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5 決心は揺るがない

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 宗一がこの世界で成すべきことは、魔王の恩恵という名の呪いを一部引き受けるということだった。事の次第を踏まえて詳細を聞いた。
 ギルバート自身の抱く怒りや悲しみといった悪感情は、邪悪な魔王への変貌の促進に繋がる。感情を抑えるように努めたが、血気盛んなギルバートには困難であった。
 そこで自称神の授けた策は、自身の感情ではなく、他者の感情であれば制御管理が容易になる、ということだった。
 他者であり、強い精神の持ち主である宗一に感情制御の部分を負担させる。宗一がある感情を抱くと、感情はギルバートへと送られる。その感情が悪感情であった場合、増幅し、邪悪な魔王化が促進される。宗一が抱く感情は常にギルバートへ送られ続けるが、ギルバートは自身の感情を制御する必要がなくなるのだそう。
 宗一は悪感情を抱かないように己の感情を制御し、ギルバートは宗一の機嫌をとることで、悪感情を抱かないように促す。そうすることによってギルバートが邪悪な魔王へと化す事態を避けられるというのだ。

 宗一は情に訴えられると弱い。この性格は97年という年月をかけて染みついてしまったものだから、今更変えようのない欠点だ。だが、情けは人の為ならずという諺を知っている。たとえ、今が苦しくなろうとも、いずれ良い縁をもたらしてくれるだろう。
 騙されているのなら、それでもかまわない。どんな最期を迎えようとも、逝き付く先は今度こそ望む場所だ。それに騙し奪おうにも、宗一の持ち物はこの世界の自称神から与えられた肉体のみ。この身体は、この世界に捧げるべきなのだから、惜しむこともない。
 一蓮托生か、はたまた連帯保証人か、と宗一は思う。

「狐につままれているようだ」

 もう何度も感じていたことだったが、宗一は言葉にした。自称神てれびあ様だか何だか知らないが、きっと狐か狸の神様だろう。
 ギルバートの説明をきちんと理解した訳ではない。だが、宗一の腹は決まっていた。
 宗一は6人兄弟の長男だった。常に下の子らの模範となれと言い聞かされ、それが宗一の行動理念にもなっている。戦争の時代を堪え忍び、多くの大切なものを失い、それでも他者と助け合いながら生きてきたのだ。死しても尚、助けを求められるのであれば、手を差し伸べる。先んじて天国にいる妻や家族、友人たちに会えた時、恥ずかしくないように生きる。宗一自身の信念の為にも、この青年の助けになろう、そう決意している。

「よし、わかった。やっとくれ」

 宗一がギルバートにそう告げると、ギルバートは顔を歪めた。苦痛や怒りではない。今にも泣きだしそうで困ったような顔だった。だが、目を見ればわかる気がした。それは悪感情ではないと。

「感謝するよ、シキミ・ソウイチ。キミの勇気と慈悲に」

 宗一はギルバートの言葉を素直に受け入れた。感謝をされたかったのではない。自身の理念があったから承諾した。宗一にとってはそれだけのこと。だが、この青年にとっては一世一代の大勝負なのだろう。彼の言葉に嘘はなく、大袈裟でもない。

 ギルバートに促されて立ち上がり、家具が邪魔にならないよう広さを確保する。ギルバートは部屋の隅に控えていた悪魔族の執事を退室させ、誰も入れるなと指示をする。すぐさま行動に移る執事を見送ると、ギルバートは宗一に言った。

「術式はもう完成しているんだ。すぐに終わるから、ソウイチはそこで暫く動かないで」

 宗一とギルバートは手を伸ばせば届く距離で向かい合う。ギルバートが呪文と呼ぶ念仏を唱えながら両手を広げると、二人を中心にして床に白く光る大きな紋様が現れる。光の蔦が這うように走り、辺り一面に広がって何重にも円を描く。ギルバートが手のひらを返すと、光の円がいくつも宙に現れ、二人を囲った。
 今までに見てきた魔法とは違い、かなり大掛かりなもののようだ。光の輪が造りだす幻想的な光景に、宗一は目を奪われる。

「少し、魔素が足りてないな」ギルバートは念仏を中断して宗一を上から下へとまじまじと見て言った。「魔素を補填したいから、キスしていい?」

「はあ?」

 予想だにしていなかった言葉に、宗一は思わず目を剝いた。しかし、ギルバートはお構いなしに宗一の頬を両手で包むと、ゆっくり顔を近づけた。

「オレの体液を流して、ソウイチに魔素を分ける。もう魔法陣を展開してるから、それが一番手っ取り早い」

「ま、待っとくれ! まそ? そりゃ、本当に必要なのかい?」

「最重要。ソウイチに魔素が足りないと、精神が崩壊するかもしれない」

 宗一の顔が引き攣る。そんな危険性があったとは聞いていない。だが、一度は腹を括ったのだ。ギルバートがそう言うのなら、信じるしかない。
 宗一は拳を強く握りしめ、眼光鋭くギルバートを睨みながら、腹に力を込めて言った。

「よし、来い!」

「ふっ、色気ゼロ。まあ、いいか」

 ギルバートは小さく笑った。
 色気など必要ない。これは人工呼吸のようなもの。男と口付けを交わすのは初めてだが、生きるために必要な措置だ。人命救助だ。そう心中で唱えた。
 ギルバートの顔がさらに近づいてくると、視線を合わせていられず、目をきつく閉ざした。一文字に結んだ唇がギルバートのそれと重なる。
 犬だ、犬に舐められていると思えばなんて事はない。なんとか気持ちを宥めようとしていると、唇の感触が少し離れ、ギルバートが囁いた。

「ソウイチ、口を開けて」

 湯が沸いた薬缶のように顔が熱くなる。その言葉で彼が何をするのか、97歳の年寄りであっても容易に想像がつく。羞恥心で頭が破裂しそうだ。が、致し方ない。
 宗一は恐る恐る唇を解く。すると、ギルバートの唇が再び合わさる。開かれた隙間にぬるりとした感触が割り込んできた。背筋が痺れる。気分が悪い。吐き出したいが、これも人助けだ、我慢しろ、そう己に言い聞かせる。宗一の口内へ侵入したギルバートが縦横無尽に弄ぶ。舌先を絡み取り、離れたかと思いきや、唇の肉を吸われる。水音が宗一の羞恥心を煽った。

「んっ、んふ……」

 苦しい。鼻から息が零れた。宗一は思わずギルバートの服を掴んで引っ張るが、次第に込み上げる官能的な熱に浮かされて力が入らない。必要以上に迫るギルバートの舌先が宗一の舌と交じり合う。どちらのものともわからなくなった唾液が宗一の喉を流れていく。
 ギルバートの唇が惜しむように宗一を啄みながら、ゆっくりと離れた。

「……これで二度目だ」

 ギルバートが独り言のように小声で呟いた。二度目とは何のことだろう、と呆けた頭で疑問に思う。答えを見出せないまま、ギルバートは謎の念仏を再開したので、男同士の口付けという救命処置は終了したのだと、宗一は安堵した。

 白く光る魔法陣に加えて紫色に光る魔法陣もいくつか現れると、光が交じり合い、輝きが増す。宗一はあまりの眩しさに目を閉じた。何が起こるのかわからないという僅かな恐怖が悪さをして、握ったままのギルバートの服を引き寄せた。応えるように、ギルバートの腕が宗一の背中を包み込む。
 直後、ずっしりと重い空気のような圧力が頭上に落ちてきた。全身を床に叩きつけられるような感覚。身体が脱力していく。宗一はギルバートの力強い腕の中で、彼の体温を感じていた。

「ソウイチ、終わったよ」

 暫くすると、全身に感じていた重みが消えた。目を開き、宗一の身体を抱くギルバートを見上げる。青い瞳が優しく揺れた。と、その瞬間、宗一の心臓が大きく鼓動し、早鐘を打つ。息苦しくなった宗一は胸を押さえながらその場に崩れた。

「ソウイチ!」

 屈み込む宗一をギルバートは仰向けになるように抱きかかえた。
 熱っぽさを感じる。身体が怠く、肩を揺らして息をする。
 ギルバートは今にも泣きだしそうなほどに顔を歪めて、宗一を見つめていた。
 宗一はギルバートに笑って見せる。心配させまいと気丈に振る舞おうとしたが、身体が疲弊して思うように動かせない。

「う……うまくいったのかい?」

 掠れ声で宗一がそう尋ねると、ギルバートは細かく何度か頷いた。

「ああ、成功した。ソウイチを強く感じるよ」

 宗一の乱れていた呼吸は徐々に落ち着き、平穏を取り戻しつつある。安心感とともに強い眠気を感じた。このまま微睡みに身を委ねる前に、ギルバートにしてやれることがあると思い立った。
 宗一はギルバートの頬に手を伸ばし、優しく叩いて言った。

「よくやった、よくやった」

 それは、宗一がまだ幼かった頃、厳格だった父親が極めて稀に褒めてくれた時の仕草だった。その褒め方を宗一は受け継いでいた。幼い弟妹や息子、孫、ひ孫たちにはよくそうして褒めてやった。すると、子供らは笑顔になるのだ。
 ほうら、ギルバート青年も笑ったぞ、と宗一は満足した。

「おやすみ、運命の人。オレが必ず起こしてあげるから、ゆっ――……ねむ――……」

 意識が遠退いていく。ギルバートの声も、大して聞き取れていない。宗一は朦朧としながらも、僕はとても早起きだから僕が君を起こすよ、と思う。
 瞼が重く閉ざされ、宗一は眠った。
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