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第百十五話『僕にあり得たもしもの世界』
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――その夜、夢を見た。
その中の僕は小説家になんてなっていなくて、今でも手紙を書いていた。その手元には小さなレターボックスがあって、セイちゃんからの手紙がたくさんたくさん入っている。お互いがお互いのことを忘れていないことの証が、丁寧に重ねられている。
年代とか部屋の感じ的に、もう高校に入った後の事だろうか。あるいは、もしかしたら今の僕と同じぐらいの年代かもしれない。そうとは思えないぐらいに表情は幼くて晴れやかだったけれど、それを見て僕は同時に直感する――直感、してしまう。
――これは、もしもの世界の僕だ。小説家になっていない世界の僕を、僕は夢の中で思い浮かべている。『考えていないわけがないだろう』と、正面から向き合わない僕を糾弾するかのように。
手紙を書く僕の手元には、スマートフォンがちょこんと鎮座している。ペンを動かす手が便箋の真ん中あたりに差し掛かった時、携帯がブルリと振動した。――ロック画面を見れば、『セイちゃん』と名前が書かれている。
そういえば今日、セイちゃんの連絡先を教えてもらったんだっけ。電話番号も何も知らないしそもそもあの時は携帯を持っていなかったから、こうしてセイちゃんと連絡する手段を手に入れるのは初めてだった。……そういえば、IDを手紙に書いて送れば連絡が取れるようになるのか。
もしもの景色からふとそんなことを拾い上げて、僕は小さく笑みを浮かべる。……その世界の僕たちは、離れながらも強く結びついていた。……もしかしたら、今の僕とセイちゃんよりも強く。距離が遠いのに、離れて行くことなんて考えもせずに。
メッセージアプリを手に入れてもなお手紙を送りあっているあたり、お互いの熱量も相当なものだ。お互いがお互いのことを想い、手紙でそれを伝えあう。……それは間違いなく、僕が夢見た僕とセイちゃんの関係性だった。
そうやってずっとずっとお互いを忘れずにいて、高校とか大学も卒業して。そうして自分の行動できる範囲が広がりきった時、また再会すると思ってたんだ。『変わらないね』なんて、お互いに笑いあいながら。
その未来は、セイちゃんの変化によって砕かれたんだと思っていた。しょうがないことだと思っていた。……だけど、それは全部逆だった。その未来を砕いたのは、全部全部僕のせいだ。僕のミスだ。
僕が、小説なんて書かなければ。『安心できるように』なんて、そんなことを考えなければ。『赤糸 不切』が、生まれることもなければ――
『――紡君?』
そんなことを思った矢先、声が聞こえた。とてもとても愛おしい人の声、千尋さんの声。……痛みの先で出会った、大切な人の声。
『紡君は、あたしと出会ったことも否定しちゃうの? 紡君が小説家でいてくれたから、あたしは紡君のことを見つけられたのに?』
「……それ、は」
どこからともなく聞こえる千尋さんの声に、僕は曖昧な答えを返すしかない。それはそうだ、間違いない。……僕の一番大切な人は、たくさん傷ついた先にいた。これからも一緒に居ようって、約束したばかりだ。
なら、セイちゃんとの距離が開いてしまうのも仕方のない事なのか。過去の失敗を、痛みを、『未来にいいことがあったからいいじゃないか』って笑って済ませていいのか。……そんな風にひとくくりにしてしまって、いいのか。
僕は千尋さんの彼氏だ。千尋さんだけの彼氏だ。他の人の彼氏になる気はないし、他の人が選ばれたらと思うと悲しくなる。それは変わらない。……変わらないから、セイちゃんにどう接していいのか分からない。
セイちゃんと言う存在は、僕が思っている以上に今の僕へと深く関わっている。セイちゃんがいてくれたから、僕は少しでも前を向くことができた。その事実だけは、どうやったって消えたりなくなったりするものじゃない。
どっちも大切にすることはできないのだろうか、と考える。出来るわけがないだろ、と誰かが答える。二人も同時に大切に想い続けられるほど、僕は器用じゃいられない。いつかきっと、それを伝えなくちゃいけない日が来る。――多分、セイちゃんに。
「……嫌だなあ、それは」
そうしないままこれから生きていけるのなら、それ以上にいいことはない。だけれど、僕の隣はもう千尋さんが独占しているんだ。少しのスペースだって、あげられない。
もしかしたら有り得たかもしれない光景を前にして、僕は改めてその覚悟を固める。動き出してしまった過去にケリを付けなければいけないのだと、そう理解する。……だけどそれは、セイちゃんへの想いを過去に置き去りにするという事に繋がるわけで。いつか遠い未来、その気持ちを完全に忘れる日が来るわけで。
「……身勝手だな、僕は」
忘れないでとか覚えていてとか散々言いながら、僕はその時の気持ちを忘れていくしかないんだ。それはひどく傲慢で、許されないことをしているように思えて、頭がグルグルしてくる。そのうち頭がぼうっとしてきて、もう何も分からなくなる。
――いっそずっと何も分からなければいいのになんて思いながら、もしもの世界は弾けていった。
その中の僕は小説家になんてなっていなくて、今でも手紙を書いていた。その手元には小さなレターボックスがあって、セイちゃんからの手紙がたくさんたくさん入っている。お互いがお互いのことを忘れていないことの証が、丁寧に重ねられている。
年代とか部屋の感じ的に、もう高校に入った後の事だろうか。あるいは、もしかしたら今の僕と同じぐらいの年代かもしれない。そうとは思えないぐらいに表情は幼くて晴れやかだったけれど、それを見て僕は同時に直感する――直感、してしまう。
――これは、もしもの世界の僕だ。小説家になっていない世界の僕を、僕は夢の中で思い浮かべている。『考えていないわけがないだろう』と、正面から向き合わない僕を糾弾するかのように。
手紙を書く僕の手元には、スマートフォンがちょこんと鎮座している。ペンを動かす手が便箋の真ん中あたりに差し掛かった時、携帯がブルリと振動した。――ロック画面を見れば、『セイちゃん』と名前が書かれている。
そういえば今日、セイちゃんの連絡先を教えてもらったんだっけ。電話番号も何も知らないしそもそもあの時は携帯を持っていなかったから、こうしてセイちゃんと連絡する手段を手に入れるのは初めてだった。……そういえば、IDを手紙に書いて送れば連絡が取れるようになるのか。
もしもの景色からふとそんなことを拾い上げて、僕は小さく笑みを浮かべる。……その世界の僕たちは、離れながらも強く結びついていた。……もしかしたら、今の僕とセイちゃんよりも強く。距離が遠いのに、離れて行くことなんて考えもせずに。
メッセージアプリを手に入れてもなお手紙を送りあっているあたり、お互いの熱量も相当なものだ。お互いがお互いのことを想い、手紙でそれを伝えあう。……それは間違いなく、僕が夢見た僕とセイちゃんの関係性だった。
そうやってずっとずっとお互いを忘れずにいて、高校とか大学も卒業して。そうして自分の行動できる範囲が広がりきった時、また再会すると思ってたんだ。『変わらないね』なんて、お互いに笑いあいながら。
その未来は、セイちゃんの変化によって砕かれたんだと思っていた。しょうがないことだと思っていた。……だけど、それは全部逆だった。その未来を砕いたのは、全部全部僕のせいだ。僕のミスだ。
僕が、小説なんて書かなければ。『安心できるように』なんて、そんなことを考えなければ。『赤糸 不切』が、生まれることもなければ――
『――紡君?』
そんなことを思った矢先、声が聞こえた。とてもとても愛おしい人の声、千尋さんの声。……痛みの先で出会った、大切な人の声。
『紡君は、あたしと出会ったことも否定しちゃうの? 紡君が小説家でいてくれたから、あたしは紡君のことを見つけられたのに?』
「……それ、は」
どこからともなく聞こえる千尋さんの声に、僕は曖昧な答えを返すしかない。それはそうだ、間違いない。……僕の一番大切な人は、たくさん傷ついた先にいた。これからも一緒に居ようって、約束したばかりだ。
なら、セイちゃんとの距離が開いてしまうのも仕方のない事なのか。過去の失敗を、痛みを、『未来にいいことがあったからいいじゃないか』って笑って済ませていいのか。……そんな風にひとくくりにしてしまって、いいのか。
僕は千尋さんの彼氏だ。千尋さんだけの彼氏だ。他の人の彼氏になる気はないし、他の人が選ばれたらと思うと悲しくなる。それは変わらない。……変わらないから、セイちゃんにどう接していいのか分からない。
セイちゃんと言う存在は、僕が思っている以上に今の僕へと深く関わっている。セイちゃんがいてくれたから、僕は少しでも前を向くことができた。その事実だけは、どうやったって消えたりなくなったりするものじゃない。
どっちも大切にすることはできないのだろうか、と考える。出来るわけがないだろ、と誰かが答える。二人も同時に大切に想い続けられるほど、僕は器用じゃいられない。いつかきっと、それを伝えなくちゃいけない日が来る。――多分、セイちゃんに。
「……嫌だなあ、それは」
そうしないままこれから生きていけるのなら、それ以上にいいことはない。だけれど、僕の隣はもう千尋さんが独占しているんだ。少しのスペースだって、あげられない。
もしかしたら有り得たかもしれない光景を前にして、僕は改めてその覚悟を固める。動き出してしまった過去にケリを付けなければいけないのだと、そう理解する。……だけどそれは、セイちゃんへの想いを過去に置き去りにするという事に繋がるわけで。いつか遠い未来、その気持ちを完全に忘れる日が来るわけで。
「……身勝手だな、僕は」
忘れないでとか覚えていてとか散々言いながら、僕はその時の気持ちを忘れていくしかないんだ。それはひどく傲慢で、許されないことをしているように思えて、頭がグルグルしてくる。そのうち頭がぼうっとしてきて、もう何も分からなくなる。
――いっそずっと何も分からなければいいのになんて思いながら、もしもの世界は弾けていった。
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