながら、必死になって父の後を追った。
 乗典寺とは足守の南にある日蓮宗の寺であり、佐伯家の菩提寺である。帰宅する前にご先祖に挨拶をしようという訳であった。
「墓参を終えましたら、そのままご家老様のお屋敷へ?」
 この問いに父は云とも寸とも答えなかった。ただ無言で寺へ行き、そして慌しく先祖の墓に手を合わせた。騂之助がようやく手を合わせようとした時には、すでに瀬左衛門は足早に寺を出ていってしまった。
「みっともないではないか」
 自分が遅いからか――騂之助はそう受け取り、そして父が性急すぎることに立腹した。だが騂之助のことについてそう言っていないことがすぐにわかった。
「こんな身形で大夫(家老)に会うのは非礼だ」
 つまり先ほど騂之助が家に帰るのか、家老屋敷に行くかの問いに今更、答えたのである。
 旅装を解き、顔や足を洗い、そして裃に着替えるべきだ――瀬左衛門はそう言いたかったらしい。騂之助は怒りを通り越して泣きたくなった。生涯、こんな父と相対しなければならないなどたまったものではない。
 家族にとってこれほど付き合いにくい人はいなかったが、ただ一人例外がいた。それは母キョウであった。母だけは阿吽の呼吸で夫の真意を余すことなく理解しており、瀬左衛門もまたそんな妻に甘えていたようであった。
 足守川を北沿いに歩き、そして葵橋(あおいばし)を東に渡ると、そこに佐伯家がある。
 裏山である宇野山の麓にあり、周囲は下士や農民たちが居を構えていた。瀬左衛門は足の速度を緩めず、突き進んだ。そして立付けの悪い門戸を強引に開けて玄関に座り込み、「戻った」とも何も言わずに、ただ家の様子を眺めた。
「機織場の壁に穴が空いていた」
 瀬左衛門は流れ出る汗をそのままに我が家の普請についてあれこれと思案を巡らせ、その間何もしようとしない。やがて瀬左衛門の気配を察知したのか、庭先からあわただしく足音が近づいてきた。
「あれあれ、お帰りなさいませ」
 足音の主は言わずもがな母であった。母もまた変わり者で、留守中のことを面白おかしく話しながら、てきぱきと世話をする。瀬左衛門は天井を眺めながら無言でうなずくだけで、そうこうしているうちに足を洗い終え、自身の書斎へと進んでいった。
「騂さん」
 母はにこやかにほほえみながら、足たらいの水を替えてくれた。
「早くおし」
 瀬左衛門は待てしばしがきかない。のんびりと構えていればたちまち罵声が飛んでくるのは明らかであった。騂之助はあわてて足を洗い、着替えを急いだ。
「大夫は?」
「馬之助殿がご在宅だと申しておりました」
 騂之助は父が唐突だと思っていたが、母に対してはこまめに書状を送っているらしい。そのため瀬左衛門がどう行動するのか、何を知りたいのかなど、欲するものを全て察知していた。
「そうか」
 瀬左衛門は目許細めてうなずくと、母から脇差と扇子を受け取ると声を上げた。
「騂、ぐずぐずするなッ」
 騂之助は息を切らせながら衣服を改め、すぐさま後を追った。だが足早にもすでに瀬左衛門は葵橋を西に渡っていた。

 足守に城はない。あるのは陣屋のみで町はそこを中心に築かれている。家老の屋敷は陣屋の西隣にあり、時の家老は木下権之助と言った。歳は四十半ばで瀬左衛門より一回り以上若い。家老職を受け継ぐと人材登用を心掛け、その中に下級藩士であった瀬左衛門もいた。権之助は藩公の一族で筆頭家老であったが、如何せん足守藩は小藩である。家老と言っても大藩のようにあまり格式張ってはいない。
「佐伯瀬左衛門、罷り越しました」
 そう門番に挨拶するとすぐさま屋敷に上げてくれた。広間と言うほどではないが、さすがは家老屋敷なだけに普請はしっかりとしている。風通しも良く、居住性の良さはさすがであった。
「瀬左衛門、いやァ、よう戻った」
 騂之助はこの家老とは面識がある。初めて面した時も驚いたものだが、とかく家老とは思えないほど権之助には重々しさというものがない。むしろ顔色を変えない瀬左衛門の方がよほど家老然としていた。
「相変わらず人におじぬ(怖れない)奴じゃ。書状を受けてから待ち受けておった。しかし相変わらず遅いのう。ははは。馬に乗って来んから、随分と待たされたわい」
 備中方面では来るのが遅い者に対して、「馬に乗って来んからじゃ」と揶揄する。家老でありながら権之助は民が遣う言葉が好きで、屈託もなくこういうことを口にする。
「騂之助、であったか」
「田上騂之助にございます」
「佐伯でのうて田上であったな。ぬしの父御は無礼千万であるな」
 この言葉に騂之助はぎょっとしたが、権之助は怒っているのではなく、むしろ父の無愛想を楽しんでいるようであった。
「昔からこうじゃ。不運にもこの変わり者を父に持った倅は災難というものだ」
 父を変わり者だと笑うが、家老も家老だと騂之助は思った。すると権之助はすぐさま察したのか、大声で笑った。
「わしも変わり者よな。いやはや、そなたも父御と同じく手厳しいわ」
 結局のところこの座で最も変わり者で騒がしいのはこの家老であり、騂之助は呆れると同時に可笑しみを感じていた。
「さて、浪華(大坂)はどうであったか」
 権之助はにわかに真面目な顔つきになり、尋ねてきた。
「申し訳ござりませぬ」
 騂之助は藩公の許しを得て大坂へ上った。だが何も成さずすごすごと戻ってきた。そのことを聞かれたのだと思い、自分の不甲斐なさを詫びた。
「――たわけ」
 瀬左衛門は小さく叱責した。騂之助はなぜ父にたしなめられたのか理解できなかった。眼前の家老はにこにこしながらかぶりを振った。どうやらいつの間にか騂之助の話題が終わっていたらしい。
 騂之助は呆れると同時にこの大人どもの身勝手さに腹を立てた。瀬左衛門と家老は肝胆相照らす仲で、無用な言葉を必要としない。だがその独特な間合いをいきなり使われても戸惑うばかりではないか。だがこの両人の眼中にはすでに騂之助の姿はない。取り残された騂之助はどうしていいかわからず、呆然とするしかなかったのだが、助け舟を出してくれる者がいた。先ほど対応してくれた門番・平次であった。無言ながら手招きをし、騂之助は静かにその場を離れることができたのである。
 それにしても何とあわただしい帰郷であったことか。奇妙な形とはいえ、家老への挨拶も終え、ようやく一息つくことができた。
 だがあわただしさから開放されるや、途端に空虚が心を支配する。虚しき大坂での三ヶ月であった。ただあの小町先生との出会いは一瞬であったが、大坂に彩りを付けてくれたように思えて仕方がない。
 ――もう少し大坂にいたかった。
 そう思う一方で、何の甲斐もないが平穏な足守での生活に安堵を感じていたことも違いなかった。
 ――夢だ、あれは夢だ。
 そう思えば何ともない。何もない自分に戻ればそれで良いのだ――騂之助の瞳は徐々に濁っていくようであった。
「田上様は今、我が生涯をお捨てになろうとされましたなァ。世捨て人が楽なんてことはありませぬよ。飼われようとも捨てられようとも明日無き生き方は死ぬよりも辛いもの」
 騂之助にはよくわからなかった。
「門番如きが何をとお怒りになるかもしれません。ですが門番には門番、百姓には百姓の生き様があり、息をしている限りは誰も皆懸命に生きるものでござりまする。平々凡々に生きるもまた才というものがいるものです」
「平々凡々でも?」
「ええ、そうですとも。ですがあなた様にはその平々凡々たる才はまるで無いようで」
「何故わかるのです?」
「亀の甲より年の甲と申しますか……ご無礼なことではありますが、田上様はまだはお稚(わか)い。あなた様は決して己を抑えて生くることはできないご性分」
「なぜそんなことがわかります」
「面魂(つらだましい)ですよ。ええ。どんなに偽っても舞い上がる翼を持てない面魂もあれば、いかに抑えても蒼天に舞い上がろうとする面魂もあります」
「買いかぶりだ」
「いいえ。我が主様も、そして佐伯様も田上様と同じ面魂をお持ちでございます」
 騂之助には信じがたかった。そんな面持ちをすると平次はくすくすと笑った。
「周りがどんなにお二人を抑えつけようとも、立ち塞がろうとも、あの方たちは突き進んできた。そして今も変わらず足を前に前にお出しになっておられる」
 そんなに偉(おお)いなる人なものか――騂之助の表情はそのように語っていた。平次はあえて反論はしない。
「田上様のお気持ちはよくわかります。ですが田上様。あのようなお父上ゆえきっと難儀でありましょうが、田上様は足をお止めになってはいけませんよ」
 平次はにこにことしながら深く頭を下げた。騂之助はどのような顔をして良いのかわからず、ただ地蔵のように押し黙り、口をへの字に曲げた。
 平次は騂之助がうらやましかった。平次には門番しか生きる道はなく、そして将来に夢を見る時間が残されていない。眼前の騂之助は道がわからないだけで未来が無限に広がっている。かつて権之助が家老職を受け継いだ時に聞かせてもらった人生観の受け売りではあった。だが騂之助の面魂があの頃の権之助と同じであることに平次は気付き、余計なことではあったが、つい励ましたくなったのだ。
 このように平次は期待してくれたが、己の命運は身勝手な父に委ねられている。そう思うと騂之助は我が身の不運を呪うしか術はなかった。

 ――あやつは留まると死ぬるのじゃ。
 出る杭は打たれる。下士でありながら家老の威を借りて東奔西走をする瀬左衛門を悪く言う者は少なくはない。もっとも悪口の多くは意外にも上士ではなく、むしろ瀬左衛門と同格の者からであった。理由は言わずもがな嫉妬であった。その者たちは能力がなく、身分もないがために陰口を言うことしか鬱憤を晴らすことが出来ない。そのことを瀬左衛門は熟知しており、いちいち気にしないようにしている。
 とにもかくにも瀬左衛門は憑依されたが如く足守の町を駆け回った。足守はどこの藩もそうであったが、経済的にあえいでいる。これを救うは自分と権之助の二人のみだと、瀬左衛門は大真面目に考えていた。ある日は城下きっての醤油商人・藤田家に立ち寄り、そして盛んに大坂に飛脚を発し続けた。
 ――ぐずぐずしていては機を失する。
 蔵屋敷での専売こそ足守藩が生き残る手段であり、固陋な者どもに邪魔立てさせる猶予を与えてはならない。幸い反対の者はいずれも無能であり、瀬左衛門の労は報われることとなった。瀬左衛門がようやく動きを止めたのは帰藩してから半月のことであった。
 ――なすべきこと、申し上げることは全て終えた。
 瀬左衛門の役割は蔵屋敷を借り受け、ひとまず藩役人に引き渡すまでである。それが終わればひとまず御役御免となる。もっとも本当にここで終わりになるとは瀬左衛門は考えていない。
 ――借りてしまいとならぬが大坂だ。
 瀬左衛門はそう見ている。拠点を構えた以上、足守の物産を売ってこそ意味がある。そうでなければただ蔵屋敷を借りただけで何の意味もなかった。瀬左衛門は実に活動的な人であったが、本来は日長のんびりと足守川に釣り糸を垂らすことが好きであった。
 武士は代々受け継がれてきた俸禄があるが、それだけで生きていけない。御役に就ければ役得というものがあった。通常、在坂での御役はそれなりの利益が入るものだが、足守藩の状況はそれどころではない。そのため騂之助を大坂へ連れていくことぐらいしかできず、瀬左衛門の懐は温かくはならない。ただ一つささやかながらも役得を得ていた。それは大坂道修町で入手した「テグス」、すなわち釣り糸であった。本来テグスは梱包用のもので、楓蚕の腺液を加工した白色透明の強固な糸である。それを偶然目にした阿波の漁師が釣り糸として売り、道修町のみならず釣り人にとって憧れの逸品となっていた。
 釣り好きの瀬左衛門は仕事の合間を縫って、テグスを手に入れたのである。瀬左衛門は珍しく心を躍らせ、足守川に糸を垂らした。足守は盛夏でとにかく暑い。瀬左衛門は葵橋の近くにある大きな栴檀の木の元に座り、静かに足守川を眺め、一人ごちた。
「それにしてもこの歳で右往左往しなければならぬとは因果な人生だ」
 働き所を得る喜びはあったものの、六十近くで犬馬の労をしなくてはならないとはつい嘆息をしたくもなる。だが足守には瀬左衛門に代わって大坂の商人どもと渡り合える者がいない。
「騂にそれを期待したのだが……」
 瀬左衛門が見る限り、騂之助に交渉人の資質はない。後継者がいようといまいとも、瀬左衛門には使命がある。代々禄を頂戴してきた以上、藩のために粉骨砕身することは当然であり、否と言ってはならない。人材が他にいない以上は老骨に鞭を打ってでも働かざるをえない。
 それはそれとして――ほんのひと時であっても釣りを楽しみたい。瀬左衛門は栴檀と同化したように五感を開放した。
 心地よい宇野山からの風。
 安らぎを感じる足守川の音。
 盛夏を謳歌する蝉ども。
 そしてかすかに聞こえる童たちの元気ある声。
 若き頃は功名を挙げることが生きる証だと考えていたが、こうした穏やかな一日と巡り合うことこそ生きる意味であり証ではなかろうかと瀬左衛門は思うのである。何も考えまい――釣りをする時はいつもそう思うのだが、瀬左衛門は仙人になる素質はどうにもないらしい。仙人ではなく様々なことを考えてしまう太公望であった。
 ――騂の奴をどうするか。
 父としてあの末っ子をどうするのか、どうにも考えがまとまらない。このまま足守に留めておいてどうなるであろうか。答えはただの厄介者にしかならないであろう。では大坂へ戻すべきか。再び色恋に溺れてしまっては厄介者よりもさらに厄介ではないか。大坂へ戻すか戻すまいか。足守川の流れを見つめながら、どうするか一向に答えが見つからなかった。

「わしも混ぜてくれ」
 瀬左衛門はわざとその声の主の顔を見なかった。口にこそ出さないが、瀬左衛門の態度が明確に嫌悪の念を語っていた。
「……差し上げませんぞ」
 権之助が首をかしげていると、瀬左衛門は視線を手許のテグスにやった。
「ぬしはしわい」
「貧したる身上でござる」
「ぬしとわしの仲ではないか」
「大坂の者はそれを腐れ縁と申します」
 ほとんど悪口であったが、権之助はどうにもこんな瀬左衛門が好きで仕方がない。
「ここへ参ったのは釣りをしたいが為ではない」
 そう言うと権助は酒を口にした。
「飲むか?」
「いえ。テグスを差し上げなかったのですから」
「わしはそなたほどしわくない」
 意趣返しと云うべきか、呵々と笑い、瓢箪を押しやった。
「旨いだろう」
 瀬左衛門は答えなかったが、目許は笑んでいる。権之助は満足気に笑い、再び酒を口に注いだ。
「瀬左衛門。そのテグスはしばらく使えぬぞ」
 権之助は瓢箪を足元に転がすと、懐から一枚の紙を出し、瀬左衛門に手渡した。見れば御験人格に昇進、大坂留守居役に任ずる旨が書かれていた。
「世も末でござりますな」
「そうさな。下士のぬしが留守居役とはのう。……十月だ」
 瀬左衛門は辞令の書状を懐に仕舞うと、再び釣り糸に目をやった。権之助も無言になり、飽きもせず足守川の流れを眺め続けた。
「瀬左衛門よ。で、どうするつもりじゃ」
「十月に大坂へ参ります」
「そうではない。倅のことだ。何ならまた殿にお許しを得てやるぞ」
「さて……」
「何か障りがあるのか」
 瀬左衛門は答えなかった。まさか騂之助が色香に迷うから連れていけないとは言えまい。だが権之助は敏感であった。
「さては騂之助が女子に惚れたか」
「悪しき癖でござる。大夫は男女のことに敏であられる」
「人を色魔のように申すな。ぬしこそ六十にもなる爺のくせに、初心なことをほざく。家老たるものは人心を掌握することが本業だ。男女のことがわからずして政などできん」
「説教は御免蒙ります」
「では聞こう。騂之助が人を好くのが悪いことか」
「色香云々の前に成すことがありましょう」
「あの年頃は好いた女子のために背伸びするものだ。背伸びこそ男になりうる力になる。朴念仁に人の心などわかるはずもない。心がわからぬ者が御家の役に立つものか」
 何たる屁理屈か――瀬左衛門はあきれ返った。だが相手は家老である。あからさまに軽蔑の言葉は出せない。だが権之助は機敏に瀬左衛門の心を読み取り、不快な表情を浮かべた。
「倅をいかようにするかは親次第。わしが口を挟むことではない。だが地蔵の如く動じない若衆は役に立たんぞ」
 権之助はそう言うと一気に酒を飲み干し、そしてその場を去っていった。蝉噪な権之助が去り、再び瀬左衛門の周囲は静寂になった。だが彼の心には小波が打ち付けるようにしてざわめいていた。
「……背伸び、か」
 思えば自分も色々と背伸びをして成長し、良くも悪くも今がある。そもそも騂之助を大坂へ連れ立ったのは、あまりにひ弱で自我というものが見受けられなかったからであった。 吉と出るか、凶と出るか。
 ――らちもない。
 そのようなことは誰にもわかるまいし、それを恐れていては何も成せまい。つまづこうとも、迷いさまよっても、蒼い天の極みにあるかもしれない何か――明日を信じて瀬左衛門は生きてきた。このまま騂之助を足守に閉じ込めて果たしてその明日があるのだろうか。 あるまい――瀬左衛門は心の中で自分に叫んだ。迷いが晴れたのかと言えば、まだ迷いはある。だが今一度、騂之助を大坂へ連れていくことを瀬左衛門は決意した。
「騂之助、出立は十月だ。ぐずぐずするな」
 瀬左衛門の鋭い声が佐伯家に鳴り響いたのは、その日の夕刻のことであった。またまた急な命であったが、騂之助はもはや人さらいだとは思わなかった。騒がしく、わずらわしい大坂であるが、心奥に言い知れぬ喜びが広がっていく。
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