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第百五十八話『千尋さんの成果』
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「『だから私は、生きる意味が欲しい。私が胸を張って生きていける理由を、この手の中に迷いなく握りこみたいのです』」
。胸の前で手をグッと握りこみ、千尋さんは堂々とそう言い切る。そのセリフの後には本来マローネの返答が入ってくるはずなのだが、共演しているセイちゃんでさえも千尋さんの演技に見入っていた。
その結果、セリフはすっ飛び読み合わせは一時的に停止する。だけどそれに気づくこともしばらく忘れて、僕たちは千尋さんの演技の余韻に浸っていた。
昼休みの空き教室にいるはずの僕たちは、さっき間違いなく一つの舞台を幻視していた。それぐらいに千尋さんの演技は真に迫る形で僕たちに届いていたのだ。……それを前にしてしまえば、言葉を忘れるのを責めることなんてできないわけで。
「……これは、予想以上に仕上がってきたなあ。私ももっと稽古しないと完全に食われちゃいそうだ」
「だね。あの時も十分すぎるぐらいだったけど、今はその何倍も良くなってる」
あの体育館でセリフを聞いた時、『これ以上はないんじゃないか』って僕は確かに思っていた。あれ以上の演技なんて想像が出来なかったし、あの時の千尋さんでもエリーに相応しいオーラを纏っていた。……だけど、今の演技は間違いなくそれ以上だ。僕が見ていた限界を、千尋さんは堂々と飛び越えている。
「そう? ……だったら、ちょっと嬉しいかも」
惜しみなく贈られる称賛に照れながらも、千尋さんは誇らしげに返す。それでもまだ足りないぐらいに胸を張れる演技だと思うし、この世界を探しても千尋さんよりエリーをエリーらしく演じられる人は中々見つけられないような気がした。
いや、もちろん役者さんとかならエリーを上手く演じられる人は無数にいるだろう。だけど、千尋さんよりエリーと重なって見える人はいない。千尋さんの内側からエリーが現れているような、演じるとはまた違う言葉を当てた方がしっくりくるような。……そんな独特な感覚が、千尋さんにはある。
だからもしかしたら、エリー以外のキャラをやろうと思うと千尋さんはうまく演技できないのかもしれない。それは少し気になることだけれど、それが検証できるのはきっとまだまだ先の――多分、クリスマス作戦がうまく行った後の話だ。
「多分ね、紡君があたしのことをたくさん見てくれたからだよ。エリーを見てるとね、あたしが今まで感じてきたこととか考え方とかが何となく生きてるような気がして、ただのキャラクターには思えなくて。――あたしはきっと、エリーにすごく共感してるんだ」
「それは間違いないね、私もマローネには凄く親近感を覚えてるから。まあ、私が私と対面したら仲良くなれるかは分からないけどさ」
少し困ったように笑うセイちゃんに、千尋さんはどこかキョトンとした様子で見つめる。多分千尋さんは、もう一人の千尋さんと対面しても仲良くなれるんだろう。……僕は、あまり仲良くなれる気がしないのだけれど。
「まあ、それでもマローネとはもう少し仲良くならないといけないね。このままじゃきっと、エリーが覚悟を決めるのにふさわしいだけの印象を持った女の子にはなれないから」
「セイちゃんもめちゃくちゃいい演技なんだけどね……確かに今のままだと少し違和感は出ちゃうかも」
千尋さんが完全にエリーとして演じているのに対して、セイちゃんはマローネと半分半分と言った感じだ。それも一つの演技の形ではあるけれど、その違いが舞台のテンションの違いに出てきてしまう可能性は否定できない。
「……あたし、もう少し読み方変えた方がいい?」
「いやいやいや、千尋さんが帰る必要は全くないよ。と言うか変えないでくれ、私が千尋さんの演技に食らいついていきたいんだ。大丈夫、きっとすぐに追いついて見せるから」
少し心配げな千尋さんに、セイちゃんはむしろ目を輝かせながらそう答える。その瞳に宿っているのは、普段あまり前に出てこない対抗心だ。高校生になって少し落ち着いたのかと思っていたけれど、セイちゃんの負けず嫌いは変わっていなかったらしい。
「つむ君、改めて読み合わせの続き行こう。……今、凄く燃えてるんだ」
「だね。……それじゃあ、千尋さんのセリフからもう一回行くとしようか」
セイちゃんの訴えに応え、僕は軽く頷いてカウントを取る。……二人の読み比べは、昼休みが終わるまで一度も途切れることなく続いた。
文化祭まであと三週間。僕たちの大舞台まで、あともうすぐだ。
。胸の前で手をグッと握りこみ、千尋さんは堂々とそう言い切る。そのセリフの後には本来マローネの返答が入ってくるはずなのだが、共演しているセイちゃんでさえも千尋さんの演技に見入っていた。
その結果、セリフはすっ飛び読み合わせは一時的に停止する。だけどそれに気づくこともしばらく忘れて、僕たちは千尋さんの演技の余韻に浸っていた。
昼休みの空き教室にいるはずの僕たちは、さっき間違いなく一つの舞台を幻視していた。それぐらいに千尋さんの演技は真に迫る形で僕たちに届いていたのだ。……それを前にしてしまえば、言葉を忘れるのを責めることなんてできないわけで。
「……これは、予想以上に仕上がってきたなあ。私ももっと稽古しないと完全に食われちゃいそうだ」
「だね。あの時も十分すぎるぐらいだったけど、今はその何倍も良くなってる」
あの体育館でセリフを聞いた時、『これ以上はないんじゃないか』って僕は確かに思っていた。あれ以上の演技なんて想像が出来なかったし、あの時の千尋さんでもエリーに相応しいオーラを纏っていた。……だけど、今の演技は間違いなくそれ以上だ。僕が見ていた限界を、千尋さんは堂々と飛び越えている。
「そう? ……だったら、ちょっと嬉しいかも」
惜しみなく贈られる称賛に照れながらも、千尋さんは誇らしげに返す。それでもまだ足りないぐらいに胸を張れる演技だと思うし、この世界を探しても千尋さんよりエリーをエリーらしく演じられる人は中々見つけられないような気がした。
いや、もちろん役者さんとかならエリーを上手く演じられる人は無数にいるだろう。だけど、千尋さんよりエリーと重なって見える人はいない。千尋さんの内側からエリーが現れているような、演じるとはまた違う言葉を当てた方がしっくりくるような。……そんな独特な感覚が、千尋さんにはある。
だからもしかしたら、エリー以外のキャラをやろうと思うと千尋さんはうまく演技できないのかもしれない。それは少し気になることだけれど、それが検証できるのはきっとまだまだ先の――多分、クリスマス作戦がうまく行った後の話だ。
「多分ね、紡君があたしのことをたくさん見てくれたからだよ。エリーを見てるとね、あたしが今まで感じてきたこととか考え方とかが何となく生きてるような気がして、ただのキャラクターには思えなくて。――あたしはきっと、エリーにすごく共感してるんだ」
「それは間違いないね、私もマローネには凄く親近感を覚えてるから。まあ、私が私と対面したら仲良くなれるかは分からないけどさ」
少し困ったように笑うセイちゃんに、千尋さんはどこかキョトンとした様子で見つめる。多分千尋さんは、もう一人の千尋さんと対面しても仲良くなれるんだろう。……僕は、あまり仲良くなれる気がしないのだけれど。
「まあ、それでもマローネとはもう少し仲良くならないといけないね。このままじゃきっと、エリーが覚悟を決めるのにふさわしいだけの印象を持った女の子にはなれないから」
「セイちゃんもめちゃくちゃいい演技なんだけどね……確かに今のままだと少し違和感は出ちゃうかも」
千尋さんが完全にエリーとして演じているのに対して、セイちゃんはマローネと半分半分と言った感じだ。それも一つの演技の形ではあるけれど、その違いが舞台のテンションの違いに出てきてしまう可能性は否定できない。
「……あたし、もう少し読み方変えた方がいい?」
「いやいやいや、千尋さんが帰る必要は全くないよ。と言うか変えないでくれ、私が千尋さんの演技に食らいついていきたいんだ。大丈夫、きっとすぐに追いついて見せるから」
少し心配げな千尋さんに、セイちゃんはむしろ目を輝かせながらそう答える。その瞳に宿っているのは、普段あまり前に出てこない対抗心だ。高校生になって少し落ち着いたのかと思っていたけれど、セイちゃんの負けず嫌いは変わっていなかったらしい。
「つむ君、改めて読み合わせの続き行こう。……今、凄く燃えてるんだ」
「だね。……それじゃあ、千尋さんのセリフからもう一回行くとしようか」
セイちゃんの訴えに応え、僕は軽く頷いてカウントを取る。……二人の読み比べは、昼休みが終わるまで一度も途切れることなく続いた。
文化祭まであと三週間。僕たちの大舞台まで、あともうすぐだ。
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