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第百話『僕たちの恋バナ?』

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「……恋バナって言ってもさ、僕にそんなストックはないよ? 今書いてるラブコメだってまだ未完結だし、昔の話にもそういう類のはあんまりないし――」

 厳密に言えば過去に間違いなくストックは『ある』のだけれど、それを語るためにこの場はあまりにもライトすぎる。というか、こんな場で話して千尋さんが望んでいる空気を壊してしまうのは気が引けた。

「ううん、紡君が無理して色々と話をしなくてもいいの。友達の事とか知り合いの事とか……あと私自身の事とか、恋バナはあたしの中にたくさんあるから、それを聞いてどう思ったのかを聞かせてほしいなって。今言ってたみたいに紡君はラブコメを書いてるみたいだし、そのヒントになる可能性もあるでしょ?」

「それは……うん、確かにそうだ」

 千尋さんが提示した理由に、僕はぎこちなく首を縦に振る。それが恋バナの始まった理由なのだとしたら、僕の想像をはるかに超えていると言わざるを得なかった。

「ま、それは後から考えた二つ目の理由なんだけどね。……ただ、あたしがお泊り会の定番をやりたいなって思ったのが始まりだから」

「あ、そっちが先なんだね……」

 かなり感心していたところで千尋さんからの注釈が入り、僕は思わず苦笑する。それを言わないという選択肢もあるにはあっただろうに、そこで隠し立てをしないのが千尋さんらしさって感じだ。

 そんなやり取りを皮切りにして、僕たちは初めての恋バナを敢行する。三組のあの子が実は先輩に恋してるだとか、三年生のあの先輩が彼女と別れたことをきっかけに争奪戦が始まりそうだとか、今年は言ってきた一年生が結構ちやほやされてるだとか、僕の知らない情報を千尋さんはたくさん知っていた。僕が決して踏み込めないような話も、思った以上にたくさんあった。

 その中にはすでに決着がついた恋のお話もあって、ハッピーエンドもあれば少しほろ苦い結末の話もあった。普段は僕が千尋さんに物語を話しているのだけれど、今日ばかりはそれが逆転した形だ。

 千尋さんから聞きでもしなければ、僕はその情報に一生触れることはなかっただろう。どうしてそんなに知っているのか聞きたくて質問を投げかけると、千尋さんは少しはにかみながらこんな風に答えた

「あたしね、昔から色々と相談されるというか、他の人の恋バナを聞くことが多かったの。あたしがそういう相談に強いなんて、一言も言ったことがないんだけど……」

「千尋さんは男女問わずいろんな人に慕われてるからね。そのつながりに期待してるのか、それとも話し上手なところを見習いたいとか、理由はたくさんあると思うよ」

 ……まあ、そういう恋愛相談には『あの人は私が狙っているんだから』と言う牽制の意があるなんて噂もあるにはあるけれど……まあ、それに関しては黙っておこう。聞いてて気持ちのいいものではないし。

 そんなことを思ったのをきっかけに、そういえば僕も恋愛相談をされたことがあるのを思い出した。思い出したくもない記憶――というより、その直後にあった眩しい記憶に塗りつぶされてしまっていたもの。きっかけでもなければ、一生思い出すこともなかっただろう思い出が。

「恋愛相談……僕にはあんまり、いいものだとは思えないな」

「そう? あたしは相談に乗るのあまり嫌いじゃなかったし、毎回頑張って恋が叶いますようにって思ってるよ」

「そうだね。……僕も、そう願えたらよかったんだけど」

 あの時の記憶や言葉が脳内にリバイバルして、僕は思わず表情を曇らせる。あの時のような痛みを味わうのは、きっともうこの先の人生で一度もないだろう。

 だけど、僕はこの痛みを忘れてはいけないと思う。忘れないことが、せめてもの誠意だと思う。……僕もまた誰かの思いを踏みにじってここにいるのだと、自覚しなくてはいけないと思う。

「……僕ね、そういえば一回だけ恋愛相談を受けたことがあったよ。友達から、どうしても二人きりの時間が作りたいんだって、そう言われて」

 僕がそんなことを口にした瞬間、千尋さんの表情が少しだけ驚いたものへと変わる。……そういえば、あの時のことを僕はどこまで千尋さんに話したっけ。話したような気もするし、なあなあで進めてしまった気もするし――

――まあいいや、分からないなら改めて語ろう。……結局、恋愛相談ってものの嫌な側面を見せてしまう事にはなるけれど。

「――紡君、それって」

 少しだけ緊張した表情を浮かべて、千尋さんは問いかける。それが正しい答えに行き当たっていることを確信しながら、僕は首を縦に振って。

「うん。……桐原信二って奴に、持ち掛けられたことがあったんだよ」

 久しく口にしてこなかった名前を、また呼んだ。
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