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第3章 ニコルの哀しみと決意

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フランソワーズとニコルの誕生日は、もうすぐそこまで来ていた。
フランソワーズの誕生パーティーの前日、ニコルはドレスを受け取りにタウンハウスを訪れた。フランソワーズの誕生パーティーは、実質舞踏会である。
ニコルの姿を見て安堵する両親に、ニコルは自分の両親はこの二人だと実感する。
「わぁ、スゴイ」
頼んでおいたドレスを確認したニコルは、自分が想像していた以上の仕上がりに感嘆の声を上げた。
「本当に、このドレスでいいの?」
不安そうなアゲハにニコルは笑って見せる。
「このドレスがいいのよ。大丈夫。念のためだから」
「そうね。何も起こらなければいいのよね」
アゲハは自分を納得させるように言うが、不安の色は消えない。
「大丈夫だ。城の警護も万全にしている。あの時とは違う」
アランがアゲハの肩を抱く。
「あの時って、何?」
ニコルが瞬きをする。
「今の国王が王太子時代の誕生パーティーで、不審者が紛れ込んだのだ」
「えぇ、騎士団は何をしていたの」
「まぁ、人の出入りの激しいパーティーだったからな。それより、ニコルは上手くやっているのか」
アランは話を変えたが、ニコルは気が付かない振りをする。後でハヤテに聞けば良いだけだ。
「大丈夫よ。ハヤテやルイ様、マカオンもいるしね」
ニコルの言葉にアゲハとアランは心配そうな表情を浮かべる。
「そうか。私で力になれることがあれば言いなさい。こう見えても父様は顔が広い。国王陛下にも進言できる」
突然の権力自慢にニコルは吹き出す。
「父様がスゴイ方だっていうのは知っているわ。でも、今は大丈夫」
「母様でもいいのよ、ニコル。貴方は一人で抱え込む癖があるから心配だわ」
国内で女傑と呼ばれているアゲハだが、実像は普通の母親である。
「それは母様でしょう。父様がぼやいているもの。ね、父様」
「そうだな。一人で悩むのは母様の悪い癖だ」
「まぁ、そんなことないわ」
アゲハが怒るとニコルとアランは互いの顔を見て笑い合う。
ほんの一時だが優しい両親の思いに触れたニコルは上機嫌で後宮へ帰った。


フランソワーズの誕生パーティー当日、ニコルは侍女に手伝ってもらって着替えた。ニコルが頼んだドレスは桜色を基調とした着物風ドレスである。襟元は着物と同じ袷になっており、スカート部分はスレンダーライン。袖は着物の袂と同じ形状にし、腰回りには銀色の帯を締めた。
髪は降ろしてアジサイの花飾りがついた櫛を挿した。
「変わったデザインだな」
迎えに来たマカオンは珍しいものを見る目で笑っている。
「マカオンもドレス着れば?エマ様そっくりになると思うわ」
一回転してドレスを見せびらかす。だが、マカオンは急に不機嫌になった。
「俺は準備がある。着替え終わったらルイと一緒に来い」
冷たい表情をニコルに見せるとマカオンは部屋を出て行った。
ルイが慌ててニコルに駆け寄る。
「マカオンにも悩みがあるのね」
ニコルの呟きにルイが無言で頷いた。
ニコルはマカオンの人嫌いの原因がエマにあることを知った。
ルイにエスコートされてパーティー会場へ向かうと、両親と兄夫婦がすでに到着しており友人達と談笑していた。
「遅くなってごめんなさい」
ニコルがその輪に加わる。
「ニコル。綺麗よ」
アゲハが櫛の位置を少し直しながら微笑む。
隣ではアランも笑みを浮かべている。だが、ニコルはアゲハ左手に杖を持っていることが気になった。
「母様大丈夫なの?」
ニコルが視線で杖を指す。
「あぁ、これ。大丈夫よ。念のためだから」
「そう。それならいいのだけど」
アゲハはよく熱を出して寝込んでいた。さらに、熱がなくても脚や腕、手首や指などの関節が痛み、動けなくなることが多くあった。その度にアランが付きっきりで看病していたのを見て育ったので、ニコルは心配になる。
「大丈夫だよ。ニコル」
ニコルの肩を叩いて断言したのは兄アルテューユだった。
「本当に?」
「俺が嘘ついたことあるか」
「ないわ」
「そうだろう」
アルテューユはニコルにニコリと笑って見せる。
「ニコル様」
控え目な声でニコルを読んだのはエマだ。
「マカオンは元気にしているかしら。ニコル様を困らせていないかしら」
「マカオンなら、じゃなかった。マカオン様はお元気ですよ。今日は警備に当たっているので、近くにいると思います」
「そうなの」
夫のアルディ公爵にしっかりと肩を抱かれながらエマは、おっとりと笑う。
エマは幼い頃、事件に遭ってから人の多い所が苦手だと、アゲハに聞いているのでニコルは二人の姿に疑問を感じたことはなかった。今日までは。
だが、エマの事件がマカオンにも影響を与えているのだと思うと、もう少しマカオンのことも気遣ってあげて欲しいと思う。
「今回はニコル様のおかげで息子もいろいろな経験を積めたようだ。ありがとう」
公爵が言うとエマも小さな声で「ありがとう」という。
「いいえ。そんなことはありません」
まだ何も解決していない、とは言えずニコルは曖昧に微笑む。
「それにしても、すごい人ですね」
会場は入りきらない程の貴族が集まっている。
「今日は国王陛下が女王制を認める発言をすると、噂が流れているから貴族は全員出席しているのだろう」
公爵が説明した。
「そう」
「お前は何も聞いていないのか」
アルテューユがニコルに囁く。
「聞いてない」
「そうか」
アルテューユは複雑な表情をする。
それもそうだ。アルテューユにとって人生が決まる一言である。
女王制が認められてフランソワーズが女王になれば、自分は王位継承権一位のままだが、女王制を認めないのであれば次期国王は自分になるのだ。
会場内がざわざわしている中、王族の入場を知らせる音楽が流れた。
国王夫妻に続いてヴェールを被ったフランソワーズが現れ、会場内が再びざわめく。
フランソワーズは襟の詰まった総レースのプリンセスラインにティアードスカートと、ふんわりしたドレスを身に纏っているが、あまりにも細くドレスに埋もれているように見えた。
ニコルの近くで貴族達が口々に「あれがフランソワーズ様」「初めて見たわ」と囁きあっている。ニコルはそこでフランソワーズが、表舞台に出ていなかったことを知った。
パーティーはフランソワーズの誕生を祝う乾杯に始まり、国王夫妻のファーストダンスから舞踏会が始まった。
その後、貴族達が踊り始めるとアルディ公爵夫妻やアルテューユ夫妻も踊りの輪に加わる。しかし、アゲハは脚が悪いので加わらない。
「ニコル、父様と踊って来たら」
アゲハが言う。
「父様と踊る人なんていないわ」
多くが夫婦かパートナーを見つけて踊っている。
「そうね」
アゲハが苦笑するとアランは少し寂しそうな顔をした。
ニコルはマカオンが会場に入って来たのを見つけた。
ニコルは両親に断ると、マカオンに近づいて声をかける。
「あぁ、ちょうどよかった」
「どうかしたの」
「領地で行方をくらました実習生を捕まえた」
「本当に?」
これで一安心だとニコルが顔を綻ばせる。しかし、マカオンは険しい表情を崩さない。
「捕まえた奴は、褒美と引き換えに領地に実習生として潜入して、領主に納める野菜に毒を入れるように指示されただけだと言い張っている。ただ、絵が上手かったから、依頼主の似顔絵を描かせた」
マカオンはポケットから一枚の紙を出した。その絵を見たニコルは「あっ・・・・・・」と、声を上げる。
「知っている奴か」
「この人・・・・・・。お姉様の乳母。確か、トワレよ」
ニコルは信じられない思いでマカオンに伝える。
「やっぱり、そうか」
マカオンはどこかでフランソワーズを疑っていたらしい。
「どういうこと?」
「お前が後宮に入ってからフランソワーズ様が狙われなくなった。それどころか、元気が良くなったと侍女達が証言している」
「・・・・・・」
ニコルは突きつけられた真実を受け止め切れない。
なぜ、王族から葬り去られた自分をフランソワーズが狙うのか、わからない。
そこへバタバタと会場の外が騒々しい。
マカオンが様子を見に行こうとした途端、ルイが飛び込んで来た。
「賊だ。賊が侵入した。全員、奥へ逃げろ」
ルイの声に女性達は悲鳴を上げる。そして、我先にと会場の奥へと逃げ始める。ハイヒールで逃げられないパートナーを置いて逃げる紳士もいれば、酔っ払って足下がおぼつかない者もいる。
そこへ、王立騎士団と甲冑を身に纏った賊がなだれ込んで来た。
ニコルのドレスは着物同様に帯を解けば脱げるようになっている。
「母様」
ニコルはアゲハの元へ駆け寄ると、後ろを向いて帯を解いてもらう。ドレスが脱げるとニコルは、薄手だが丈夫な袖なしのベストと細身のパンツ姿になった。
「父様、母様達をお願い」
ニコルが言うとアランは力強く頷き、腰に携えていたニコルの剣を渡した。
「父様の剣は?」
「大丈夫よ。ニコル」
アゲハは微笑むと、杖の持ち手を上に引く。すると、細身の剣が出て来た。アゲハの杖は仕込み杖だったのである。
「マカオン行くよ」
ニコルは安心して騎士団に合流した。
マカオンとニコルは戦う。
ニコルはキャビネットに飛び乗り、敵の攻撃をジャンプして躱すと大男の頭にドロップキックを見舞う。
ひらりと着地すると、腰を落として敵の懐目掛けて剣を振るう。
小柄なニコルが腰を落とすと、大きな相手も腰を落とす。すると、甲冑を着ていても膝の部分に隙間が出来る。
そこを計算して軍神と呼ばれたアランが特注で作らせているのが刃の薄い剣だ。薄くても切れ味が鋭いこの刃は、滅亡した珠璃国秘伝の刀鍛冶しか作ることができない。
ニコルは敵の鳩尾目掛けて突進しながら、スッと右側に移動する。腰を落としている敵の重心が掛かっている右膝に剣を振る。
斬られた相手は脚が動かなくなって動けない。
だが、大柄な男の剣をまともに剣で受ければ、力の差は明白だ。
ニコルは力負けして剣を落とす。天性の俊敏性で敵の攻撃を躱すと、腰から鞭を取り出す。
ニコルは鞭を使った捕縛を得意とすることから、騎士団の仲間からは「猛獣遣い」と呼ばれている。
ニコルはテーブルに飛び乗り、シャンデリアに鞭を巻き付けると反動をつけて苦戦しているマカオンの相手に、ドロップキックを見舞う。
すると、重さに耐えきれなかったシャンデリアが、ガッシャーンと大きな音を立てて落ちた。
さらに、アルコールがこぼれていた床にシャンデリアの火が燃え移る。
会場内に悲鳴が上がる。
「ニコル危ない」
マカオンに背後から抱き寄せられた。
このままでは火事になると思ったその時バシャン、ガシャンと派手な音が鳴ったかと思うと火が消えて行く。
火の向こうでアゲハとアランが氷の入ったワインクーラーを片っ端からシャンデリア目掛けて投げ入れていたのだ。
敵が油断している間にニコルは片手を床に付き、ヒュンヒュンと鞭をしならせて徹底して足下を狙う。
正面や背後、左右からルイとマカオンが攻撃を仕掛けて敵がニコルから目を離している間に、足下をニコルが狙う。
賊はルイやマカオンに気を取られていると、足下を捕られてしまう。
倒れ込んだ敵にマカオンやルイが死なない程度にとどめを刺す。
こうして連携をしながら賊を片付けた。
賊は次々と騎士団に捕縛される。
ニコルは両親達が無事なことを確認してホッとした。
「お前馬鹿だろう」
ニコルの頭の上から声がして振り返ると、珍しく顔を真っ赤にしたマカオンが仁王立ちしている。
「失礼ね。違うわよ」
怯むことのないニコル。
「はぁ?どこに乱闘騒ぎ中に火事を起こす奴がいるのだ。馬鹿としか思えん」
マカオンが怒鳴る。
「あれは、計算違いだったけど、一気に片付いたのだからいいじゃない」
「今回は運が良かっただけだ。計画性のない戦い方をしていたら、怪我どころでは済まないぞ」
「大丈夫よ、今までだって怪我していないし」
「お前なぁ・・・・・・」
二人が喧嘩をしている間にルイが割って入った。
「おい、王女殿下がいなくなった」
「え?」
「は?」
ニコルとマカオンは顔を見合わせた。
「マカオン行くよ」
「あぁ」
走り出すニコルの後をマカオンは追いかけるようにパーティー会場を出た。

ニコルは直感的に離宮を目指した。
初めてフランソワーズと話したあの部屋には、壁一面に薬の瓶が並んでいた。
嫌な想像が頭を支配して、胸が不安でいっぱいになる。
「どこかに居るのか判っているのか」
「たぶん」
ニコルの曖昧な答えにマカオンは文句も言わずに付いて来た。
賊の侵入騒ぎでパーティー会場に警護が集中しているせいか、離宮まで誰にも会わなかった。
当然のように離宮の前にいるはずの護衛もいない。
ニコルは扉を開ける。
「お姉様、お姉様、居ないの」
ニコルはフランソワーズを呼びながら以前、通された部屋へ向かう。
「なんだ、この匂い」
マカオは袖で鼻を塞ぐ。
ニコルは幼い頃から、アゲハに薬を調合する薬師の手伝いをしていたので気にならないが、薬に縁のないマカオンの鼻にはきついらしい。
「お姉様、居ないの」
ニコルが前に通された部屋の扉を開けると、真っ青なフランソワーズとトワレが立っていた。
「お姉様」
ニコルが駆け寄ろうとすると、トワレがフランソワーズを庇うように立ち塞がる。
「近寄るな。忌み子」
憎悪に満ちた目でニコルを睨み、短刀を向ける。
「ニコル。下がれ」
危険を察知したマカオンがニコルに命じると剣を抜く。
だが、ニコルは動けなかった。
これが、王族が自分に向ける真実の目。
穏やかに迎えてくれた姉や国王、王妃だったが、本当は自分をこんな風に見ているのだと思い知らされた気がした。
「ニコル、下がれ」
マカオンはもう一度命じるがニコルは動かない。「チッ」と舌打ちをするとニコルの身体を抱き寄せ、自分の背後へ隠す。
「お前か。領地にスパイを送り込んだのは」
「間抜けな領主。今頃、判ったの」
「コイツを狙う理由はなんだ。何もなければフランソワーズ様が女王になる。国王陛下が女王制を決断しなくても、王女様なら隣国へ輿入れできる。コイツを狙う理由がわからないな」
マカオンはルイやハヤテ達とフランソワーズがニコルを狙う理由を探った。だが、今でもその理由は不明のままだ。
「どきなさい」
トワレの後ろから細いが否を許さない声がした。
誰だか判らず、ニコルはマカオンの後ろから出て隣に並ぶ。
「どけ、と言っている。聞こえないのか」
「申し訳ございません」
トワレが深々と頭を下げて退くと、フランソワーズが一歩前に出た。
「忌み子のニコルが生きているから、殺そうとした。ただ、それだけよ」
フランソワーズの言葉がニコルの心を抉る。
「迷信だ。そんなこともわからないのか」
マカオンがニコルを庇うように言うがフランソワーズは、馬鹿を見るような目でマカオンを見つめると、溜息を吐く。
「兄上といい姉上といい、どうして馬鹿ばかりなのかしら。いいわ。マカオンといったわね。貴方も殺してあげる。頭の悪い家臣など必要ないもの」
フランソワーズはトワレから短刀を取り上げると、握りしめる。
「俺もということは、兄上や姉上も殺したというのか」
ニコルは恐ろしい事実に両手で口を押さえた。そうしないと、悲鳴を上げてしまいそうだった。
「そうよ」
まるで「何が悪いの?」とでも言いたげな表情でフランソワーズは、あっさりと認めた。
「兄上と姉上が邪魔をするからいけないのよ。父上は兄上達を男だという理由だけで視察に連れて行き、剣の稽古をつけたわ。母上は姉上達が私より早く産まれたというだけで、輿入れの時に持って来たドレスや宝石をあげた。似合いもしないのに」
フランソワーズは不満を並べる。しかし、ニコルはフランソワーズが、どうしてこんな時に不満を言っているのか理解できない。
「まさか、それだけの理由で殺したのか・・・・・・」
マカオンの恐ろしい推理に、ニコルはマカオンの顔を見る。
「そうよ」
「そんな・・・・・・」
ニコルが思わず声に出すとフランソワーズが、恐ろしい顔でニコルを見た。
「邪魔な兄や姉が居なくなれば、父上や母上は私を見てくれると思った。それなのに、お前が生きているから・・・・・・。いつも父上や母上は私の中にお前を見ていた。私が目の前に居るのに。だから、私は薬を飲んだの。そうしたら、父上と母上は付きっきりで看病してくれたわ。でも、元気になるとすぐに私のことなど見てくれない。帰ってくるわけもない兄上や姉上、お前のことばかり考えて。だから、私はまた薬を飲んだ。その繰り返し・・・・・・」
フランソワーズは両親に愛されたかった。いや、愛されていると実感したかったのだ。
それに比べてニコルは、アランやアゲハ、アルテューユ、ハヤテ達使用人、領民に囲まれて幸せだったと感じた。自分は孤独だと思っていたが、ただの思い上がりだったのだ。
「じゃあ、病弱なのは薬の乱用が原因か。くだらない」
マカオンが切り捨てる。
「くだらないですって。何も知らないくせに。私が女王に決まる時になって、急に辺境地から現れた山猿が。自分は元気だとアピールして、私から女王の座を奪いに来たのでしょう。許さない」
フランソワーズはニコル目掛けて突進してくる。しかし、あっさりとマカオンに腕を捻りあげられ、ニコルが短刀を奪い取った。
だが、その隙にトワレが薬品を部屋に撒くと火を放った。
「また、火事かよ」
マカオンは思わずフランソワーズを離す。
「退避。全員退避だ」
ニコルの腕を掴んで外へ出る。
「お姉様」
ニコルはフランソワーズに向かって叫ぶ。だが、フランソワーズはニコルを瞥すると火の中に消えて行った。
「離して。お姉様が」
ニコルがフランソワーズの元へ行こうとすると、マカオンがニコルを樽のように肩に担いで外へ出た。
「ニコル、マカオン無事か」
肩でバタバタ暴れるニコルを担いで離宮を出るとルイと会った。
「あぁ、だが王女と乳母が火の中だ」
「火事?おい、火事だ。水を持って来い」
ルイはマカオンの短い報告から状況を把握すると、騎士達に命令をした。
「お姉様・・・・・・」
マカオンの肩から降ろされたニコルは、フランソワーズの犯した罪の重さと抱えていた孤独を思って咽び泣く。
マカオンは黙ってニコルの背中をさすっていた。

◇◇◇
フランソワーズの死は表向き、過失として処理された。
だが、離宮の火災現場にいた者から「ニコルとフランソワーズが姉妹らしい」「ニコルは忌み子ではないか」という噂がどこからともなく流布し始めた。一方で「ニコルが後継者になるのではないか」という話がまことしやかに囁かれている。
フランソワーズの死から数日後、ニコルとアラン、アゲハの3人は国王の私室に呼ばれ、マカオンはニコルの警護として同席した。
「ニコルを引き取りたい」
国王の一言にニコルは耳を疑う。それは、アランとアゲハも同じだったのか、2人は困惑の表情で顔を見合わせる。
「なぜ、今になってニコルを引き取りたいと言うのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
アランは国王の実兄だが臣籍降下しているので言葉は丁寧だが、目付きは軍神と呼ばれていた時代を彷彿されるような鋭さを見せた。
「もう、我々には子供が残っていない。後継者として・・・・・・」
国王が最後まで言う前に「パシン」という音が響き渡る。
アゲハは立ち上がると国王の頬を平手打ちしたのだ。
「ふざけないでください。ニコルは私の子です。お腹を痛めて産んだ子ではないですが、今ではお腹を痛めて産んだ気さえしています。そんな大切な子をモノのように、あげることなどできません。不敬罪で投獄したければ、今すぐ連れて行きなさい」
アゲハは肩で息をしながら啖呵を切る。すると王妃がソファーから滑り落ちるように床に座り込むと頭を下げる。
「ごめんなさい。アゲハ様。私が悪いのよ。忌み子という迷信に惑わされてニコルを手放したせいで、フランソワーズとちゃんと向き合えなかった。それが、あの子を狂わせたのよ」
王妃は嗚咽混じりにアゲハに謝罪した。
「王妃だけが悪いわけではない。私も同じだ」
国王は妻の肩を抱いてソファーに座らせた
アゲハは怒りが治まらないのか片手を握りしめて立ち尽くしている。すると、アランが静かに立ち上がってアゲハを座らせた。
「陛下。貴方は国王として立派に務めを果たしている。だが、父親としては失格だ。フランソワーズが、なぜ兄姉を殺したのか。なぜ死んだのか。もう一度、考えてみるといい」
アランは兄の顔で国王を諭した。
「兄上」
国王の仮面を外した弟は今にも泣きそうな顔でアランを見つめた。
「貴族の間に流れた噂や、後継者のことは一緒に考えよう」
アランの説得に国王は頷いた。
ニコルは肩を落とした国王の姿に胸が痛んだ。
フランソワーズを死なせてしまったうえ、貴族達に自分の存在が明るみになった。その原因になった自分が後始末もせず、逃げるように安全な場所に帰る自分が卑怯者に思えたのである。
それに、ニコルは知っていた。フランソワーズの悪事を知っている者達から、国王が退位を求められていることを。
本当にこのままでいいのか。
ニコルは後ろ髪を引かれる思いで王城を去った。

◇◇◇
「なんでマカオンが居るの」
「知るか」
辺境地ラーンジュ領に着いてから数日。ニコルとアゲハは何度もこのやり取りを繰り返していた。
フランソワーズの妹ではないか、と疑惑のあるニコルは騎士団を退団して実家のあるラーンジュ領へ戻ることになり、マカオンとも別れることになるはずだった。
しかし、マカオンはルイからニコルの護衛を続けるように命令されたばかりか、父のアルディ公爵からもフリュイ領主として勉強してくるように言われ、渋々ラーンジュ領へ同行することになったのである。
マカオンは顔には出さないが、ラーンジュ領へ行けるのを楽しみにしていた。
前の大戦で滅亡した珠璃国の領土は、エランヴェール国と戦争を仕掛けたレジン国で分けることになり、エランヴェール国の領土となった地はラーンジュ領と名前を変えた。ラーンジュ領は珠璃王族の生き残りであるアゲハが中心となって珠璃国秘伝の方法で染めた織物で土地を潤して復興を果たした。さらに、子供達が手に職を付けて生きていける為の学校教育を確立し、今ではエランヴェール全土にその教育方法が広まっている。さらには、国の一大事業としてローリエ王国やレジン国への留学を可能にするまでに発展させたのである。
戦争で壊滅状態だった土地を十数年で復興させたうえ、今ではダイヤモンド一粒と同等の価値を持つ布地をどのように生み出したのか、フリュイの次期領主としてマカオンは興味があった。
何より、マカオンという名前の由来になったアゲハにも興味がある。
養女であるニコルを、「腹を痛めて産んだ気がする」と言って国王に啖呵を切る母親。それは、マカオンが求めていた母親像に重なった。
正直、ニコルを羨ましいと思った。
もし、国王がマカオンを欲しいと言ったら母のエマはどうするだろう。
あっさり手放すに違いない。見たくない存在を遠くにやる機会だ。
そこまで考えてマカオンは、くだらないと嘲笑した。
ラーンジュでマカオンは、ニコル達家族が暮らす屋敷に滞在している。
アゲハが気を遣って、昔エマが使っていた部屋を貸してくれたが、エマが住んでいたのは二十数年前であり、マカオンにはなんの感慨もない。
だが、王城を模した華美な造りを好む貴族が多い中、屋敷は機能性を重視した質素な造りで先日まで目がチカチカするような王城に居たのでかえって居心地が良かった。
ニコルといえば、幼馴染みの領民に会いに行っては仕事を手伝っているようで、着いてからすぐ領内を案内して以来、あまり話す機会がなかった。
護衛なのだから付きっきりでいなければならないのだが、ニコルはいつもハヤテと一緒に行動しており、ラーンジュ領内には国境警備軍の待機所がいくつもある。非常事態に新参者のマカオンが右往左往するより、領内を熟知しているハヤテの方が安心という考えもあった。
だが、領地に戻ったニコルの様子がおかしい。
いつもあっけらかんとしているニコルが、無理して笑っているように見えるのだ。
そもそも、ニコルは性格的に隠し事が苦手なことをマカオンは知っている。
「おい、暇なら海に連れて行けよ」
染色工房でアルテューユの手伝いをしていたマカオンは、ちょうど外から戻って来たニコルを見つけ、遠出に誘った。
「海。あぁ、夕日が沈むところ見せる約束していたのよね。いいわよ」
先日、領内を案内してくれた時は昼間の海だった。フリュイ領には海がない。王都からも海は見えないので、マカオンは生まれて初めて海を見た。そんなマカオンに、ニコルは「夕日が沈む所が綺麗だから、一緒に見よう」と約束していたのである。

領地の南にある海辺に着くと、周囲は朱色に染まり始めていた。
「お前、最近無理して笑っているだろう」
浜辺を歩くニコルにマカオンは後ろから声を掛ける。
「そんなことない」
ニコルは前を向いたまま強がる。
「嘘つけ。身内があんな死に方して平気でいられる奴じゃないだろう。無理するな」
マカオンはニコルの肩を捕まえると、強引に自分の方を向かせる。案の定、ニコルの目には涙が盛り上がっていた。
「やっぱり私は忌み子だったのよ。私が生きていたから、お姉様があんなことになったのよ」
「それは違う。フランソワーズのことは環境や両親に問題があったのだ。お前のせいではない。だいたい、お前にはあんなに大事に思ってくれる家族がいるじゃないか。それのどこが忌み子なのだ」
ニコルはマカオンが手を伸ばしても届かないものを持っている。もっと胸を張って生きればいいのだ。
しかし、ニコルは首を振った。
「何度もそう思ったわ。でも、お姉様が言うのよ。毎晩。お前のせいで私は死んだと・・・・・・」
ニコルは泣きながらしゃがみ込む。
「ただの夢だ。忘れてしまえ」
ニコルの思い込みが見せている幻影にすぎない。だが、理屈で分かっていてもどうしようものないのが夢だ。
「もう眠るのが恐い」
今まで一度もこんなことはなかった。弱音を吐くニコルにマカオンの胸が痛む。
「忌み子なんてただの迷信だ。王族なら兄弟で後継者争いが起きる。ここの辺境伯だって本来は一代限りで、他の貴族のように世襲できないようになっているのは過去の後継者争いが原因だってことぐらい、お前も知っているだろう。第一、お前は自分が忌み子だと知っても前向きに生きてきたのではないか。今の状況だって乗り越えられる。お前なら大丈夫だ」
マカオンはニコルの肩を両手で掴んで力説する。
「ありがとう」
鼻声のニコルがいつもの笑顔を見せた。
「お前、不細工だな」
「酷い。マカオンのこと見直したのに。損した」
ニコルがふくれ面をすると、マカオンが大笑いをする。
「もう、知らない」
ニコルはそっぽを向くと、マカオンは「悪かった。悪かった」と笑いながらニコルの頭を撫でた。
その日から、夕暮れ頃になるとニコルとマカオンが海まで馬を走らせる姿が度々目撃されるようになる。そんな2人の姿を、辺境伯夫妻を含む領民は温かく見守っていた。

ある日、マカオンが国境警備軍の訓練から帰宅すると領主館の玄関ホールでアゲハに出迎えられた。
「マカオン、お帰りなさい」
アゲハもアランもマカオンを家族のように接してくれる。だが、今までそのような状況になかったマカオンは少し気恥ずかしい。
「ただいま戻りました」
呟くように言って頭を下げる。
アゲハはくすくす笑いながら「サロンで一休みしましょう」と部屋へ案内した。
マカオンは午前中だけ国境警備軍の訓練に参加している。訓練で鍛えることはもちろんだが、国境警備軍は午前中の練習後、全隊員で温泉に入る習慣がある。最初は他人と風呂、それも露天風呂に入ることに抵抗があったが、慣れて来た今では訓練よりも温泉が目当てになっていた。
エランヴェール国内でも温泉は数カ所しかない。マカオンは生まれて初めて温泉に入り、心地よさに病みつきになってしまったのである。
温泉は男性と女性で別れているが、午前中は掃除も兼ねて両方の温泉を国境警備軍が占領している。そのため、領民は午後からしか使えない。しかも、国境警備軍の人間も仕事や訓練後に入るため混雑しやすい。
温泉を楽しむのであれば午前中が良いのである。しかも、国の最南端にある、領地の温暖な気候は帰りの道中で馬に乗っている間に、マカオンの長い髪を乾かしてしまう。
おまけに領民は勤勉だが気さくで親切。
滞在してまだ二週間も経っていないが、マカオンはラーンジュ領の魅力に惹かれ始めていた。
その魅力的な領地を創ったのが前の前にいる人物なのだが。
アゲハはマカオンが思っていたイメージと違った。
我が国に舞い降りた妖精と謳われる希少なストロベリーブロンズを持つ王妃や、社交界に現れた天使と称えられるエマのような美女ではない。
黒髪に黒目、肌は透き通るように白いが華やかさがない。
しかし、アゲハからは国王を平手打ちした時や家族や使用人達と仕事の話をしている時に、内面から湧き上がるエネルギーを感じた。そのエネルギーとは、芯の強さや生きる力のようなものである。
恐らく、この力にアランやエマが惹かれたのだとマカオンは推察していた。
「疲れているのにごめんなさい。訓練はどうでしたか」
「いいえ。警備軍の方々が仲間のように接してくださるので楽しいです」
マカオンの父、アルディ公爵は以前国境警備軍の副将だった。国境警備軍の将軍は代々辺境伯が務めるため、国境警備軍のトップは副将になる。
今回、マカオンの願いを聞き入れた現将軍のアランが特別扱いをするなと言ってくれたおかげで、特別扱いされることなく新人として扱ってくれる。
今まで引きこもり領主をしていたマカオンには正直キツイ。だが、ニコルの腕前を見た後だけに音を上げる訳にいかない。
「この度は、当家の子達が迷惑をかけて申し訳ございません」
突然、アゲハに頭を下げられてマカオンは慌てた。
「いいえ。とんでもございません」
「マカオンには迷惑でしょうけど、ニコルを預けたのが貴方で良かったと思っているのよ」
「・・・・・・」
マカオンはどう答えていいのか分からず無言になってしまった。アゲハは、マカオンの態度を気にする様子もなく、恥ずかしそうに口を開く。
「ニコルは、その、少し変わっているでしょう。私達が伸び伸び育てたせいで、少しお転婆になってしまって」
「・・・・・・」
マカオンは心の中で「いやいや、少しじゃないだろう」と、突っ込むが、顔に出さないでおく。
「ニコルの出自はご存知かしら」
「はい。本人から聞きました」
「酷い話でしょう。ニコルを引き取った時、アルテューユと同じように育てようと思ったのよ。でも、心のどこかで不憫だと思っていたのね。甘やかしすぎたのよ。でも、あのパーティーでの大捕物が終わった後、貴方が真剣にニコルを叱ってくれているのを見て、とても安心したの」
穏やかに微笑まれてマカオンは焦った。
あの時は興奮していて周りが見えていなかったが、互いの両親の前だったのだ。
「申し訳ございません。出過ぎた真似をしました」
「そんなことないわ。貴方がニコルを心から大切に思ってくれている証拠でしょう。どうでもいいと思っている人なら、あんなふうに怒らないわ」
「・・・・・・」
マカオンは真っ赤になって俯いた。
「エマも驚いていたわ」
思いがけない名前に顔を上げる。母が自分に関心を持っているとは思わなかった。
「母が、ですか」
「えぇ。貴方が感情を出したところを初めて見たと言っていたわ。でも私は、マカオンは元々感情豊かな性格だと思うの。そうねぇ、お父様の公爵様に似ているのかしら」
「そうでしょうか。初めて言われました」
マカオンは、何を考えているのかわからないとか、母親に似ていると言われることが良くある。だが、アゲハはマカオンの両親が少年少女だった頃から知っている。そんな人から見れば、あの頃の父と自分が重なるのかも知れないと思う。
「アルテューユもマカオンなら信頼できると言っているわ。だから、ニコルを預けることを承知したの」
両親を昔から知っているから、という理由だけで預けるにはいかない。ニコルは国王夫妻の、ひいては国の大きな秘密だ。それを絶縁状態のマカオンが利用して、両親を裏切る可能性だって考えられる。
「そうでしたか」
マカオンは、アゲハがアルディ家の内情を知っていると確信した。だから、アルテューユを信じてニコルを自分に託したのだろう。
アルテューユはマカオンから見ても人を見る目があり、人を使うのが上手い。パブリックスクール時代から、叶うなら両親の後を継いでラーンジュ領を盛り立てたいと言って、珠璃国の文化や歴史、デザインを勉強するような誠実と真面目を絵に描いたような性格である。
「これから、あの子達がどうなるかわからないけど、仲良くしてあげてくださいね」
母親の表情のアゲハにマカオンは力強く頷いて見せる。
「もちろんです」
アルディ家の内情に触れられなくて良かったと安堵しながら、マカオンはサロンを出た。
幼い頃から名前の由来になったアゲハと会うことを恐れていた。きっと自分には超えられないような人物だと信じて。
実際に話をして判ったことは、やはり自分には超えられない人だったということ。
そもそも、あのニコルを育てた人なのだ。超えられるわけがない。
マカオンは嘲笑しながら自室へ戻った。

「母様って人たらしって言われているの。知っている?」
マカオンは先日2人で話してしたのを知って言っているのか、とギクリとする。
「あぁ」
いつもの浜辺でニコルとマカオンは夕焼けを眺めていた。最近のニコルは元気の良さを取り戻していた。
「器用ではないけど、愚直なところが刺さるのかしらね」
ニコルが言わんとしていることを、マカオンは理解していた。
不器用ながら真っ直ぐに人と向き合うところや、他人と寄り添う深い愛情、生きる力の強さに人々は惹かれるのだろう。
「貴族にはいないタイプだな」
答えながら本物の人たらしは、ニコルのことだとマカオンは思う。
「そうね。母様がああいう人でなかったら私も兄様もいないわ」
「お前の両親は、許嫁だったのだろう」
王都で流布しているヴェルミリオン辺境伯夫妻をモデルにした演劇では、許嫁の2人が戦争で引き裂かれ、様々な困難を乗り越えて巡り会い結ばれたという話だ。
「そうだけど。王城で幽閉されていた父様は、死に場所を求めて戦争に行ったのよ」
「ふうん」
マカオンは、アランの母は身分が低く、現国王の母に疎まれていたと聞いたことがあるのを思い出した。そして、双子ではなくても王位継承争いはあることを再確認する。ニコルの忌み子は迷信であるとも。
「だから、死ぬつもりで戦っていたら軍神と呼ばれるようになったって、笑っていたわ」
「・・・・・・」
マカオンにはアランの気持ちが分かるような気がした。
もし、戦争が起きたていたら迷わず志願して最前線で戦っていただろう。アルディ公爵家には自分しか後継者がいないが、そんなことはたいした問題ではない。現在はエマの後ろにいるレジン国王が怖くて名乗り出ないだけで、自分がいなくなれば、強欲な遠縁が継ぎたいというはずだ。
「戦争が終わって死んだと思っていた母様が生きていると判って、この辺境地に来て孤軍奮闘する母様を見ていたら考えが変わったの」
「そうか」
その気持ちもマカオンには理解できる。
マカオンもニコルに出会って毎日が楽しいと思えるようになった。ニコルが居なかったら王城にも行かず、ラーンジュ領にも来なかっただろう。ニコルがいるなら行ってもいいと思った。だから、危険だと承知のうえで王城に行き、ラーンジュ領にも来た。
本来ニコルが育つはずだった王城や実際に育ったラーンジュ領を、この目で見たいと心の隅で思っていたからだ。
実際、このラーンジュ領でニコルは伸び伸びと生活をし、マカオンの想像以上に領民や家族から大事にされていた。
「前から聞きたかったのだが、なぜ騎士になった。反対されなかったのか」
騎士が危険な仕事だと知っている両親や、いつも付いて歩くハヤテなら止めるはずだ。
「面白そうだし、向いていると思ったから」
「面白そうって、危険な仕事なのは知っていただろう」
あっけらかんとしたニコルらしい理由に、マカオンは呆れる。
「だって、後宮のお姉様方みたいに刺繍や読書、お茶会は苦手だし。嫁ぐまで大人しくするなんて無理。でも、機織(はたおり)とか染色もできない。だったら、得意な剣術や馬術を活かせる騎士になろうと思ったの。でも国境警備軍は男しか入れないから、女性騎士団がある王都に行ったのよ」
「まぁ、お前に刺繍とか機織が無理なのはわかる。でも、危険な仕事だ。反対されただろう」
ラーンジュの仕事は繊細な仕事が多い。男性も多く働いており、アルテューユの手伝いで染色の仕事を手伝ったが、マカオンは自分には向いていないと思った。
だから、自分以上に飛び回っているのが好きなニコルが、自分には無理だというのは理解できた。
「私には好きなことをやって欲しいって母様が言ったの。それにね、父様も母様も戦争や様々な事情で好きなことができなかったの。だから、私や兄様には好きなことを見つけて欲しいって子供の頃から言っていたわ。だから、心配はしていたけど、信じて王都へ送り出してくれたの」
「そうだったのか」
確かに、アゲハなら子供のことを信じて王都へ送り出すだろうと、マカオンは考えた。自分の長い付き合いよりも、アルテューユの人を見る目を信じてニコルを任せた人だ。
それに、戦争で運命を狂わされたからこそ、好きな道を歩かせたいと願う気持ちも嘘ではないだろう。
そう、自分の母エマも戦争によって運命を狂わされた一人だ。戦争がなければレジン国の王女として優雅に暮らせたのだ。それなのに、人攫いに遭い酷い心の傷をおわされ、今でも苦しみ続けている。
「・・・・・・。難しいな」
「え?」
思わず心の声を漏らしたマカオンは誤魔化すように寝転がって目を閉じる。
戦争が原因、エマに落ち度のないことだと頭で理解していても心がついていかない。
「ちょっとこんな所で寝ないでよ」
「寝てない」
マカオンが目を開けるとニコルの顔が目の前にあった。マカオンは片手でニコルの後頭部を押さえつける。
「「えっ・・・・・・」
マカオンは首を伸ばして驚くニコルの唇に口づけると、手を離した。そして、ニコルに背を向けるように身体を反転させて起き上がる。
「そろそろ戻るぞ。みんな心配する」
マカオンはニコルに背を向けて服についた砂を払う。
「・・・・・・。うん」
ニコルは顔を真っ赤にしながら頷いた。

◇◇◇
アゲハが危惧していた通り、王位継承権に言及した国王からの手紙が辺境伯夫妻の元に届けられた。届けたのは、国王の側近であるマカオンの父、アルディ公爵だった。
手紙の内容は現行のままアルテューユを王位継承権一位、マカオンを王位継承権第二位として、時期を見てアルテューユに王位を譲りたいという内容だった。
「フランソワーズの死因を知る者により、国王は王位を維持することが厳しいということか」
アランは弟を思ってか辛そうな表情をする。隣ではアゲハも同じ表情をしていた。
「はい。しかし、ここに記されている内容と陛下のお気持ちは違うと思います」
「どういうことだ」
アランの問いにアルディ公爵はニコルをチラリと見、アランとアゲハに向き直る。
「陛下はニコル様に継いでいただきたいと、お考えではないかと思うのです」
その場にいた全員がニコルを見る。
「・・・・・」
思いがけない指名に、ニコルは声も出せず目を白黒させる。
ニコルの隣にいたマカオンは額に手を当て、笑いを噛み殺す。
「まぁ、陛下の気持ちはわりますが難しいでしょう。ニコルの存在が明るみに出て来ていると言っても噂レベルです。ニコルの見た目は父様にも陛下にも似ている。どちらが父親か判別できないのではありませんか」
アルテューユは腕組みをして考える。
血筋で言えば現国王の子であるニコル、国王の兄である父を持つアルテューユも相応しい。
しかし、ニコルには忌み子という迷信が付き纏っているうえ、淑女には程遠く帝王学も身についていない。
「それから、国王の側近からは一度王位をアラン様に譲って、辺境伯夫妻に国を治めてもらう案が出ています」
「俺は王位継承権を放棄した。それはできない」
アルディ公爵が伝えた内容をアランは否定した。だが、アルディ公爵は粘る。
「アラン様の仰る通りです。ですから、ニコル様に王位を継いでもらい、女王にふさわしい政治的手腕を持つまで辺境伯夫妻が後見人としてニコル様を支えていただきたいというのが我々の真意です」
アランは渋い表情をする。
「その側近というのは珠璃人ですか」
今まで黙っていたアゲハが口を開いた。
「いいえ。違います。ですが、木工細工や織物が盛んな領地の貴族が含まれています」
「木工細工というと指物さしものかしら。織物は元々エランヴェール国でも盛んだったと思うけれど、違うのね」
独り言のように呟くアゲハにアルディ公爵は無言で頷いた。
「珠璃人によって領地が栄えた領主達が、自分達の功績でアゲハを王妃にすることで領民達をコントロールしやすくしたい、威厳を保ちたいのだろう」
浅はかな、とアランが苛立った。アゲハを利用する貴族達が許せないようだ。
「とにかく俺は王にも後見人にもならない」
アランが断言するとアゲハも頷いた。
「私もアラン様と同じ気持ちです。私が後見人になれば珠璃人達が私を旗印に反乱を起こすかも知れません。私は今まで同様に辺境地で穏やかに過ごします」
アゲハは凜とした表情でアルディ公爵に告げた。
「かしこまりました。陛下にはお2人の言葉をお伝えします」
アルディ公爵は当てが外れたとばかりに項垂れた。
「そうなるとアルテューユ、お前はどうしたい」
アランの問いにアルテューユはビクッと肩を震わせ、自分の妻と顔を見合わせる。
「私は、自分の役割を果たすだけです。こういう日が来るとわかって父様と母様が様々なことを学ばせてくれたのですから」
少し迷いのある目をするアルテューユをニコルは複雑な思いで見つめた。
アルテューユが両親に憧れて幼い頃から珠璃国や珠璃の文化を学んでいたのをニコルは知っている。ニコルが苦手な糸紡ぎや機織を兄は器用にこなす。染色に至ってはアルテューユなくして染色工房は成り立たない程である。アルテューユは国内外の植物や鉱石を使って新しい色を生み出す「色の魔術師」と呼ばれ、王都でも有名である。
そのアルテューユを国王に据えることはラーンジュ領、ひいては国の損失になるのではないかと思う。
それだけに、アランとアゲハは悩んでいるようだった。
「まぁ、国王の退位を望んでいるのは一部の貴族だけです。もう少し考える時間はあります」
アルディ公爵は頭を抱える恩人夫妻を励ますように言葉を掛ける。
「そうだな。今すぐアルテューユに王になれ、と言ってきているわけではない。ただ、その日が近い、ということだ。それまでに覚悟を決めておかなければならない。いいな」
アランはアルテューユに言う、というよりもアラン自身を含めたこの場にいる人間すべてに言い聞かせるように言った。
マカオンは自分も覚悟しなければならない、と考えながら隣で無表情で考え込むニコルを心配していた。

その夜、なんとなく眠れずにいたマカオンは外で素振りの音がすることに気が付いた。
「お前、こんな夜中に何やっているのだ。危ないだろう」
ランタンで庭を照らすと、素振りをするニコルを見つけた。
「大丈夫よ」
相変わらずの楽天ぶりである。
この屋敷には王城のように囲いがない。そのうえ、護衛も少なく入って来ようと思えば誰でも入り込める。
「眠れないのか」
ニコルに何を言っても無駄だと学習したマカオンは、夜中の素振りを咎めなかった。
「うん。ちょっと考え事していて」
「お前が、考え事・・・・・・」
ニコルには似合わないなと、マカオンはニヤニヤする。
「失礼ね。私だって考え事くらいするわ」
「それで、何を考えていた」
ニコルは素振りをしていた剣を持ってマカオンをテラスに促した。
「ねぇ、もし私が女王になるって言ったら、どうなるのかしら」
「さあな」
マカオンの予想通りだった。ニコルが何か考えていると気が付いた時から、女王になることを悩んでいると疑っていたのである。
「驚かないのね」
「ずっと一緒に居ればわかる。でも、それでいいのか」
王城には良い感情も思い出もないはずだ。
「良いとか悪いではなくて。それが、のこされた私の役目だと思う。その役目を兄様に押しつけるのは違うと思ったの」
「役割か」
アルテューユも言っていた言葉だ。辺境伯の家では良く使う言葉なのかも知れない。
だが、貴族の家に生まれれば大なり小なり役割がある。
マカオンは自分に問いかける。
大叔母に前国王の妃を持つアルディ公爵家に生まれ、母のことはともかく何不自由なく育って来た。しかし、一方で社交が苦手だと言って領地へ逃げたものの領主の仕事は中途半端。王都でも騎士見習いとして何もできなかった。
それを、すべて母のせいにしているのではないか。
これでは図体だけ大きい子供である。ニコルの方がずっと周囲が見えているのではないか。
「国王夫妻のことは憎くないのか」
ニコルは「ウーン」と天を仰ぐ。
それからマカオンを真っ直ぐに見つめる。
「憎いとか憎くないとかではないの。ただ、みんなを護りたい。領地に戻って来て思ったの。みんなの暮らしを護りたいって。兄様や義姉様は領地に必要な人よ。2人はきっと辺境伯を継げなくても、爵位を返上してでも領地に残るし、領民は2人を歓迎すると思う」
「それでは、新しい辺境伯と対立するだろう」
「だから、私が女王になって兄様を辺境伯に指名するの。辺境伯は国王しか指名できないのでしょう」
「まぁ、そうだな。って、そのためだけに女王になるのか」
マカオンは馬鹿じゃないのかと、ニコルを見る。だが、ニコルは真剣だ。
「違うわ。私はみんなを護りたいの。それにね、父様や母様のような経験をする人をなくしたい。戦争で人生を狂わせるようなことはあってはならないのよ。まぁ、私一人ではどうにもならないと思うけれど」
ニコルの想いはマカオンにも理解できる。マカオンも戦争被害者の一人だ。
「気持ちはわかるが、国を背負うということは思いつきでできることではない。後宮の女達以上に不自由を強いられるぞ」
マカオンの真剣な忠告を聞きながら、ニコルは手をパンと叩いた。
「そうそう、後宮のお姉様達にね、私の教育係をしてもらおうと思うの。アデール様に刺繍を習って、ジル様に社交術と貴族の情報を教えてもらって、レナータ様に王女としてのマナーや教養。ね、いい案でしょ」
「お前、真面目に聞け」
「聞いているわ。でもね。私の決意は思いつきじゃないの。本気。だから、私は私の役目を果たすわ」
キラキラと明け方の朱に染まるニコルのプラチナブロンドが、不思議とマカオンの胸を締め付けた。
朝食時に自らの決意を語ったニコルに、辺境伯家は上を下への騒ぎとなった。
みんなの動揺を一人、別世界のように眺めていたマカオン静かに部屋を出た。
その後、マカオンがニコルの前に現れることはなかった。

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