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第四十五話『僕は覚悟する』

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「照屋君!」「……つ、紡⁉」

 それから少し遅れるようにして信二の視線も僕を捉え、二人の声が同時に聞こえてくる。僕を見る信二の眼はまるで幽霊でも目の当たりにしているかのようで、それが少しおかしかった。

「ごめんね、少し遅くなっちゃった。これでも急いだんだけど……心配させちゃった?」

「ううん、遅いなんてことないよ。照屋君が無事にここまで来てくれたことが一番うれしい。……ね、桐原君?」

「あ、ああ。そうだな。……うん、無事が一番だ」

 千尋さんに話を振られて、信二はしどろもどろになりながら頷く。きっと信二の中では感情がぐっちゃぐちゃになっていて、だけど千尋さんの前で糾弾するようなこともできないからただ頷くしかできないのだろう。計画が根底からぶち壊れたことで、もう何も分からなくなっている。

 少し可哀想な気もするけれど、この判断に後悔なんてなかった。……この胸のざわめきが、信二に最後まで言葉を発させることを許さなかったんだ。

 もう誤魔化せない。僕は、きっと千尋さんのことが大好きだ。特別よりも特別で、他の誰よりも近くに居たいと思う。……そう思っていた人は、間違いなく過去にもいたのだけれど。

 だけど、人は変わっていく生き物だ。……このしばらくの間に、僕だってその例外じゃないことを痛感させられた。

「……照屋君、ちょっとだけいいかな。あたし、桐原君には一つ言わなくちゃいけないことがあって」

 そんなことを思った矢先、千尋さんが突如そんな風に割り込んでくる。まさか告白未遂に対していい返事を――とか思ったが、表情を見るにそれはなさそうだ。多分千尋さん、すごく怒っている。

「あたしね、人を好きになるとか嫌いになるとかってすごく難しいことだと思うの。きっかけ一つでそんなものは百八十度変わっちゃうし、いくら大好きな人だってきっかけがあれば大嫌いまでひっくり返っても何もおかしい話じゃない。……何が言いたいかは、桐原君も分かるよね?」

 いつもと同じ柔らかい声、だけどそこには棘がある。信二を突き刺す、棘がある。……どうやら、僕が動かないでも最悪の事態に至ることはなかったみたいだ。

「あたしは、誰かがいない間を狙って抜け駆けするみたいな真似は好きじゃありません。きっと思い自体は本物なんだろうけど、あたしはそれを受け入れたくはない。……だから、ごめんね」

「あ……あ、ああ」

 千尋さんからはっきりと『NO』を突き付けられて、信二はあっけなくフリーズする。……信二の足が花畑とは反対の方向を向いたのは、それから三十秒ぐらいの沈黙があっての事だった。

 まるで逃げるように、一言も言わずに信二はまっすぐ駆け出していく。運動神経がいいこともあってすぐにその背中は小さくなって、やがて見えなくなっていった。

 気が付けば、スマホの通話も切れていた。まあ、役目も終えたしそりゃそうか。僕と千尋さんが何を話すかなんて、たとえ頼まれたとしても聞きたくはないだろうし。

「……千尋さん、気づいてたの?」

「……んん、何のことかな?」

 二人して花畑の方に視線を向けながら、僕はまずそう問いかける。それに千尋さんは一度すっとぼけて見せたが、やがて根負けしたように頷いた。

「……まあ、いろんなことを総合して何となくね。照屋君は出発前から何か落ち込んでるし、なのに桐原君はそれを心配することもなく張り切ってるし。まあなんかあるだろうなーぐらいには思ってた」

 はにかむように笑いながら、千尋さんは自分の推理を披露する。……やっぱり、人のことをよく見ている人だ。

「だけど、まさか告白されそうになるとは思わなかったなあ。桐原君とはまだあまりしゃべってもないし、あたしのことをよく知らないはずなのに」

「それでも一緒に居たいと思えるぐらい、信二にとっては魅力的な人だったってことだよ。……まあ、やり方が強引だったのは言わずもがなだけど」

 誰かを協力者とした時点で信二は詰んでいたわけだが、そんなことも知らずに信二は色々と作戦を立てていたわけだ。……かわいそうというか、自業自得というか。別に同情の余地なんてないし、慰めてやるつもりもないけど――というか、また話すことがあるかどうかすら怪しいけれど。

「ほんと、失礼な話だよねえ。あたしが誘いたかったのはあくまで照屋君で桐原君はそのついでだし、照屋君の友達じゃなかったら誘うなんてしなかったのに。それなのに照屋君をのけ者にしようなんて、そりゃ怒られても嫌われても仕方がないよ」

「今の千尋さんも相当ひどい事言ってる気はするけどね……。信二が僕のついで、かあ」

 逆は無数に言われたことがあったけど、このパターンは初めてだ。多分、信二もそんな経験をすることになるとは夢にも思っていなかったんだろう。

「だから照屋君とだけ一緒に写真を取ったりお土産屋さんで逃げたり、結構意思表示はしてたはずなんだけどね……。あたしの気持ち、もしかして伝わってなかったりする?」

「信二は鈍感だし、気づいてなくてもまあおかしくはないだろうね。……でもまあ、それでもいいんじゃない?」

 困惑するように笑う千尋さんと一緒に笑って、僕はそんな風に切り出す。それは、僕にとっても賭けのようなものだった。

 一応証拠が揃ってはいるけれど、これで外したらとんだ赤っ恥だ。二度と出過ぎた真似なんてできないし、しなかったんだとしてもこの先の僕はずっと『自意識過剰』の称号を背負う羽目になる。……だけど、不思議と勝負をやめるという選択肢は出てこなかった。

 それは多分、千尋さんが聞かせてくれた言葉があったからだ。それがあったから、僕は千尋さんの行動の意味を何となく理解できた。……迷ってる僕の背中も、強く押してくれた。

「『大切にしたいと思える人との時間を取りこぼすことなんてしたくない』……そうだよね、千尋さん?」

「……っ」

 バスの中で聞いた千尋さんの言葉を復唱すると、その体がびくりと震える。その仕草を見て、僕はようやく安心することが出来た。僕の推測は、きっと間違ってなんかなかった。

 だけど、その言葉の答えは千尋さんから引き出さなくちゃ意味がない。……だからまずは、僕が自分の思いを言葉にする番だ。

「……その表現さ、凄くいいと思った。それを聞いたから、僕もこの時間を取りこぼしたくないって思えたんだよ」

 花畑じゃなく千尋さんを見つめて、僕はまっすぐにそう告げる。……この世界の誰よりも特別な人が、僕の視界を独占していた。
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