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第五十六話『僕も、千尋さんも』

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 前に千尋さんの方から持ち掛けてきてくれた話を今度は僕の方から切り出す。少し照れ臭さはあったけど、それを余裕で超えるぐらいの意欲が僕にはある。……千尋さんとのお揃いなんて、増えれば増えるほどきっといいものだ。

「うん、あたしも大賛成。前がキーホルダーだったから、今日はまた違うのにする?」

「どうしよう、そこは千尋さんの好みとも相談って感じかな。形に残るものだったらいいなってぐらいしか考えてなかったから、いざ何買おうってなると少しだけ悩んじゃうや」

 二人並んであれこれと手に取って考えながら、僕と千尋さんは会話を続ける。お揃いの何かを買うってこと自体がすんなりと決まった時点で、僕の願いは八割方達成されていると言ってもよかった。

 僕が欲しいのは、千尋さんと一緒に歩んできた思い出の証のようなものだ。それを見る度に当時の気持ちを思い出せるような、触れる度にあの時の会話を思い起こせるような。時が経っても変わらず傍にいてくれるものがあれば、変わり続けずにはいられない人生の中でも大切なことは忘れずにいられるだろう。

「……あ、このぬいぐるみとかどう? 小さくて毛ももこもこでとってもかわいいよ」

「あ、確かにすごくいい触り心地……。これならいくらでも撫でられそうだね」

「うん、これなら紡君でも安心して撫でたりだっこしたりし放題。なんせ蹴られないからね」

 ふれあい広場に居たウサギをモチーフにしたぬいぐるみを揃って手に取りながら、僕と千尋さんは笑みを浮かべる。少しからかうような、冗談めかしたことを言ってくれるようになったのも最近の話で、それがまた僕にとっては無性に嬉しかった。

 千尋さんとの関係が大きく動いたのは間違いなくあの遠足の時だけど、それが終わったからと言って停滞するでもなく関係は少しずつ変わってきている。それがいい咆哮に続いていく毎日がこれからも続いていきますようにと、そう願わずにはいられない。

「……あたしさ、実はお揃いとかやるの紡君が初めてなんだよね。周りの子たちがやってるのは結構見てきたんだけど、その輪の中にあたしが入るってなるとなんか違うなーって気がしてならなくてさ」

 真っ白なウサギのぬいぐるみを抱えながら、千尋さんはしみじみと話を切り出す。こういう声色になった時は千尋さんが何か昔のことを教えてくれようとしている時なのだと、僕はこの一か月で何となく理解しつつあった。

 僕が思っている以上に、千尋さんはたくさんの過去を抱えている。僕の身に起きた出来事を特別だなんて思うことは、千尋さんの前じゃ傲慢でしかないのだろう。千尋さんは今も、その出来事を乗り越えようともがいているのだから。

「……ううん、お揃いだけじゃないな。小さい頃から、ずっと『特別な一人』ってものを疑ってたの。多分、お父さんとお母さんのことを間近で見ちゃってたからかな。昔ばなしとかおとぎ話みたいに『ずっとずっと特別なまま』なんてことはないんだって、何となく分かっちゃってた」

 少し悲しそうな表情をしながら、千尋さんはゆっくりと言葉を紡いでくれる。千尋さんが親のことを話したのはこの一か月の中でも二回ぐらいしかなくて、だからこの話題は僕の中で大きくのしかかってきた。

――千尋さんは明言しようとしないが、千尋さんの両親の仲は冷え切っているのだろう。それが何を原因として起きたのかも、千尋さんが本を読めないことに関係しているのかも、離婚しているかしてないのかも分からない。……分からないけれど、『いつまでも幸せに暮らしました』って状態にないことだけは多分間違いなかった。

「どれだけお互いのことを好きになっても、いつかはその気持ちが変わっちゃうときがくるんだってあたしは知ってる。そうじゃなきゃお父さんとお母さんがあんなふうになるわけがないんだって、あたしは今でも信じてる。……だからね、あたしは今でも少し怖いんだよ?」

「怖い……?」

「うん、そうなの。いつか紡君があたしにとっての特別じゃなくなっちゃうことが。――逆に、紡君にとってあたしが特別でも何でもない存在になっちゃうことが。……今これだけ楽しいのに、それもいつかふつっと切れちゃいそうで怖いの。……だからね、お揃いがしたいって言ってくれてすごく嬉しいの」

 千尋さんの独白を聞いて、僕は心臓が何か見えないもので締め上げられたかのような感覚を覚える。……それは、僕が恐れているものとよく似た――いや、ほとんど同じようにも思える感情だった。

 僕も千尋さんも、互いが変わってしまうことを恐れている。『恋人』とか『特別』とか、僕たちの間についた名前が消えてしまうことを怖がっている。忘れることもある日突然消え失せることも、『特別』がするりとなくなってしまう事には変わりがないんだ。

「あたしね、これからも紡君とのお揃いを増やしていきたいんだ。その一つ一つが、紡君との毎日が特別な証になると思うから。お揃いを大切にできる限り、あたしたちは特別でい続けられる気がするんだよ」

「うん、そうだね。……ちょうど、千尋さんとおんなじことを考えてた」

 小さく微笑む千尋さんに僕も笑みを返して、千尋さんが持っているのと同じウサギのぬいぐるみを手に取る。……それを見た瞬間、千尋さんの表情はパアッと輝いて。

――お土産らしく値段は張ったけれど、僕には少しの後悔もなかった。
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