9 / 9
第九話「吾、三変ス」
しおりを挟む
吾、三変ス
一
天保三年(一八三二)正月。
江戸に出た三平は日々、蘭方医・坪井信道のもとで勉学に励んでいる。
――大坂の医学もすごいが、江戸の学問は風味が違う。
大坂は地子銀、つまり市民税が江戸初期に免除されたことから町人の街となっており、どこか自由の風がある。
一方、江戸は将軍のお膝元で、大坂よりも役人の目が厳しい。また朱子学を推奨する幕府は時の権力者によって、それ以外の学問を排除することがあった。たとえば寛政の改革では塾において朱子学以外教えてはならないなど極端な禁制が発せられることもあり、中でも蘭学が目の敵にされることはしばしばであった。
ただそれでも江戸で蘭学が盛んであったのは江戸が政治の中心であったからであった。政治は生ものであり、どんなに理想を並べてみても現実と向き合わなければならない。そうなると実を重んじる蘭学や蘭方医の利便性は無視できない存在になっていた。
また政治の中心であるため、おのずと他方から人材が集まり、研究の進歩は目覚ましかった。
大坂において三平の師・中天游は蘭方医として上位にあったが、彼も若い時は江戸で、その地位を確かな物にした。天游は自身の経験から、三平のように才覚ある若者は江戸の学問に触れるべきだと考えていたのである。
当初、江戸に出た三平はいささか気後れしていた。
――江戸の風がどうにも合わない。
備中足守で生まれ育った三平にとって、江戸が肌に合わなかったのである。
その最たるものが食べ物であった。
蕎麦は安価で庶民の味方であるが、うどんに慣れ親しんだ三平には、どうにもあのパサパサ感がなじめなかった。また醤油もうま味がなく、ただ辛いだけのように思えてならない。もちろん食べられないほど不味いというわけではないが、出汁のきいたうどんが無性に食べたくて仕方がなかった。
もう一つは人の違いも三平には辛かった。
天游の薦めで入門した坪井信道は、真摯な人物であり、三平もよくしてもらった。同門の者たちも医学への情熱は並々ならぬもので、まさに切磋琢磨で三平も負けてはならぬと学問が大いに進んだ。
だが学びの場を離れると、大坂とまるで違う江戸の風に戸惑ってしまう自分がいた。
そんな三平に声をかけてくる若者がいた。
「やあ、緒方の兄様」
親しげに話しかけてきたのは大戸郁蔵という青年で、三平と同じく備中国・後月郡簗瀬村の出である。
三平より四歳下だが、大柄で落ち着いているため、人によっては郁蔵の方が年上と間違われることがあった。
「兄様の新しい歌ができたのか、楽しみで」
「坪井先生の所で学ぶことが多すぎて、そんな暇はあらへん」
そう言うと、郁蔵は子供のようにほおをふくらませて残念がった。
この二人の出会いは坪井塾ではなく、まったく別な所であった。
郁蔵は漢学者であり、少年のころ、父の命で漢学者の山鳴大年に弟子入りした。
――父の命、か。
郁蔵に親近感を覚えたのは、かつて三平が瀬左衛門にさらわれるように大坂へ連れてこられたからであったからだ。
「子供のころはいたずらしたり、木に登ったりして本を読んだことがなかった」
郁蔵は屈託のない笑顔で自身の無学を笑った。
九歳になるまで本を読まなかった郁蔵であったが、父の萬吉に、
「人間五十年。お前もじきに十歳になる。あと五分の四しかないのに、いたずらばかりしていてはつまらないではないか」
と、説教された。
――あと五分の四。
この言葉に郁蔵はなるほどと得心し、暇があれば本を読むようになった。
「わしは炭のような人間で、火はつきにくいが、一旦ついたら、しつこく燃え続ける」
今度は寝食を忘れて読書に没頭した。
あまりにも読書に熱中し動かなかったため、ついにはネズミが木像だと思ってか、郁蔵の身体をよじ登っても平気なほどであった。
郁蔵の母は身体を心配して止めようとしたが、萬吉は常人ばなれした集中力と卓越した記憶力に感嘆した。そこで近所に住む漢学者で蘭方医でもあった山鳴大年に弟子入りさせた。
大年のもとで郁蔵の学問は大いに進み、ついに教えることがなくなるまでになった。そこで大年は養子の弘斎と一緒に漢学者・昌谷精渓の塾に入門させた。
三平との出会いは精渓の催した歌会であった。医学を志す三平であったが、歌への興味は失わず、終生の嗜みとして余暇を見つけては歌会に顔を出していた。
三平の歌詠みとしての腕前はせいぜい中の上といった程度であったが、なぜか同席していた郁蔵に気に入られ、いつの間にか互いの宿所で寝泊まりする仲になっていた。
「郁さんも物好きや。なんで私の歌が気に入ってるんか、ようわからん」
「さて。兄様の歌は五臓六腑に染み入るみたいで気持ちがエエからかな?」
「酒飲みみたいなことを言う」
「風情はあんまりやけど、兄様の人柄がにじみ出ていて、それがエエ」
「けなしてるんか?」
「褒めてるんやけどな。ところで手に持ってるんは、大坂からの便りですか?」
「思々斎塾の八重ちゃんからだ」
「大坂の想い人か。兄様も隅におけんな」
「あほ。八重ちゃんはまだ童や。いわば……妹みたいなもんや。それに八重ちゃんを想い人なんて言った日には――」
そう言葉を途切れさせると、脳裏に八重の父・億川百記が吊り上がった目で睨んでいる顔を思い浮かべて、思わず身震いした。
「それに八重ちゃんの便りはそんな色っぽいもんやない。今回もほら――」
そう言って郁蔵に書面を見せると、時候の挨拶もほどほどに三平への文句が書かれてあった。
「大坂を発って一年ほど何してたんやという詰問状……かな?」
苦笑しながら三平は頭を掻きながら気にしていない風をてらっていたが、内心ではわずかないらだちがあった。
「江戸へ行け」と、天游は送り出してくれたが、あくまで三平個人の修行であるため、学費など諸経費はすべて自費であった。
思々斎塾もそうであったが、入塾するにあたって束脩と呼ばれる入塾代がある。
相場としては二百疋、奥方への礼金百疋といったところであるが、坪井塾は束脩五十疋、奥方へも五十疋、その他もろもろあるが、それでも他塾と比べると格安であった。もっとも格安と言っても三平にその余裕はなかった。そこで天游は遊学の先輩として、一つの「情報」を選別として教えてくれている。
「いきなり江戸に入るな。まずは木更津あたりに逗留しろ」
なぜ、江戸へ遊学するのに房州の木更津なのかと、三平は首をかしげたが、その理由はすぐにわかった。
このころ来日したシーボルトの影響で今までにない蘭学の流行(ブーム)が江戸で巻き起こっていた。
大坂は日本においてかなりの高水準な蘭学が教えられてきたが、それはあくまで長崎経由の書物によるものであった。江戸もその点は同じであったが、シーボルトの来日でその状況が一変したのである。
シーボルトはヨーロッパにおいて急激に医学が進みつつあったドイツの出身で、長崎出島に降り立った。彼の最先端の知識と医者としての才覚は多くの日本医者を刺激し、にわかに蘭方医学が進展した。
やがてシーボルトは江戸へ赴くオランダ商館長の随行員として江戸に出向いたため、江戸蘭学が大いに盛り上がっていたのである。
これによって江戸における蘭学熱は言うまでもなく、周辺にも広がった。天游はこの流れを江戸にいる知人から知らされており、これに乗じれば三平の江戸遊学の学費など稼げると踏んだのである。
ではなぜ江戸ではなく、房州あたりかと言えばこれにも理由がある。
房州は江戸の喉元にあたり、このころ盛んに異国船がその姿を現すようになった。幕府もこれを捨て置けず、海防の必要性を認識していた。そのため房州に所領を持つ譜代大名たちは国防のためにも蘭学を知る必要があった。
木更津より北に位置する佐倉の藩主・堀田正篤(後の正睦)は蘭癖と呼ばれるほど積極的に蘭学を取り入れていた。そして三平が立ち寄った木更津は先年立藩したばかりの貝淵藩があった。
貝淵の新大名は将軍・家斉の寵臣・林忠英で、幕府の中枢で活躍していたことから、蘭学の必要性を痛感していた。新しく立藩したばかりのため、蘭学に通じた者は少なく、大坂でそれなりの修行を積んだ三平でも十分需要があると天游は見たのである。
天游の指示通りに木更津に入った三平は、そこで一年ほど学費捻出のため内職に努めた。
――芸は身を助ける、だな。
蘭学熱が上がっているとはいえ、まだ二十歳そこそこで、どこの馬の骨かわからない三平の講義を聞きたいもの好きはいない。だが木更津においても義眼や義手・義足の需要は高かった。
思々斎塾を追われていた頃、生計を立てるために三平は義眼作りをして、その技術は相当なものになっていた。
木更津あたりでは満足できる義眼が少なく、すぐに三平の名は広まった。やがて名声を耳にした富農たちが三平の学識を知り、講義を開くよう懇願してきたのである。
こうした活動を通して一年。
三平はようやく学費を得て、江戸へ入ったのであった。
「まあ、貝吹坊がいるから、踏ん張ろうと思うんやけどな。そもそも八重ちゃんの便りは色っぽい話なんかかけらもない。そんな話よりもおもろいことをぎょうさん書いて送ってくれる」
「おもろい話……。どんな話ですか?」
「うん。天保の川ざらえや」
首をかしげる郁蔵をよそに三平は八重の便りに目をやった。
――怪態な人らが、うろうろしてます。
八重の書状はそんな書き出しから始まっていた。
「足そろえや、足そろえや」
そんなことを言いながら、おそろいの法被を着て大坂中を歩く者たちがいた。
近くの神社で祭りもないのに、流行のように大坂中でそういう連中が見受けられた。彼らの正体はただの町人であるが、大坂では大きな事業が始まろうとしていた。
大坂の経済は水運によって支えられている。江戸の八百八町といったのに対して、大坂は八百八橋などと言われるように、とかく水路が毛細血管のように張り巡らされている。
江戸初期において陸運が中心であったが、三平たちの時代では水運なしでは何事もできないほどになっており、その道路である運河はまさに生命線であった。
その水路だが、どうしても土砂がたまってしまう。中でも人工的に開削した道頓堀や安治川は大坂の主流的な水路だが、とかく土砂が堆積しやすかった。
そこでやらねばならないのが、土砂を取り除く川ざらえであるが、多大な労力が必要であった。
財政難にあえぐ幕府や、出先機関である大坂の奉行所は費用を出し渋って動こうとしなかった。そのため安治川の土砂は溜まりに溜まって、舟の往来に支障をきたしてしまったのである。
「金も人も出しますから、川ざらえさせてください」
大坂は将軍直轄の街ながら、その運営の中心にあったのは大坂人たち庶民であった。
三代将軍家光によって地子銀を免除されたことで爆発的な経済発展を遂げた大坂は自分たちのことは自分たちでするという誇りをもって生きている。
水運の街で欠かせない橋の管理も十二の幕府直轄の公儀橋以外は富商たちによって維持されてきた。大坂で急成長した商人は近隣の橋杭を補修する義務があり、中途半端に儲けると破産する「杭倒れ」という言葉もあった。
今回の川ざらえも、必要に迫られた大坂人たちの熱望で奉行所もようやく応じてくれた。
金も労力も出さずに奉行所は何をやるのかという疑問があるが、奉行所でなければできない仕事がある。
安治川の川ざらえはとかく大規模な仕事であり、多くの人数を必要とする。当然ながら、緻密な計画が必要となり、行政経験豊富な奉行所与力は工事の計画と調整を担当したのである。
「格之介の父上も活躍されたんやろうな」
三平はそう想像したが、すでに大塩平八郎は与力を引退していた。
奉行所は早速、町ごとの負担を通知した。だがここで奇妙な騒動が起きる。
町の規模によって負担金や人数に差ができたのだが、そのことに苦情が入ったのである。
「隣の町よりも負担金が少ないとは、どういう御料簡か?」
大坂人の誇りは自分たちのことは自分たちでするといったものだが、隣町に負けることは腹立たしかったのである。
この奇妙な張り合いは奉行所にとって迷惑な話で、人数が多ければいいわけではない。また要望通りに負担金を増やせば思わぬ競り合いが起きて収拾がつかなくなってしまう。
先述した地子銀免除の際、さらに金子を配られ感激した大坂人は将軍家への恩返しを顕彰する銅鐘を鋳造した。
その製作費を幕府が出そうとしたが固辞し、今でも釣鐘町にその銅鐘が残され、定時に鳴らされている。
このように大坂を愛することにかけて人後に劣らない大坂人たちは、何事においても面白さを追求した。
「どうせやったら、町ごとにお揃いの法被でもこしらえようか」
誰彼なしにそういう話が持ち上がり、町ごとに法被と、土砂をさらえるために出す舟の幟も新調した。
ある町は横綱のまわしを意匠にした法被を作り、石浜町は石を意匠したもの、さらには派手な南蛮服のようなものも現れた。
何でもお祭り騒ぎにする大坂人は川ざらえの始まる前からこれらの法被を着て、「足ぞろえ」と称して、飲み歩いた。
「ほんま、あほばかりや」
そう言いつつ、ほおが緩んだのは、三平自身が大坂人になってきた証拠であったかもしれない。
三平は備中足守の者で、大坂に望郷の念を抱くことは奇妙なことであった。だが大坂は三平のようなよそ者が集まり、何かを見出した者の故郷になる不思議な街であり、三平も大坂人の一人になっていたのだ。
さて、川ざらえだが、八重はわかりやすいように大坂で売られていた瓦版も送ってくれていた。
その絵図からは熱気が伝わるようで、とても土砂工事の様子には見えなかった。
土砂を掻きだす舟には町ごとの幟で飾られ、それぞれの法被に身を包んだ大坂人たちが懸命に働いている。その人数は十万人であったというから未曽有の大工事であった。
――ただ、度が過ぎる粗忽者もいたようで。
書面から笑い声が聞こえてくるような文面で八重は「粗忽者」の話を書いた。
当日、町ごとの法被で多くの者は作業したが、目立ちたがり屋が現れた。
唐物売りで財を成した商人は渡来物の南蛮服を着用し、遠くの様子を見るために派手な遠眼鏡を持参して川ざらえに臨んだのである。ある程度のことは目をつむっていた奉行所であったが、やりすぎだと𠮟って着替えさせたと云う。異様で陽気な大事業は無事に遂行され、大坂の水運は再び復活した。
この時に出た大量の土砂を大坂人は無駄にしなかった。
土砂が必要な者に無料で与え、残った土砂を安治川口に積み上げて、十間(約二十m)の築山となった。その山を安治川入港の目印として「目印山」と命名したが、その名は浸透せずに、時の元号から、「天保山」と大坂人は呼んで親しんでいるとのことであった。
「……私も加わりたかったな」
手紙を読み終えた三平は嬉しそうな顔をしながら、天井を見上げた。
「兄様は幸せな方ですな」
「戻りたいという場所があるのは幸せやな」
「そうやなく、こないな愉快な便りを送られる女(ひと)がいることですよ」
「いや、だから八重ちゃんはそういう人やなく……」
「照れ隠しですか? それとも他に気になる人がいるので?」
この言葉に三平はどきりとした。
その昔、大坂に残ろうとしたのは天游の妻・さだに一目ぼれしたことであったし、失望の中で励ましてくれた淀屋の於茶のことも忘れることはできない。
――八重ちゃんは妹のようなもの。
ずっと三平はそう思っていたはずだが、こうして郁蔵に言われてみるとそうでないかもと思わぬでもなかった。
江戸に出てから三平は日々、医学の修行と食うための副業で多忙を極めている。だが忙しいほど寂しさに襲われる夜があり、涙しそうになることもあった。何か根っこがないようなもどかしさの中、大坂の空気を運んでくれる八重の便りだけが心のよりどころであった。
――八重ちゃんに惚れる?……。
あほらしいと思いつつも、八重の明るい笑みがどうにも懐かしく、そして愛らしく思えて仕方がなかった。
「郁さん。私は忙しい。君も遊んどる場合やないはずやが?」
なおもからかおうとした郁蔵を制し、三平は目を細めた。
「修行を終えて、大坂へ帰るぞ」
三平は八重の便りを懐中に納めて、坪井塾へと戻っていった。
二
江戸における三平の生活は相変わらず貧乏と隣り合わせであった。
束脩を払い、信道の門下になれたが、飯も食わねばならないし、着る物も必須であったが、ようやく始まった学ぶことに専念し、学ぶために生きる日々を過ごした。
そのため、義眼つくりは欠かせず、大坂を発った時に選別にもらった単衣もぼろぼろになり、「物乞いのようじゃ」と塾内で眉をひそめる者もいた。そんな三平に信道は自身の衣服を与えたが、背丈が高かった三平が着ると手足が出て、
「まるで悪戯した小僧のようや」
と、郁蔵にからかわれる始末であった。だが三平は意に介することなく、むしろ弟子の事を気遣ってくれる師の温情に感謝した。
――それにしても坪井先生の教え方は素晴らしい。
それまでの蘭学授業はいわば手探り状態にあった。
この時代、日本は鎖国のため、誰も海外に留学した者はいない。そのため限られた輸入本を翻訳するしか方法はなく、辞典も満足できるものは少なかった。
そのため蘭学者の重要な仕事として翻訳があった。
橋本宗吉や天游も功労者であり、塾を開く者は生徒に翻訳を手伝わせることが半ば義務とされていた。
三平は歌学を目指していたこともあってか、読解力に優れ、天游は逸材として珍重した。信道も三平の才覚に驚いたが、彼の教え方は今までにない方法を採用している。
これまでの翻訳は個人の資質に頼っていたが、信道は蘭書の文法に注目した。
信道はシーボルトから文法書『ウェランド小文典』を手に入れ、蘭書を正確に読み取る術を身に付けた。
三平たち塾生はこの文法書を片手に蘭書を再読したところ、顔にかかった膜がとれて、かゆいところに手が届くような気になり、何となく理解していた部分が明確化して、一気に学問が進んだ。
「知識は必要やが、それは戦で喩えたら烏合の衆にしかない。そやけどちゃんとした文法を知ることは軍師を得て百戦を危うからずにするんやな」
三平は目を輝かせながら、寝る間を惜しんで蘭書を読み解いていった。
その結果、『人身窮理学小解』を訳し、わかりやすく本質をつく内容から、信道ばかりでなく、服装を嘲っていた同門も一目置くようになった。
三平の修行成果はさらに拍車がかかった。
坪井塾において卓越した訳書を記した三平を躍進させるため、信道は別の師を紹介した。その師とは宇田川玄真のことで、原生原病学の魁となった人物である。
玄真は医学において、身体の仕組みを直接知る解剖学を最初として、次に身体の実質を知る生理、病の原因を探る病理を知る原生原病学を知るべきだとした。その上で薬剤を用いて治療すべきだと考えていた。
ただ原因を知る学問が進んでいないため、見当はずれな治療がされることもあり、学ぼうにも原理が確立していないため蘭方医の修行も進まないでいた。
信道は文法を明らかにすることで塾生の勉学を飛躍的に進歩させてきただけに、玄真の原生原病学の確立を評価していた。信道が宇田川塾に入門するよう勧めたのは三平の学問上達だけでなく、彼の卓越した読解力を見込んで、修行と共に医学発展を期待してのことであったのだ。
「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや」
三平と一刻ほど話した玄真は大いに喜び、原病書作りの助手とするべく、熱心に指導した。三平も大いに応え、ちょっとした質問にも玄真は懸命に答えてくれた。
「私の仕事を緒方さんに託したい」
玄真は三平のような若輩であっても敬語を忘れない人物で、この時も丁重な物言いで依頼してきた。
――江戸の先生方は、中先生とは大違いだ。
天游は飾り気のない性格は良い所だが、癇癪持ちなのが玉に瑕であった。それに比べて信道や玄真は物腰が柔らかく、叱ることがあっても理路整然と諭してくれた。江戸の空気は合わなかったが、本来柔和な三平は自分が人に教えるのであればかくありたいと思うようになっていた。
「私はもう六十を越え、身体も思わしくない。天命には従うしかありませんが、心残りがあります」
「心残りとは度量のことですか?」
「そうです。異国において度量の改革がなされている。蘭書より様々なことを学ぶにあたって新たな度量を知らねばとんちんかんな伝聞を我が国に伝えることになります。緒方さんは医学を学ぶにあたって度量のことをどう思いますか?」
「医は人の道にあらぬものゆえ、正しき度量は必須だと思います」
「医が人の道でない?」
「大坂で教わりました。あらゆる生き物は天寿によりますが、人だけは天の道に抗って医によって病を癒し、あろうことか天寿を超えさせる。ゆえに人の道でないと」
「なるほど……」
「されど人を助けたい、救われたいと思うのもまた人の条理。その条理を叶えるために医者は人の道ならぬ道を突き進む。ゆえに誰よりも人の道を知らなければならない」
「大坂の方たちはおもしろい考えをなされる。中先生のお教えですか?」
「先生以外の大坂人からも教わりました。世のため、人のため、己のため」
「世のため、人のため、己のため……。ですが緒方さん。医者が人の道でないのなら、その考えは少し違いますよ。私は医者たる者は道のため、人のためで足りえると思うのです」
「道のため、人のため……」
「滅私奉公すべしと声高に申される仁はえてして独りよがりで、他者を傷つけても大義名分ありと豪語して人を傷つける。つまるところ、世のため、人のためは己のためだと思えば、そんな思い上がった心がなくなるとの考えでしょう。されど医者は違う。緒方さんにも色々と翻書をお願いしておりますが、今一人、周防の青木さんに訳してもらっているフーフェランド先生はこう仰っています。医はひとえに患者のためにあり、正しき道を究めていくべきだと。世のため、人のため、己のために生きると同時に、医者として道のため、多くの人、すなわち国のために修行を重ねてください」
この玄真の言葉に三平は身震いするほど感激し、思わず目頭が熱くなっていた。
「正しい度量を知らねば、人を助けることはできません。蘭方の薬は薬効がめざましいですが、それだけに正しき処方が必須です。そのために度量を学ばなければならない、そういうことですね?」
「その通りです。それゆえ、私は生涯の仕事として蘭方における新たな度量の書を訳そうと奔走しましたが……私には時がない」
「そんな……」
「私は医者です。自分の身体がどのようになっているのか見当がつきます。ですが今、訳している度量の書を中途で終えてしまうのは道のため、国のために心残りでならない。大変な仕事で申し訳ないが、この大業を緒方さんに託したいのです」
「私に?」
「坪井先生からあなたを受け入れたのではなく、大業を継ぐべき方と見込んで、私からお願いしたのです。その期待にあなたはしかと応えてくださり、今では私があなたに師事したい」
あまりの誉めように三平は身体がかゆくなったが、玄真は構わず続けた。
「今続けてもらっている病理学の研究も進めてください。何事も原理をつかんでこそ究めることができるもの。大坂で培った物の道理を得んとする気風を大切にして、道のため、国のために歩み続けてください」
玄真はにこりと笑み、三平の手を強く握りしめた。そしてゆっくりと耳元に口を近づけた。
「それとあなたは急がねばならない。天下を大きな禍が覆いつつある」
この言葉を聞き、三平は思わず身を凝固させた。
三
明るく楽しかった天保の川ざらえで賑わった大坂に不吉な影が忍び寄っていた。それは大坂だけでなく、日本全国にまたがる大惨事が起きつつある。
江戸後期は地球規模における大変動の時期にあたる。気候の大変動は農作物に大打撃を与え、とりわけ管理が難しい米の取れ高に大きく影響した。
享保、天明、そして三平たちが生きる天保が大飢饉にあたっていた。飢饉が起きると併せて疫病が流行る。その原因は栄養が乏しくなると身体は病と闘う力を失うものだと三平は見ていた。
――それにしても天下の台所である大坂で飢餓が起きるんや?
天下の台所と称される大坂で米不足が起きることは政と無縁な三平にはわからない事象であった。また飢饉が広がっているのに三平が滞在する江戸ではその気配がなく、依然と化政の豪奢が漂っていた。
――大坂も豪商たちは贅を極めているらしい。
八重の便りにもそのことが触れられており、言い知れぬ憤りを三平は感じずにはいられなかった。
――世の中、怪態なことばかりや。後素先生はお怒りやろうな……。
ふと三平の脳裏に大塩平八郎と格之助の顔が思い浮かんだ。平八郎のことだから、ひょっとすれば上役の奉行に直談判をしているかもしれず、そんな父に振り回される格之助の苦労を同情した。ただ父に振り回されているのは格之助だけのことではなかった。
「騂之助」
ある日、突然、父の瀬左衛門が坪井塾を訪れて声をかけてきた。
――なぜ江戸に父上がいらっしゃるのか?
そう思わなかったのは、こちらに来てから父より書状を受けていたからである。大坂の留守居などを務めていた瀬左衛門であったが、家老の命で江戸詰めを命じられ、三平のもとを訪れたのである。
「老父に足を運ばせるとは親不幸者め」
出合い頭の説教に三平は辟易したが、父から江戸へ行く旨の便りをもらって半年ほど経つのに、返事をしなかった非を悟り、ただ頭を下げるしかなかった。
「騂之助よ」
再び旧名を呼ぼうとしたのをさえぎると、瀬左衛門はそうか、とかぶりを振った。
「いや、柵平であったな。苗字も緒方にしたとか。……お殿様の許しもなく、勝手に名を改めるとは不遜だな」
瀬左衛門が「柵平」と言ったのは記憶違いのためではなかった。このころ足守藩主の木下家に若君・三之丞が誕生した。瀬左衛門は主君の諱を慮って、「三平」を「柵平」と改めるよう命じたのであった。
――柵平、か。……どうにも性に合わん。
表立って異論を挟まなかったが、三平は新たな名をできる限り使わずに過ごしている。公式でない場所では従来の三平で通したため、師の信道や玄真、そして郁蔵も柵平という名を知らなかった。
「ところで今日は何の御用でしょうか?」
「江戸では知る者ぞ知る存在になっているそうな」
褒めているのかと三平は錯覚したが、その声調から、三平は身構えた。
知る人ぞ知る存在、と瀬左衛門は言ったが、三平の名は江戸蘭学者の中で大いに高まっていた。先日、身体を悪くしていた玄真が没したが、三平の仕事は順調に進んでいた。
いくつかの訳書に、「備中緒方三平章謹識」と、著名が許されるほどの働きを見せ、一目置かれる立場になっていたのだ。
そのことから箕作阮甫や高野長英といった高名な蘭方医と交際し、信道の親友で米沢・上杉鷹山にも認められた堀内素堂との交流を生み、共にフーフェランドの研究を進める仲になっていた。
「大坂で危うい目に遭ったことを忘れたか」
瀬左衛門がぎょろりと眼光を鋭くした瞬間、三平は嫌なことを思い出した。かつてキリシタンと目された一派が捕縛された事件で、三平も危うく巻き込まれそうになったことがあった。
江戸ではシーボルトの弟子である長英たちの活躍で、蘭学が流行となっている。だが幕府は依然とキリシタンの禁制は解いておらず、何かのきっかけで蘭学者が弾圧されるか予断を許さない環境にあった。
――父は私のことをやっかんでいるのかもしれない。
そう思った三平には父への根深い不信感があった。
感謝すべきことだが、未だ大坂に「さらわれた」ことを根に持っているし、気に入っている三平という名を一方的に改めろという姿勢も気に入らなかった。
――ただ父は父で苦労している。
わずかながらそう思ったのは瀬左衛門がこの数年、屈辱を味わってきたからであった。
長年、足守藩の財政を大坂留守居役として支えてきたにも関わらず、先年まで蟄居を申し付けられていた。
理由は父の問題ではなく、足守藩における権力争いに巻き込まれたためであった。ようやく蟄居が許されたかと思えば、七十前にもかかわらず、江戸留守居役に据えられるなど、父からすればやりきれなかったであろう。
「柵平。言いたいことがあるなら申せ」
「父上のご懸念、しかと心に留めおきます」
「そなたの医術は天晴だと、大夫(家老)が仰せであった。このたび若君もお生まれになり、良き医者がいないか探すよう命じられている」
その瞬間、三平ははっとして父の顔を凝視した。
――また人さらいか?
穏当な言葉ではないが、かつて足守から連れ去られて大坂に放り出された経験が脳裏を横切った。
――私は足守とは無縁だ。
そう思ったのは、三平があまりにも世間知らずである証拠であった。
三平は置手紙を出して足守を去り、天游に弟子入りした。それから状況を知らせる手紙を出してきたが、兄から返信があるだけで父からは何も言ってこなかった。
――私は佐伯家と無縁の者だ。
心細かったものの、それが三平の自立心を培わせ、時に路頭に迷うこともあったが、大坂の人々や、遊学先の江戸でも助けられて、ようやく医者として歩み始めた。医の道を江戸で究め、その腕をもって大坂で暮らしていこうと思った矢先に足守へ戻れとは到底納得しうるものではなかった。
だが瀬左衛門からすれば三平のそのような気持ちなど世迷言でしかない。代々木下家の録を食んできた佐伯家の者として君命は絶対であり、いかに名を馳せようとも三平に拒む権利などない。
――ただ柵平が未だ路頭に迷っていたら、かような話はなかったろうがな。
皮肉な現状をわずかながら瀬左衛門は同情した。
小藩である足守藩にとって佐伯の部屋住みまで養う余裕はない。ゆえに自費で大坂修行するということは一種の厄介払いのようなものであった。また瀬左衛門の長年にわたる功績をもって三平の勝手に目をつぶってもらっていただけで、これまでもこれからも三平が足守藩の家臣であることには変わりがない。
取るに足らない存在であった三平が江戸で名を馳せたために、木下家の侍医として白羽の矢が立ち、こうして帰藩命令が出たのであった。
なおも渋る三平を瀬左衛門はぎょろりと睨み据えた。
「よもや御家を見限るつもりではなかろうな?」
そう言った瞬間、瀬左衛門が刀の柄に指をかけたため、三平は狼狽した。
御家を見限るとはすなわち脱藩のことで、江戸時代において最大の犯罪であった。三平も幼児の頃から忠義忠孝を叩き込まれており、理も非もなく、御家を見限るなど考えもできなかった。
「承知仕りました。一つ、お願いの儀があります。君命とあらば否も応もございません。されど忠孝と同じく、師の御恩もまたないがしろにすることは人の道に外れます。亡き師に託されたことを整え、お世話になった方々への御礼のため、少しの猶予をいただけますでしょうか」
もっともなことだ、と瀬左衛門は納得しかけたが、三平の言い分を聞いてはならないとかぶりを振った。
瀬左衛門は三平と違って、政の中で生きてきた。政といっても所詮は小役人にすぎないが、生殺与奪の権を握る政を軽んじては、いかなる者もまっとうに生きることはできない。
このころの江戸は奢侈贅沢を好む将軍・家斉の影響で、あらゆることに寛容であった。だが、日本全国に広がりつつある大飢饉の波は必ず寛容さを奪うことを、瀬左衛門はその経験から察知していた。
人は現金で、懐豊かであれば優しくなれる。だが窮すれば心狭く、異なるものを排除したくなる。これまで幕府は窮すれば弾圧することを繰り返しており、真っ先に槍玉にあげられるのが蘭学であった。特に蘭方医には漢方医たちから目の仇にされている。
――このまま江戸や大坂に置けば、禍が倅に及ぶ。
いわば親心から藩に具申して三平を足守に引き取ろうと考えてのことであったのだ。
「君命を重んじよ。だが恩知らずになるのも考え物だ。よし、父が同行してやるゆえ、案内せよ」
――冗談ではない。
親切の押しつけに三平は憤り、激しく首を横に振った。
「父上のお手を煩わせるわけには参りません。これより支度をいたしますゆえ、江戸屋敷でお待ちください」
そう言って三平は関係者宅を回り、数日後には父と共に足守へと戻っていった。
――時は流れているのに、ここでは足守川しか流れていない。
天保六年(一八三五)三月。
三平は日々、木下家の陣屋に赴き、若君の脈を診て異常なきことを言上する日々を過ごしていた。
春となり、心ときめく季節となっていたが、修行を中断し、世の中が飢饉で騒然となる中、安穏な足守に身を置く三平は虚無感に陥っていた。
ただ一つだけ帰郷してよかったと思えることはある。それは父母が思った以上に老いていたからだ。
瀬左衛門は矍鑠なる翁であったが、江戸からの帰路で、足腰が思った以上に弱っていた。旅路でもしばしば足が進まず、宿では足腰を揉んで労わる始末であった。
――考えてみれば父の足腰を揉んだことはなかった。
三平は父を揉みながら、そのやせ細った背と、張りのない肌に驚きを隠せないでいた。
――ひょっとすれば老後の世話をしてほしかったのかな?
同じく年老いた母を手伝っているうちに、親孝行する機会を得たことに三平はこれまでの不孝を後悔していた。
――孝行したい時に親はなし、か。
三平は足守に戻らされたのは一種の天命かと思い、受け入れようとしたある日、思わぬ凶報がもたらされた。
――三月二十四日。中天游逝去。
三平は知らせを握りしめたまま、微動すらできなかった。
悲しみも、それ以外の感情も何も浮かばず、ただ無が三平を襲い、一個の痴呆と化した。
「……先生が……せいきょ……逝去?」
愚にもつかないことを口にしながら、三平はなおもわからずにいた。やがて理性が戻ると、ようやく何が知らされたのか、理解した。
見る見る間に顔面中が涙に濡れ、赤子の時よりも激しく、長々と泣き続けた。
師を失ったのは初めてのことではない。玄真が亡くなった時も悲しみに覆われたが、天游の死がここまで我を失わせるなど思いもよらなかった。
ぶっきらぼうで、喜怒哀楽が激しく、欠点もある人であった。だがもうこの世にいないと思うと、これほど心に穴が空くほど虚無感に襲われるなど予想すらしていなかった。
いや、どこかで三平は天游がずっと生き続けると思っており、今も大坂のどこかで大きな声を出しながら診療し、小町先生に笑いながら叱られながら、思々斎塾の台所で小汚い鍋を一緒につつけるものだと三平は思っている。
――人は必ず死ぬ。
人が当然考えるべき、いや医者ならばなおさら、理解しているべき自然の条理を三平は今さらながら知る思いで、愕然としていた。
――もう、先生の声が聞けないのか。先生に叱ってもらえないのか、未来永劫、先生に私の成した仕事を見ていただけないのか。
足守に戻る中、少しだけ大坂に立ち寄り、天游と再会を果たしていた。その時は元気で、「しっかり御奉公してこい」と、笑いながら励ましてくれた。
――今思えば、先生の笑みに翳りがあった。
三平の事情はこの時代の者なら異を唱えるものでなく、受け入れてやむをえないことであった。それだけに三平の無念を天游は理解しており、ただ笑顔でうなずいてやるしかなかった。
――私は何のために生きてるんや?
誰にぶつけていいかわからない怒りが全身を覆ったが、八方がふさがり、どうしようもなかった。
――戻りたい、大坂へ戻りたいッ。
強烈な想いがあっても、老いた父母を見捨てることなどできず、御家を見限れば佐伯の家にもたらされる厄災は考えるだに恐ろしいものであった。
――忘れろ、忘れろッ。
そう自分に言い聞かせるほど、心中に天游の笑顔や大坂や江戸の仲間の顔が浮かび、どうしようもなく身をもだえるしかなかった。
「騂之助」
身悶えする三平に声をかけてくれたのは兄の馬之助であった。馬之助は大坂や江戸を飛び回る父に代わって佐伯家の家計を支えるため野良仕事などに精を出している。
「大坂の先生がお亡くなりになったそうな。それと大坂は大変なことになっているとか」
「はい」
「お前の腕は殿様にとって欠かすことができないものらしいな」
そう言いながら、三平がかぶりを振らなかったのはその通りだと思ったからである。
「相変わらず正直な奴だ。だがな……」
馬之助は少し声を下げて、ささやくように話した。
「お前の才覚を足守で使うことは天の命じるところかな」
「天の命じるところ?」
「この兄とて野良仕事ばかりしているわけではない。晴耕雨読、学問にも励んでいるつもりだ。考えてみれば病弱で、何を考えているか、いや何も考えていなかった騂之助が大坂で医の道を見出し、ついには江戸でその名を馳せるなど誰も思わなかった。また佐伯家の厄介者が殿様の侍医になろうとは人の世とはわからんものだ」
たしかに兄の言うように足守を出ることができない理由を得た今の自分を想像しえたであろうか。
「わしの天命は矍鑠なる父上をお支えし、木下家の御為に佐伯を守ることだ。そのために田を耕す日々があっても悔いはない。だがお前が足守で一生を終えるのはあまりにも天命をないがしろにした行いだと思う」
温厚な兄とも思えない言葉に三平は驚き、ここまで認めてくれたことに感動したが、やはりどうしようもないと絶望感が心を覆った。
「兄上のお言葉で騂之助は報われましたが、忠孝に背くことはできますまい」
苦渋の表情を浮かべる三平に馬之助は一通の書状を差し出した。
「大夫から書状を預かっている」
不審顔で三平がその書状を読んでみると、驚くべき内容が書かれていた。
――佐伯が末男、大坂にて蘭学教授の願い、指し許す。
つまり足守での役目を解いて、大坂へ赴くことを許す足守藩の命であった。
「端から殿様の侍医としてお前は目されていなかった。ただ江戸での評判もあり、大夫が推挙されたのだ」
「なぜ大夫が?」
「……父上の仕業だ。蟄居が許された父上は隠居したいと申し出ていた。だがどうしても江戸詰めをせよと大夫が申されてな。算盤も、人とのやりとりも足守で父上の右に出る者がいなかったから、七十前にもかかわらず、江戸詰めを命じられた」
「まさか駆け引きで私を足守に?」
また親父に引きずられたと怒った三平を馬之助はたしなめた。
「心得違いをいたすな。父上はお前を弄ぶためにこのようなからくりをしたのではないぞ。ただただ末っ子のお前のことが心配でならなかったのだ」
それにな、と馬之助は笑みを浮かべて三平の顔をのぞいた。
「父上がぼそっと老身の凝りを倅に揉んでもらうほどの法楽はないと喜んでおられた。母上も騂がすっかり大人になったと相好を崩しておられた」
三平は思わず顔を背けたが、言い知れぬ喜びで全身を震わせてしまった。
「面映いが、お前がここを発ってから日夜、神仏にご加護あらんことを祈っていた。おかげで良き方々のご教導を経て、今がある。まことありがたいな」
「はい」
「お前がようやく一端になったと聞き、父上がどれほど喜ばれていたか。だが江戸で独り立ちすることは容易なことではない。名を上げたからこそ、足守で生きる道ができた――そう、父上は思われて、大夫に掛け合ったのだ」
親心としてこれ以上、ありがたいことはない。だがそれでも自分に内緒でそのようなことを決める父が恨めしくあった。
「しかしここ数日のお前を見て、わしは父上の思いを打ち砕かなければならんと思った」
「打ち砕く?」
「才覚あればこそ、殿様に仕える道ができたが、お前の道は足守にないように思える。騂之助であった頃に比べて、お前の顔に面魂ができた。わしにはない己の道を進むという心構えがなければ決して出ない面魂だ」
三平はそうなのかと自分の顔を撫でまわし、馬之助は思わず噴き出した。
「阿呆。ただな。お前が変わったことは大夫も認めておられた。瀬左衛門の倅は倜儻不羈(てきとうふき)の気象なり。つまり才覚があって何者にも縛られず、志が大きく抜きんでて、手綱で捌き切れない、まさに騂之助の名に相応しい者になった、と」
あまりの誉め言葉に三平は顔を赤らめたが、寄せられた期待と認められたことに三平は武者震いした。
「母上はただ風邪をひかぬようにと喜んでおられた。父上は……」
自分に任せておけ、と馬之助は胸をたたいた。
「出立だが、四月二日に発て」
「二日? 今日ではないですか?」
「旅支度も出来ておるし、許しも得ている」
急なことに驚く三平を馬之助は珍しく、声を荒げて急かした。
「ぐずぐずするな。男がかくまで認められているのに、ぐずぐずするは敵を前にして逃げるも同然だ。四の五の言わず、さっさっと出ていけ」
まるで追い立てられるように三平は佐伯家を追われ、その日のうちに足守を出た。
――私という男は、平穏無事に出立できないものらしい。
以前は父に置手紙をしての出立であったが、今度は追い立てられてのことに三平は自嘲した。だが今までにない高揚感があり、足守の町を眺めた。
――今度こそ、自分の足で郷関を出る。いざ、大坂へ。
勇躍、三平は大坂へ戻っていった。
四
――行こか、戻ろか、思案橋。
桜が散り、初夏の新緑に大坂が覆われる頃。大塩平八郎はしこたま酔って、思案橋を渡っていた。
――大塩殿の知恵をお貸し願いたい。
そんな奉行の言葉が平八郎の脳裏によぎった。だがそれは平八郎が尊敬していた高井実徳のものではなく、新たに江戸より赴任してきた矢部定謙のものであった。
新任の矢部は降りかかったように襲ってきた飢饉に対するため、経験豊富な平八郎や、経理に明るい内山彦四郎を顧問として迎えていた。彦四郎はようやく老父にかわって与力職を継ぐことができたが、平八郎は、もう隠居の身であった。
――かえすがえす、腹立たしい。
平八郎は橋の欄干を握りしめながら、歯ぎしりする思いであった。
不正を嫌い、そして弓削など悪徳役人や商人どもを取り締まってきた平八郎であったが、最後にとてつもない大きな不正とぶつかってしまったのだ。
その不正とは無尽講であった。
講――頼母子講とは庶民における相互金融のことである。
講に参加した者たちが定期的に銭を出し合い、毎回、そのうちの一人が順番で当時流行したお伊勢参りの旅費などを受けるといったものであった。
無尽講とは、頼母子講の仕組みを悪用し、賭博化させたものである。掛け金の上限はなく、配当を受けるのは順番ではなく、抽選によるものであった。
賭博は人の感覚を麻痺させるもので、回を重ねるほどに掛け金が膨らみ、胴元が一方的に儲ける仕組みになっていた。江戸期においても賭博はご法度であり、与力である平八郎も、やくざ者の賭場を取り締まってきたものだった。
だがこの無尽講の闇深さは尋常ではなかった。
平八郎が大坂の無尽講のしっぽをつかんだのは、件の弓削事件がきっかけであった。
弓削があれほど悪党どもを結集させた資金源と人脈は無尽講によって培われていたのだ。
――一網打尽、大坂より悪の根を断ってくれる。
そう意気込み、上司の実徳も平八郎の捜査を許してくれた。
だが張本人が与力程度の弓削事件と違って、無尽講の背後にはとんでもない大物が繋がっていたのである。その大物とは老中や若年寄といった幕府の要職者であったからだ。
無尽講がここまで摘発されなかったのには一つのからくりがある。
無尽講の胴元たちは賭場として有力大名、とりわけ幕府要人の大坂屋敷を利用した。屋敷主たちに莫大な賃料を支払い、与力どころか奉行や、さらにその上役の進退すら自由にできる老中たちを取り込むことで捜査を免れてきたのである。
だが平八郎はそのような圧力を物ともせず、実徳の後押しもあって摘発に突き進んだ。
「深入りすると大塩さん、何もできンようなるで」
そう警告したのは彦九郎であったが、火に油を注ぐように、平八郎は躍起になって突き進んだ。そしてついに江戸の要人にまで捜査の手が及びそうになった時、青天の霹靂というべき事態が平八郎を襲った。
何と実徳がにわかに隠居すると言い出したからである。
当然ながら平八郎は驚き、辞職願を撤回させようとしたが、実徳は頑なに首を縦に振らなかった。
「老齢で目が見えなくなって、奉行の任に堪えない」
「足腰の痛みが尋常でなく、激務をこなせない」
などと、身体的苦痛を口にするばかりで、ついに幕府はこの願いを受理した。
「虎の尾を踏んだんだよ」
大坂を発つ前夜、実徳は虚しい眼光を浮かべながら、ぽつりとつぶやいた。
「お前さんはよく働いた。不本意かもしれねえが、格之助という立派な跡継ぎもいることだし、後進のために道を譲っちゃどうだい?」
どうだい、と問いかけているものの、これは歴とした隠居勧告であった。平八郎は声を荒げて抗しようと思ったが、刺さるような実徳の視線を受けて、言葉を飲み込むしかなかった。
平八郎は一個の武士として誇りがあまりあるほど持っていたため、信じるべき上司が罷免同様に去るのなら、殉じて辞職せざるをえなかった。さめざめと泣く平八郎の背をさすりながら、実徳も身を震わせ、江戸へ戻っていった。
――すべてが終わった。
隠居後、平八郎はひたすら陽明学の研究を進め、それを広めるために私塾である洗心洞で弟子養育に情熱を燃やした。
そうした日々を過ごす中、大坂に飢饉の脅威が訪れ、新奉行の矢部が平八郎を顧問として招聘したのであった。
「それがしは大坂について何も知らない。大塩殿をはじめ、与力の衆は隅々までよく存じておる。未曽有の難事にあたって、是非、ご教示願いたい」
「隠居の身でござるが、粉骨砕身、お役に立ちとうござる」
平八郎は嬉々として、長年培ってきた人脈や、知識を披露して、いかに飢餓者を無くしていくか、方策を述べていった。
「なるほど、卓見でござる」
矢部は事あるごとに平八郎に酒を振る舞い、その言に耳をかたむけた。やがて心を開いた平八郎は酒に酔うと日頃心に貯め込んだ鬱憤を口にするようになった。
「飢饉は天災でござるが、それは治政に携わる者の不徳によるもの。これは不甲斐なくも安穏と与力職を退いたそれがしの罪でもござる」
「いやいや。貴殿のように忠義心あふれる者あっての大坂じゃ」
「ありがたき仰せ。お奉行のお働きあって、辛うじて飢餓者を出さずにおりますが、看過できぬは豪商どもの傲慢。彼奴らは飢え苦しむ者を横目に贅沢三昧。本来ならばあの者どもを罰すべきですが、如何ともしがたく、悔しゅうござりまする」
熱涙を流しながら平八郎は、膳にあったカナガシラの頭を嚙み砕いて矢部を驚かせた。
カナガシラは骨の硬く、とても頭蓋骨を噛み砕くなどできない魚で、それだけ平八郎の激情はすさまじかった。
もっとも、もっとも――。
終始、平八郎の言に異を挟まなかった矢部であったが、彼には思惑があった。
――大塩を懐に入れておかねば、奉行職に差しさわりがある。
矢部は大坂に赴任する前、前職の実徳からそう忠告されていた。
「大塩は傑物さ。だが難物でもある。わしは矢部殿と違って風変りだから、大塩みたいな男もいなすことができる」
この言葉に矢部は無能扱いされたのかと苦笑したが、すぐさま実徳はかぶりを振った。
「わしははみ出し者だと言っているのさ。年も年だし、思い切って大坂の膿を出してやろうと励んだが……お粗末な結末で、楽隠居になったわけさ。もっとも大坂を去った後にかような厄災が起きようとは思わなんだ。こうした難事だからこそ、大塩が役に立つ」
実徳は平八郎には良くも悪くも突貫力があり、それを制御するには二つの方法しかないと見ている。一つは実徳のような風変りな人間力をもって心服させる方法で、幸いにもこの方法が図に当たった。
もう一つは平八郎の自尊心を傷つけずに、棚に上げて批判させないことであった。
「使えると思えば、大いに使えばいい。だが一度使えば、行きつくところまで使わねえと逆恨みされるよ」
この忠告を受けた矢部は平八郎を賓師として扱い、実質は彦九郎の現実的な施策を用い続けた。
――本当に我が声に耳をかたむけるつもりがおありなのであろうか?
平八郎は正義感が人一番強いだけに、相手の底意には敏感であった。どんなに礼を尽くされても、実が無ければ軽んじられていると思ってしまうのである。それは彼が信奉する陽明学の実がなければ意味がないという教えに根幹があり、そのため多くの上司や同僚と衝突してきた。
――そんなやり方では駄目だ。
――内山などのやり方では道を誤る。
彦九郎は諸色、すなわち物価についての諸表を取りまとめるなど、大坂きっての経済通である。だが無尽講事件でもそうであったが、波紋を広げないために犯罪を見逃すべきと考える人物で、平八郎にすれば曲学阿世の徒で、有能ゆえ治世の奸臣と呼ぶべき、「敵」であった。
矢部は平八郎の言葉に耳をかたむけるものの、実際は助言の通りに行動しなかった。もっとも平八郎は隠居で、彦九郎は現役の与力であったので、以前のように平八郎自らが働けず、やきもきする日々を送っていたのであった。
「……大坂を守ることができるだろうか」
眼下を流れる東横堀川に目を落としながら、ため息をついていると、南の瓦町方面から一つの影が近づいてきた。
「……後素先生ではありませんか?」
近づいてくる人影は疲れ果てていた三平であった。
「そなたは……格之助と悪さをしていた田上だったか」
「悪さとはお言葉です。今は田上でなく、緒方、緒方三平と申します。ところで先生は見回りですか? ……いや、その赤ら顔は酒屋めぐりですか」
からかうように、そしてどこか非難するような口ぶりで三平は苦笑した。
「家督は格之助に譲った。わしは楽隠居だ」
「楽隠居にしては、鋭い目つきです。これから捕り物でもするような……」
「口が達者になったな。二、三年ほど見かけなかったが、どこにいた?」
「江戸です。江戸で修行し、先ごろ、郷里の足守から戻ってきました」
「江戸、か」
ふと平八郎の顔から怒気が薄らいだのは、江戸に思い出があったからだ。
「江戸から来られた方のことを思い出した。近藤重蔵という仁だ」
「……たしか蝦夷を探索された方と」
「よく存じているな。豪放磊落な仁で、豪胆が服を着て生きているような方だった」
近藤重蔵は幕臣で蝦夷を探検したことで知られる人物であった。五回にわたる蝦夷探索をし、北方防備における情報を幕府にもたらせた功臣であった。本来なら出世して江戸で要職につく人物であったが、そうはならなかった。
「このわしと同じでな」
珍しく自嘲するような笑みを平八郎が浮かべたとおり、重蔵の激しすぎる性格が他者との軋轢を生んで、大坂出張という名目で左遷されてきたのである。
「借りたものは返さぬし、人を人とも思わぬ所があった」
――いい所がないやないか。
三平があきれ顔でいると、平八郎はくすりと笑った。
「常人からすれば褒めるところがない。だが錐を袋に入れたなら突き抜けるように、近藤殿はつまらぬ面子を持たず、相手の身分で人を見ず、上役におべっかできなかった。ただありのままに人の心を見ることができる方じゃった」
平八郎が陽明学を学ぶ中で、常に虚心を排し、相手をありのまま見て接したいと心がけてきた。だが残念ながら平八郎も人の子であり、いくら学問を進めても、喜怒哀楽があり、手柄を誇りたい虚栄心や、他者を妬んでしまう心はどうしようもない。重蔵はそうした常人の気遣いがすっぽり抜け落ちた人間だが、そのため蝦夷探索という難事業を成しえた。
蝦夷探検において道案内を務めたのは現地人であるアイヌの人々で、多くの本邦人は心の奥では夷だと蔑む心を捨てきれなかった。だが常識が欠けている重蔵だけはアイヌの人々を同じ人間としか認識できず、そんな彼の接し方があればこそ、アイヌの人々から惜しまぬ協力を得ることができた。
ただ探検という非常な生活でこそ重蔵の性格は適格であったが、秩序ある江戸城にあっては不適合以外の何物でもなかった。
上役全てに疎まれた重蔵は大坂に左遷され、閑職をあてがわれ、いわば窓際族のような扱いを受けていた。
だが重蔵の非常識さは閑古鳥が鳴くような環境も楽しんだ。
そうした中、学習欲の塊であった平八郎とは息が合い、大坂に在住している間は蝦夷探検の話や、平八郎による陽明学の講義など、知識を盛んに交換した。
「その時、申されたのは、たがいに畳の上で死ねぬだろうな、であった」
――そうやもしれん。
疑問もなく、三平が内心うなずいたほど、平八郎の激しさは平穏無事な生涯を過ごせないだろうと思った。
――私も父に振り回されているが、格之助はもっと大変やろうな。
思わず同情したように、大塩家を継いだ格之助の気苦労は尋常ではなかった。
大坂を飢饉や疫病が襲おうとしている中、与力となった格之助は当然ながら奔走している。だが経験が浅く、良くも悪くも癖のない格之助は奉行所において影が薄い。
そうした中、新奉行の矢部が平八郎を賓師のように扱っているため、格之助の立つ瀬がなかったのである。そのことを平八郎は思い至ることができず、そればかりか奉行は自分を敬遠しているのではないかと勘繰っているのだからどうしようもない。
――少しは格之助のことを気遣ってくだされ。
そう言ってやりたかったが、大塩家内々の話であり、他人の自分が口を出すことではないと三平は口をつぐんだ。
「緒方君。君は大坂に戻って何をしている」
「亡き師にかわって、病で苦しむ人々の治療をいたしております」
「亡き師?」
「思々斎塾の中天游先生です」
ふむ、とうなずいたが、蘭学に興味がない平八郎は天游の名など知らなかった。ただ漢方医よりも蘭方医には先見性があり、治療の役に立っていると聞いている。
――何か、困ったことがないか?
単純に大坂を救うことを第一義にしているなら、平八郎はそうたずねるべきであったが、キリシタンの片割れなどに力を貸せぬ平八郎はそのことを口にしなかった。だが三平は違っていた。
「先生は名高き与力と聞き及んでおります。また新しいお奉行様にも具申されるお立場だとか。ならば我らがもそっと動けるよう、お願いできませんか?」
大胆というべきか、三平はかつてキリシタンを摘発した与力へ思い切った申し出をした。
三平たちは日々、無償に近い形で治療に当たっている。だが感染を防ぐための離れを用意することはままならず、 また井戸なども蘭方医というだけで貸してもらえない。
――お上にお願いしたいのは、手助けやない。働ける場所を作ってほしい。
三平たちが欲していたのはそのことであった。
――男子三日会わざれば刮目せよ、とはよく言ったもの。
大坂に戻ってからの三平を見て、億川百記は何度もそう思った。
「三平さんが戻ってきた」
嬉々として百記に知らせたのは娘の八重で、この時十五歳であった。 すっかり大人になったと百記は相好を崩し たが、一方で心配が絶えない。人一倍親馬鹿な百記にとって八重はかけがえのない愛娘であり、年頃になった今、変な虫がつかないか、気が気でならなかったのである。
三平の指示や依頼は実用的で的確、かつ迅速であった。
――江戸で学んだことを生かしている。
そう百記は思ったが、それだけではないことに気づいた。三平の指示にある根幹は江戸で学んだ医術にあるが、物事の本質を理解する才覚がなければ机上の空論にすぎなくなる。
――苦労という体学問をしたんや。
百記ほど体験しなければ身につかない体学問を大事にしている者はいない。だが叡智なくして体学問は身につかず、また医者として大事な患者――人の心を思いやる優しさが魂魄に沁み込んでいなければ、地に足のついた治療などできようはずもなかった。
「お八重」
ある夜。百記は三平のそばで看護を終えた八重に声をかけた。
「緒方さんはどないや?」
「ひどく……優しなられたかと」
「前々から優しかったと思うが」
「以前はとらえどころのない優しさというか……あんまりエエ言い方やないですけど、芯の柔らかい、そんな優しさ、柔さに思えました」
「今は芯があるんか?」
「できることと、できひんことを江戸や大坂で学んだことを胸に、宋襄の仁でない、勇ある仁で患者さんに向き合っているかと思います」
相変わらず小難しいことを言う娘だと百記は思いながら、さだからも同じような感想を聞いたことを思い出した。
「病が広がらないように長屋を借りられたのは、奉行所に掛け合ったとのことです。以前からの知り合いの格之助様にお願いされたとのこと」
「格之助様とは……与力の大塩様か?」
「はい。三平さんが無茶をした時のお仲間みたいな方だと聞いています」
無茶をした時の仲間とは怪しげな間柄だと思ったが、それは亡き天游も似たようなものであった。
晩年、天游は大坂に戻っていた橋本宗吉の世話にかかりきりであった。宗吉は伴天連騒動で追放されていたため、奉行所ににらまれないように敬遠すべき人物であったが、天游は意にも介さず、師の面倒を見続けた。
――大器晩成、事を為す者は困り者でなければならんのかもしれん。
百記はほんの数年前、三平に振り回されていたことを思い出し、思わず吹き出してしまった。今も振り回されているが、八重の言うように以前とは確かな意志をもってのことで、顔つきもずいぶん変わったように思えた。
「根を詰めすぎると、元も子もなくなりますよ」
昼間は診察に追われ、夜は医学書の翻訳や勉学にいそしんでいる三平を見て、百記は心配した。だが三平は染み入るような笑みを浮かべてかぶりを振った。
「医学は日進月歩、目覚ましい発展を遂げてます。蘭方医学の知識は暗箱に針を突いたような小さな穴からこぼれるわずかな光ですが、そこから学ぶことは山のようにある。医の道はとても一人の人間に学びえることができないほど知らないことばかりですが、一つでも多くを学べば一人でも多く助けることができ、一冊でも翻訳をすれば同じ志を持った医者の道しるべになる。天游先生や橋本先生、坪井先生や宇田川先生も私に道しるべを残されました。どこまでできるかわかりませんが、やれるだけのことをやりたいのです」
この言葉を聞き、百記は雷に打たれたような感銘を受けた。
思えば百記が医術を学んだのは次々と流行り病で我が子を亡くしたためであり、少しでも医学を知っていれば死なせずに済んだと後悔しない日はない。だが百記はすでに年を取り、三平のような学習能力や本質を知る才覚もない。
――このまま緒方さんを大坂に留めおいてエエのやろか?
三平は江戸修行を経て一人前の医者になった。天游亡き後の思々斎塾において、彼の右に出る者はいない。百記や八重、さだも三平がいることでどれだけ心強く思っているかわからない。だが三平が言うように医学は日進月歩の世界である。少しでも優れた知識が必ず入用になる。
――緒方さんがおらんようになるのは痛手やが、このままではあかん。
百記はそう決意すると、翌日から現場から離れ、何かに奔走するようになった。
「億川先生を見ィひんけど、どうされた?」
治療を終えた三平は手を洗いながら、八重に尋ねた。
「あちこちに出歩いているみたいやけど…・・・ひょっとすると……うちの婿さんを探してるンかな?」
「八重ちゃんの?」
そう言うと、三平は弾けるようにして笑った。
「うちがお嫁に行くンが、そないに面白いン?」
そうやないと三平はかぶりを振ったが、内実はおかしくて仕方がなかった。なぜなら駆け回る八重の姿は貝吹き坊のような少女時代と変わらず、嫁ぐなど想像しえなかったからだ。
――しかしよう見れば……。
三平は改めて八重を大人として見たところ、いつの間にか美しい女性に成長していた。また三平の助手として極めて優秀で、診察以外にも塾での講義でも彼女がいてくれるだけで大助かりであった。
――八重ちゃんは妹のようだ。
阿吽の呼吸の八重を見ていると、血の繋がった兄妹のように思えるが、時折見せる女性としての表情にどきりとすることもあった。だがそんな感情も日々過ごす中で自然に飽和していくようであった。
「緒方さん」
そんなある日。天游の子・耕介が三平に声をかけてきた。
「亡き父の願いを聞いてくださるのですね」
「何のことです?」
「父は私に修行を命じていました。その介添えとして緒方さんを望んでいたのです」
はじめて知ったが、それが天游の遺志であるなら、弟子として何の異存もなかった。だが次の言葉を聞いて仰天した。
「では長崎遊学のご指南、よろしくお願いします」
予想すらしなかったことであった。江戸の遊学も大変であったが、長崎となるとその費用は尋常ではない。江戸修行も突然であったが、天游はいつも唐突であった。
「い、いきなり長崎と言われても困ります」
「しかし億川先生はすでに準備を整えているから、緒方さんに修行指南をお願いしなさいと」
一体、百記が何を考えているのか、三平はただ困惑するしかなかった。だがここで耕介と問答していても埒が明かず、百記本人にたずねるしかなかった。
「億川先生、どういうことでしょうか?」
「これは緒方さん。エエところに」
百記は穏やかな笑みを浮かべながら、天游の書斎に三平を誘った。
「耕介くんのこと、頼み入ります」
「ご恩ある先生のご子息のこと、全力を尽くさせていただきます。ただいきなり長崎へと申されましても困ります」
「長崎での修行は不服ですか?」
「長崎は異国の門。蘭方医なら誰しも学びに行きたい地です。されどーー」
「金がない?」
「江戸の修行でも金子がなく、やむなく下総で一年ほど過ごし、お八重ちゃんにも便りで叱られたものです」
「まったく八重めは……」
「それはともかく、江戸でも難渋しましたのに、長崎はもっと容易ではない。ましてや耕介君をお世話する金子など、私には到底……」
そう言って悲しい表情を浮かべた三平の前に百記は何かを包んだ袱紗を差し出した。
「これは?」
「長崎修行のための金子です」
「なるほど、耕介君の……」
そう言って中身を確認すると耕介一人の学費としてはあまりにも多すぎた。
「耕介君だけの金子ではありません」
「世話人の費用としても多すぎます」
「あなたの修行費も含まれてます」
その言葉を聞き、三平は我が耳を疑った。百記はあなたの分も、と言うが、長崎修行二人分の費用などたやすく捻出できるものではない。百記は大坂における名医の一人で、それなりの収入がある。また故郷の名塩での商いも順調で、他者よりも懐は温かった。だがそれでも三平と耕介二人の修行費を気前よく出せるほどの金持ちではない。
「勘違いされますな。痩せても枯れても、この億川百記、お天道様に顔向けできぬことや、お奉行所にしょっ引かれるような真似はしまへん」
「億川先生が、そないなことを、せえへんのは百も承知。それゆえ、この金子に合点がいかんのです」
「合点も何も、ただ頼母子講で集めた金子ですわ」
「頼母子講?」
「はい。緒方さん……いや、先生に期待する者たちと出し合いました」
あまりにもありがたすぎる行動に三平はただ仰天するばかりであったが、しばらくすると姿勢を正して、袱紗を返そうとした。
「せっかくのご厚情ですが、お受けできません」
「緒方先生は仰った。医の道は日々新しくなる。長崎ほど新しい蘭方術を学べる場所はないはず」
「もちろん長崎で学べるなど千載一遇の好機。叶うことなら様々なことを見て聞きたい」
「それならば……」
百記が身を乗り出すと、三平は複雑な表情で視線を畳に向けた。
「思々斎塾は道に迷っていた私を育ててくれました。江戸へ行く決心ができたのも中先生がいたからです。ただ今、私がここを離れたら、塾はどうなります?」
その答えは、「潰れる」であった。思々斎塾のような私塾は中心となる講師あってのもので、主宰者や受け継ぐ者がいなくなれば雲散霧消してしまうのは自明の理であった。
「中先生に匹敵する方は緒方先生のみ。耕介君がたとえ一人前に成長しても、そのころには塾はなくなっているでしょうな」
三平は深くうなずいたが、百記はそれがどうしたと言わんばかりの顔つきで苦笑した。
「なるほど今は緒方先生がいるから塾は生き永らえている。そやけどこのままやと、ほんまに思々斎塾は消えて無くなってしまう」
「どういうことです?」
「緒方先生は緒方先生。逆立ちしても天游先生にはなれまへん」
なるほど、いくら研鑽を積んだからといって、三平には天游ほどの声望はない。天游の弟子が運営する思々斎塾など根っこを切られた草木でしかない。
それよりもーーと、百記はさらに厳しい現実を突きつけた。
「生兵法はけがのもと、と言います。緒方先生は一人前になられたつもりかもしれまへんが、まだまだ青二才。大坂で安穏としているうちに緒方三平の値打ちは底なし沼のように落ちて行って、最後は何も残らんようになります」
いくら何でも言いすぎだと三平は怒気を含んだ眼光を浮かべたが、百記はかまわず続けた。
「緒方先生のお気持ちはありがたい。そやけど、それは見当違い。商いでも目先のことを考えて損したないから留まってると、大きな損をする。大坂の者を見捨てない、助けたいと思うんやったら、長崎で大きな元手を作らな、あきまへん。蘭方の医学は日進月歩言いはったんは緒方先生でっせ?」
この時、百記の目に涙が浮かんだのは早世した子供たちのことを思い浮かべていたからであった。
「先生が修行を終えるまで、微力ながら私たちが思々斎塾、いや大坂を守ります。それとも私らは緒方先生の足元にも及ばん藪医者の集まりですか?」
三平は汗をかきながら、どこかうぬぼれがあったことを反省した。またこうして機会を作ってくれたのに無碍にすることは傲慢だと思えた。ただそれでも、やはりあまりの大金に三平は気後れしていた。
「この金子やったら気にされんでエエですよ。そもそも頼母子講の金子は無料であげるもんやない。心ある者が出し合い、それぞれが受け取るもんです」
「修行から戻れば返せば良いと? ただこれだけの金子、返すのに何年かかることやら……」
「先生は阿呆やな。わしらは金子を返してもらいたいとは微塵にも思ってまへん」
「では何を返せと?」
「先生は医者でしょう。医者が返せるのは金子やなく、人を助けることや。それと中先生が緒方先生を育てたように、若い者に教えを伝えるんです」
三平はしばらく目を見開いたまま身体を凝固させたが、やがて顔を赤くさせながら深くうなずいた。
「まだためらいがあるんやったら、もう一つ」
百記は何とも言えない複雑な表情をしながら、手をついた。
「この億川百記の憂いを除いていただきましょう」
「億川先生の憂い?」
「億川家にはろくに花嫁修業もせんと、毎日患者の間を駆け巡る困り者がいます。可愛くて仕方がないが、このまま行かず後家などにするのも不憫。長崎での修行を終え、大坂で新たな思々斎塾を開くことができたなら、利子としてお転婆娘を緒方先生の嫁として引き取ってはいただけまでんか?」
「嫁……まさか八重ちゃんのことですか?」
「八重やと不服とでも?」
「とんでもない。それよりも億川先生はエエんですか?」
その言葉に百記は思わず、苦虫をかみつぶしたような表情でうなり声をあげた。
本音を言えば、八重をずっと手元に置きたかった。だが妄念を払うように激しくかぶりを振った。
「八重は大坂城や天下と取り換えても手放したくない宝。それほどの宝ゆえ、中先生や百記が認めた緒方三平に嫁いでほしい。これほどの果報はなく、苦心して金子を集めた甲斐があるというもの」
百記とすれば粋なはからいのつもりであったが、予想に反して三平の表情は不快なものに変わっていた。
「この緒方三平も見くびられたものです」
「何と?」
「利子は生きている限り返します。もちろん塾を開いて、後々に続く者の道しるべにもなりたい。そやけど八重ちゃんを利子として引き取るなんてありえへん」
まるで売り言葉に買い言葉のような展開に百記は焦燥し、やがて憤りを感じた。八重を金勘定で計るつもりは毛頭ない。緒方三平ほどの男なら八重をやってもよいと思っていたが、そこは父心として率直に言うことができなかった。そこで百記なりに諧謔をふくめての申し出であったのだが、三平は馬鹿正直に受けてしまい、話がこじれてしまったのであった。
「そのお話、待ってください」
そう声をかけてきたのはさだであった。見ればやや顔を紅潮させ、怒っているようであった。
「男だけで何を勝手に話してるんです。それもお八重ちゃんを利子として押し付けるなんて。お八重ちゃん、こっちへーー」
そう言ってさだが中に入るよううながしたのは、当の本人の八重であった。八重の顔は恥ずかしさと父たちの身勝手さに腹立たしさによって真っ赤になっていた。
「三平さんは八重ちゃんを買われるつもりで?」
「あほなことを。私も憤ってるんです」
「へえ。では八重など嫁にする値打ちもないと?」
「何でそないな話になるんです?」
三平はすっかり我を忘れて口泡を飛ばしたが、悲し気な顔つきの八重が小さく話した。
「緒方さんにとって八重なんかは貝吹き坊か、ただの妹でしかないんでしょう。それにーー」
八重が言葉を途切れさせたのは、ある女性の存在があった。その女性とは淀屋の娘の於茶のことであり、大坂に戻ってから何度か三平は会っている。
――ほかに想い女がいる。
言外に八重は於茶のことを示したが、三平の動揺はそれ以外にもあった。それはさだの存在であった。
思えば初めて大坂に連れられた頃、初恋の相手こそがさだであった。不純な動機で大坂に留まり、そして様々な困難があっても思々斎塾に留まったのは、さだに対する言葉にできない想いがあったからである。
もっともそのような不埒なことを明言することはできないし、何よりも三平にとって今のさだは「憧れであった女性」にすぎず、親愛する姉のような存在であった。
――では於茶さんはどうか。
本音をいえば、恋情が無いのかといえばそうではない。於茶は三平に大坂という街を好きにしてくれた恩人でもあり、同好の士でもあった。また彼女の聡明さも、また端麗な顔つきも嫌いなわけがない。
どうか、と改めて考えると、夫婦になるのもやぶさかではなかった。だがこのような問いほど彼女に対して失礼にもほどがあり、そもそも三平はこの瞬間まで嫁取りのことなど微塵にも考えていなかった。
――八重ちゃんはどうなんや?
改めて眼前にいる八重の顔を見ながら、三平は考えた。
人として八重ほど面白い女はいない。常に明るく、たとえ道に穴が空いていようとも、その困難さえ遊びのように飛び越えて笑っていられるような女性だと思えた。
妹として思うなら無鉄砲な所があるがゆえに守ってやりたいと思わせる健気さがある。百記ならずとも、誰もが彼女を慈しんでやりたいという気持ちを抱いている。
では妻としてはどうだろうか。
今の今まで考えてなかったが、一緒に暮らすとなればどうなんだろうかと三平は考えた。
さだも、そして於茶もどこか身構えてしまうような、どこか不自然さを感じるところがあった。だが八重といるとどこまでも自然でいられる自分がいることに三平は気づいた。
――では何もないと同じなのか?
その答えは否であった。
大坂に戻ってから、自然とそばに八重がいてくれたが、今思うといなくなった時は妙な寂しさがあり、江戸でも彼女からの他愛のない便りを心待ちにしていた。改めて嫁にどうかと問われると、自然な感情でそうなのかと思える自分に三平は驚いていた。
「私は八重ちゃんのことを……」
なおも返事できない三平を見て八重は無性に腹が立ってきた。
――どうせ、うちなんかッ。
実のところ、八重は三平以上に困惑しきっていた。
父は気を利かせての申し入れであったが、八重とすれば自分を物のように扱われたことで、裏切られたような気持ちになっていたのである。
またこうして三平に嫁ぐがどうかと突きつけられると、どうしていいのかわからなくなっていたのだ。
八重も改めて考えた。
今まで三平のことをどう思っていたのかを。
はじめて会った頃の三平はお世辞にも素敵な人とは思えなかった。今にも倒れそうで、目が泳ぐ、そんな頼りない男子であった。
――うちが守ってあげないと。
三平より年下のくせに、八重は弟に接するように接してきた。それが時に三平に疎まれることもあり、それが彼女のいたずら心を刺激した。
だが時を経るにつれて三平は変わっていった。
三平は不器用で、いつも道に迷い、そして道に穴が空いていれば落ちてもがく、そんな青年であった。
しかし八重は見てきた。
穴に落ちようとも、石につまづこうとも、三平は身を起こして立ち上がってきた。不器用でどんくさいからこそ三平は同じように苦しむ人を見捨てず、真摯に接してきた。
――人の喜びを素直に喜んであげ、人の悲しみを嘆き、寄り添ってあげる人。
それが三平ではないか、と八重は直感的に思うようになった。
――言われてみれば、うちはこの人が好きなんかも。
素直にそう思いたい八重であったが、父の素っ頓狂な演出のために、ただただ嫉妬やら恥ずかしさやらで、黒い感情でどうしようもなくなっていた。
気まずい空気が流れ、沈黙の時間が過ぎていった。
「はい、はい。それまで」
割って入るようにさだが二人を離し、その場に座らせた。
「まったく。何で修羅場になるんやろね」
思わずうなずいてしまった百記をさだはにらんだ。
「億川先生が性に合わんことをするから、こないややこしいことに。奥さんもおかんむりでしたよ?」
「小町先生、これが誰も彼もがようなる方策やと……」
これだから男はーーと、さだは呆れ顔で嘆息した。
思えば亡き天游もこの手の話になるとこじらせる天才であった。自分と夫婦になった時も、天游が余計な策を講じて、かえって父の機嫌を損ねたために無駄な苦労をさせられたものであった。
「あの師にこの弟子あり、ですね。ええですか。何でもごっちゃにすれば上手くいくもんもいかんもんです。耕介のことは耕介のこと。緒方さんのことは緒方さんのこと。八重ちゃんの嫁入りのことはまったく別。人の一生をついでに片したらだめです」
ようやく百記は自分がどれだけ暴走し、事態を混乱させたのか理解した。
「ひとまず億川先生は黙ってください。緒方君」
さだは姿勢を正して三平に向き合った。
「一つずつ話しましょう。まず長崎のこと。耕介の指南は引き受けていただけますか?」
「はい」
「それに伴って長崎で修行していただきたいけど、億川先生たちの志を受けていただける?」
「ありがたいお話ですが、あまりにも金子が多くて……」
「肝の小さいことを。天游の跡を守りたいと言っているくせに、そんな心がけでどうするんです。受けるべきものは受ける。人の好意を無碍にすると天罰があたりますよ」
天罰は嫌だな、と顔をしかめた三平はやはり肝が小さかったかもしれないが、これもまた彼の良さだと思い、さだは苦笑した。
「では天罰が降りないよう励みなさい。そして多くの者の道しるべになるよう努めなさい」
「はい」
「では一番大切なこと。八重ちゃんのこと、どう思うの?」
再び三平は口をつぐんだが、今度は深く思慮し、静かに答えた。
「大事な女やと思います」
「淀屋の娘さんより?」
「……於茶さんと話していると心がくすぐったいような気持ちになるのは確かです。そやけどそれが好きなんかどうかと急に言われても、ようわからんです」
「難しいところやね」
さだは視線の方向を八重に変じた。
「八重ちゃんはどう?」
「うちは……」
「急に言われてもわからないわよね。緒方君は相当な頑固者で朴念仁、何を考えているかわからない」
「朴念仁……」
言いえて妙な表現に思わず八重は笑ってしまった。
「嫁入りしろといきなり言われても戸惑うばかり。私も旦那様に嫁いだころは戸惑いばかりだった。身勝手やったし、こんな無茶苦茶な人とやっていけるのか、不安で仕方がなかった。でもね。ある日、旦那様の顔をしっかりと見てみてやったの」
「天游先生は恰好よかった?」
「まさか。顔立ちだけなら緒方君の方がずっとまし。髪はぼさぼさで、言葉遣いは……全然変わらないぶっきらぼうだった」
引き合いに出された三平にすればいい面の皮だったが、さだはかまわず続けた。
「でもね。目がよかった。でもいつも遠くばかり見ているから、足元の石につまづく人なんだと思った。そう思うと妙に愛おしくなって。ああ、この人となら一生一緒にいても良い、とそう思えたの」
――小町先生は変わり者だ。
半ば呆れながらも、何だか面白そうだと思った八重も十分に変人であった。
――試してみよう。
聞けばすぐにやりたがる八重も三平の顔をまじまじと眺めた。
「ふうん、へえーー」
――この貝吹き坊がッ。
顔を眺められる三平は満面を汗で濡れさせながら、仕返しに八重の顔も眺め返してやった。
――面白そうだ。
異性としての魅力はたがいにある。だがまだわからない。でもここで全部わかってしまうのはつまらないと思うと、わかりあえていく道を歩む魅力に八重の心は次第に覆われていった。
「小町先生。やっぱりよくわかんない。でもーー」
「でも?」
「どんなにしんどくても、弱音吐いても緒方さんは両の足を地面につけて歩いていく人やと思いました。大変やけど、そんな緒方さんと一緒に歩けたら面白いかもしれない」
さだは嬉しそうに、「そう」とつぶやき、三平の顔を見た。
――こないにエラいのを嫁にするのか。
やや困惑もあったが、それ以上に形容しがたい想いで胸が熱くなるのを感じていた。
「さて――。これで一件落着ね。億川先生はこれでよろしい?」
予期せぬ話の進み具合にどう反応していいかわからない百記は要領の得ない返事をしてうなずくしかなかった。
「小町先生、億川先生」
深呼吸で息を整えた三平は真剣な表情で二人に顔を向けた。
「八重ちゃん……いえ、八重さんはたしかに嫁にもらい受けます。ただしーー」
今度は視線を八重に転じて、覚悟のほどを話した。
「ただし婚礼は長崎より戻ってからにしていただきたいのです。私はまだ医者として半人前。一人前になって初めて嫁を貰うことができると思うのです」
言われるまでもなく、百記もそのつもりであったし、八重にも異論はなかった。
「もう一つ。長崎修行を機に名を改めます」
「柵平、いえ、先日、緒方君のお父上から判平に改めたとあったけど?」
「柵平も判平も私が改めたものではありません。今も三平ですが、私自身で改めたいのです」
三平は筆と紙を用意し、硯を取り出した。
「私の知り合いで与力の大塩格之助という男がいます。その父君が昔、話されたことを思い出しました」
「大塩様?」
「幼いころ自分は取るに足らない少年であったが、学び、生きることで三変したと。人は蝶のように芋虫から美しく変ずることができる。それが学ぶということだと」
三平は新たな名が記された紙を八重たちに披露した。
緒方洪庵
「洪は大いなる流れ。洪は時として暴れるものの、他方から肥沃なる地をもたらす。ただどこかに流されないよう手を取ってくれる人がほしい。その役目を……八重さんにお願いしたいけど、どうやろ?」
何とも不器用で、武骨な告白であったが、それはそれで面白いと八重は思った。
――うちの旦那様は緒方三平……いや、緒方洪庵先生になるんや。
むずがゆいような嬉しさが身に満ち、八重は満面に笑みを浮かべて承諾した。
天保七年(一八三六)二月十日。
緒方洪庵は中耕介と共に長崎へ旅立っていった。
一
天保三年(一八三二)正月。
江戸に出た三平は日々、蘭方医・坪井信道のもとで勉学に励んでいる。
――大坂の医学もすごいが、江戸の学問は風味が違う。
大坂は地子銀、つまり市民税が江戸初期に免除されたことから町人の街となっており、どこか自由の風がある。
一方、江戸は将軍のお膝元で、大坂よりも役人の目が厳しい。また朱子学を推奨する幕府は時の権力者によって、それ以外の学問を排除することがあった。たとえば寛政の改革では塾において朱子学以外教えてはならないなど極端な禁制が発せられることもあり、中でも蘭学が目の敵にされることはしばしばであった。
ただそれでも江戸で蘭学が盛んであったのは江戸が政治の中心であったからであった。政治は生ものであり、どんなに理想を並べてみても現実と向き合わなければならない。そうなると実を重んじる蘭学や蘭方医の利便性は無視できない存在になっていた。
また政治の中心であるため、おのずと他方から人材が集まり、研究の進歩は目覚ましかった。
大坂において三平の師・中天游は蘭方医として上位にあったが、彼も若い時は江戸で、その地位を確かな物にした。天游は自身の経験から、三平のように才覚ある若者は江戸の学問に触れるべきだと考えていたのである。
当初、江戸に出た三平はいささか気後れしていた。
――江戸の風がどうにも合わない。
備中足守で生まれ育った三平にとって、江戸が肌に合わなかったのである。
その最たるものが食べ物であった。
蕎麦は安価で庶民の味方であるが、うどんに慣れ親しんだ三平には、どうにもあのパサパサ感がなじめなかった。また醤油もうま味がなく、ただ辛いだけのように思えてならない。もちろん食べられないほど不味いというわけではないが、出汁のきいたうどんが無性に食べたくて仕方がなかった。
もう一つは人の違いも三平には辛かった。
天游の薦めで入門した坪井信道は、真摯な人物であり、三平もよくしてもらった。同門の者たちも医学への情熱は並々ならぬもので、まさに切磋琢磨で三平も負けてはならぬと学問が大いに進んだ。
だが学びの場を離れると、大坂とまるで違う江戸の風に戸惑ってしまう自分がいた。
そんな三平に声をかけてくる若者がいた。
「やあ、緒方の兄様」
親しげに話しかけてきたのは大戸郁蔵という青年で、三平と同じく備中国・後月郡簗瀬村の出である。
三平より四歳下だが、大柄で落ち着いているため、人によっては郁蔵の方が年上と間違われることがあった。
「兄様の新しい歌ができたのか、楽しみで」
「坪井先生の所で学ぶことが多すぎて、そんな暇はあらへん」
そう言うと、郁蔵は子供のようにほおをふくらませて残念がった。
この二人の出会いは坪井塾ではなく、まったく別な所であった。
郁蔵は漢学者であり、少年のころ、父の命で漢学者の山鳴大年に弟子入りした。
――父の命、か。
郁蔵に親近感を覚えたのは、かつて三平が瀬左衛門にさらわれるように大坂へ連れてこられたからであったからだ。
「子供のころはいたずらしたり、木に登ったりして本を読んだことがなかった」
郁蔵は屈託のない笑顔で自身の無学を笑った。
九歳になるまで本を読まなかった郁蔵であったが、父の萬吉に、
「人間五十年。お前もじきに十歳になる。あと五分の四しかないのに、いたずらばかりしていてはつまらないではないか」
と、説教された。
――あと五分の四。
この言葉に郁蔵はなるほどと得心し、暇があれば本を読むようになった。
「わしは炭のような人間で、火はつきにくいが、一旦ついたら、しつこく燃え続ける」
今度は寝食を忘れて読書に没頭した。
あまりにも読書に熱中し動かなかったため、ついにはネズミが木像だと思ってか、郁蔵の身体をよじ登っても平気なほどであった。
郁蔵の母は身体を心配して止めようとしたが、萬吉は常人ばなれした集中力と卓越した記憶力に感嘆した。そこで近所に住む漢学者で蘭方医でもあった山鳴大年に弟子入りさせた。
大年のもとで郁蔵の学問は大いに進み、ついに教えることがなくなるまでになった。そこで大年は養子の弘斎と一緒に漢学者・昌谷精渓の塾に入門させた。
三平との出会いは精渓の催した歌会であった。医学を志す三平であったが、歌への興味は失わず、終生の嗜みとして余暇を見つけては歌会に顔を出していた。
三平の歌詠みとしての腕前はせいぜい中の上といった程度であったが、なぜか同席していた郁蔵に気に入られ、いつの間にか互いの宿所で寝泊まりする仲になっていた。
「郁さんも物好きや。なんで私の歌が気に入ってるんか、ようわからん」
「さて。兄様の歌は五臓六腑に染み入るみたいで気持ちがエエからかな?」
「酒飲みみたいなことを言う」
「風情はあんまりやけど、兄様の人柄がにじみ出ていて、それがエエ」
「けなしてるんか?」
「褒めてるんやけどな。ところで手に持ってるんは、大坂からの便りですか?」
「思々斎塾の八重ちゃんからだ」
「大坂の想い人か。兄様も隅におけんな」
「あほ。八重ちゃんはまだ童や。いわば……妹みたいなもんや。それに八重ちゃんを想い人なんて言った日には――」
そう言葉を途切れさせると、脳裏に八重の父・億川百記が吊り上がった目で睨んでいる顔を思い浮かべて、思わず身震いした。
「それに八重ちゃんの便りはそんな色っぽいもんやない。今回もほら――」
そう言って郁蔵に書面を見せると、時候の挨拶もほどほどに三平への文句が書かれてあった。
「大坂を発って一年ほど何してたんやという詰問状……かな?」
苦笑しながら三平は頭を掻きながら気にしていない風をてらっていたが、内心ではわずかないらだちがあった。
「江戸へ行け」と、天游は送り出してくれたが、あくまで三平個人の修行であるため、学費など諸経費はすべて自費であった。
思々斎塾もそうであったが、入塾するにあたって束脩と呼ばれる入塾代がある。
相場としては二百疋、奥方への礼金百疋といったところであるが、坪井塾は束脩五十疋、奥方へも五十疋、その他もろもろあるが、それでも他塾と比べると格安であった。もっとも格安と言っても三平にその余裕はなかった。そこで天游は遊学の先輩として、一つの「情報」を選別として教えてくれている。
「いきなり江戸に入るな。まずは木更津あたりに逗留しろ」
なぜ、江戸へ遊学するのに房州の木更津なのかと、三平は首をかしげたが、その理由はすぐにわかった。
このころ来日したシーボルトの影響で今までにない蘭学の流行(ブーム)が江戸で巻き起こっていた。
大坂は日本においてかなりの高水準な蘭学が教えられてきたが、それはあくまで長崎経由の書物によるものであった。江戸もその点は同じであったが、シーボルトの来日でその状況が一変したのである。
シーボルトはヨーロッパにおいて急激に医学が進みつつあったドイツの出身で、長崎出島に降り立った。彼の最先端の知識と医者としての才覚は多くの日本医者を刺激し、にわかに蘭方医学が進展した。
やがてシーボルトは江戸へ赴くオランダ商館長の随行員として江戸に出向いたため、江戸蘭学が大いに盛り上がっていたのである。
これによって江戸における蘭学熱は言うまでもなく、周辺にも広がった。天游はこの流れを江戸にいる知人から知らされており、これに乗じれば三平の江戸遊学の学費など稼げると踏んだのである。
ではなぜ江戸ではなく、房州あたりかと言えばこれにも理由がある。
房州は江戸の喉元にあたり、このころ盛んに異国船がその姿を現すようになった。幕府もこれを捨て置けず、海防の必要性を認識していた。そのため房州に所領を持つ譜代大名たちは国防のためにも蘭学を知る必要があった。
木更津より北に位置する佐倉の藩主・堀田正篤(後の正睦)は蘭癖と呼ばれるほど積極的に蘭学を取り入れていた。そして三平が立ち寄った木更津は先年立藩したばかりの貝淵藩があった。
貝淵の新大名は将軍・家斉の寵臣・林忠英で、幕府の中枢で活躍していたことから、蘭学の必要性を痛感していた。新しく立藩したばかりのため、蘭学に通じた者は少なく、大坂でそれなりの修行を積んだ三平でも十分需要があると天游は見たのである。
天游の指示通りに木更津に入った三平は、そこで一年ほど学費捻出のため内職に努めた。
――芸は身を助ける、だな。
蘭学熱が上がっているとはいえ、まだ二十歳そこそこで、どこの馬の骨かわからない三平の講義を聞きたいもの好きはいない。だが木更津においても義眼や義手・義足の需要は高かった。
思々斎塾を追われていた頃、生計を立てるために三平は義眼作りをして、その技術は相当なものになっていた。
木更津あたりでは満足できる義眼が少なく、すぐに三平の名は広まった。やがて名声を耳にした富農たちが三平の学識を知り、講義を開くよう懇願してきたのである。
こうした活動を通して一年。
三平はようやく学費を得て、江戸へ入ったのであった。
「まあ、貝吹坊がいるから、踏ん張ろうと思うんやけどな。そもそも八重ちゃんの便りは色っぽい話なんかかけらもない。そんな話よりもおもろいことをぎょうさん書いて送ってくれる」
「おもろい話……。どんな話ですか?」
「うん。天保の川ざらえや」
首をかしげる郁蔵をよそに三平は八重の便りに目をやった。
――怪態な人らが、うろうろしてます。
八重の書状はそんな書き出しから始まっていた。
「足そろえや、足そろえや」
そんなことを言いながら、おそろいの法被を着て大坂中を歩く者たちがいた。
近くの神社で祭りもないのに、流行のように大坂中でそういう連中が見受けられた。彼らの正体はただの町人であるが、大坂では大きな事業が始まろうとしていた。
大坂の経済は水運によって支えられている。江戸の八百八町といったのに対して、大坂は八百八橋などと言われるように、とかく水路が毛細血管のように張り巡らされている。
江戸初期において陸運が中心であったが、三平たちの時代では水運なしでは何事もできないほどになっており、その道路である運河はまさに生命線であった。
その水路だが、どうしても土砂がたまってしまう。中でも人工的に開削した道頓堀や安治川は大坂の主流的な水路だが、とかく土砂が堆積しやすかった。
そこでやらねばならないのが、土砂を取り除く川ざらえであるが、多大な労力が必要であった。
財政難にあえぐ幕府や、出先機関である大坂の奉行所は費用を出し渋って動こうとしなかった。そのため安治川の土砂は溜まりに溜まって、舟の往来に支障をきたしてしまったのである。
「金も人も出しますから、川ざらえさせてください」
大坂は将軍直轄の街ながら、その運営の中心にあったのは大坂人たち庶民であった。
三代将軍家光によって地子銀を免除されたことで爆発的な経済発展を遂げた大坂は自分たちのことは自分たちでするという誇りをもって生きている。
水運の街で欠かせない橋の管理も十二の幕府直轄の公儀橋以外は富商たちによって維持されてきた。大坂で急成長した商人は近隣の橋杭を補修する義務があり、中途半端に儲けると破産する「杭倒れ」という言葉もあった。
今回の川ざらえも、必要に迫られた大坂人たちの熱望で奉行所もようやく応じてくれた。
金も労力も出さずに奉行所は何をやるのかという疑問があるが、奉行所でなければできない仕事がある。
安治川の川ざらえはとかく大規模な仕事であり、多くの人数を必要とする。当然ながら、緻密な計画が必要となり、行政経験豊富な奉行所与力は工事の計画と調整を担当したのである。
「格之介の父上も活躍されたんやろうな」
三平はそう想像したが、すでに大塩平八郎は与力を引退していた。
奉行所は早速、町ごとの負担を通知した。だがここで奇妙な騒動が起きる。
町の規模によって負担金や人数に差ができたのだが、そのことに苦情が入ったのである。
「隣の町よりも負担金が少ないとは、どういう御料簡か?」
大坂人の誇りは自分たちのことは自分たちでするといったものだが、隣町に負けることは腹立たしかったのである。
この奇妙な張り合いは奉行所にとって迷惑な話で、人数が多ければいいわけではない。また要望通りに負担金を増やせば思わぬ競り合いが起きて収拾がつかなくなってしまう。
先述した地子銀免除の際、さらに金子を配られ感激した大坂人は将軍家への恩返しを顕彰する銅鐘を鋳造した。
その製作費を幕府が出そうとしたが固辞し、今でも釣鐘町にその銅鐘が残され、定時に鳴らされている。
このように大坂を愛することにかけて人後に劣らない大坂人たちは、何事においても面白さを追求した。
「どうせやったら、町ごとにお揃いの法被でもこしらえようか」
誰彼なしにそういう話が持ち上がり、町ごとに法被と、土砂をさらえるために出す舟の幟も新調した。
ある町は横綱のまわしを意匠にした法被を作り、石浜町は石を意匠したもの、さらには派手な南蛮服のようなものも現れた。
何でもお祭り騒ぎにする大坂人は川ざらえの始まる前からこれらの法被を着て、「足ぞろえ」と称して、飲み歩いた。
「ほんま、あほばかりや」
そう言いつつ、ほおが緩んだのは、三平自身が大坂人になってきた証拠であったかもしれない。
三平は備中足守の者で、大坂に望郷の念を抱くことは奇妙なことであった。だが大坂は三平のようなよそ者が集まり、何かを見出した者の故郷になる不思議な街であり、三平も大坂人の一人になっていたのだ。
さて、川ざらえだが、八重はわかりやすいように大坂で売られていた瓦版も送ってくれていた。
その絵図からは熱気が伝わるようで、とても土砂工事の様子には見えなかった。
土砂を掻きだす舟には町ごとの幟で飾られ、それぞれの法被に身を包んだ大坂人たちが懸命に働いている。その人数は十万人であったというから未曽有の大工事であった。
――ただ、度が過ぎる粗忽者もいたようで。
書面から笑い声が聞こえてくるような文面で八重は「粗忽者」の話を書いた。
当日、町ごとの法被で多くの者は作業したが、目立ちたがり屋が現れた。
唐物売りで財を成した商人は渡来物の南蛮服を着用し、遠くの様子を見るために派手な遠眼鏡を持参して川ざらえに臨んだのである。ある程度のことは目をつむっていた奉行所であったが、やりすぎだと𠮟って着替えさせたと云う。異様で陽気な大事業は無事に遂行され、大坂の水運は再び復活した。
この時に出た大量の土砂を大坂人は無駄にしなかった。
土砂が必要な者に無料で与え、残った土砂を安治川口に積み上げて、十間(約二十m)の築山となった。その山を安治川入港の目印として「目印山」と命名したが、その名は浸透せずに、時の元号から、「天保山」と大坂人は呼んで親しんでいるとのことであった。
「……私も加わりたかったな」
手紙を読み終えた三平は嬉しそうな顔をしながら、天井を見上げた。
「兄様は幸せな方ですな」
「戻りたいという場所があるのは幸せやな」
「そうやなく、こないな愉快な便りを送られる女(ひと)がいることですよ」
「いや、だから八重ちゃんはそういう人やなく……」
「照れ隠しですか? それとも他に気になる人がいるので?」
この言葉に三平はどきりとした。
その昔、大坂に残ろうとしたのは天游の妻・さだに一目ぼれしたことであったし、失望の中で励ましてくれた淀屋の於茶のことも忘れることはできない。
――八重ちゃんは妹のようなもの。
ずっと三平はそう思っていたはずだが、こうして郁蔵に言われてみるとそうでないかもと思わぬでもなかった。
江戸に出てから三平は日々、医学の修行と食うための副業で多忙を極めている。だが忙しいほど寂しさに襲われる夜があり、涙しそうになることもあった。何か根っこがないようなもどかしさの中、大坂の空気を運んでくれる八重の便りだけが心のよりどころであった。
――八重ちゃんに惚れる?……。
あほらしいと思いつつも、八重の明るい笑みがどうにも懐かしく、そして愛らしく思えて仕方がなかった。
「郁さん。私は忙しい。君も遊んどる場合やないはずやが?」
なおもからかおうとした郁蔵を制し、三平は目を細めた。
「修行を終えて、大坂へ帰るぞ」
三平は八重の便りを懐中に納めて、坪井塾へと戻っていった。
二
江戸における三平の生活は相変わらず貧乏と隣り合わせであった。
束脩を払い、信道の門下になれたが、飯も食わねばならないし、着る物も必須であったが、ようやく始まった学ぶことに専念し、学ぶために生きる日々を過ごした。
そのため、義眼つくりは欠かせず、大坂を発った時に選別にもらった単衣もぼろぼろになり、「物乞いのようじゃ」と塾内で眉をひそめる者もいた。そんな三平に信道は自身の衣服を与えたが、背丈が高かった三平が着ると手足が出て、
「まるで悪戯した小僧のようや」
と、郁蔵にからかわれる始末であった。だが三平は意に介することなく、むしろ弟子の事を気遣ってくれる師の温情に感謝した。
――それにしても坪井先生の教え方は素晴らしい。
それまでの蘭学授業はいわば手探り状態にあった。
この時代、日本は鎖国のため、誰も海外に留学した者はいない。そのため限られた輸入本を翻訳するしか方法はなく、辞典も満足できるものは少なかった。
そのため蘭学者の重要な仕事として翻訳があった。
橋本宗吉や天游も功労者であり、塾を開く者は生徒に翻訳を手伝わせることが半ば義務とされていた。
三平は歌学を目指していたこともあってか、読解力に優れ、天游は逸材として珍重した。信道も三平の才覚に驚いたが、彼の教え方は今までにない方法を採用している。
これまでの翻訳は個人の資質に頼っていたが、信道は蘭書の文法に注目した。
信道はシーボルトから文法書『ウェランド小文典』を手に入れ、蘭書を正確に読み取る術を身に付けた。
三平たち塾生はこの文法書を片手に蘭書を再読したところ、顔にかかった膜がとれて、かゆいところに手が届くような気になり、何となく理解していた部分が明確化して、一気に学問が進んだ。
「知識は必要やが、それは戦で喩えたら烏合の衆にしかない。そやけどちゃんとした文法を知ることは軍師を得て百戦を危うからずにするんやな」
三平は目を輝かせながら、寝る間を惜しんで蘭書を読み解いていった。
その結果、『人身窮理学小解』を訳し、わかりやすく本質をつく内容から、信道ばかりでなく、服装を嘲っていた同門も一目置くようになった。
三平の修行成果はさらに拍車がかかった。
坪井塾において卓越した訳書を記した三平を躍進させるため、信道は別の師を紹介した。その師とは宇田川玄真のことで、原生原病学の魁となった人物である。
玄真は医学において、身体の仕組みを直接知る解剖学を最初として、次に身体の実質を知る生理、病の原因を探る病理を知る原生原病学を知るべきだとした。その上で薬剤を用いて治療すべきだと考えていた。
ただ原因を知る学問が進んでいないため、見当はずれな治療がされることもあり、学ぼうにも原理が確立していないため蘭方医の修行も進まないでいた。
信道は文法を明らかにすることで塾生の勉学を飛躍的に進歩させてきただけに、玄真の原生原病学の確立を評価していた。信道が宇田川塾に入門するよう勧めたのは三平の学問上達だけでなく、彼の卓越した読解力を見込んで、修行と共に医学発展を期待してのことであったのだ。
「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや」
三平と一刻ほど話した玄真は大いに喜び、原病書作りの助手とするべく、熱心に指導した。三平も大いに応え、ちょっとした質問にも玄真は懸命に答えてくれた。
「私の仕事を緒方さんに託したい」
玄真は三平のような若輩であっても敬語を忘れない人物で、この時も丁重な物言いで依頼してきた。
――江戸の先生方は、中先生とは大違いだ。
天游は飾り気のない性格は良い所だが、癇癪持ちなのが玉に瑕であった。それに比べて信道や玄真は物腰が柔らかく、叱ることがあっても理路整然と諭してくれた。江戸の空気は合わなかったが、本来柔和な三平は自分が人に教えるのであればかくありたいと思うようになっていた。
「私はもう六十を越え、身体も思わしくない。天命には従うしかありませんが、心残りがあります」
「心残りとは度量のことですか?」
「そうです。異国において度量の改革がなされている。蘭書より様々なことを学ぶにあたって新たな度量を知らねばとんちんかんな伝聞を我が国に伝えることになります。緒方さんは医学を学ぶにあたって度量のことをどう思いますか?」
「医は人の道にあらぬものゆえ、正しき度量は必須だと思います」
「医が人の道でない?」
「大坂で教わりました。あらゆる生き物は天寿によりますが、人だけは天の道に抗って医によって病を癒し、あろうことか天寿を超えさせる。ゆえに人の道でないと」
「なるほど……」
「されど人を助けたい、救われたいと思うのもまた人の条理。その条理を叶えるために医者は人の道ならぬ道を突き進む。ゆえに誰よりも人の道を知らなければならない」
「大坂の方たちはおもしろい考えをなされる。中先生のお教えですか?」
「先生以外の大坂人からも教わりました。世のため、人のため、己のため」
「世のため、人のため、己のため……。ですが緒方さん。医者が人の道でないのなら、その考えは少し違いますよ。私は医者たる者は道のため、人のためで足りえると思うのです」
「道のため、人のため……」
「滅私奉公すべしと声高に申される仁はえてして独りよがりで、他者を傷つけても大義名分ありと豪語して人を傷つける。つまるところ、世のため、人のためは己のためだと思えば、そんな思い上がった心がなくなるとの考えでしょう。されど医者は違う。緒方さんにも色々と翻書をお願いしておりますが、今一人、周防の青木さんに訳してもらっているフーフェランド先生はこう仰っています。医はひとえに患者のためにあり、正しき道を究めていくべきだと。世のため、人のため、己のために生きると同時に、医者として道のため、多くの人、すなわち国のために修行を重ねてください」
この玄真の言葉に三平は身震いするほど感激し、思わず目頭が熱くなっていた。
「正しい度量を知らねば、人を助けることはできません。蘭方の薬は薬効がめざましいですが、それだけに正しき処方が必須です。そのために度量を学ばなければならない、そういうことですね?」
「その通りです。それゆえ、私は生涯の仕事として蘭方における新たな度量の書を訳そうと奔走しましたが……私には時がない」
「そんな……」
「私は医者です。自分の身体がどのようになっているのか見当がつきます。ですが今、訳している度量の書を中途で終えてしまうのは道のため、国のために心残りでならない。大変な仕事で申し訳ないが、この大業を緒方さんに託したいのです」
「私に?」
「坪井先生からあなたを受け入れたのではなく、大業を継ぐべき方と見込んで、私からお願いしたのです。その期待にあなたはしかと応えてくださり、今では私があなたに師事したい」
あまりの誉めように三平は身体がかゆくなったが、玄真は構わず続けた。
「今続けてもらっている病理学の研究も進めてください。何事も原理をつかんでこそ究めることができるもの。大坂で培った物の道理を得んとする気風を大切にして、道のため、国のために歩み続けてください」
玄真はにこりと笑み、三平の手を強く握りしめた。そしてゆっくりと耳元に口を近づけた。
「それとあなたは急がねばならない。天下を大きな禍が覆いつつある」
この言葉を聞き、三平は思わず身を凝固させた。
三
明るく楽しかった天保の川ざらえで賑わった大坂に不吉な影が忍び寄っていた。それは大坂だけでなく、日本全国にまたがる大惨事が起きつつある。
江戸後期は地球規模における大変動の時期にあたる。気候の大変動は農作物に大打撃を与え、とりわけ管理が難しい米の取れ高に大きく影響した。
享保、天明、そして三平たちが生きる天保が大飢饉にあたっていた。飢饉が起きると併せて疫病が流行る。その原因は栄養が乏しくなると身体は病と闘う力を失うものだと三平は見ていた。
――それにしても天下の台所である大坂で飢餓が起きるんや?
天下の台所と称される大坂で米不足が起きることは政と無縁な三平にはわからない事象であった。また飢饉が広がっているのに三平が滞在する江戸ではその気配がなく、依然と化政の豪奢が漂っていた。
――大坂も豪商たちは贅を極めているらしい。
八重の便りにもそのことが触れられており、言い知れぬ憤りを三平は感じずにはいられなかった。
――世の中、怪態なことばかりや。後素先生はお怒りやろうな……。
ふと三平の脳裏に大塩平八郎と格之助の顔が思い浮かんだ。平八郎のことだから、ひょっとすれば上役の奉行に直談判をしているかもしれず、そんな父に振り回される格之助の苦労を同情した。ただ父に振り回されているのは格之助だけのことではなかった。
「騂之助」
ある日、突然、父の瀬左衛門が坪井塾を訪れて声をかけてきた。
――なぜ江戸に父上がいらっしゃるのか?
そう思わなかったのは、こちらに来てから父より書状を受けていたからである。大坂の留守居などを務めていた瀬左衛門であったが、家老の命で江戸詰めを命じられ、三平のもとを訪れたのである。
「老父に足を運ばせるとは親不幸者め」
出合い頭の説教に三平は辟易したが、父から江戸へ行く旨の便りをもらって半年ほど経つのに、返事をしなかった非を悟り、ただ頭を下げるしかなかった。
「騂之助よ」
再び旧名を呼ぼうとしたのをさえぎると、瀬左衛門はそうか、とかぶりを振った。
「いや、柵平であったな。苗字も緒方にしたとか。……お殿様の許しもなく、勝手に名を改めるとは不遜だな」
瀬左衛門が「柵平」と言ったのは記憶違いのためではなかった。このころ足守藩主の木下家に若君・三之丞が誕生した。瀬左衛門は主君の諱を慮って、「三平」を「柵平」と改めるよう命じたのであった。
――柵平、か。……どうにも性に合わん。
表立って異論を挟まなかったが、三平は新たな名をできる限り使わずに過ごしている。公式でない場所では従来の三平で通したため、師の信道や玄真、そして郁蔵も柵平という名を知らなかった。
「ところで今日は何の御用でしょうか?」
「江戸では知る者ぞ知る存在になっているそうな」
褒めているのかと三平は錯覚したが、その声調から、三平は身構えた。
知る人ぞ知る存在、と瀬左衛門は言ったが、三平の名は江戸蘭学者の中で大いに高まっていた。先日、身体を悪くしていた玄真が没したが、三平の仕事は順調に進んでいた。
いくつかの訳書に、「備中緒方三平章謹識」と、著名が許されるほどの働きを見せ、一目置かれる立場になっていたのだ。
そのことから箕作阮甫や高野長英といった高名な蘭方医と交際し、信道の親友で米沢・上杉鷹山にも認められた堀内素堂との交流を生み、共にフーフェランドの研究を進める仲になっていた。
「大坂で危うい目に遭ったことを忘れたか」
瀬左衛門がぎょろりと眼光を鋭くした瞬間、三平は嫌なことを思い出した。かつてキリシタンと目された一派が捕縛された事件で、三平も危うく巻き込まれそうになったことがあった。
江戸ではシーボルトの弟子である長英たちの活躍で、蘭学が流行となっている。だが幕府は依然とキリシタンの禁制は解いておらず、何かのきっかけで蘭学者が弾圧されるか予断を許さない環境にあった。
――父は私のことをやっかんでいるのかもしれない。
そう思った三平には父への根深い不信感があった。
感謝すべきことだが、未だ大坂に「さらわれた」ことを根に持っているし、気に入っている三平という名を一方的に改めろという姿勢も気に入らなかった。
――ただ父は父で苦労している。
わずかながらそう思ったのは瀬左衛門がこの数年、屈辱を味わってきたからであった。
長年、足守藩の財政を大坂留守居役として支えてきたにも関わらず、先年まで蟄居を申し付けられていた。
理由は父の問題ではなく、足守藩における権力争いに巻き込まれたためであった。ようやく蟄居が許されたかと思えば、七十前にもかかわらず、江戸留守居役に据えられるなど、父からすればやりきれなかったであろう。
「柵平。言いたいことがあるなら申せ」
「父上のご懸念、しかと心に留めおきます」
「そなたの医術は天晴だと、大夫(家老)が仰せであった。このたび若君もお生まれになり、良き医者がいないか探すよう命じられている」
その瞬間、三平ははっとして父の顔を凝視した。
――また人さらいか?
穏当な言葉ではないが、かつて足守から連れ去られて大坂に放り出された経験が脳裏を横切った。
――私は足守とは無縁だ。
そう思ったのは、三平があまりにも世間知らずである証拠であった。
三平は置手紙を出して足守を去り、天游に弟子入りした。それから状況を知らせる手紙を出してきたが、兄から返信があるだけで父からは何も言ってこなかった。
――私は佐伯家と無縁の者だ。
心細かったものの、それが三平の自立心を培わせ、時に路頭に迷うこともあったが、大坂の人々や、遊学先の江戸でも助けられて、ようやく医者として歩み始めた。医の道を江戸で究め、その腕をもって大坂で暮らしていこうと思った矢先に足守へ戻れとは到底納得しうるものではなかった。
だが瀬左衛門からすれば三平のそのような気持ちなど世迷言でしかない。代々木下家の録を食んできた佐伯家の者として君命は絶対であり、いかに名を馳せようとも三平に拒む権利などない。
――ただ柵平が未だ路頭に迷っていたら、かような話はなかったろうがな。
皮肉な現状をわずかながら瀬左衛門は同情した。
小藩である足守藩にとって佐伯の部屋住みまで養う余裕はない。ゆえに自費で大坂修行するということは一種の厄介払いのようなものであった。また瀬左衛門の長年にわたる功績をもって三平の勝手に目をつぶってもらっていただけで、これまでもこれからも三平が足守藩の家臣であることには変わりがない。
取るに足らない存在であった三平が江戸で名を馳せたために、木下家の侍医として白羽の矢が立ち、こうして帰藩命令が出たのであった。
なおも渋る三平を瀬左衛門はぎょろりと睨み据えた。
「よもや御家を見限るつもりではなかろうな?」
そう言った瞬間、瀬左衛門が刀の柄に指をかけたため、三平は狼狽した。
御家を見限るとはすなわち脱藩のことで、江戸時代において最大の犯罪であった。三平も幼児の頃から忠義忠孝を叩き込まれており、理も非もなく、御家を見限るなど考えもできなかった。
「承知仕りました。一つ、お願いの儀があります。君命とあらば否も応もございません。されど忠孝と同じく、師の御恩もまたないがしろにすることは人の道に外れます。亡き師に託されたことを整え、お世話になった方々への御礼のため、少しの猶予をいただけますでしょうか」
もっともなことだ、と瀬左衛門は納得しかけたが、三平の言い分を聞いてはならないとかぶりを振った。
瀬左衛門は三平と違って、政の中で生きてきた。政といっても所詮は小役人にすぎないが、生殺与奪の権を握る政を軽んじては、いかなる者もまっとうに生きることはできない。
このころの江戸は奢侈贅沢を好む将軍・家斉の影響で、あらゆることに寛容であった。だが、日本全国に広がりつつある大飢饉の波は必ず寛容さを奪うことを、瀬左衛門はその経験から察知していた。
人は現金で、懐豊かであれば優しくなれる。だが窮すれば心狭く、異なるものを排除したくなる。これまで幕府は窮すれば弾圧することを繰り返しており、真っ先に槍玉にあげられるのが蘭学であった。特に蘭方医には漢方医たちから目の仇にされている。
――このまま江戸や大坂に置けば、禍が倅に及ぶ。
いわば親心から藩に具申して三平を足守に引き取ろうと考えてのことであったのだ。
「君命を重んじよ。だが恩知らずになるのも考え物だ。よし、父が同行してやるゆえ、案内せよ」
――冗談ではない。
親切の押しつけに三平は憤り、激しく首を横に振った。
「父上のお手を煩わせるわけには参りません。これより支度をいたしますゆえ、江戸屋敷でお待ちください」
そう言って三平は関係者宅を回り、数日後には父と共に足守へと戻っていった。
――時は流れているのに、ここでは足守川しか流れていない。
天保六年(一八三五)三月。
三平は日々、木下家の陣屋に赴き、若君の脈を診て異常なきことを言上する日々を過ごしていた。
春となり、心ときめく季節となっていたが、修行を中断し、世の中が飢饉で騒然となる中、安穏な足守に身を置く三平は虚無感に陥っていた。
ただ一つだけ帰郷してよかったと思えることはある。それは父母が思った以上に老いていたからだ。
瀬左衛門は矍鑠なる翁であったが、江戸からの帰路で、足腰が思った以上に弱っていた。旅路でもしばしば足が進まず、宿では足腰を揉んで労わる始末であった。
――考えてみれば父の足腰を揉んだことはなかった。
三平は父を揉みながら、そのやせ細った背と、張りのない肌に驚きを隠せないでいた。
――ひょっとすれば老後の世話をしてほしかったのかな?
同じく年老いた母を手伝っているうちに、親孝行する機会を得たことに三平はこれまでの不孝を後悔していた。
――孝行したい時に親はなし、か。
三平は足守に戻らされたのは一種の天命かと思い、受け入れようとしたある日、思わぬ凶報がもたらされた。
――三月二十四日。中天游逝去。
三平は知らせを握りしめたまま、微動すらできなかった。
悲しみも、それ以外の感情も何も浮かばず、ただ無が三平を襲い、一個の痴呆と化した。
「……先生が……せいきょ……逝去?」
愚にもつかないことを口にしながら、三平はなおもわからずにいた。やがて理性が戻ると、ようやく何が知らされたのか、理解した。
見る見る間に顔面中が涙に濡れ、赤子の時よりも激しく、長々と泣き続けた。
師を失ったのは初めてのことではない。玄真が亡くなった時も悲しみに覆われたが、天游の死がここまで我を失わせるなど思いもよらなかった。
ぶっきらぼうで、喜怒哀楽が激しく、欠点もある人であった。だがもうこの世にいないと思うと、これほど心に穴が空くほど虚無感に襲われるなど予想すらしていなかった。
いや、どこかで三平は天游がずっと生き続けると思っており、今も大坂のどこかで大きな声を出しながら診療し、小町先生に笑いながら叱られながら、思々斎塾の台所で小汚い鍋を一緒につつけるものだと三平は思っている。
――人は必ず死ぬ。
人が当然考えるべき、いや医者ならばなおさら、理解しているべき自然の条理を三平は今さらながら知る思いで、愕然としていた。
――もう、先生の声が聞けないのか。先生に叱ってもらえないのか、未来永劫、先生に私の成した仕事を見ていただけないのか。
足守に戻る中、少しだけ大坂に立ち寄り、天游と再会を果たしていた。その時は元気で、「しっかり御奉公してこい」と、笑いながら励ましてくれた。
――今思えば、先生の笑みに翳りがあった。
三平の事情はこの時代の者なら異を唱えるものでなく、受け入れてやむをえないことであった。それだけに三平の無念を天游は理解しており、ただ笑顔でうなずいてやるしかなかった。
――私は何のために生きてるんや?
誰にぶつけていいかわからない怒りが全身を覆ったが、八方がふさがり、どうしようもなかった。
――戻りたい、大坂へ戻りたいッ。
強烈な想いがあっても、老いた父母を見捨てることなどできず、御家を見限れば佐伯の家にもたらされる厄災は考えるだに恐ろしいものであった。
――忘れろ、忘れろッ。
そう自分に言い聞かせるほど、心中に天游の笑顔や大坂や江戸の仲間の顔が浮かび、どうしようもなく身をもだえるしかなかった。
「騂之助」
身悶えする三平に声をかけてくれたのは兄の馬之助であった。馬之助は大坂や江戸を飛び回る父に代わって佐伯家の家計を支えるため野良仕事などに精を出している。
「大坂の先生がお亡くなりになったそうな。それと大坂は大変なことになっているとか」
「はい」
「お前の腕は殿様にとって欠かすことができないものらしいな」
そう言いながら、三平がかぶりを振らなかったのはその通りだと思ったからである。
「相変わらず正直な奴だ。だがな……」
馬之助は少し声を下げて、ささやくように話した。
「お前の才覚を足守で使うことは天の命じるところかな」
「天の命じるところ?」
「この兄とて野良仕事ばかりしているわけではない。晴耕雨読、学問にも励んでいるつもりだ。考えてみれば病弱で、何を考えているか、いや何も考えていなかった騂之助が大坂で医の道を見出し、ついには江戸でその名を馳せるなど誰も思わなかった。また佐伯家の厄介者が殿様の侍医になろうとは人の世とはわからんものだ」
たしかに兄の言うように足守を出ることができない理由を得た今の自分を想像しえたであろうか。
「わしの天命は矍鑠なる父上をお支えし、木下家の御為に佐伯を守ることだ。そのために田を耕す日々があっても悔いはない。だがお前が足守で一生を終えるのはあまりにも天命をないがしろにした行いだと思う」
温厚な兄とも思えない言葉に三平は驚き、ここまで認めてくれたことに感動したが、やはりどうしようもないと絶望感が心を覆った。
「兄上のお言葉で騂之助は報われましたが、忠孝に背くことはできますまい」
苦渋の表情を浮かべる三平に馬之助は一通の書状を差し出した。
「大夫から書状を預かっている」
不審顔で三平がその書状を読んでみると、驚くべき内容が書かれていた。
――佐伯が末男、大坂にて蘭学教授の願い、指し許す。
つまり足守での役目を解いて、大坂へ赴くことを許す足守藩の命であった。
「端から殿様の侍医としてお前は目されていなかった。ただ江戸での評判もあり、大夫が推挙されたのだ」
「なぜ大夫が?」
「……父上の仕業だ。蟄居が許された父上は隠居したいと申し出ていた。だがどうしても江戸詰めをせよと大夫が申されてな。算盤も、人とのやりとりも足守で父上の右に出る者がいなかったから、七十前にもかかわらず、江戸詰めを命じられた」
「まさか駆け引きで私を足守に?」
また親父に引きずられたと怒った三平を馬之助はたしなめた。
「心得違いをいたすな。父上はお前を弄ぶためにこのようなからくりをしたのではないぞ。ただただ末っ子のお前のことが心配でならなかったのだ」
それにな、と馬之助は笑みを浮かべて三平の顔をのぞいた。
「父上がぼそっと老身の凝りを倅に揉んでもらうほどの法楽はないと喜んでおられた。母上も騂がすっかり大人になったと相好を崩しておられた」
三平は思わず顔を背けたが、言い知れぬ喜びで全身を震わせてしまった。
「面映いが、お前がここを発ってから日夜、神仏にご加護あらんことを祈っていた。おかげで良き方々のご教導を経て、今がある。まことありがたいな」
「はい」
「お前がようやく一端になったと聞き、父上がどれほど喜ばれていたか。だが江戸で独り立ちすることは容易なことではない。名を上げたからこそ、足守で生きる道ができた――そう、父上は思われて、大夫に掛け合ったのだ」
親心としてこれ以上、ありがたいことはない。だがそれでも自分に内緒でそのようなことを決める父が恨めしくあった。
「しかしここ数日のお前を見て、わしは父上の思いを打ち砕かなければならんと思った」
「打ち砕く?」
「才覚あればこそ、殿様に仕える道ができたが、お前の道は足守にないように思える。騂之助であった頃に比べて、お前の顔に面魂ができた。わしにはない己の道を進むという心構えがなければ決して出ない面魂だ」
三平はそうなのかと自分の顔を撫でまわし、馬之助は思わず噴き出した。
「阿呆。ただな。お前が変わったことは大夫も認めておられた。瀬左衛門の倅は倜儻不羈(てきとうふき)の気象なり。つまり才覚があって何者にも縛られず、志が大きく抜きんでて、手綱で捌き切れない、まさに騂之助の名に相応しい者になった、と」
あまりの誉め言葉に三平は顔を赤らめたが、寄せられた期待と認められたことに三平は武者震いした。
「母上はただ風邪をひかぬようにと喜んでおられた。父上は……」
自分に任せておけ、と馬之助は胸をたたいた。
「出立だが、四月二日に発て」
「二日? 今日ではないですか?」
「旅支度も出来ておるし、許しも得ている」
急なことに驚く三平を馬之助は珍しく、声を荒げて急かした。
「ぐずぐずするな。男がかくまで認められているのに、ぐずぐずするは敵を前にして逃げるも同然だ。四の五の言わず、さっさっと出ていけ」
まるで追い立てられるように三平は佐伯家を追われ、その日のうちに足守を出た。
――私という男は、平穏無事に出立できないものらしい。
以前は父に置手紙をしての出立であったが、今度は追い立てられてのことに三平は自嘲した。だが今までにない高揚感があり、足守の町を眺めた。
――今度こそ、自分の足で郷関を出る。いざ、大坂へ。
勇躍、三平は大坂へ戻っていった。
四
――行こか、戻ろか、思案橋。
桜が散り、初夏の新緑に大坂が覆われる頃。大塩平八郎はしこたま酔って、思案橋を渡っていた。
――大塩殿の知恵をお貸し願いたい。
そんな奉行の言葉が平八郎の脳裏によぎった。だがそれは平八郎が尊敬していた高井実徳のものではなく、新たに江戸より赴任してきた矢部定謙のものであった。
新任の矢部は降りかかったように襲ってきた飢饉に対するため、経験豊富な平八郎や、経理に明るい内山彦四郎を顧問として迎えていた。彦四郎はようやく老父にかわって与力職を継ぐことができたが、平八郎は、もう隠居の身であった。
――かえすがえす、腹立たしい。
平八郎は橋の欄干を握りしめながら、歯ぎしりする思いであった。
不正を嫌い、そして弓削など悪徳役人や商人どもを取り締まってきた平八郎であったが、最後にとてつもない大きな不正とぶつかってしまったのだ。
その不正とは無尽講であった。
講――頼母子講とは庶民における相互金融のことである。
講に参加した者たちが定期的に銭を出し合い、毎回、そのうちの一人が順番で当時流行したお伊勢参りの旅費などを受けるといったものであった。
無尽講とは、頼母子講の仕組みを悪用し、賭博化させたものである。掛け金の上限はなく、配当を受けるのは順番ではなく、抽選によるものであった。
賭博は人の感覚を麻痺させるもので、回を重ねるほどに掛け金が膨らみ、胴元が一方的に儲ける仕組みになっていた。江戸期においても賭博はご法度であり、与力である平八郎も、やくざ者の賭場を取り締まってきたものだった。
だがこの無尽講の闇深さは尋常ではなかった。
平八郎が大坂の無尽講のしっぽをつかんだのは、件の弓削事件がきっかけであった。
弓削があれほど悪党どもを結集させた資金源と人脈は無尽講によって培われていたのだ。
――一網打尽、大坂より悪の根を断ってくれる。
そう意気込み、上司の実徳も平八郎の捜査を許してくれた。
だが張本人が与力程度の弓削事件と違って、無尽講の背後にはとんでもない大物が繋がっていたのである。その大物とは老中や若年寄といった幕府の要職者であったからだ。
無尽講がここまで摘発されなかったのには一つのからくりがある。
無尽講の胴元たちは賭場として有力大名、とりわけ幕府要人の大坂屋敷を利用した。屋敷主たちに莫大な賃料を支払い、与力どころか奉行や、さらにその上役の進退すら自由にできる老中たちを取り込むことで捜査を免れてきたのである。
だが平八郎はそのような圧力を物ともせず、実徳の後押しもあって摘発に突き進んだ。
「深入りすると大塩さん、何もできンようなるで」
そう警告したのは彦九郎であったが、火に油を注ぐように、平八郎は躍起になって突き進んだ。そしてついに江戸の要人にまで捜査の手が及びそうになった時、青天の霹靂というべき事態が平八郎を襲った。
何と実徳がにわかに隠居すると言い出したからである。
当然ながら平八郎は驚き、辞職願を撤回させようとしたが、実徳は頑なに首を縦に振らなかった。
「老齢で目が見えなくなって、奉行の任に堪えない」
「足腰の痛みが尋常でなく、激務をこなせない」
などと、身体的苦痛を口にするばかりで、ついに幕府はこの願いを受理した。
「虎の尾を踏んだんだよ」
大坂を発つ前夜、実徳は虚しい眼光を浮かべながら、ぽつりとつぶやいた。
「お前さんはよく働いた。不本意かもしれねえが、格之助という立派な跡継ぎもいることだし、後進のために道を譲っちゃどうだい?」
どうだい、と問いかけているものの、これは歴とした隠居勧告であった。平八郎は声を荒げて抗しようと思ったが、刺さるような実徳の視線を受けて、言葉を飲み込むしかなかった。
平八郎は一個の武士として誇りがあまりあるほど持っていたため、信じるべき上司が罷免同様に去るのなら、殉じて辞職せざるをえなかった。さめざめと泣く平八郎の背をさすりながら、実徳も身を震わせ、江戸へ戻っていった。
――すべてが終わった。
隠居後、平八郎はひたすら陽明学の研究を進め、それを広めるために私塾である洗心洞で弟子養育に情熱を燃やした。
そうした日々を過ごす中、大坂に飢饉の脅威が訪れ、新奉行の矢部が平八郎を顧問として招聘したのであった。
「それがしは大坂について何も知らない。大塩殿をはじめ、与力の衆は隅々までよく存じておる。未曽有の難事にあたって、是非、ご教示願いたい」
「隠居の身でござるが、粉骨砕身、お役に立ちとうござる」
平八郎は嬉々として、長年培ってきた人脈や、知識を披露して、いかに飢餓者を無くしていくか、方策を述べていった。
「なるほど、卓見でござる」
矢部は事あるごとに平八郎に酒を振る舞い、その言に耳をかたむけた。やがて心を開いた平八郎は酒に酔うと日頃心に貯め込んだ鬱憤を口にするようになった。
「飢饉は天災でござるが、それは治政に携わる者の不徳によるもの。これは不甲斐なくも安穏と与力職を退いたそれがしの罪でもござる」
「いやいや。貴殿のように忠義心あふれる者あっての大坂じゃ」
「ありがたき仰せ。お奉行のお働きあって、辛うじて飢餓者を出さずにおりますが、看過できぬは豪商どもの傲慢。彼奴らは飢え苦しむ者を横目に贅沢三昧。本来ならばあの者どもを罰すべきですが、如何ともしがたく、悔しゅうござりまする」
熱涙を流しながら平八郎は、膳にあったカナガシラの頭を嚙み砕いて矢部を驚かせた。
カナガシラは骨の硬く、とても頭蓋骨を噛み砕くなどできない魚で、それだけ平八郎の激情はすさまじかった。
もっとも、もっとも――。
終始、平八郎の言に異を挟まなかった矢部であったが、彼には思惑があった。
――大塩を懐に入れておかねば、奉行職に差しさわりがある。
矢部は大坂に赴任する前、前職の実徳からそう忠告されていた。
「大塩は傑物さ。だが難物でもある。わしは矢部殿と違って風変りだから、大塩みたいな男もいなすことができる」
この言葉に矢部は無能扱いされたのかと苦笑したが、すぐさま実徳はかぶりを振った。
「わしははみ出し者だと言っているのさ。年も年だし、思い切って大坂の膿を出してやろうと励んだが……お粗末な結末で、楽隠居になったわけさ。もっとも大坂を去った後にかような厄災が起きようとは思わなんだ。こうした難事だからこそ、大塩が役に立つ」
実徳は平八郎には良くも悪くも突貫力があり、それを制御するには二つの方法しかないと見ている。一つは実徳のような風変りな人間力をもって心服させる方法で、幸いにもこの方法が図に当たった。
もう一つは平八郎の自尊心を傷つけずに、棚に上げて批判させないことであった。
「使えると思えば、大いに使えばいい。だが一度使えば、行きつくところまで使わねえと逆恨みされるよ」
この忠告を受けた矢部は平八郎を賓師として扱い、実質は彦九郎の現実的な施策を用い続けた。
――本当に我が声に耳をかたむけるつもりがおありなのであろうか?
平八郎は正義感が人一番強いだけに、相手の底意には敏感であった。どんなに礼を尽くされても、実が無ければ軽んじられていると思ってしまうのである。それは彼が信奉する陽明学の実がなければ意味がないという教えに根幹があり、そのため多くの上司や同僚と衝突してきた。
――そんなやり方では駄目だ。
――内山などのやり方では道を誤る。
彦九郎は諸色、すなわち物価についての諸表を取りまとめるなど、大坂きっての経済通である。だが無尽講事件でもそうであったが、波紋を広げないために犯罪を見逃すべきと考える人物で、平八郎にすれば曲学阿世の徒で、有能ゆえ治世の奸臣と呼ぶべき、「敵」であった。
矢部は平八郎の言葉に耳をかたむけるものの、実際は助言の通りに行動しなかった。もっとも平八郎は隠居で、彦九郎は現役の与力であったので、以前のように平八郎自らが働けず、やきもきする日々を送っていたのであった。
「……大坂を守ることができるだろうか」
眼下を流れる東横堀川に目を落としながら、ため息をついていると、南の瓦町方面から一つの影が近づいてきた。
「……後素先生ではありませんか?」
近づいてくる人影は疲れ果てていた三平であった。
「そなたは……格之助と悪さをしていた田上だったか」
「悪さとはお言葉です。今は田上でなく、緒方、緒方三平と申します。ところで先生は見回りですか? ……いや、その赤ら顔は酒屋めぐりですか」
からかうように、そしてどこか非難するような口ぶりで三平は苦笑した。
「家督は格之助に譲った。わしは楽隠居だ」
「楽隠居にしては、鋭い目つきです。これから捕り物でもするような……」
「口が達者になったな。二、三年ほど見かけなかったが、どこにいた?」
「江戸です。江戸で修行し、先ごろ、郷里の足守から戻ってきました」
「江戸、か」
ふと平八郎の顔から怒気が薄らいだのは、江戸に思い出があったからだ。
「江戸から来られた方のことを思い出した。近藤重蔵という仁だ」
「……たしか蝦夷を探索された方と」
「よく存じているな。豪放磊落な仁で、豪胆が服を着て生きているような方だった」
近藤重蔵は幕臣で蝦夷を探検したことで知られる人物であった。五回にわたる蝦夷探索をし、北方防備における情報を幕府にもたらせた功臣であった。本来なら出世して江戸で要職につく人物であったが、そうはならなかった。
「このわしと同じでな」
珍しく自嘲するような笑みを平八郎が浮かべたとおり、重蔵の激しすぎる性格が他者との軋轢を生んで、大坂出張という名目で左遷されてきたのである。
「借りたものは返さぬし、人を人とも思わぬ所があった」
――いい所がないやないか。
三平があきれ顔でいると、平八郎はくすりと笑った。
「常人からすれば褒めるところがない。だが錐を袋に入れたなら突き抜けるように、近藤殿はつまらぬ面子を持たず、相手の身分で人を見ず、上役におべっかできなかった。ただありのままに人の心を見ることができる方じゃった」
平八郎が陽明学を学ぶ中で、常に虚心を排し、相手をありのまま見て接したいと心がけてきた。だが残念ながら平八郎も人の子であり、いくら学問を進めても、喜怒哀楽があり、手柄を誇りたい虚栄心や、他者を妬んでしまう心はどうしようもない。重蔵はそうした常人の気遣いがすっぽり抜け落ちた人間だが、そのため蝦夷探索という難事業を成しえた。
蝦夷探検において道案内を務めたのは現地人であるアイヌの人々で、多くの本邦人は心の奥では夷だと蔑む心を捨てきれなかった。だが常識が欠けている重蔵だけはアイヌの人々を同じ人間としか認識できず、そんな彼の接し方があればこそ、アイヌの人々から惜しまぬ協力を得ることができた。
ただ探検という非常な生活でこそ重蔵の性格は適格であったが、秩序ある江戸城にあっては不適合以外の何物でもなかった。
上役全てに疎まれた重蔵は大坂に左遷され、閑職をあてがわれ、いわば窓際族のような扱いを受けていた。
だが重蔵の非常識さは閑古鳥が鳴くような環境も楽しんだ。
そうした中、学習欲の塊であった平八郎とは息が合い、大坂に在住している間は蝦夷探検の話や、平八郎による陽明学の講義など、知識を盛んに交換した。
「その時、申されたのは、たがいに畳の上で死ねぬだろうな、であった」
――そうやもしれん。
疑問もなく、三平が内心うなずいたほど、平八郎の激しさは平穏無事な生涯を過ごせないだろうと思った。
――私も父に振り回されているが、格之助はもっと大変やろうな。
思わず同情したように、大塩家を継いだ格之助の気苦労は尋常ではなかった。
大坂を飢饉や疫病が襲おうとしている中、与力となった格之助は当然ながら奔走している。だが経験が浅く、良くも悪くも癖のない格之助は奉行所において影が薄い。
そうした中、新奉行の矢部が平八郎を賓師のように扱っているため、格之助の立つ瀬がなかったのである。そのことを平八郎は思い至ることができず、そればかりか奉行は自分を敬遠しているのではないかと勘繰っているのだからどうしようもない。
――少しは格之助のことを気遣ってくだされ。
そう言ってやりたかったが、大塩家内々の話であり、他人の自分が口を出すことではないと三平は口をつぐんだ。
「緒方君。君は大坂に戻って何をしている」
「亡き師にかわって、病で苦しむ人々の治療をいたしております」
「亡き師?」
「思々斎塾の中天游先生です」
ふむ、とうなずいたが、蘭学に興味がない平八郎は天游の名など知らなかった。ただ漢方医よりも蘭方医には先見性があり、治療の役に立っていると聞いている。
――何か、困ったことがないか?
単純に大坂を救うことを第一義にしているなら、平八郎はそうたずねるべきであったが、キリシタンの片割れなどに力を貸せぬ平八郎はそのことを口にしなかった。だが三平は違っていた。
「先生は名高き与力と聞き及んでおります。また新しいお奉行様にも具申されるお立場だとか。ならば我らがもそっと動けるよう、お願いできませんか?」
大胆というべきか、三平はかつてキリシタンを摘発した与力へ思い切った申し出をした。
三平たちは日々、無償に近い形で治療に当たっている。だが感染を防ぐための離れを用意することはままならず、 また井戸なども蘭方医というだけで貸してもらえない。
――お上にお願いしたいのは、手助けやない。働ける場所を作ってほしい。
三平たちが欲していたのはそのことであった。
――男子三日会わざれば刮目せよ、とはよく言ったもの。
大坂に戻ってからの三平を見て、億川百記は何度もそう思った。
「三平さんが戻ってきた」
嬉々として百記に知らせたのは娘の八重で、この時十五歳であった。 すっかり大人になったと百記は相好を崩し たが、一方で心配が絶えない。人一倍親馬鹿な百記にとって八重はかけがえのない愛娘であり、年頃になった今、変な虫がつかないか、気が気でならなかったのである。
三平の指示や依頼は実用的で的確、かつ迅速であった。
――江戸で学んだことを生かしている。
そう百記は思ったが、それだけではないことに気づいた。三平の指示にある根幹は江戸で学んだ医術にあるが、物事の本質を理解する才覚がなければ机上の空論にすぎなくなる。
――苦労という体学問をしたんや。
百記ほど体験しなければ身につかない体学問を大事にしている者はいない。だが叡智なくして体学問は身につかず、また医者として大事な患者――人の心を思いやる優しさが魂魄に沁み込んでいなければ、地に足のついた治療などできようはずもなかった。
「お八重」
ある夜。百記は三平のそばで看護を終えた八重に声をかけた。
「緒方さんはどないや?」
「ひどく……優しなられたかと」
「前々から優しかったと思うが」
「以前はとらえどころのない優しさというか……あんまりエエ言い方やないですけど、芯の柔らかい、そんな優しさ、柔さに思えました」
「今は芯があるんか?」
「できることと、できひんことを江戸や大坂で学んだことを胸に、宋襄の仁でない、勇ある仁で患者さんに向き合っているかと思います」
相変わらず小難しいことを言う娘だと百記は思いながら、さだからも同じような感想を聞いたことを思い出した。
「病が広がらないように長屋を借りられたのは、奉行所に掛け合ったとのことです。以前からの知り合いの格之助様にお願いされたとのこと」
「格之助様とは……与力の大塩様か?」
「はい。三平さんが無茶をした時のお仲間みたいな方だと聞いています」
無茶をした時の仲間とは怪しげな間柄だと思ったが、それは亡き天游も似たようなものであった。
晩年、天游は大坂に戻っていた橋本宗吉の世話にかかりきりであった。宗吉は伴天連騒動で追放されていたため、奉行所ににらまれないように敬遠すべき人物であったが、天游は意にも介さず、師の面倒を見続けた。
――大器晩成、事を為す者は困り者でなければならんのかもしれん。
百記はほんの数年前、三平に振り回されていたことを思い出し、思わず吹き出してしまった。今も振り回されているが、八重の言うように以前とは確かな意志をもってのことで、顔つきもずいぶん変わったように思えた。
「根を詰めすぎると、元も子もなくなりますよ」
昼間は診察に追われ、夜は医学書の翻訳や勉学にいそしんでいる三平を見て、百記は心配した。だが三平は染み入るような笑みを浮かべてかぶりを振った。
「医学は日進月歩、目覚ましい発展を遂げてます。蘭方医学の知識は暗箱に針を突いたような小さな穴からこぼれるわずかな光ですが、そこから学ぶことは山のようにある。医の道はとても一人の人間に学びえることができないほど知らないことばかりですが、一つでも多くを学べば一人でも多く助けることができ、一冊でも翻訳をすれば同じ志を持った医者の道しるべになる。天游先生や橋本先生、坪井先生や宇田川先生も私に道しるべを残されました。どこまでできるかわかりませんが、やれるだけのことをやりたいのです」
この言葉を聞き、百記は雷に打たれたような感銘を受けた。
思えば百記が医術を学んだのは次々と流行り病で我が子を亡くしたためであり、少しでも医学を知っていれば死なせずに済んだと後悔しない日はない。だが百記はすでに年を取り、三平のような学習能力や本質を知る才覚もない。
――このまま緒方さんを大坂に留めおいてエエのやろか?
三平は江戸修行を経て一人前の医者になった。天游亡き後の思々斎塾において、彼の右に出る者はいない。百記や八重、さだも三平がいることでどれだけ心強く思っているかわからない。だが三平が言うように医学は日進月歩の世界である。少しでも優れた知識が必ず入用になる。
――緒方さんがおらんようになるのは痛手やが、このままではあかん。
百記はそう決意すると、翌日から現場から離れ、何かに奔走するようになった。
「億川先生を見ィひんけど、どうされた?」
治療を終えた三平は手を洗いながら、八重に尋ねた。
「あちこちに出歩いているみたいやけど…・・・ひょっとすると……うちの婿さんを探してるンかな?」
「八重ちゃんの?」
そう言うと、三平は弾けるようにして笑った。
「うちがお嫁に行くンが、そないに面白いン?」
そうやないと三平はかぶりを振ったが、内実はおかしくて仕方がなかった。なぜなら駆け回る八重の姿は貝吹き坊のような少女時代と変わらず、嫁ぐなど想像しえなかったからだ。
――しかしよう見れば……。
三平は改めて八重を大人として見たところ、いつの間にか美しい女性に成長していた。また三平の助手として極めて優秀で、診察以外にも塾での講義でも彼女がいてくれるだけで大助かりであった。
――八重ちゃんは妹のようだ。
阿吽の呼吸の八重を見ていると、血の繋がった兄妹のように思えるが、時折見せる女性としての表情にどきりとすることもあった。だがそんな感情も日々過ごす中で自然に飽和していくようであった。
「緒方さん」
そんなある日。天游の子・耕介が三平に声をかけてきた。
「亡き父の願いを聞いてくださるのですね」
「何のことです?」
「父は私に修行を命じていました。その介添えとして緒方さんを望んでいたのです」
はじめて知ったが、それが天游の遺志であるなら、弟子として何の異存もなかった。だが次の言葉を聞いて仰天した。
「では長崎遊学のご指南、よろしくお願いします」
予想すらしなかったことであった。江戸の遊学も大変であったが、長崎となるとその費用は尋常ではない。江戸修行も突然であったが、天游はいつも唐突であった。
「い、いきなり長崎と言われても困ります」
「しかし億川先生はすでに準備を整えているから、緒方さんに修行指南をお願いしなさいと」
一体、百記が何を考えているのか、三平はただ困惑するしかなかった。だがここで耕介と問答していても埒が明かず、百記本人にたずねるしかなかった。
「億川先生、どういうことでしょうか?」
「これは緒方さん。エエところに」
百記は穏やかな笑みを浮かべながら、天游の書斎に三平を誘った。
「耕介くんのこと、頼み入ります」
「ご恩ある先生のご子息のこと、全力を尽くさせていただきます。ただいきなり長崎へと申されましても困ります」
「長崎での修行は不服ですか?」
「長崎は異国の門。蘭方医なら誰しも学びに行きたい地です。されどーー」
「金がない?」
「江戸の修行でも金子がなく、やむなく下総で一年ほど過ごし、お八重ちゃんにも便りで叱られたものです」
「まったく八重めは……」
「それはともかく、江戸でも難渋しましたのに、長崎はもっと容易ではない。ましてや耕介君をお世話する金子など、私には到底……」
そう言って悲しい表情を浮かべた三平の前に百記は何かを包んだ袱紗を差し出した。
「これは?」
「長崎修行のための金子です」
「なるほど、耕介君の……」
そう言って中身を確認すると耕介一人の学費としてはあまりにも多すぎた。
「耕介君だけの金子ではありません」
「世話人の費用としても多すぎます」
「あなたの修行費も含まれてます」
その言葉を聞き、三平は我が耳を疑った。百記はあなたの分も、と言うが、長崎修行二人分の費用などたやすく捻出できるものではない。百記は大坂における名医の一人で、それなりの収入がある。また故郷の名塩での商いも順調で、他者よりも懐は温かった。だがそれでも三平と耕介二人の修行費を気前よく出せるほどの金持ちではない。
「勘違いされますな。痩せても枯れても、この億川百記、お天道様に顔向けできぬことや、お奉行所にしょっ引かれるような真似はしまへん」
「億川先生が、そないなことを、せえへんのは百も承知。それゆえ、この金子に合点がいかんのです」
「合点も何も、ただ頼母子講で集めた金子ですわ」
「頼母子講?」
「はい。緒方さん……いや、先生に期待する者たちと出し合いました」
あまりにもありがたすぎる行動に三平はただ仰天するばかりであったが、しばらくすると姿勢を正して、袱紗を返そうとした。
「せっかくのご厚情ですが、お受けできません」
「緒方先生は仰った。医の道は日々新しくなる。長崎ほど新しい蘭方術を学べる場所はないはず」
「もちろん長崎で学べるなど千載一遇の好機。叶うことなら様々なことを見て聞きたい」
「それならば……」
百記が身を乗り出すと、三平は複雑な表情で視線を畳に向けた。
「思々斎塾は道に迷っていた私を育ててくれました。江戸へ行く決心ができたのも中先生がいたからです。ただ今、私がここを離れたら、塾はどうなります?」
その答えは、「潰れる」であった。思々斎塾のような私塾は中心となる講師あってのもので、主宰者や受け継ぐ者がいなくなれば雲散霧消してしまうのは自明の理であった。
「中先生に匹敵する方は緒方先生のみ。耕介君がたとえ一人前に成長しても、そのころには塾はなくなっているでしょうな」
三平は深くうなずいたが、百記はそれがどうしたと言わんばかりの顔つきで苦笑した。
「なるほど今は緒方先生がいるから塾は生き永らえている。そやけどこのままやと、ほんまに思々斎塾は消えて無くなってしまう」
「どういうことです?」
「緒方先生は緒方先生。逆立ちしても天游先生にはなれまへん」
なるほど、いくら研鑽を積んだからといって、三平には天游ほどの声望はない。天游の弟子が運営する思々斎塾など根っこを切られた草木でしかない。
それよりもーーと、百記はさらに厳しい現実を突きつけた。
「生兵法はけがのもと、と言います。緒方先生は一人前になられたつもりかもしれまへんが、まだまだ青二才。大坂で安穏としているうちに緒方三平の値打ちは底なし沼のように落ちて行って、最後は何も残らんようになります」
いくら何でも言いすぎだと三平は怒気を含んだ眼光を浮かべたが、百記はかまわず続けた。
「緒方先生のお気持ちはありがたい。そやけど、それは見当違い。商いでも目先のことを考えて損したないから留まってると、大きな損をする。大坂の者を見捨てない、助けたいと思うんやったら、長崎で大きな元手を作らな、あきまへん。蘭方の医学は日進月歩言いはったんは緒方先生でっせ?」
この時、百記の目に涙が浮かんだのは早世した子供たちのことを思い浮かべていたからであった。
「先生が修行を終えるまで、微力ながら私たちが思々斎塾、いや大坂を守ります。それとも私らは緒方先生の足元にも及ばん藪医者の集まりですか?」
三平は汗をかきながら、どこかうぬぼれがあったことを反省した。またこうして機会を作ってくれたのに無碍にすることは傲慢だと思えた。ただそれでも、やはりあまりの大金に三平は気後れしていた。
「この金子やったら気にされんでエエですよ。そもそも頼母子講の金子は無料であげるもんやない。心ある者が出し合い、それぞれが受け取るもんです」
「修行から戻れば返せば良いと? ただこれだけの金子、返すのに何年かかることやら……」
「先生は阿呆やな。わしらは金子を返してもらいたいとは微塵にも思ってまへん」
「では何を返せと?」
「先生は医者でしょう。医者が返せるのは金子やなく、人を助けることや。それと中先生が緒方先生を育てたように、若い者に教えを伝えるんです」
三平はしばらく目を見開いたまま身体を凝固させたが、やがて顔を赤くさせながら深くうなずいた。
「まだためらいがあるんやったら、もう一つ」
百記は何とも言えない複雑な表情をしながら、手をついた。
「この億川百記の憂いを除いていただきましょう」
「億川先生の憂い?」
「億川家にはろくに花嫁修業もせんと、毎日患者の間を駆け巡る困り者がいます。可愛くて仕方がないが、このまま行かず後家などにするのも不憫。長崎での修行を終え、大坂で新たな思々斎塾を開くことができたなら、利子としてお転婆娘を緒方先生の嫁として引き取ってはいただけまでんか?」
「嫁……まさか八重ちゃんのことですか?」
「八重やと不服とでも?」
「とんでもない。それよりも億川先生はエエんですか?」
その言葉に百記は思わず、苦虫をかみつぶしたような表情でうなり声をあげた。
本音を言えば、八重をずっと手元に置きたかった。だが妄念を払うように激しくかぶりを振った。
「八重は大坂城や天下と取り換えても手放したくない宝。それほどの宝ゆえ、中先生や百記が認めた緒方三平に嫁いでほしい。これほどの果報はなく、苦心して金子を集めた甲斐があるというもの」
百記とすれば粋なはからいのつもりであったが、予想に反して三平の表情は不快なものに変わっていた。
「この緒方三平も見くびられたものです」
「何と?」
「利子は生きている限り返します。もちろん塾を開いて、後々に続く者の道しるべにもなりたい。そやけど八重ちゃんを利子として引き取るなんてありえへん」
まるで売り言葉に買い言葉のような展開に百記は焦燥し、やがて憤りを感じた。八重を金勘定で計るつもりは毛頭ない。緒方三平ほどの男なら八重をやってもよいと思っていたが、そこは父心として率直に言うことができなかった。そこで百記なりに諧謔をふくめての申し出であったのだが、三平は馬鹿正直に受けてしまい、話がこじれてしまったのであった。
「そのお話、待ってください」
そう声をかけてきたのはさだであった。見ればやや顔を紅潮させ、怒っているようであった。
「男だけで何を勝手に話してるんです。それもお八重ちゃんを利子として押し付けるなんて。お八重ちゃん、こっちへーー」
そう言ってさだが中に入るよううながしたのは、当の本人の八重であった。八重の顔は恥ずかしさと父たちの身勝手さに腹立たしさによって真っ赤になっていた。
「三平さんは八重ちゃんを買われるつもりで?」
「あほなことを。私も憤ってるんです」
「へえ。では八重など嫁にする値打ちもないと?」
「何でそないな話になるんです?」
三平はすっかり我を忘れて口泡を飛ばしたが、悲し気な顔つきの八重が小さく話した。
「緒方さんにとって八重なんかは貝吹き坊か、ただの妹でしかないんでしょう。それにーー」
八重が言葉を途切れさせたのは、ある女性の存在があった。その女性とは淀屋の娘の於茶のことであり、大坂に戻ってから何度か三平は会っている。
――ほかに想い女がいる。
言外に八重は於茶のことを示したが、三平の動揺はそれ以外にもあった。それはさだの存在であった。
思えば初めて大坂に連れられた頃、初恋の相手こそがさだであった。不純な動機で大坂に留まり、そして様々な困難があっても思々斎塾に留まったのは、さだに対する言葉にできない想いがあったからである。
もっともそのような不埒なことを明言することはできないし、何よりも三平にとって今のさだは「憧れであった女性」にすぎず、親愛する姉のような存在であった。
――では於茶さんはどうか。
本音をいえば、恋情が無いのかといえばそうではない。於茶は三平に大坂という街を好きにしてくれた恩人でもあり、同好の士でもあった。また彼女の聡明さも、また端麗な顔つきも嫌いなわけがない。
どうか、と改めて考えると、夫婦になるのもやぶさかではなかった。だがこのような問いほど彼女に対して失礼にもほどがあり、そもそも三平はこの瞬間まで嫁取りのことなど微塵にも考えていなかった。
――八重ちゃんはどうなんや?
改めて眼前にいる八重の顔を見ながら、三平は考えた。
人として八重ほど面白い女はいない。常に明るく、たとえ道に穴が空いていようとも、その困難さえ遊びのように飛び越えて笑っていられるような女性だと思えた。
妹として思うなら無鉄砲な所があるがゆえに守ってやりたいと思わせる健気さがある。百記ならずとも、誰もが彼女を慈しんでやりたいという気持ちを抱いている。
では妻としてはどうだろうか。
今の今まで考えてなかったが、一緒に暮らすとなればどうなんだろうかと三平は考えた。
さだも、そして於茶もどこか身構えてしまうような、どこか不自然さを感じるところがあった。だが八重といるとどこまでも自然でいられる自分がいることに三平は気づいた。
――では何もないと同じなのか?
その答えは否であった。
大坂に戻ってから、自然とそばに八重がいてくれたが、今思うといなくなった時は妙な寂しさがあり、江戸でも彼女からの他愛のない便りを心待ちにしていた。改めて嫁にどうかと問われると、自然な感情でそうなのかと思える自分に三平は驚いていた。
「私は八重ちゃんのことを……」
なおも返事できない三平を見て八重は無性に腹が立ってきた。
――どうせ、うちなんかッ。
実のところ、八重は三平以上に困惑しきっていた。
父は気を利かせての申し入れであったが、八重とすれば自分を物のように扱われたことで、裏切られたような気持ちになっていたのである。
またこうして三平に嫁ぐがどうかと突きつけられると、どうしていいのかわからなくなっていたのだ。
八重も改めて考えた。
今まで三平のことをどう思っていたのかを。
はじめて会った頃の三平はお世辞にも素敵な人とは思えなかった。今にも倒れそうで、目が泳ぐ、そんな頼りない男子であった。
――うちが守ってあげないと。
三平より年下のくせに、八重は弟に接するように接してきた。それが時に三平に疎まれることもあり、それが彼女のいたずら心を刺激した。
だが時を経るにつれて三平は変わっていった。
三平は不器用で、いつも道に迷い、そして道に穴が空いていれば落ちてもがく、そんな青年であった。
しかし八重は見てきた。
穴に落ちようとも、石につまづこうとも、三平は身を起こして立ち上がってきた。不器用でどんくさいからこそ三平は同じように苦しむ人を見捨てず、真摯に接してきた。
――人の喜びを素直に喜んであげ、人の悲しみを嘆き、寄り添ってあげる人。
それが三平ではないか、と八重は直感的に思うようになった。
――言われてみれば、うちはこの人が好きなんかも。
素直にそう思いたい八重であったが、父の素っ頓狂な演出のために、ただただ嫉妬やら恥ずかしさやらで、黒い感情でどうしようもなくなっていた。
気まずい空気が流れ、沈黙の時間が過ぎていった。
「はい、はい。それまで」
割って入るようにさだが二人を離し、その場に座らせた。
「まったく。何で修羅場になるんやろね」
思わずうなずいてしまった百記をさだはにらんだ。
「億川先生が性に合わんことをするから、こないややこしいことに。奥さんもおかんむりでしたよ?」
「小町先生、これが誰も彼もがようなる方策やと……」
これだから男はーーと、さだは呆れ顔で嘆息した。
思えば亡き天游もこの手の話になるとこじらせる天才であった。自分と夫婦になった時も、天游が余計な策を講じて、かえって父の機嫌を損ねたために無駄な苦労をさせられたものであった。
「あの師にこの弟子あり、ですね。ええですか。何でもごっちゃにすれば上手くいくもんもいかんもんです。耕介のことは耕介のこと。緒方さんのことは緒方さんのこと。八重ちゃんの嫁入りのことはまったく別。人の一生をついでに片したらだめです」
ようやく百記は自分がどれだけ暴走し、事態を混乱させたのか理解した。
「ひとまず億川先生は黙ってください。緒方君」
さだは姿勢を正して三平に向き合った。
「一つずつ話しましょう。まず長崎のこと。耕介の指南は引き受けていただけますか?」
「はい」
「それに伴って長崎で修行していただきたいけど、億川先生たちの志を受けていただける?」
「ありがたいお話ですが、あまりにも金子が多くて……」
「肝の小さいことを。天游の跡を守りたいと言っているくせに、そんな心がけでどうするんです。受けるべきものは受ける。人の好意を無碍にすると天罰があたりますよ」
天罰は嫌だな、と顔をしかめた三平はやはり肝が小さかったかもしれないが、これもまた彼の良さだと思い、さだは苦笑した。
「では天罰が降りないよう励みなさい。そして多くの者の道しるべになるよう努めなさい」
「はい」
「では一番大切なこと。八重ちゃんのこと、どう思うの?」
再び三平は口をつぐんだが、今度は深く思慮し、静かに答えた。
「大事な女やと思います」
「淀屋の娘さんより?」
「……於茶さんと話していると心がくすぐったいような気持ちになるのは確かです。そやけどそれが好きなんかどうかと急に言われても、ようわからんです」
「難しいところやね」
さだは視線の方向を八重に変じた。
「八重ちゃんはどう?」
「うちは……」
「急に言われてもわからないわよね。緒方君は相当な頑固者で朴念仁、何を考えているかわからない」
「朴念仁……」
言いえて妙な表現に思わず八重は笑ってしまった。
「嫁入りしろといきなり言われても戸惑うばかり。私も旦那様に嫁いだころは戸惑いばかりだった。身勝手やったし、こんな無茶苦茶な人とやっていけるのか、不安で仕方がなかった。でもね。ある日、旦那様の顔をしっかりと見てみてやったの」
「天游先生は恰好よかった?」
「まさか。顔立ちだけなら緒方君の方がずっとまし。髪はぼさぼさで、言葉遣いは……全然変わらないぶっきらぼうだった」
引き合いに出された三平にすればいい面の皮だったが、さだはかまわず続けた。
「でもね。目がよかった。でもいつも遠くばかり見ているから、足元の石につまづく人なんだと思った。そう思うと妙に愛おしくなって。ああ、この人となら一生一緒にいても良い、とそう思えたの」
――小町先生は変わり者だ。
半ば呆れながらも、何だか面白そうだと思った八重も十分に変人であった。
――試してみよう。
聞けばすぐにやりたがる八重も三平の顔をまじまじと眺めた。
「ふうん、へえーー」
――この貝吹き坊がッ。
顔を眺められる三平は満面を汗で濡れさせながら、仕返しに八重の顔も眺め返してやった。
――面白そうだ。
異性としての魅力はたがいにある。だがまだわからない。でもここで全部わかってしまうのはつまらないと思うと、わかりあえていく道を歩む魅力に八重の心は次第に覆われていった。
「小町先生。やっぱりよくわかんない。でもーー」
「でも?」
「どんなにしんどくても、弱音吐いても緒方さんは両の足を地面につけて歩いていく人やと思いました。大変やけど、そんな緒方さんと一緒に歩けたら面白いかもしれない」
さだは嬉しそうに、「そう」とつぶやき、三平の顔を見た。
――こないにエラいのを嫁にするのか。
やや困惑もあったが、それ以上に形容しがたい想いで胸が熱くなるのを感じていた。
「さて――。これで一件落着ね。億川先生はこれでよろしい?」
予期せぬ話の進み具合にどう反応していいかわからない百記は要領の得ない返事をしてうなずくしかなかった。
「小町先生、億川先生」
深呼吸で息を整えた三平は真剣な表情で二人に顔を向けた。
「八重ちゃん……いえ、八重さんはたしかに嫁にもらい受けます。ただしーー」
今度は視線を八重に転じて、覚悟のほどを話した。
「ただし婚礼は長崎より戻ってからにしていただきたいのです。私はまだ医者として半人前。一人前になって初めて嫁を貰うことができると思うのです」
言われるまでもなく、百記もそのつもりであったし、八重にも異論はなかった。
「もう一つ。長崎修行を機に名を改めます」
「柵平、いえ、先日、緒方君のお父上から判平に改めたとあったけど?」
「柵平も判平も私が改めたものではありません。今も三平ですが、私自身で改めたいのです」
三平は筆と紙を用意し、硯を取り出した。
「私の知り合いで与力の大塩格之助という男がいます。その父君が昔、話されたことを思い出しました」
「大塩様?」
「幼いころ自分は取るに足らない少年であったが、学び、生きることで三変したと。人は蝶のように芋虫から美しく変ずることができる。それが学ぶということだと」
三平は新たな名が記された紙を八重たちに披露した。
緒方洪庵
「洪は大いなる流れ。洪は時として暴れるものの、他方から肥沃なる地をもたらす。ただどこかに流されないよう手を取ってくれる人がほしい。その役目を……八重さんにお願いしたいけど、どうやろ?」
何とも不器用で、武骨な告白であったが、それはそれで面白いと八重は思った。
――うちの旦那様は緒方三平……いや、緒方洪庵先生になるんや。
むずがゆいような嬉しさが身に満ち、八重は満面に笑みを浮かべて承諾した。
天保七年(一八三六)二月十日。
緒方洪庵は中耕介と共に長崎へ旅立っていった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる