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第百七十二話『あたしと私の違い』

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 環境の変化は、望むと望まざるとにかかわらず起こってしまうものだ。そんでもって、多分望んでないまま起きた変化なんてものはロクな物じゃない。……幸いにも、あたしは小説が読めないことが望まない形でバレたことなんてないのだけれど。

『何だよ、世界の終末って、何だよ、お前がそれを食い止める、世界を繋ぎとめるための贄だって。……何でそれを隠して、こんな辺鄙なところに来てたんだ』

『何でも何も、隠すことに意味があったからです。……私は周囲から、贄としての役割以外を望まれていない。私が私である意味も、今ここに生まれた意味なんてものもない。……ただ、大人しく贄であってくれれば後はどうでもいい存在なのです』

 珍しく感情を激発させるマローネに、エリーはあくまで淡々と答える。それは怒りを押し殺しているからこその物だというのは、紡君の演技で初めてこの物語を見てからずっと変わらない印象だった。

『あなたはよく、人生の意味は死んだ後に決まるとおっしゃっていましたね。……私の死んだ後がどんな評価になるかなど、死ぬ前から分かっています。『命を賭して世界の命運を変えた悲劇の姫君』――まあ、そんなところでしょうか』

『……なんだよ、分かりきったような面をしやがって……‼』

『そうなることが分かっているからです。周囲は皆そうなることを望んでいるからです。……私が本当にそれを是としているかなんて、私が本当にそれを心から望んでいるかなんて、王国は考えもしていない。このまま何もできなければ、私はただ無感情に己の身を捧げた贄になるのみです。……だから、私はずっと私が私でここにいる理由を、生きている理由を探していた』

 きっとそれは、エリーなりの抵抗だったんだろう。ただ無意味に贄として終わっていくことへの、行ってしまえば意味のない抵抗。結局のところ起こる結果が変わるわけでもない、周囲からすれば無意味だと切り捨てられてもおかしくない足掻き。

 だけど、それはエリーにとって確かに意味のある事だった。……それはちょうど、あたしが紡君を初めて見た時に感じたものとおんなじだ。

『本当に運のいいことに、私はそれと出会うことが出来ました。……不満げな顔をしながらも私の考えを受け止めてくれる、あなたがここにいてくれたことによって』

『……貴方こそが私の生きる理由です、ってか。……ずいぶんとまあ、身勝手な考え方をするもんだ』

 笑顔を浮かべるエリーに対して、マローネは険しい表情と厳しい物言いをやめない。それは不満の裏返し、少しだけ自覚しつつあった行為の裏返しだ。……マローネにとって、この告白はあまりに惨い掌返しなんだから。

『ただ望まれるがままに贄になるのが嫌で、自分が生きている理由を探して。そんでもってそれ見付けたら『満足できた』なんて言って贄になるのかよ。……身勝手だ。ボクがそれにどんなことを思うのか、そんなことを微塵も考えていやしない』

『……かも、しれませんね。けれど、それでも思ってしまったんです。あなたに生きていてほしいと。あなたが生きてこの先の人生を歩み続けられるのならば、この命を投げ出すのだって少しはまあ悪くないのかもしれないな、と』

 エリーは悲しい笑みを浮かべ、マローネの怒りを受け止めながらも足を止める様子はない。……ここが、あたしとエリーを分ける一番大きな差かもしれなかった。

 初めて紡君を見つけた時、あたしの胸は希望に高鳴ったのだ。もしかしてこの人なら、お父さんと同じぐらいキラキラしているこの人なら、あたしの問題を解決するための希望になってくれるんじゃないかと。

 最初から、あたしは紡君にそんな淡い期待を抱いてた。だけど、エリーはそうじゃない。目の前に迫っている宿命に対して、エリーは希望を抱いていない。いつか必ず受け止めなければならないものだと知って、その中でできる範囲でその苦痛を減らそうとしているだけだ。……物事の根本的な解決なんて、最初から望んじゃいない。

 だから、エリーはマローネに助けを求めない。ただ一人で意味を見つけて、一方的に別れを告げる。……これ以上一緒に居れば、ここまで生きてきた意味は死にたくない理由になってしまうかもしれないから。……そうなったら、やるべきことが出来なくなってしまうから。

『……ありがとう、マローネさん。あなたがいてくれたおかげで、私は周囲から望まれるだけの人形にならずに済む。……私は、私の意志で宿命へと身を委ねられる』

――だから、エリーは決して『助けて』なんて口にしないんだ。
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