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第1章 「お前の望みは何だ?」

第12話「食堂にて・邪眼の少年」

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裏口の扉を開けると野菜スープの匂いが鼻をくすぐる。ここから食堂は近いようだ。
 ルトの案内で廊下を進むと、ナイフとフォークが交差する看板を掲げた大部屋に従業員たちが出入りしている。あそこが食堂なのだろう。
 食堂に入ると部屋の半分を占める3台の巨大な長テーブルとテーブルを囲う椅子が並んでおり、奥に炊事場があるのか時々火と鉄鍋が見え隠れしている。ゲズルは従業員達の視線を受けながらルトの後をついていき料理の受け渡し口へと向かう。受け渡し口の向こう側からは竈からの熱気と轟音が響き食器から出る音が聞こえてくる。
 「母さん。追加の食材を持ってきたよ」
「あぁありがとうねルト。今忙しいから炊事場に入って来て運んでくれない」
 受け渡し口から顔を出したのはルトと顔が似ている茶髪を短く切りそろえたふくよかな女性だ。
 「あなたがルトが言っていた新しく入団する人ね。後で挨拶に行きますから」
「いやそんなお気遣いしなくても」
 ゲズルが言い終える前にルトの母は炊事場へと引っ込んで行ってしまった。
 「すいません騒がしくしてしまって。上にメニューが書かれているので、決まったら注文口に行ってください」
 そう言って炊事場へと向かうルトを見送ってゲズルは早速メニューを眺める。近くに大河が流れる港町と言う場所柄、魚料理は種類も豊富で、肉料理も草食の獣人専用の野菜料理も揃えてある。一通り眺め、川魚の串焼きとスープとパンのセットを頼んだ。料理を受け取り、空いている席を探そうと大テーブルのある場所に目を向けると部屋の隅に視線が止まった。そこにはエイクとグレイスが並んで食事をとっていた。
 「なんだ。もう帰ったと思ったんだが」
「夕食を取ろうとしたらルトから誘われたんです。フェルンさんは用事があったのでは」
「それは終わったのだが思ったより時間がかかってしまって夕食はここで取る事にしただけだ」
 そうグレイスはサバの混ぜご飯と鳥団子と根菜が入ったスープを前にして言う。
 「よかったらここで食わねぇか。ちょうど空いている席もあるしそれにここにいた方が視線が気にならないだろう」
 どうやらエイクも周りの視線を察しているようだ。
 「心配すんな。この仕事、重労働だから割と人の出入りが激しいからこの新人はいつまでいるか見てるんだろうさ。明日になれば興味も失せるはずだろうよ」
 「そうですか。ではお言葉に甘えます」
 そう言ってゲズルはグレイスの隣で席に着き、食事をとる。
 塩だけのシンプルな味付けだが川魚の皮はパリッと焼かれてほどよい塩気を感じる。パンは固いが葉野菜と芋のスープと合い、気弱なルトが自慢していたのも理解できる。よく見るとグレイスも黙々と食べており、それは人と関わりたくないのとは別にただ美味いからだと思ってしまう。
 スープも飲み干した頃になると食堂も落ち着いてきて、ゲズル達の前にルトの母が現れる。
 「改めて入団おめでとうございます。食堂の料理長をやってるリサ・ライトです。息子共々よろしくお願いします」
「ラシヌ・レトです。こちらこそよろしくお願いします」
「グレイス・フェルンです」
「そう恐縮しないでくださいよ。あたしはただここでみんなのお腹をいっぱいにするのが生き甲斐なおばちゃんと思ってください」
 そう快活に言うリサにゲズルの口元も思わず緩む。
「そうそうエイクからも聞いたかもしれませんがここの仕事案外疲れることがあるので困ったときには何でも言ってくださいね」
「大丈夫だよ母さん。お2人とも僕なんかと比べたらずっと頼りになるんだし」
「あんたはもうちょっとしゃきっとするんだよ。この人たちの先輩なんだから手本になるんだよ」
 そうルトの背中を叩くとリサは元の持ち場に戻った。背中が痛そうなルトにエイクは背中を擦る。
 「料理長も言った通りそんな謙遜せずに胸をはりゃいいんだよルト。お前らも明日から本格的に仕事を始めるから困った事があったら俺らにも言うんだぞ」
 じゃぁ俺はこれ片付けるからとエイクは食器を持って立ち去る。
「ネミーさんとは付き合いが長いのですか」
「ネミーさんは僕より1年先輩で色々な事を教えてくれたんです。ちょっと荒い所はありますが面倒見がいい人なんですよ」
 それでは改めてとルトは2人に向けて礼をする。
「頼りない先輩だと思われますがやるべき事はやるのでよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします」
 グレイスも了承するように頷いた。

食器を片付け母親の手伝いをするルトと別れた2人はそのまま本部から出ると同じ帰路を歩いて行く。
 「まさかフェルンさんが私と同じ長屋を借りているとは」
「来たばかりですぐに借りられたのがあそこだったからな」
 短い言葉を交わした後、2人の間では沈黙が続いた。どう切り出すべきかとゲズルが考えていると人通りのない脇道を通った時グレイスが口を開く。
 「何か聞きたい事があるんだろ」
 その言葉にはこちらを疑う気持ちが見え隠れしている。このまま黙ったままでは逆に不審がられるなとゲズルは耳を澄まして周りに誰もいない事を確認すると口を開いた。
 「君の眼は魔眼ではなく邪眼ではないだろうか」
 ゲズルの問いにグレイスは暫しの沈黙の後、そっと仮面を外した。仮面の下は10代後半の少年と青年の中間のような顔立ちで黒い目をしており、その瞳には幾何学的な紋様が刻まれていた。
 「いつから分かった」
「あのボイラー室で君が能力を使った時、君と剣につけたメイ石からメイを感じ取られた時、魔眼か邪眼の使い手であるだろうとは思っていた。そして入団試験の時での君の剣を見てメイ石を対象とした能力ならばあれ程の規模は邪眼の範疇だと確信した」
 邪眼とは魔眼の一種である。通常の魔眼は催眠や魅了など対生物が中心で生物以外の能力も存在はするがせいぜい軽い物を浮かすなどで規模は小さい。逆に邪眼は生物以外を対象に大きな効果を発揮する能力を所有し発火など攻撃的なものが多い。
 「君の言っていた用事と言うのは組合長たちへの説明ですか」
「いや組合長は知っていた。話したのは事務部とかこれから関わりが深くなる連中に事前に眼の事を教えただけだ。組合内では差別は禁止しているがどうだかな」
 そうグレイスは吐き捨てた。
 多種多様な種族が入り混じるイスナリでも迫害を受けるものは存在する。その1つが邪眼使いだ。邪眼も魔眼も先祖の誰かが使い手で隔世遺伝で生まれる先天性のものや外部からの影響の後天性のものがあるのは共通しているが、妖精の加護や特殊な生物からの攻撃によって生まれる魔眼とは違い、邪眼は道具にメイを刻む特殊な技を持つガシン人の禁忌である『生物にメイを刻む』事で生まれたもので、ガシン人は祖先の禁忌の象徴、獣人やエルフ人を中心とした他の種族は自然の理から外れたものとして長年迫害されてきたのだ。近年は軍隊でも登用され認められるが差別されるケースは少なくない。
 「お前はどうするんだ。さっさと追い出すか」
「いえそんなつもりはないです。ただこれからの為にも確認は取ろうと思いまして」
 そうかよとグレイスは仮面をつけ再び歩き始めゲズルもそれに続く。その能力がどんなものかが気になるが自身の生命線となる情報を話す事は無いだろうと胸の奥にしまっておいた。
 自分と同じ時期に組合に入団したグレイスは内部情報に詳しくないだろうし内通者の条件に少し外れているとはいえ自分の右目を奪った知覚できない狙撃が邪眼の能力である可能性があるので警戒してしまう。グレイスはそれを察して疑っているのだろう。
 そうしていると本部の南西側にある労働者の居住区に辿り着き2人が借りている古びた長屋が見えてきた。
 「ではまた明日」
「あぁ」
 そう言ってグレイスは長屋の奥へと向かっていった。その背を見届けてゲズルは息を吐いた。
 ボイラーの暴走、入団試験での襲撃、内部犯の可能性、そして邪眼を使う少年。調査初日から気がかりになる事が続いているが、まずはガイナスに伝える事を纏めなければとゲズルは自分の部屋に入っていった。
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