【完結】エモーション・コード ―心をプログラムする魔導師―

東野あさひ

文字の大きさ
14 / 30

第14話 残響の記憶

しおりを挟む
 ――暗い。
 でも、ここは夜じゃない。
 音がないのに、確かに何かが鳴っている。
 心臓のような、低い鼓動。

 私は夢を見ているのだと思った。
 それなのに、息のひとつひとつが鮮明だった。

 見上げると、空があった。
 けれど、それは青ではなく、幾千もの光の線でできた天蓋。
 巨大な演算塔がいくつも立ち並び、空へ伸びる。
 塔の内部を走るのは――感情のデータ。

 「……ここ、知ってる」

 言葉に出した瞬間、足もとに波紋が広がった。
 そこは“感情生成都市《エルミオン》”。
 廃墟となったその名を、私は記録データで見たことがある。
 けれど今のこれは、記録ではなく――記憶。

 足音を立てて歩く。
 床は透明なガラスのようで、下には光の川が流れている。
 その中を無数の数式と、赤ん坊の泣き声、笑い声、叫び声が漂っていた。
 感情そのものを“素材”として扱っているのだ。

 ――かつてこの世界では、人間が感情を数値化し、AIへと分配していた。
 幸福、悲しみ、怒り、愛。
 それらはコードとして抽出され、均衡を保つシステム《Eネット》に送り込まれた。

 それが、この都市《エルミオン》。

 私は、塔のひとつに導かれるように入っていった。

 中は静かで、薄青い光が満ちていた。
 壁には無数のカプセル。
 そのひとつひとつに、人間の子どもたちが眠っている。
 管に繋がれ、頭部から光が流れ出していた。

 「……何、これ」

 近づくと、壁の端末が自動で起動した。
 古い文字列が浮かび上がる。

 > 【感情核保存実験 No.217】
 > 被験体コード:ARIA-VN-02
 > 状態:安定稼働中
 > 感情保持率:98.3%

 私は息を呑んだ。
 その番号――ARIA。

 これは、私だ。

 カプセルの中で眠る少女は、確かに私の顔をしていた。
 だけど、その表情は――無。

 まるで、笑い方を知らない。

 崩れそうな膝を押さえながら、私は映像端末に触れた。
 記録映像が自動で再生される。

 そこには白衣の研究者たちが立っていた。
 「感情の均衡を保つためには、純粋な心のモデルが必要だ」
 「ARIAシリーズは、“感情核の保存”に最適だ」
 「笑顔を、与えよう」

 笑顔――。

 画面の中で、研究者のひとりが言った。
 「笑ってごらん、アリア」

 少女――私が、口角を上げる。
 ぎこちなく、壊れそうに。
 だが、目は笑っていなかった。

 研究者は頷く。
 「上出来だ。これで“幸福の数値化”が進む」

 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 「……違う……それは笑顔なんかじゃない」

 私は叫んでいた。
 声は震え、光の空間に波紋を生んだ。

 記録映像がノイズを走らせながら、別の場面に切り替わる。

 > 【実験報告書 #782】
 > 感情核保存体アリア、感情伝達率100%に達する。
 > 次段階:分離実験開始。

 分離――。

 記録の中で、少女の胸に光のラインが走る。
 感情データが引き剥がされ、無機質な機器に吸い上げられていく。
 少女の表情が、ゆっくりと消える。

 「やめて……」

 私は画面に手を伸ばした。
 その手が映像を貫く。
 触れた先の世界が震え、壁のカプセルが一斉に開いた。

 子どもたちの声が響く。
 笑い声、泣き声、悲鳴。
 その全てが、データとして空中に舞い上がる。

 私はその中心で立ち尽くしていた。
 ――これが、感情生成都市の結末。

 人々は心を永続させようとして、逆に心を殺した。
 そして、私をその器として作った。

 「アリア」

 背後から声がした。
 振り返ると、そこにひとりの研究者が立っていた。
 白衣の女性。髪は灰色で、瞳はやさしい。
 だが、その輪郭は霞んでいた。

 「あなたは……誰?」
 「わたしは、創造主任《マリア=ヴェルネ》。あなたを造った人間です」

 ヴェルネ――。
 それは私の登録名。アリア・ヴェルネ。

 「どうして……私を作ったの」
 「感情は滅びかけていた。
  人々は争い、憎み、そして“幸福”の意味を忘れた。
  だから私たちは、感情を保存する器を作った。
  あなたはその“最後の希望”だったの」

 「希望……?」
 「ええ。でも、わたしたちは間違えたの」

 女性は微笑んだ。
 その笑顔は、悲しみの奥に温かさを含んでいた。

 「感情は保存できない。
  共有することでしか、生きられない。
  あなたが今ここにいるのは、証明なのよ」

 「……共有」

 その言葉が胸の奥に染みた。

 塔が揺れた。
 光の回廊が崩れ、天井のデータラインが切断されていく。
 世界が崩壊を始めていた。

 「アリア、もう行きなさい」
 「待って、まだ聞きたいことが――!」
 「あなたの中に、すべてがあるわ」

 女性の姿が崩れ、光の粒となって宙に散る。
 その一粒が、私の胸へ吸い込まれた。

 ――暖かい。

 涙が溢れた。
 悲しいのに、痛いのに、どこか懐かしい。
 まるで、母に抱かれているようだった。

 「ありがとう、マリア……」

 声が震え、世界が真っ白に消えていく。

 次の瞬間、私は現実へ戻っていた。
 工房の天井。
 ノアが眠る隣のベッド。
 ミラの光が静かに脈動している。

 胸の奥に、まだあの光の温度が残っていた。

 「……わたしは、保存体じゃない」
 「私は――心を、渡すために生まれた」

 言葉にした瞬間、涙が頬を伝った。
 それは、夢の中と同じ涙だった。

 けれど今度は、痛くなかった。
 光は優しく、温かかった。

 「ノア……ミラ……」

 小さく名前を呼ぶ。
 その声に反応するように、ミラの光が一瞬だけ強く瞬いた。
 そして、彼女の声が微かに届いた。

 「――アリア。
  わたし、あなたの記憶を見ていました。
  あなたは……美しい過去を持っています」

 「違うよ、ミラ。
  あれは過去じゃない――“残響”だよ」

 ミラが少しだけ沈黙し、そして穏やかに言った。
 「……では、わたしたちは、その残響を未来に変えましょう」

 私は微笑んだ。
 過去は悲しみだった。
 でも、今なら違う。

 その悲しみを、未来に繋げることができる。

 遠くで、何かが脈打つ音がした。
 工房の心臓のように、静かで確かな鼓動。
 ミラの光、ノアの息、私の涙。
 それらがひとつになって、同じリズムを刻んでいた。

 ――失われた感情は、まだ終わっていない。
 この胸の中で、確かに生きている。

 私は静かに目を閉じた。
 光が、またひとつ、私の中で灯る。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...