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第1章 女騎士ニコルと口の悪い公爵

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王都から北に位置するフリュイは、今は一番暑い時期だが湿度が低い分、過ごしやすかった。
フリュイに着いたニコルはマカオンが住む公爵邸へ赴いた。
公爵邸は公爵夫妻が住む王都のタウンハウスに比べ簡素で、ニコルが育った辺境伯邸に似た雰囲気でニコルをリラックスさせた。
アルディ公爵家の執事によるとマカオンは執務室で仕事をしているという。ニコルは執務室へ案内してもらった。
執事に続いて入った執務室でニコルの目に映ったのは、背中から入る日の光を浴びたマカオンの姿だった。母親譲りの銀に近い金髪を背中まで流し、キラキラと光を纏う白皙の美貌。
いつも騎士団で厳つい男性に囲まれているニコルは思わず棒立ちになってしまう。
「誰だ」
冷たいテノールにニコルはハっとして背筋を伸ばす。
「王立騎士団のニコル・ドゥ・ヴェルミリオンです。本日から、マカオン様の護衛を致します」
「必要ない。帰れ」
きちんと敬礼するニコルにマカオンは書類から視線を動かさないまま、冷たく言い放つ。
「そういう訳には参りません。護衛が不要なら侍女か小間使いとしてお側に置いていただきます」
「どちらも不要だ」
マカオンは書類に何やら書き込みながら言い放つ。ニコルはどうすればいいのか狼狽える。
「恐れながらマカオン様」
ニコルの後ろにいた執事が声を掛ける。
「なんだ」
「この屋敷には私と侍女の他には、近隣から手伝いに来る領民しかおりません。しかし、この時期、ブドウとモモの収穫で人手が足りません。幸い、ニコル様は辺境地から男手も連れておいでですから、侍女として滞在していただきませんか」
執事の思わぬ助け船に、ニコルは内心小躍りした。
執事の申し出にマカオンは、これ見よがしに溜息を吐く。
「好きにしろ。ただし、俺に迷惑を掛けるな」
「ありがとうございます」
ニコルは勢い良くお礼を言うが、マカオンは無視した。
肝心要の初日のはずが、ニコルは一度もマカオンの顔を正面から見ることができなかった。

翌日からニコルはお仕着せを着てマカオンの世話係になった。
朝はスワローテイル山脈に日が昇る頃、ニコルは起床する。身支度を調えると庭で剣術の練習をした。それが終わると厩舎へ行き馬の世話をして、部屋で軽く汗を流して調理場へ向かう。
執事からカトラリーの並べ方を教わり、朝食のテーブルセッティング。それらを終えるとマカオンが来るまでの間に、ハヤテから果物をもらって摘まむ。
マカオンが食事をしている間は、マカオンが使う部屋の掃除やベッドメイクを行う。
だが、いきなり何でも出来るわけではない。
アルディ公爵家の侍女に付いて、お茶の淹れ方や部屋の掃除、ベッドメイクなどを教わりながらやるので、1つ1つの工程に時間がかかる。
三日経っても、どれ1つ取っても上手くできない。
さすがに食器を割るような粗相はしないが、段取りが悪く侍女のように上手くいかない。
侍女達は一度で綺麗にシーツを敷くのだが、ニコルは一枚敷くのに手間取った。
騎士団は寮生活だが、ニコルは辺境伯の娘であることから、新人や小間使いが掃除やベッドメイクをしてくれるので経験がなかった。
「もう、なんで上手くいかないのかしら」
イライラしながら何度もシーツを敷いても皺になってしまうか、幅が合わなくなる。おまけに、普段、ニコルが寝ているベッドよりも大きいので、ベッドの周りを何度も行き来しなければならなかった。
「そんなことで、よく侍女になる気になれたな」
背後からマカオンの声がして振り向くと、マカオンは大股で近づきニコルの手からシーツを奪い取る。
無言でふわっとシーツを広げると、手早くシーツを敷いた。
「すごーい」
ニコルが感嘆の声を上げると、マカオンは口の端を上げて冷笑を湛える。
「こんなの騎士なら誰でもできる。お前が下手なのだ」
「ハヤテは初めからできる人はいないから、少しずつできるようになればいいって言ったわ」
「何度もシーツを触られたら、お前の手垢で汚れて洗った意味がなくなる」
「失礼ね。きれいに洗ってあるわ」
ニコルは両手を広げて見せた。
するとマカオンはニコルの手をパチンと軽く叩く。
「お前、馬鹿だな」
マカオンは鼻で笑うと部屋を出て行った。
「失礼な奴」
ニコルは閉まったドアを睨み付けた。

ニコルが侍女として働き始めて3日。マカオンは外に出ず執務室に籠もっていた。
1日に1度は外に出ないと頭が痛くなるニコルには考えられないが、執事によると「よくあること」らしい。
初めての土地に来たニコルはフリュイを見て歩きたいが、警護対象が屋敷にいるので勝手に外に出て行くこともできない。
取りあえず仕事ができるようにならなければ、マカオンにフリュイを案内して欲しいとも言えない。
ニコルは考え直すと、屋敷の掃除を始めた。
執務室はマカオンが昼食を食べている時か、午前と午後のティータイムに行わなければならない。
ニコルは執務室がある二階の部屋を端から掃除を始め、マカオンが執務室を出て行くのを見計らって執務室へ入る。
今日も、ドアを閉める音がしたのでドアをそっと開けると、マカオンが階段を降りて行くのが見えた。
ニコルは「今だ」と、掃除道具を持って執務室へ向かう。
音を立てないようにドアを開け閉めすると、掃除に取りかかる。
不意に気配を感じて振り向くとドアが開いた。
「げっ」
ニコルは反射的に執務机の影に隠れる。
「小動物か、お前は」
呆れた声がしたので、ニコルは執務机から顔を出す。
「掃除をしていただけです」
マカオンは無表情のまま執務机の側に来ると、紙を一枚取る。
「ちゃんときれいにしておけよ」
無表情のままニコルの頭を指先で弾く。
「いたっ」
ニコルは頭を押さえる。
「そんなに力は入れてない」
ツンとしたままマカオンは部屋を出て行った。
「なんなのよ。もう」
マカオンは意地悪だが、観賞用としては申し分ない。
それだけに、力一杯言い返せないのがニコルは悔しい。
騎士団に居るようなゴツいタイプだったら、言いたい放題言い返せるのだが、どストライクの顔を見ると、いつもの半分も言葉が出てこなくなってしまうのだ。
なんとか掃除を終えるとニコルは使用人達と食事をする。
使用人といっても、執事とニコル、ハヤテの3人だけである。
コックや小間使いもいるが、侍女とはいえ辺境伯の娘であるニコルと同席は出来ない。仕方なく交代制で昼食を取ることになったらしい。
本来なら執事も同席はできないのだが、ニコルが「早く仕事を覚えたいし、マカオンのことを知りたい」と我が儘を言ったのである。
「ニコル様は物覚えがよろしいので助かります」
執事はニコニコして言う。
ニコルは呼び捨てでいいと言ったのだが、執事や侍女達は止めてくれない。
「でも、マカオンには馬鹿にされたわ」
先日のシーツのことや、執務室での件を思い出して頬を膨らませる。
「坊ちゃまは冷たい言い方をしますが、心根の優しい方です。人見知りが激しいので、長い目で見てくださいませ」
執事は頭を下げる。
「人見知りではなくて、人嫌いなのでしょう」
ニコルは首を傾げる。人見知りと人嫌いは違うように思えるからだ。
「そう仰る方もいますが、坊ちゃまは人見知りです。人が嫌いなわけではありません」
「そうなの?」
「えぇ。領民達にもお優しいですし、農閑期には屋敷で雇って仕事を与えています。人嫌いな方ならそんなことはしません」
執事の言うようなことをしているのであれば、人嫌いとは言えない。
マカオンと顔を合わせる機会がないだけに、ニコルにはマカオンがどういう人物なのか未だに掴めていなかった。
「どうでしょう。ニコル様に書類整理やパーラーメイドの役目を与えては。マカオン様との接点が増えれば、お2人も親しくなるでしょう」
ハヤテの提案に執事は考え込む。
「パーラーメイドは問題ありませんね。お茶の淹れ方はお教えしていますし。あとは、書類の整理ですが、まぁ、大丈夫でしょう」
「では、午後から早速、やってみましょう」
ハヤテはニコルを勇気づけるように微笑む。
ニコルはハヤテが一緒に来てくれて良かったと思う。
人を使う立場のニコルだが、いつも周囲が先回りしてやってくれるので、誰がどのように動いているのか、何という係なのかフリュイ領に来るまで知らなかったからである。
午後からは、執事について執務室へ行き、書類の整理方法を習いティータイム前に侍女からパーラーメイドの仕事を教わった。
「これからは、お前がウロチョロするのか。目障りだな」
「坊ちゃま。そのような言い方はよくありません」
ティーセットを並べるニコルの後ろから、執事が叱る。しかし、マカオンは溜息を吐くだけだ。
ニコルは黙々と仕事をこなした。
ティーセットが並ぶとマカオンは手でニコルを追い払った。
ニコルは内心ムッとしながらも「失礼しました」と頭を下げて出て行く。
そんな日々が3日続くと、さすがのニコルにも我慢の限界が近づいて来た。
午前のティータイムの準備を終え、呼び鈴が鳴るのを待っているがいつまで経っても呼ばれない。
いつもなら30分程度で呼び鈴が鳴り、仏頂面のマカオンが「さっさと片付けて書類整理をしろ」と言うはずなのだ。
「ねぇ。マカオンはまだティータイムかしら」
廊下ですれ違った侍女に声を掛ける。
「あら、そういえば呼び鈴が鳴っていませんね。ちょっと見てきます」
「お願いします」
こういう時、自分で確かめた方が早い。だが、今のニコルは信頼関係を築いている最中だ。むやみにマカオンに睨まれたくない。
「ニコル様。マカオン様がいらっしゃいません」
侍女がサロンから慌てて飛び出して来た。
「え。心当たりはありますか」
「そうですね。あぁ、ハンモック。気候の良い日はたまにハンモックでお休みになっています」
侍女からハンモックの場所を教えてもらったニコルは剣を携えて、飛び出して行った。
侍女の仕事を覚えることを優先するあまり、マカオンの警護を怠っていた自分を責める。マカオンの身に何かあったらどうしようと、ニコルは冷や汗をかく。
焦るニコルとは対照的に、外に出ると空は雲に覆われ風が出て涼しく、ハンモックで寝たら気持ちが良さそうな日である。
広大な庭にある木立の影でニコルは、ハンモックで寝ているマカオンを見つけてニコルはホッと胸を撫で下ろす。
ハンモックで眠るマカオンは、普段の冷たい表情がないと幼く見える。
「カワイイ」
思わずニコルはマカオンの頭を撫でた。
しかし、マカオンが目覚める気配はない。
「起きないとイタズラしちゃうぞ」
ふふふ、と笑いながらニコルはマカオンの寝顔を見つめる。すると、マカオンの綺麗な唇が動いた。
「どんなイタズイラだ」
マカオンがパチリと目を開けた。
「起きていたなら、さっさと起きなさいよ」
ニコルは真っ赤になる。
「うるさいチビ」
マカオンはスルリとハンモックから降りる。
「前から思っていたけれど、口が悪いわね」
「そういう、お前も辺境伯の娘にしては淑女の欠片もないな。話し方ぐらいなんとかしろ」
「いいのよ、私は騎士ですもの。それに、公爵より辺境伯の方が爵位は上よ」
「・・・・・・。もういい。早く帰るぞ。雨が降る」
マカオンはニコルの腕を掴むと走り出した。
「ちょっと、何よ」
屋敷に入った途端に激しい雨が降り出し、ニコルは少しだけマカオンを見直した。
マカオンにどんな心境の変化があったのか、ハンモックでの件があってからニコルとマカオンの距離が急速に近づいた。昨日までは、黙々とこなしていた書類整理の合間に雑談をするようになったのである。
「国王にはなりたいと思わないの?」
「アルテューユはなんと言っている」
ニコルの兄、アルテューユは王位継承権第一位である。マカオンよりも兄の方が国王になる可能性が高いのである。
「兄様は王位継承権を放棄するのですって。元々乗り気ではなかったし。国は亡くなったけど珠璃国最後の王族として母様を慕っている人が多いことを知っているから、自分が国王になって珠璃人とエランヴェール国が対立することを危惧しているみたい。」
ニコルが育ったラーンジュ領は珠璃人の文化を発展させることで領地が豊かになっている。しかし、ラーンジュ領には珠璃人やエランヴェール、レジン、ローリエなど様々な国の人々が仲良く働いている。それはひとえに、領主であるヴェルミリオン夫妻の人望に寄るところが多い。
「やはりそうか。そういう意味では俺も同じだ」
マカオンは妙に納得した顔をした。しかし、ニコルは首を傾げる。
「俺の場合は滅亡した国ではない。協定を結んでいるとはいえ、過去に何度も対立したレジン国の血が入っている。そのうえ、俺はレジンの王位継承権も持っている。俺が王になってレジン国に取り込まれれば、エランヴェール国をレジン国に併合することもできる」
「そうなの?」
ニコルは初めて知る事実に驚いた。
「お前、それぐらい知っておけ」
マカオンは呆れた顔をする。
「じゃあ、マカオンが狙われているのはそのせいなのね」
ニコルは納得した。レジン国には良い印象を持っていない人が多い。特に、レジンの前国王が珠璃人狩りを行っていたこともあり、珠璃人の中にはレジンの人を見ると逃げ出す人がいるらしい。
「それに駆け引きは苦手だ。腹黒い人間に囲まれるよりこうして自然に囲まれていたい」
「その気持ちはわかる。私もニコニコしながら人の悪口言うぐらいなら、貴方のことは嫌いって面と向かって言えばいいのに、と思うもの」
「お前はそういうタイプだな」
笑いを堪えながらマカオンは言う。だが、ニコルにはその態度に疑問を感じた。
マカオンは常に無表情でいる。貴族としてはそれが当然なのだ。しかし、今は社交会に出ているわけではない。
「ねぇ、マカオン。ここは社交場ではないでしょう。だったら、笑いたい時は口を開けて笑って、泣きたい時は涙を流してもいいと思う。自分を抑えて生きていたら幸せが半分になっちゃう」
ニコルが思い切っていうとマカオンは、呆気に取られた表情をした。
「変な顔になっているよ」
ニコルが指摘をするとマカオンは、ハッとした表情を見せ咳払いをした。
「口ではなく手を動かせ」
再び、無表情に戻るマカオンを見てニコルは大笑いをする。すると、マカオンは苦々しげな顔で書類にペンを走らせた。

書類整理やパーラーメイドの仕事を覚えたニコルは食事の給仕の仕事も与えられた。
その日もニコルはマカオンの給仕をするため食堂の隅に控える。
美しい所作で黙々と食事をするマカオンを見ていると、ニコルの腹から「ぐー」という音が鳴ってしまった。
ニコルは侍女や執事に睨まれ「えへへ」と笑って誤魔化したが、マカオンがフォークとナイフを置いた。
ピリピリした空気が食堂内を包む。
「おい、お前。ここに座れ」
ニコルに向かってマカオンが顎で隣の椅子を示す。
「はい」
怒られるのを覚悟してニコルは椅子に座る。
「口を開けろ」
「へ?」
「早く」
ニコルは素直に口を開けると、マカオンはブドウを摘まむとニコルの口に放り込む。
「美味しい」
ニコルは「ウフフ」と笑うとマカオンは呆れた顔をした。
「コイツの分も用意しろ。本来は俺と同じ立場の人間だからな」
「かしこまりました。では、いますぐニコル様のお食事をご用意いたします」
執事は侍女に指示を出した。
「いいの?」
「物欲しそうに見られながら食べるのは不快だ」
マカオンはギロリとニコルを睨むと、黙黙と食事を始めた。
ニコルはマカオンは不器用だが根は優しいのだと思った。

◇◇◇
フリュイ領はスワローテイル山脈に囲まれ、四季のある領土である。ブドウやモモが多く栽培され、ワインの生産地として有名だ。
ニコルが育ったラーンジュ領は領地の半分を海に囲まれ、特産品は布だった。植物も育てていたが染色に使う物が多かったので、フリュイ領に興味津々である。
しかし、マカオン付きになって二週間。マカオンは外出することなく自室で過ごしていた。
ニコルは痺れを切らしてマカオンに直談判した。
「いつになったら私に領地を案内してくれるの?」
本を読んでいたマカオンは呆れた顔をする。
「なぜ護衛のお前を案内しないといけない。護衛なら俺が屋敷に居た方がいいだろう」
「だって、つまんないし・・・・・・」
ニコルがいじける。
「お前は子供か」
マカオンは本を閉じて立ち上がる。
ニコルが目を輝かせてマカオンに視線を送る。
「・・・・・・。出掛けるぞ」
「はい」
ニコルは元気よく返事をすると、部屋を出て行った。
「なんなのだ。アイツは・・・・・・」
ニコルは一足先に厩舎に着くと青毛の馬に話しかける。
「今日は遠くまで行けるみたいだよ。タンタン」
「なんだ。そのふざけた名前は。馬がかわいそうだ」
「父上からいただいた時、自分の馬に好きな名前を付けていいと言われたの。じゃあ、マカオンのお馬さんの名前は?」
ニコルは口を尖らせる。
「アキレスだ」
「神話かぁ。なんだか普通」
ニコルは一蹴した。
マカオンは「生意気な」と呟くと騎乗する。
「行くぞ」
「あ、待ってよ」
ニコルは慌てて追いかけた。

しばらく馬を走らせると果樹園が広がった。
辺りに芳しい香りが広がっている。
「なんの果物かしら」
「モモだ」
「大好き」
ニコルがはしゃぐ。
「お前の好みなど知らん。ここからは歩きだ」
マカオンは無表情、無感情で馬を降りた。
「ちょっと待って」
ニコルはアキレスの隣にタンタンを繋げてマカオンを追う。
長い脚でスタスタ歩いていくマカオンをニコルは必死で追いかける。
マカオンの背中では項で纏められた長い髪が光を浴びてキラキラと光っていた。
光を纏うマカオンは神話の中から出て来たようで、ニコルは護衛であることを忘れてマカオンから目が離せなくなってしまう。
「おや、若様。お散歩ですか」
モモ園の中から声がして、目をこらすと籠一杯のモモを持った男がいた。
「新人に領内を案内しているところだ」
「おや、そうでしたか」
木々の間からモモ園の主人が出て来た。
ニコルはマカオンに駆け寄る。
「初めまして。マカオン様付きの侍女ニコルです」
「侍女ですか。騎士様かと思いました」
「護衛兼侍女見習いだ」
マカオンはしれっと訂する。
ニコルはムッとするが事実なので訂正できない。
「モモの収穫ってどうやるのですか。教えてください」
ニコルは話題を変える。
「では、やってみますか。簡単ですよ」
「本当に?嬉しい」
ニコルがはしゃぐとモモ園の主人はニコルにも届きそうなモモの下まで案内する。マカオンもニコルに付いて来た。
「モモは果実の全体がピンク色で耳たぶぐらいの柔らかさになると収穫できます。モモが木から自然に落ちると熟した証拠です」
「へぇ。それで甘いのはどうやって見分けるの」
ニコルは話を半分しか聞いていない。その様子をマカオンは可笑しそうに見つめる。
「ピンク色が濃く、このように白い斑点があるものが良いです。これなんか良いですね。モモを包み込むように優しく支えてクイっと持ち上げてください」
モモ園の主人は説明しながら、簡単にモモを採る。
「うわー。面白そう」
ニコルは目の前にあるモモの柔らかさを確かめると、言われたとおりにモモを持ち上げるが、採れない。
「なんで?」
ニコルがモモと格闘していると背後から大きな手がニコルの手を包み込む。
「マカオン」
「ほら、早く採るぞ」
ニコルとマカオンは一緒にモモを持ち上げ、1個のモモを採ることができた。
「やった。ありがとう」
ニコルは袖でモモを磨くとかぶりつく。
「美味しい」
「若様もいかがでしょうか」
「いや、大丈夫だ」
マカオンは無表情で断る。
「じゃあ、これ食べれば」
ニコルは自分がかじったモモを差し出す。
「なんで、お前がかじったモモを食わねばならないのだ。いらん」
「毒味だと思えばいいでしょ」
ニコルとマカオンが1つのモモでキャッキャし始めると、恐る恐るモモ園の主人が提案した。
「後で、お屋敷へお持ちしましょうか」
「あぁ、頼む」
マカオンは無表情で答えるとニコルから奪い取ったモモを、ニコルの口に押しつけた。
「むぐ」
「可愛らしい侍女さんですね」
モモ園の主人が微笑むが、マカオンは無表情のままだ。
「ただの子供だ」
2人のやり取りに聞き耳を立てながらニコルは夢中でモモを食べ終えた。
モモ園の後に訪れたのはブドウ園付きのワイナリーである。
「美味しそう」
ブドウ園を眺めながらニコルがはしゃぐ。
「お前は食べ物ならなんでもいいのだろう」
「そんなことはないわ。美味しいものでないとイヤ」
「同じことだろう」
2人で言い合いをしながら歩くとワイナリーに着く。そこで、ニコルはワイナリーの主と挨拶をして、見学させてもらうことになった。
始めにブドウ園を案内してもらう。
「ブドウは雨に当たると傷むのでこうして、布の袋で覆います」
説明の通り布でブドウが覆われていた。
「どうやって採るの」
「ブドウは房の上から熟すので一番下の粒を味見して収穫します。慣れれば味見しなくても収穫できます。収穫してみますか」
ワイナリーの主が訊くとニコルの目が輝いた。
「もちろん」
ニコルの返事に気を良くした主はハサミを取り出した。
「では、粒に着いている白い粉、果粉といいますが、これが採れないように持って、枝を切らないように茎を切ってください」
「どれがいいの」
「これなんかどうでしょう」
ワイナリーの主が指さした房をニコルは手に取ると、渡されたハサミで慎重に茎を切った。すると、ニコルの手にズッシリとした重みを感じる。
「採れた」
ニコルはマカオンに採ったブドウを見せる。
「良かったな」
感情のこもらないマカオンの声。
「マカオンにはあげないからね」
ニコルはプイッとワイナリーの主に向き直ると、食べていいのか尋ねて許可をもらうと、口に頬ばる。
「美味しい」
ニコルは次々にほおばる。
「面白い侍女さんですね」
主人を差し置いてバクバク食べるニコルを見て、ワイナリーの主が笑う。
「まだ子供なのだ」
無表情で言うマカオンにワイナリーの主は、「後でお届けします」と笑った。
ニコルが一房食べ終わると、ワイナリーへ向かった。
「ブドウを収穫した後、痛みのある粒を取り除いて軸を取り除きます。その後は大きな桶に入れて、ああして足で踏んで果汁を搾ります」
ワイナリーの主が指さす方を見ると、桶の中で女性や子供が何かを踏んでいる。
「わぁ、楽しそう」
ニコルの目が輝く。
「やってみますか」
「本当?いいの?」
ニコルは視線でワイナリーの主とマカオンに許可を求める。
「やらせてもらえ」
マカオンが許可するとニコルは「やった」と両手を挙げて喜ぶ。
大きな桶に来るとニコルは靴を脱ぎズボンを膝上まで捲る。足を洗ってハシゴを登るとブドウを踏み始めた。
「ずっと踏まないと沈むのね」
「えぇ、頑張ってくださいね」
先にブドウを踏んでいた顔に火傷の痕ある女性が教えてくれた。
エランヴェール国内には火傷の跡がある人は多いのでニコルは驚かない。手や足がない人も多くいる。みんな前の大戦で被害にあった者である。
足下が不安定なので、頑張って踏み続けるのは思っている以上に大変だった。
「うわー。足がブドウ色」
桶から出て足を洗ったがニコルの足は紫色になっている。
「数日すれば取れますよ」
「そんなに落ちないの。知らなかったわ」
「良い勉強になったな」
「えぇ、本当に」
ニコルはズボンの裾を直して靴を履いた。
「このワイナリーにはどれくらいの人が働いているの」
「農園を入れて百人前後です。この辺りでは若い男は戦争に取られて、そのまま帰ってきません。男手が足りなくて苦労しています」
「まぁ、それはどこも同じなのね」
ラーンジュ領でも男手は少ない。ただ、負傷軍人をアランがかき集めて来たうえ、各地から孤児を集めて来たので、なんとか工房がやっていけている。
「今一番の問題は跡取りですね。私の息子も戦争で帰ってきませんでしたので」
「まぁ、そうなの」
ニコルはチラッとマカオンを見る。
「そこは、父上達と相談しよう」
ニコルに後押しされるようにマカオンが申し出ると、ワイナリーの主人は安堵した表情になった。
「ありがとうございます。ぜひ、ご相談させてください」
その後、果汁を発酵させる現場や樽に移して寝かせ、瓶詰めなどの工程を説明してもらうと、ワイナリーを後にした。
馬を繋げた場所まで戻るとバスケットを持って見晴らしの良い場所に座る。
昼食用にと侍女に持たされたサンドイッチをマカオンが取った。ニコルはサンドイッチに違和感を覚えた。
「ちょっと待って」
口にしようとするのを大声でニコルは止め、マカオンからサンドイッチをひったくる。
「おい、どうした」
ニコルはサンドイッチを放り投げるとサンドイッチ目掛けて降りてきた鳥が、サンドイッチを食べて死んだ。
「やっぱり、毒物・・・・・・」
青ざめるニコルに対してマカオンは淡々と鳥の死骸をハンカチに包む。
「どこかに葬ってやらないとな」
「そうね」
2人で穴を掘って鳥を葬った。
「ねぇ、帰りに薬師の家に寄りたいの。あの毒を調べてもらわないと」
「構わないが、知り合いなんかいないだろう」
「ううん。ハヤテの知り合いがいるの」
2人は薬師の家を訪ね、サンドイッチを出して鳥が死んだことを伝えると、毒の鑑定を依頼した。
「えぇ、すぐに調べるわ。ちょっと待ってね」
壁一面に薬の瓶が並んでいる。そこからニコルよりも小柄な薬師は、薬瓶を取ろうとすいるが、高いところにある瓶が届かず、四苦八苦する。
「これか」
「あぁ、ありがとうございます」
マカオンが取ってやるのを見てニコルが首を傾げた。
「この前あったハシゴはどうしたの」
「今、修理に出しているの。今日、届くはずなのに。困ったわ」
「どこの修理屋さん?」
「2軒隣にある道具屋だけど」
「じゃあ、私が取りに行ってくる。マカオン行くよ」
ニコルはマカオンの返事を聞かずにマカオンの手を引っ張って行く。
「おい」
マカオンは戸惑いながらもニコルについて行った。
「ねぇ、薬屋さんが頼んだハシゴってできている?」
「はぁ?まだだよ」
道具屋は、やる気のない返事をした。見れば身なりも整えておらず、酒を煽っている。仕事をしているのかも怪しい雰囲気だ。
「ちょっと、今日届ける約束だったでしょ」
「さぁ、どうだったかな。一日くらい延びてもいいだろう。帰れ」
道具屋の返事を聞いたニコルは憤慨する。
「どうしてそんな出来ない約束するの?貴方、子供にもそう教育しているの?」
店内にはヨチヨチ歩きの子供が一人遊びしていた。
「だったらなんだ」
開き直る道具屋にニコルは笑って言った。
「だったら、1日遅れるごとに1割ずつ割引してもらうわ。だって、ハシゴがなくて彼女は商売に支障が出ているのよ。原因を作った貴方にも負担してもらわないと」
「ふざけんな」
道具屋は喚くがニコルは動じない。
「自分が悪いのよ。だいたい、薬師には売れるだけ恩を売っておくべきよ。特に貴方のように子供が居る人はね」
「どういうことだ」
道具屋の代わりにマカオンが訊ねる。
「子供って具合が悪くなるときが重なるの。薬師は早く来た人から順に薬を渡すけど、薬師も人。恩がある人には融通を利かせてくれるわ。早く渡してくれなくても安くしてくれるとかね。そう思わない?」
「なるほど」
マカオンが納得すると、道具屋も「そうだな」と同意する。
「それで、いつできるの?ハシゴができるまでの間に、背の高い人を派遣しないと」
ニコルは「私よく怪我するのよね」と早速、恩を売ろうとする。
マカオンは腕組みをしながら、ニコルの逞しさに苦笑いをした。
「明日の夕方には届ける。アンタばかり得させるわけにはいかねぇ」
道具屋は酒を飲むのをやめて腰を上げた。
「なんだ。残念。じゃあ、よろしく」
ニコルは笑いながら道具屋を出た。
「お前は怪我が多そうだから、ああやって薬師を懐柔しているのか」
「えぇ、お母様の専属薬師に教えてもらったの」
「薬師がそんなこと教えるのか」
マカオンは いぶかしんだ。
「生きる上で必要な知恵でしょ。父様や母様、お兄様、ハヤテに領民、みんないろんなことを教えてくれるわ」
「そうか」
マカオンは自分とは異なる環境で育ったニコルを興味深いと思う。
道具屋から薬師の家に戻ると、ちょうど分析が出来ていた。
「ジキタリスみたいよ」
「ジキタリス」
ジキタリスは茎に鐘状の花を連なるように咲かせる植物だ。色は紫や黄色、白などがあり観賞用として人気がある。
「以前は心臓の薬に用いられていたけれど、毒性が高いから使わないわ」
薬師の話によると胃腸障害、おう吐、下痢、不整脈、頭痛、めまい、重症になると心臓機能が停止して死亡するという。
屋敷に戻ってからマカオンはニコルに訊いた。
「お前、なぜわかった」
「なんとなく?」
「勘か」
「うん。でも、マカオンには毒味係もいるのに誰がやったのかな」
「さぁな。護衛の仕事だろ」
「えー。頭を使うのは苦手。まぁ、いいや。他の人に任せよう。母様も適材適所ってよく言っていたし」
あっけらかんとしているニコルを見て、マカオンは「お前を疑うだけ無駄だな」と呟いた。

◇◇◇
毒入りサンドイッチのこと以外、フリュイ領は平和だった。
ニコルはブドウやモモの収穫、ワイナリーでワインの仕込みを手伝いながらマカオンと平穏に暮らしていた。
フリュイに来て三ヶ月後、ルイが国王の紋章が入った手紙を持って来た。
「何?これ」
ルイから手紙を受け取ったニコルはポカンと封書を見つめる。
「国王からの手紙だ。見ればわかるだろう」
ルイが説明する隣でマカオンは呆れている。
ニコルはマカオンの執務机から勝手にペーパーナイフを取り上げると、封書を開ける。
手紙を読んだニコルは鼻に皺を寄せ、珍しく不機嫌な表情を見せた。
「ルイ様は内容を知っているの?」
「あぁ」
ソファーに座るルイが頷くのを見たニコルは、国王からの手紙をグシャリと握り潰すと 屑籠くずかごに捨てる。
「おい」
マカオンは驚いて屑籠から手紙を拾い上げた。
国王からの手紙を捨てるなど、あってはならないことだ。
マカオンは皺を伸ばしながら内容に目を通した。
王女フランソワーズが何者かに狙われているので、ニコルが囮となって犯人を捕まえて欲しいとのことだった。
「フランソワーズ様は兄上や姉上を亡くしていると説明したが、皆毒殺されたのだ。王族は幼い頃から毒物に耐性をつけているが、フランソワーズ様も何度か毒を盛られている。このままでは女王制にしても後継者がいなくなる」
「だからってなんで私なのよ。イヤよ。絶対にイヤ。」
ルイの説明にニコルが憤慨する。
ニコルの父アランと国王は異母兄弟である。国王が王太子になった時に臣籍降下をして辺境伯になったのである。
つまり、王女とは従姉妹である。しかもニコルは王女と同じ歳。囮にはうってつけだった。
「私以外にも囮になれる人はいるでしょう。私はここの仕事があるから行かない。この仕事から外れろというのなら、街の護衛に戻るわ」
王立騎士団は国王をトップとした騎士団である。上司の命令は絶対だ。
それでもニコルは駄々をこねた。
騎士団には様々な部署がある。
王族の護衛をする部署や城全体の護衛、戦に備える情報収集を行う部隊や戦略部隊、もちろんこの中には他国へのスパイ業務を行う人々も含まれる。
その中でニコルは王都を護る護衛官だった。
「ニコル。これは命令だ」
珍しくルイが大声を出す。
「ルイ様は、私が嫌がる理由を知っているでしょう。どうしてそんな平然と命令ができるの」
「ニコル。これは王命だ。拒否権はない」
ルイは立ち上がってニコルの両肩を掴んで言い聞かせる。
その隣でマカオンが悠々と紅茶を飲みながら呟く。
「従姉妹しかできないことなら、お前がやるしかないだろう」
「ニコル。次にフランソワーズ様が毒を盛られれば、命を落としかねない。フランソワーズ様のお身体はそれぐらい弱っているのだ」
ルイが告げた事実にニコルの気持ちが動いた。
「わかった。でも、マカオンの護衛はどうするの」
「それなら、手配済みだ。心配はいらない」
ルイが胸を張る横でマカオンが溜息を吐く。
「五月蠅いのがいなくなって清々する」
マカオンはニコルとの別れを惜しむどころか素っ気ない。
ニコルは少しがっかりしながら、フリュイ領を旅立つことになった。

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