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第七十話『僕は抉り出す』
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「まさか千尋と同い年の奴に諭される日が来るなんてな……。ほんと、いつからズレちまってたんだか」
僕たちの口論が決着してからしばらくして、お姉さんが久しぶりに沈黙を破る。今までの強気で男勝りな様子はどこかへと引っ込んで、弱々しい姿だけがそこには残っていた。
「千尋を守ることが私の存在意義だって、ずっとずっと思ってた。優しくて家族思いなあの子がこれ以上傷つかなくていいように、世界と千尋の間に私が立たなきゃいけないって思ってたよ。門番――いや、フィルターって言った方が正しいか」
「フィルター……」
ぽつぽつとした口調の中でも、お姉さんが自分に対して課す理想の在り方は変わらない。幼い頃に傷ついた千尋さんを守るために、お姉さんはずっと自分を律して立ち続けていたのだろう。
「そうやって千尋を守れれば、私もなんだか許されるような気がしてたんだ。『千尋を守る』ってことが私の存在意義になって、私もいつの間にかそこに寄りかかってた。千尋の存在に、私もきっと守られてたんだろうな」
「お姉さん……」
その表情は悲しそうで、僕は声をかけることが出来ない。僕の意志を押し通すための言葉は、千尋さんよりも早くお姉さんの深く沈んだ側面を抉り出してしまっていた。
それがいいことなのか悪いことなのか、今の僕には分からない。千尋さんのことを正しく見てあげられてない状態が正しいとも思えないけれど、だからと言って人の過去や見せたくない部分をむやみに暴き立てていいものなのか。……それがたとえ、千尋さんの根っこにたどり着くためのプロセスなのだとしても。
腹の底から湧きたつような怒りが収まってきて、僕の思考はふと冷静に立ち返る。勢いに任せて走り抜けた代償が、今僕の目の前に突きつけられていた。
「……今まで悪かった。私の中の正しさがお前に脅かされていくのに怯えて、お前のことを邪険に熱かった。千尋が過去を忘れるまでそういう事から隔離しようとしたのも、父親と近しい要素を持つお前を否定したかったのも、全部は私のエゴだ」
力なく頭を下げて、お姉さんは僕に頭を下げる。それはお姉さんが初めて僕を認めてくれた瞬間で、ずっと望んでいた瞬間なはずだ。だけど達成感はなくて、ただ虚脱感だけがある。自分がやってしまったことが、振り返れば転がっている。
事情も知らず勝手に押しかけて、家族の過去を暴き立てようとして。その道中でお姉さんの過去まで抉って、こうして頭を下げさせた。……なんて暴力的で、不釣り合いなやり取りだろう。お姉さんは僕に対してこんなにも開示してくれていたのに、僕は具体的なものを何も持ち出していない。僕の過去は、未だに抉り出されずに心の中にあるだけだ。
そんなのは不公平だろうと、僕の心が声高に叫ぶ。これでお姉さんとの問題を解決した気になってはいけないと、僕の口が自然に開く。もう十分に雨は降った。……だから、今からするべきはその後に残ったぬかるんだ地面を固めるための努力だ。
「……お姉さん、顔を上げてください。僕からも言わなくちゃいけないことがあります」
冷えた頭で呼びかけると、お姉さんの眼が再び僕の方を捉える。不安げに揺れるその様子を見て、僕の意志は固まった。
僕が無遠慮に抉り取った分よりも多く、僕はお姉さんに差し出そう。僕が今の考えにたどり着くまでに経験してきた、忘れたくても忘れられない傷跡のような痛みの記憶を。
「僕は、忘れられることが怖いんです。時間とともに記憶が薄れていって、いつの間にか最初からなかったことのようになっていくのが怖い。……そうなった理由を、どうか僕にも話させてください」
――千尋さんを想う者同士、本当の意味で分かりあうために。
僕たちの口論が決着してからしばらくして、お姉さんが久しぶりに沈黙を破る。今までの強気で男勝りな様子はどこかへと引っ込んで、弱々しい姿だけがそこには残っていた。
「千尋を守ることが私の存在意義だって、ずっとずっと思ってた。優しくて家族思いなあの子がこれ以上傷つかなくていいように、世界と千尋の間に私が立たなきゃいけないって思ってたよ。門番――いや、フィルターって言った方が正しいか」
「フィルター……」
ぽつぽつとした口調の中でも、お姉さんが自分に対して課す理想の在り方は変わらない。幼い頃に傷ついた千尋さんを守るために、お姉さんはずっと自分を律して立ち続けていたのだろう。
「そうやって千尋を守れれば、私もなんだか許されるような気がしてたんだ。『千尋を守る』ってことが私の存在意義になって、私もいつの間にかそこに寄りかかってた。千尋の存在に、私もきっと守られてたんだろうな」
「お姉さん……」
その表情は悲しそうで、僕は声をかけることが出来ない。僕の意志を押し通すための言葉は、千尋さんよりも早くお姉さんの深く沈んだ側面を抉り出してしまっていた。
それがいいことなのか悪いことなのか、今の僕には分からない。千尋さんのことを正しく見てあげられてない状態が正しいとも思えないけれど、だからと言って人の過去や見せたくない部分をむやみに暴き立てていいものなのか。……それがたとえ、千尋さんの根っこにたどり着くためのプロセスなのだとしても。
腹の底から湧きたつような怒りが収まってきて、僕の思考はふと冷静に立ち返る。勢いに任せて走り抜けた代償が、今僕の目の前に突きつけられていた。
「……今まで悪かった。私の中の正しさがお前に脅かされていくのに怯えて、お前のことを邪険に熱かった。千尋が過去を忘れるまでそういう事から隔離しようとしたのも、父親と近しい要素を持つお前を否定したかったのも、全部は私のエゴだ」
力なく頭を下げて、お姉さんは僕に頭を下げる。それはお姉さんが初めて僕を認めてくれた瞬間で、ずっと望んでいた瞬間なはずだ。だけど達成感はなくて、ただ虚脱感だけがある。自分がやってしまったことが、振り返れば転がっている。
事情も知らず勝手に押しかけて、家族の過去を暴き立てようとして。その道中でお姉さんの過去まで抉って、こうして頭を下げさせた。……なんて暴力的で、不釣り合いなやり取りだろう。お姉さんは僕に対してこんなにも開示してくれていたのに、僕は具体的なものを何も持ち出していない。僕の過去は、未だに抉り出されずに心の中にあるだけだ。
そんなのは不公平だろうと、僕の心が声高に叫ぶ。これでお姉さんとの問題を解決した気になってはいけないと、僕の口が自然に開く。もう十分に雨は降った。……だから、今からするべきはその後に残ったぬかるんだ地面を固めるための努力だ。
「……お姉さん、顔を上げてください。僕からも言わなくちゃいけないことがあります」
冷えた頭で呼びかけると、お姉さんの眼が再び僕の方を捉える。不安げに揺れるその様子を見て、僕の意志は固まった。
僕が無遠慮に抉り取った分よりも多く、僕はお姉さんに差し出そう。僕が今の考えにたどり着くまでに経験してきた、忘れたくても忘れられない傷跡のような痛みの記憶を。
「僕は、忘れられることが怖いんです。時間とともに記憶が薄れていって、いつの間にか最初からなかったことのようになっていくのが怖い。……そうなった理由を、どうか僕にも話させてください」
――千尋さんを想う者同士、本当の意味で分かりあうために。
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