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蘇芳(すおう)3
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光明は命を狙われた二日後も登庁していた。そんな光明の居る部屋を、一人の男が訪ねてくる。漏刻博士の源師宣である。
漏刻博士とは、漏刻という水時計を管理する役人。師宣は、光明と同じ二十一歳。小柄で、雀斑が特徴的な男だ。
「暦博士殿。先日は大変だったようですね。お怪我はございませんでしたか?」
「ええ、無傷です。……心配してわざわざこちらまでいらしたのですか?」
「それもあるのですが、気になる事がございまして……。暦博士殿は、近頃呪詛を教えて回っている蘇芳なる人物に興味を持っておられるとか」
法眼、直通、時子と協力して呪詛をした貴族達に蘇芳の特徴を聞いて回っているので、師宣の耳にも入ったのだろう。
「ええ。それが何か?」
「……実は、私、蘇芳の正体が平基家様ではないかと考えているのです」
「平基家様というと、あなたと同じ漏刻博士の?」
「……はい。あの方は、何と言うか……あまり人と関わらない方なのですが、最近は、貴族の方に話しかける事が多いようで。もしかしたら、呪詛を教える相手を探しているのではないかと……。何より、教える程の呪術の腕があるのは、この寮では、あなたの他に基家様しかいないではないですか」
確かに、この寮の中で高度な呪術を使えるのは光明と基家だけである。と言っても、実力を知られていないだけで、他にも高度な呪術を使える陰陽師がいるかもしれないが。
「あの方にお会いになる時は、十分お気をつけて下さい」
「御忠告ありがとうございます」
そう言って光明は微笑んだ。
◆ ◆ ◆
蘇芳に出会ってから、紅玉は充実した日々を送っていた。紅玉は山にある小屋で生活していたが、蘇芳は毎日のように小屋に通ってくれる。
蘇芳は、読み書きや天文学、呪術の他にも沢山の事を紅玉に教えた。薬草の知識、農業、経済の仕組み、果てには貴族社会のしきたりや礼儀についてまで。
正直、紅玉にとっては地獄かと思う程厳しかったが、蘇芳が紅玉を一人の人間として尊重してくれているのがわかるので、勉学をやめる気にはならなかった。
蘇芳に出会って九か月が経ったある日、紅玉は、蘇芳の口数がいつもより少ない事に気付いた。
「どうかしましたか、先生」
紅玉が聞くと、蘇芳は優しく微笑んで言った。
「紅玉、私はあと三日で、この地を離れる」
耳を疑った。
「……どうして……」
「嫁に行く事になった」
蘇芳の話によると、蘇芳の実家の経済状態が悪く、他家との繋がりがどうしても欲しかったらしい。それで、まだ独り身の蘇芳が嫁ぐ事となった。
「そんな……」
「……夫となる男と一度会った。禄でもない男だったら逃げる気でいたが、良い奴だったよ。自己主張するのが下手で少し情けないところもあるが、賢くて誠実だ。……黙っていてすまなかったな。どう言えば良いかわからなかったんだ」
紅玉は、目に涙を溜めて言った。
「俺……先生がいなくなるのは嫌です。先生がいなくなったら、俺は、どうやって生きていったらいいんですか……」
「私は、お前が自分で自分の道を切り開けるように教えてきたつもりだ。これからどう生きるかはお前が決めるんだ。……お前は最高の弟子だ。幸せになれよ」
紅玉は泣いた。何も言わず、ぼろぼろと涙を零した。
そして三日後、蘇芳は去っていった。最後に、蘇芳の別邸にあった書物を全て紅玉にくれた。もう紅玉は、その書物の内容を完全に理解する事が出来た。
蘇芳がいなくなってから、紅玉は今までと同じく狩りをしたりする生活をしていたが、勉学や呪術の鍛錬は続けていた。そして、たまに町に出て山菜や薬草を売ったりして、人間と関わる機会を少し増やした。
そして三十歳となり、紅玉は最愛の人――時子と出会った。
漏刻博士とは、漏刻という水時計を管理する役人。師宣は、光明と同じ二十一歳。小柄で、雀斑が特徴的な男だ。
「暦博士殿。先日は大変だったようですね。お怪我はございませんでしたか?」
「ええ、無傷です。……心配してわざわざこちらまでいらしたのですか?」
「それもあるのですが、気になる事がございまして……。暦博士殿は、近頃呪詛を教えて回っている蘇芳なる人物に興味を持っておられるとか」
法眼、直通、時子と協力して呪詛をした貴族達に蘇芳の特徴を聞いて回っているので、師宣の耳にも入ったのだろう。
「ええ。それが何か?」
「……実は、私、蘇芳の正体が平基家様ではないかと考えているのです」
「平基家様というと、あなたと同じ漏刻博士の?」
「……はい。あの方は、何と言うか……あまり人と関わらない方なのですが、最近は、貴族の方に話しかける事が多いようで。もしかしたら、呪詛を教える相手を探しているのではないかと……。何より、教える程の呪術の腕があるのは、この寮では、あなたの他に基家様しかいないではないですか」
確かに、この寮の中で高度な呪術を使えるのは光明と基家だけである。と言っても、実力を知られていないだけで、他にも高度な呪術を使える陰陽師がいるかもしれないが。
「あの方にお会いになる時は、十分お気をつけて下さい」
「御忠告ありがとうございます」
そう言って光明は微笑んだ。
◆ ◆ ◆
蘇芳に出会ってから、紅玉は充実した日々を送っていた。紅玉は山にある小屋で生活していたが、蘇芳は毎日のように小屋に通ってくれる。
蘇芳は、読み書きや天文学、呪術の他にも沢山の事を紅玉に教えた。薬草の知識、農業、経済の仕組み、果てには貴族社会のしきたりや礼儀についてまで。
正直、紅玉にとっては地獄かと思う程厳しかったが、蘇芳が紅玉を一人の人間として尊重してくれているのがわかるので、勉学をやめる気にはならなかった。
蘇芳に出会って九か月が経ったある日、紅玉は、蘇芳の口数がいつもより少ない事に気付いた。
「どうかしましたか、先生」
紅玉が聞くと、蘇芳は優しく微笑んで言った。
「紅玉、私はあと三日で、この地を離れる」
耳を疑った。
「……どうして……」
「嫁に行く事になった」
蘇芳の話によると、蘇芳の実家の経済状態が悪く、他家との繋がりがどうしても欲しかったらしい。それで、まだ独り身の蘇芳が嫁ぐ事となった。
「そんな……」
「……夫となる男と一度会った。禄でもない男だったら逃げる気でいたが、良い奴だったよ。自己主張するのが下手で少し情けないところもあるが、賢くて誠実だ。……黙っていてすまなかったな。どう言えば良いかわからなかったんだ」
紅玉は、目に涙を溜めて言った。
「俺……先生がいなくなるのは嫌です。先生がいなくなったら、俺は、どうやって生きていったらいいんですか……」
「私は、お前が自分で自分の道を切り開けるように教えてきたつもりだ。これからどう生きるかはお前が決めるんだ。……お前は最高の弟子だ。幸せになれよ」
紅玉は泣いた。何も言わず、ぼろぼろと涙を零した。
そして三日後、蘇芳は去っていった。最後に、蘇芳の別邸にあった書物を全て紅玉にくれた。もう紅玉は、その書物の内容を完全に理解する事が出来た。
蘇芳がいなくなってから、紅玉は今までと同じく狩りをしたりする生活をしていたが、勉学や呪術の鍛錬は続けていた。そして、たまに町に出て山菜や薬草を売ったりして、人間と関わる機会を少し増やした。
そして三十歳となり、紅玉は最愛の人――時子と出会った。
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