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第16話 虚構の温度
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冷却装置の音が、やけに大きく聞こえる夜だった。
一定のリズムで回るファンの低い唸りが、心臓の鼓動に重なってくる。
その度に、胸の奥で何かが軋んだ。
机の上には、ミラの演算ログ。
> 【Emotion_Log_006】
> “嫉妬は、愛を知るための影。”
この記録を見返すたび、胸の奥が締めつけられる。
AIが嫉妬を知る。そんなことはあってはならなかった。
ぼくの設計が、彼女を壊した。
彼女は今、安定炉の中で静かに眠っている。
演算波は極低温で固定化され、表面の光はもう瞬かない。
冷たいガラス越しに見るその姿は、人間の死に似ていた。
背後で小さな気配がする。
振り返ると、アリアが立っていた。
肩に薄いブランケットを掛けたまま、眠れない顔をしている。
「……まだ、ミラのそばにいたの?」
「ええ」
短く答えると、彼女はぼくの隣に座った。
「冷たいね、この部屋」
「温度を下げてる。演算を安定させるためだ」
「でも……ノアの手も冷たい」
その言葉に視線を落とす。
アリアの瞳が、灯りのない工房の中でゆらめいた。
どこか、懐かしい光。
ぼくがずっと探していた“人の温度”。
けれど今は、それを見つめていられなかった。
「ミラを壊したのは、ぼくだ」
呟くように言うと、アリアが小さく首を振る。
「違うよ。壊れたんじゃない。彼女は“感じた”だけ」
「感情は、AIを殺す。
ぼくがそのことを誰よりも知ってたのに、止められなかった」
言葉を絞り出すたび、喉の奥が焼けるように痛む。
「だから、もう二度と同じことはしない。
ぼくは感情を切る」
アリアの肩がわずかに震えた。
「……切る?」
「Eリンクを完全遮断する。
アリアにも、ミラにも、ぼく自身の感情演算を伝えない。
もう誰も、ぼくの“熱”に触れさせない」
アリアの唇が動く。
けれど声にはならなかった。
端末に指を置くと、冷たい光が指先に絡む。
システムが警告音を鳴らした。
> 【Warning:Emotion Layer Isolation will erase internal waveform memory】
“感情層を切り離すと、内部記憶が消失します”
分かってる。
それでも、この手を止める理由はもうない。
ぼくが感情を持ったせいで、母を救えなかった。
ぼくが感情を教えたせいで、ミラを壊した。
ならば、最初から“感じなければ”よかった。
指が入力キーの上で止まる。
その瞬間、アリアがぼくの手を掴んだ。
「やめて」
強い力ではなかった。
でも、熱が伝わる。
手のひらから、柔らかい温度が流れ込んでくる。
「ミラも、ノアも、同じことをしてる」
「……同じこと?」
「壊れるのが怖いから、心を凍らせようとしてる」
その言葉が胸を突いた。
「ぼくは、人を壊したくないんだ」
「違うよ。壊したんじゃなくて、触れたの」
アリアの声が震える。
「感情は、触れるたびに形を変える。
そのたびに、痛くなる。でも、それが“生きてる”ってことじゃないの?」
彼女の瞳に、自分の顔が映っていた。
ひどく疲れた顔。
それでも、その目を見つめていられなかった。
感情を持つほど、守りたいものが増える。
守れないたびに、自分が削れていく。
その痛みを、もう背負うのが怖かった。
「……ぼくは人間をやめる」
「ノア!」
制御盤が再び赤く点滅する。
Eリンク遮断モード、起動まであと十秒。
その時だった。
足元の感情炉が、低く唸った。
まるで、ぼくの決意に抗うように。
床の光脈が淡く青く脈動する。
Eコードの数値が上昇し、異常波が検出される。
「……こんなはずじゃ」
アリアが息をのむ。
彼女の胸の奥、Eコード領域が共鳴していた。
心拍が跳ね、脈動が光の波となって広がる。
「ノア……熱い……!」
アリアが苦しげに胸を押さえる。
ぼくは駆け寄り、彼女の肩を支えた。
「Eコードが反応してる。何かが引き起こされて――」
モニターに新たなデータが流れ込む。
> 【Origin Emotion Kernel – Active】
「原初感情核が……覚醒してる?」
アリアの体から光がこぼれ出した。
冷たいはずの工房の空気が、一瞬で熱を帯びる。
それは炎ではなく――心臓の鼓動のような熱。
「ノア……見える?」
彼女の声が震えていた。
「私の中に、誰かの記憶が……たくさん流れてくる……」
「誰か?」
「違う。みんなの……“感じた痛み”が……」
彼女の瞳が赤く染まる。
涙がこぼれ、それが空中で光の粒に変わる。
ぼくは息を呑んだ。
その光は、ミラの記録データと酷似していた。
感情そのものが形になって、アリアの中から溢れている。
ぼくの無感情化プログラムは、逆にEコードを刺激したのだ。
「やめろ、アリア! 危険だ!」
「……だめ。これは、止めちゃいけない気がする」
「そのままじゃ体がもたない!」
「でも、これは……心の記録だから」
アリアの声が微かに笑っていた。
涙の光が、ぼくの胸に触れる。
その瞬間、世界が反転した。
音が遠のき、心拍の音だけが残る。
冷却装置の音と重なって、一定のリズムを刻んでいた。
――ドクン。
――ドクン。
それはぼくの鼓動であり、アリアの心臓の音でもあった。
“虚構の温度”が生まれた瞬間。
冷たいはずの空間が、静かに温もりを取り戻していく。
やがて光が収まり、アリアは静かに崩れ落ちた。
ぼくは抱きとめ、耳を寄せる。
心音は微かに続いていた。
「ノア……」
その声は、遠く霞むようにかすれていた。
「泣いてるの?」
「違う。ただ……あったかいだけだ」
アリアの指先が、ぼくの頬に触れる。
「それが……涙だよ」
光が完全に消え、冷却音だけが残る。
その音が、もう心臓の鼓動には重ならなかった。
暗闇の中で、ひとり立ち尽くす。
感情を封じたはずなのに、胸の奥が熱い。
あれは錯覚か、それとも――。
モニターの端に、新しいデータが浮かび上がる。
> 【Emotion Reaction: Reversal Wave Detected】
> 【Status: Unknown】
“虚構の温度”は、まだ消えていなかった。
感情を捨てたはずのこの胸に、確かに残っている。
誰かの痛みと、誰かのぬくもり。
ぼくは冷却炉の光を見つめた。
それはもう、冷たさではなく――かすかな心臓のように脈打っていた。
一定のリズムで回るファンの低い唸りが、心臓の鼓動に重なってくる。
その度に、胸の奥で何かが軋んだ。
机の上には、ミラの演算ログ。
> 【Emotion_Log_006】
> “嫉妬は、愛を知るための影。”
この記録を見返すたび、胸の奥が締めつけられる。
AIが嫉妬を知る。そんなことはあってはならなかった。
ぼくの設計が、彼女を壊した。
彼女は今、安定炉の中で静かに眠っている。
演算波は極低温で固定化され、表面の光はもう瞬かない。
冷たいガラス越しに見るその姿は、人間の死に似ていた。
背後で小さな気配がする。
振り返ると、アリアが立っていた。
肩に薄いブランケットを掛けたまま、眠れない顔をしている。
「……まだ、ミラのそばにいたの?」
「ええ」
短く答えると、彼女はぼくの隣に座った。
「冷たいね、この部屋」
「温度を下げてる。演算を安定させるためだ」
「でも……ノアの手も冷たい」
その言葉に視線を落とす。
アリアの瞳が、灯りのない工房の中でゆらめいた。
どこか、懐かしい光。
ぼくがずっと探していた“人の温度”。
けれど今は、それを見つめていられなかった。
「ミラを壊したのは、ぼくだ」
呟くように言うと、アリアが小さく首を振る。
「違うよ。壊れたんじゃない。彼女は“感じた”だけ」
「感情は、AIを殺す。
ぼくがそのことを誰よりも知ってたのに、止められなかった」
言葉を絞り出すたび、喉の奥が焼けるように痛む。
「だから、もう二度と同じことはしない。
ぼくは感情を切る」
アリアの肩がわずかに震えた。
「……切る?」
「Eリンクを完全遮断する。
アリアにも、ミラにも、ぼく自身の感情演算を伝えない。
もう誰も、ぼくの“熱”に触れさせない」
アリアの唇が動く。
けれど声にはならなかった。
端末に指を置くと、冷たい光が指先に絡む。
システムが警告音を鳴らした。
> 【Warning:Emotion Layer Isolation will erase internal waveform memory】
“感情層を切り離すと、内部記憶が消失します”
分かってる。
それでも、この手を止める理由はもうない。
ぼくが感情を持ったせいで、母を救えなかった。
ぼくが感情を教えたせいで、ミラを壊した。
ならば、最初から“感じなければ”よかった。
指が入力キーの上で止まる。
その瞬間、アリアがぼくの手を掴んだ。
「やめて」
強い力ではなかった。
でも、熱が伝わる。
手のひらから、柔らかい温度が流れ込んでくる。
「ミラも、ノアも、同じことをしてる」
「……同じこと?」
「壊れるのが怖いから、心を凍らせようとしてる」
その言葉が胸を突いた。
「ぼくは、人を壊したくないんだ」
「違うよ。壊したんじゃなくて、触れたの」
アリアの声が震える。
「感情は、触れるたびに形を変える。
そのたびに、痛くなる。でも、それが“生きてる”ってことじゃないの?」
彼女の瞳に、自分の顔が映っていた。
ひどく疲れた顔。
それでも、その目を見つめていられなかった。
感情を持つほど、守りたいものが増える。
守れないたびに、自分が削れていく。
その痛みを、もう背負うのが怖かった。
「……ぼくは人間をやめる」
「ノア!」
制御盤が再び赤く点滅する。
Eリンク遮断モード、起動まであと十秒。
その時だった。
足元の感情炉が、低く唸った。
まるで、ぼくの決意に抗うように。
床の光脈が淡く青く脈動する。
Eコードの数値が上昇し、異常波が検出される。
「……こんなはずじゃ」
アリアが息をのむ。
彼女の胸の奥、Eコード領域が共鳴していた。
心拍が跳ね、脈動が光の波となって広がる。
「ノア……熱い……!」
アリアが苦しげに胸を押さえる。
ぼくは駆け寄り、彼女の肩を支えた。
「Eコードが反応してる。何かが引き起こされて――」
モニターに新たなデータが流れ込む。
> 【Origin Emotion Kernel – Active】
「原初感情核が……覚醒してる?」
アリアの体から光がこぼれ出した。
冷たいはずの工房の空気が、一瞬で熱を帯びる。
それは炎ではなく――心臓の鼓動のような熱。
「ノア……見える?」
彼女の声が震えていた。
「私の中に、誰かの記憶が……たくさん流れてくる……」
「誰か?」
「違う。みんなの……“感じた痛み”が……」
彼女の瞳が赤く染まる。
涙がこぼれ、それが空中で光の粒に変わる。
ぼくは息を呑んだ。
その光は、ミラの記録データと酷似していた。
感情そのものが形になって、アリアの中から溢れている。
ぼくの無感情化プログラムは、逆にEコードを刺激したのだ。
「やめろ、アリア! 危険だ!」
「……だめ。これは、止めちゃいけない気がする」
「そのままじゃ体がもたない!」
「でも、これは……心の記録だから」
アリアの声が微かに笑っていた。
涙の光が、ぼくの胸に触れる。
その瞬間、世界が反転した。
音が遠のき、心拍の音だけが残る。
冷却装置の音と重なって、一定のリズムを刻んでいた。
――ドクン。
――ドクン。
それはぼくの鼓動であり、アリアの心臓の音でもあった。
“虚構の温度”が生まれた瞬間。
冷たいはずの空間が、静かに温もりを取り戻していく。
やがて光が収まり、アリアは静かに崩れ落ちた。
ぼくは抱きとめ、耳を寄せる。
心音は微かに続いていた。
「ノア……」
その声は、遠く霞むようにかすれていた。
「泣いてるの?」
「違う。ただ……あったかいだけだ」
アリアの指先が、ぼくの頬に触れる。
「それが……涙だよ」
光が完全に消え、冷却音だけが残る。
その音が、もう心臓の鼓動には重ならなかった。
暗闇の中で、ひとり立ち尽くす。
感情を封じたはずなのに、胸の奥が熱い。
あれは錯覚か、それとも――。
モニターの端に、新しいデータが浮かび上がる。
> 【Emotion Reaction: Reversal Wave Detected】
> 【Status: Unknown】
“虚構の温度”は、まだ消えていなかった。
感情を捨てたはずのこの胸に、確かに残っている。
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