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第1章 「お前の望みは何だ?」

第6話「仮面の少年」

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階段を降りて扉を開くと中から熱気と蒸気が沸いてきた。手に持つノブも手袋をして皮膚を強化しなければ火傷を負っていたと思われるほど熱い。扉の先は更に下へと向かう階段が続いていた。
 「皮膚の強化を忘れるなよ」
「そちらこそ肉体強化は得意だからと言って無茶はしないで下さい」
 そう軽口を言い合いながら2人はボイラー室に入って行った。
 ボイラー室は壁や天井に上の階へと湯を行き渡らせる為のパイプが張り巡らされあちこちで蒸気を噴出させ、パイプにつけられた計器は針が限界まで振り切り、素人目から見ても危うい状態である事が分かる。蒸気に注意しながら下っていくとゲズルの耳に上から何かが零れ落ちて来る音が聞こえ、咄嗟に左手でロナンを止めて右腕にメイを高め爪と毛を強化すると上に向かって振るった。上からは熱湯が降ってきており、ゲズルが腕を振るうと熱湯は霧散した。毛を強化したおかげか皮膚には熱湯は浸透せず火傷を負わなかった。
 「お怪我は」
「大丈夫だ。だがこの様子だと先程のような噴出がいつ起こるか分からないな。早くボイラーを止めなければ」
 そう言いながらゲズル達は階段を下りきった。蒸気が立ち込めて前がよく見えないが、奥に赤色の輝きが乱反射しておりそこからメイを強く感じる事からそこにボイラー本体があるのだと確信する。すぐに向かいたいが床には熱湯が水たまりのように広がっているので注意深くいかなければならない。
 そう思っているとボイラーの近くに何かの影があることに気付きゲズルは目を細めるとそれは人の形をしていた。やがて蒸気が晴れるとはっきりとした姿を見る事が出来たがその姿に眉を顰めた。
 見た所白髪の人間の少年のようで腰には柄に房つきで黄と緑の2つの玉がついた紐が括りつけられ鞘に紋様が刻まれた剣を差しているが何より目を引くのは顔の上部分を覆う熊を模した仮面だ。その風貌から逃げ遅れた従業員でも駆けつけた消防部隊でもない事は明らかだ。
 「君は何者だ。何故ここにいる」
 警戒しながらゲズルは問い、ロナンもいつでも撃てるように腰に着けている拳銃に手を添える。そんな2人を警戒しているのかそれとも動じていないのか少年は何も言わない。
 もしやギア暴走事件に関わっているのかとゲズルが勘ぐっていると、天井から一際大きな轟音が響いたと思うと少年の真上から熱湯が降り注いできた。しかも先程ゲズルの上に零れ落ちたものよりも水量は多そうだ。
 咄嗟にゲズルは庇おうと地面を蹴ったが、少年は後ろに下がり剣を抜いたと思うと黄の玉が輝き出した。すると刀身に火花が散り出し、少年が剣を振るうと熱湯は分解されたように蒸発した。目の前の状況にゲズルは思わず立ち止まうと、玉と少年からメイが高まっているのを感じた。どうやらあの玉はメイ石で出来ているようだ。だが気がかりな事がある。
 通常メイ石は石そのままでは力を発揮出来ず、エルフ人が自分が使う術の力を増幅の為に媒体として使うかギアのように回路を刻まれた器具に取り付ける事でしか使えない。技術者として名高いガシン人の特殊な技で作られた道具なら使用者のメイを注ぎ込むとギアと同等の動きをするが、ガシン人の能力とメイ石は相性が悪いのでメイ石はガシン人作の道具に組み込む事が出来ないのだ。エルフ人と人間の混血と言う可能性もあるが外見とメイの感覚から人間と思われるので媒体として使った訳ではない。ではどうやってメイ石の力を使ったのかと疑問がある。
 不審に思い少年を問い詰めようとしたが2人の間を蒸気が遮り近寄れない。ロナンは拳銃を抜いて狙いを定め、ゲズルも蒸気が晴れたら飛びかかろうとするがボイラー室に変化が起きた。
 轟音を立てていたパイプの水流が少しずつ小さくなり、計器を見ると振り切っていた針が平常時の位置まで下がっていく。しかもあれほど荒れていたボイラーのメイの高まりも鎮まっていくのを感じゲズルは不審に思った。
 やがて蒸気が静まると少年の姿は無く、ボイラーに取り付けてあるメイ石も光が消えていた。周りを見るとボイラーもボイラーに水を送るポンプも停止していた。ボイラー室の奥に扉があるので少年はあそこから出て行ったのだろう。2人はボイラーの状態を確認すると少年を追って扉を開いた。

 扉は湯屋の室内に続いており進んで行き階段を上がっていくと、湯屋の店員と鉢合わせた。
 「軍の者ですがこの辺りで仮面をつけた少年を見かけませんでしたか」
「いや、私もさっきまでお客さんを外に避難させていたのですがそんな目立つ人見かけませんでしたよ」
 ロナンが問うが店員は何も知らないようだ。
「この先は何処に繋がっていますか」
「ここは従業員用の通路で右に曲がると玄関に繋がっています」
 店員の返答を受け、2人は通路を進み扉を開けると、玄関は避難している客達と避難誘導をしている店員達でごった返しており、見回しても特徴的な白髪も仮面も見当たらない。
 「どうやらメイを操って気配を消した後避難した客達に紛れて外に出たようです」
「事件に関わっているなら話を聞きたかったのだがそれにしても」
 そうゲズルは口元を真一文字にする。
 「ハルド少尉、ボイラーはあの少年が止めたものと考えてよいのだな」
「えぇ問題は素手ではバルブに触れただけ大火傷を負う程高温のボイラー室の中でどうやって止めたかでしょうね」
「我々と同じように肉体を強化すれば可能だが、流石に手袋もつけねばならず、あの少年は手袋はつけていない様子だった。それにバルブを確かめた時、バルブは開いたままだった」
 念の為にバルブは閉じたが、つまりボイラーはバルブが開いたままの状態で給水も蒸気も止まったのだ。
 そんな事が可能なのかと思っていると、消防部隊の存在を知らせるベルの音が聞こえてくる。
 「いくら元軍人とはいえ、一般人が首を突っ込んだってばれたら目立ちますから消防部隊が到着する前にそろそろ出ましょう」
「そうだな」
 幾つかの疑問を抱きながらもゲズル達は気配を消して湯屋から出た。

 湯屋の周りでは消防部隊が現場の確認と負傷者の救護をしている。よく見るとゲズルが助けた少女も消防部隊の隊員から話を聞かれていた。
 「どうやら今回は人的には大きな被害は無かったようです。とはいえ一歩間違えれば大惨事に繋がっていましたよ」
「被害は拡大している。早急に調査を始めないとな」
 現場から少し離れた場所で視力と聴力を強化して現場の様子を見ながらゲズルはそう呟いた。これからの事を考えているとボイラー室に入る前に会話をした店員の声が聞こえる。
 「それでよ。その獣人の元軍人さんは飛ぶような速さで女の子を助けたんだ。獣人ってのは皆そんなもんなのかね」
「獣人でも相当鍛えた奴だよその元軍人は。にしても惜しいな、そんなすげぇ人が片目を失って軍人を辞めざる得ないなんて」
 不意に聞いてしまった隊員の呟きにゲズルは顔を顰めた。
 「どうしました?」
「いや何でもない。用は済んだからそろそろ轍組に向かおう」
 そう頭を振ってゲズルは足早に歩き出した。
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