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番外編
【日菜子視点】嘘から出た真
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逸る気持ちを落ち着かせながら、階段をなるべくゆっくりと上る。
両手でしっかり抱えている、お気に入りのうさぎのアップリケがついた手提げ袋を見つめ、私は思わず笑顔になった。
通りからは、時折子供の歓声が聞こえてくる。
夏休みももう後半。今日一日遊び回っていただろうに、まだまだ元気いっぱいなその声は、ひぐらしの鳴き声と混じって夕焼け空に消えた。
階段を上りきってすぐの玄関。
私は手提げ袋をそろそろと片手に持ち替えて、首から下げている鍵で扉を開けた。
「サトちゃんっ! 差し入れだよ~」
仕事の手を止めたサトちゃんが玄関まで迎えに来てくれる。
時間はちょうど6時になるところ。
夕飯にはちょうどいい頃合い。
サトちゃんにはご飯だけお願いして、炊いておいてもらった。
今日は一緒に夕飯を食べる約束をしているのだ。
私は部屋に入ると、いそいそとサトちゃんの脇に腰を下ろす。
サトちゃんはテーブルを空けるために仕事の片付けを始めた。
「ちょっと焼けたか?」
ノースリーブから覗く、少しだけ小麦色になった腕を見てサトちゃんが訊く。
私はにっこり笑顔を返した。
「うん、鹿乃子達と海に行ってきたんだよ。皆、受験前なんだけどね。卒業前旅行だーとか言って時間つくって」
「へえ」
私がクラスに適応しようと奮闘して一年が経った。
二年二学期の半ばの頃は、クラスメート達はもう仲の良いグループに分かれて結束を強めてしまっていて。
人間関係を築くなんて無理かもしれないと、サトちゃんには泣き言をこぼしてしまう日もあった。
そんな私がついに友達と海に行ってきたと言うのだから。
「すごく嬉しそうだよねぇ。サトちゃん」
「え……あぁ、いやいや」
そりゃあもう感慨深いんだろうなぁ。
口元が緩むのを手で隠そうとしてるサトちゃんに、ありがたい反面、そろそろその保護者っぷりをどうにかして欲しくもなる。
「ナンパされたのかっ!? とか聞かなくていいの?」
「えぇ!? されたのか?」
「されたんだよ」
途端にサッと青ざめるサトちゃんを見て、これは保護者と彼氏、どっちの顔色なのかなぁと考えてみたけど、わからない。
「でもマナが、『すみませんけど、なんか好みのタイプじゃないんですぅ』とかバッサリ斬ったら簡単に引き下がったんだよね……鹿乃子が『あたしの夏を返せっ!』って凄い怒ってて面白かったよ」
「…………」
「ちなみに日菜子も絶対零度の目でお断りしといたよー」
「え……えらいえらい」
何事もなくてホッとしているサトちゃんを見て、とりあえず満足しといてあげる。
私は手提げからタッパーを取り出し、ウキウキしながらサトちゃんの目の前に並べた。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
大中小と大きさが違うけど、中身が透けて見える、タッパーの向こう側は皆同じ緑色。
「今日のお夕飯はねぇ。なぁんとサトちゃんの大好きなピーマンづくしなんだよ~」
「ピーマン?」
ジャーン! と両手を広げて派手にお披露目したけれど、いまいち盛り上がりに欠ける不思議顔のサトちゃんに、あれ? っと思う。
「ありがたくいただくけど……。俺、ピーマン好きだなんて日菜子に言ったことあったか?」
いやいや、またまたそんな。
サトちゃんにピーマン料理を作るのは一度や二度じゃあないじゃない。
その度に美味しそうに食べてくれたじゃない。
「サトちゃんピーマン好きでしょ?」
念押しして訊くと、サトちゃんがますます不思議そうな顔になる。
「別に嫌いではないんだけど」
「でも子供の頃から、かなり好きなんでしょ?」
「……? なんでそうなる?」
どうも話が噛み合わない。
私は、あれー? と首を傾げた。
「だって、子供の頃……」
私は、幼少期を回想しながらサトちゃんに話し始めた。
『はい』とお母さんから出されたのは、プリンカップ形のカレーチャーハン。
緑色のそいつは、彩を添えるようにカレーチャーハンの中に混ぜ込まれてしまっている。
私はお母さんとそれを交互に、恨めしげに見つめる。
お母さんは私の視線に気がつくと、にこりと笑顔を返した。
『……おかあさん』
『うん?』
『ひなこ、ぴーまんきらい、なの』
ずず……とお皿を自分の元から押しやり、お母さんの元へと戻す。
『あら? そうなの? じゃあ、仕方がないわねぇ』
お母さんは、嫌いな食べ物を無理強いする人ではなかったと思う。
すぐに私の目の前からお皿を下げてくれた。
『お隣の悟史くんはピーマン好きなのにねぇ』
あ。
記憶の底で、瞬くものがあった。
『そういえば、ピーマン好きな子が、好きだって言っていたなぁ』
あ……あ……!
『や……おかあさん! さげないで! たべるっ……ひなこ、たべる!!』
ああぁぁ……。
あの後、お母さんからお皿を奪い返してピーマンをすごい勢いで食べた。
最初は耐えられなくて飲み込むのが精一杯だった。
それでもお母さんに何度もピーマン料理を作って欲しいとねだった。
そうして、徐々にピーマンが噛めるようになった。
ピーマンは苦かったけど、これが好きだというサトちゃんは何だか大人なような気がして。
苦いピーマンが好きになったら早く大人になれるような気がして。
そんなこんななうちに無理をしなくてもピーマンが食べられるようになっていた。
そんな自分を誇らしく思っていた、あの頃の自分を思い出して、ぐぁーと顔の温度が上昇する。
「お母さんに、今まで騙され続けてたっ!!」
恥と怒りで思わず絶句する。
「サ……サトちゃん、人参は好き!?」
「……ま……まぁ、別に。普通、かな」
「サトちゃん、トマトは!?」
「同じく……だけど」
若干、私に圧倒されつつサトちゃんは答える。
がくっと体の力が抜けて、私は床に両手をついた。
確かに私は偏食が激しい方だったと思う。
でも。
「自分の単純さに、自分でびっくりするよ……まぁ、お陰で……ピーマンは……好きになったんだけど……」
あれから同じ理由で、相当苦手なもの(主に野菜)をお母さんに克服させられた。
私が野菜を克服した過程なんて忘れていたけど、サトちゃんの好みだということは頭に焼き付いていて。
お陰で、この年までサトちゃんがかなりのベジタリアンなのだと信じ込んでいた。
「ひどい。ひどいよ……お母さん……嘘つくなんて……」
ブツブツ文句を呟いている私に、サトちゃんは苦笑する。
「確かに今まで日菜子が俺にふるまってくれた料理は野菜中心だったよな。栄養が偏りがちだったから、ありがたかったけど」
サトちゃんはお盆にご飯と食器をいくつか載せてテーブルへと運んだ。
タッパーを開けて料理をお皿へと盛り付け直してくれている。
「いや、でもまぁ」
仏頂面でテーブルにのの字を書いてる私に、サトちゃんが箸を渡してくる。
「俺はピーマンが好きな日菜子が好きなんだから」
受け取り損ねて落とすかと思った。
「それってもう嘘じゃないじゃんか」
そう言って、くったくなく笑うサトちゃんに、私は胸がきゅうっとなる。
ああ、もう。
やっぱり私って単純だ。
納得のいかないモヤモヤなんて、そんな一言で、その笑顔で、すぐに消えて無くなってしまうんだから。
「いただきまーす」
ふたり、手を合わせてお夕飯
ピーマンは、もう苦くなかった。
両手でしっかり抱えている、お気に入りのうさぎのアップリケがついた手提げ袋を見つめ、私は思わず笑顔になった。
通りからは、時折子供の歓声が聞こえてくる。
夏休みももう後半。今日一日遊び回っていただろうに、まだまだ元気いっぱいなその声は、ひぐらしの鳴き声と混じって夕焼け空に消えた。
階段を上りきってすぐの玄関。
私は手提げ袋をそろそろと片手に持ち替えて、首から下げている鍵で扉を開けた。
「サトちゃんっ! 差し入れだよ~」
仕事の手を止めたサトちゃんが玄関まで迎えに来てくれる。
時間はちょうど6時になるところ。
夕飯にはちょうどいい頃合い。
サトちゃんにはご飯だけお願いして、炊いておいてもらった。
今日は一緒に夕飯を食べる約束をしているのだ。
私は部屋に入ると、いそいそとサトちゃんの脇に腰を下ろす。
サトちゃんはテーブルを空けるために仕事の片付けを始めた。
「ちょっと焼けたか?」
ノースリーブから覗く、少しだけ小麦色になった腕を見てサトちゃんが訊く。
私はにっこり笑顔を返した。
「うん、鹿乃子達と海に行ってきたんだよ。皆、受験前なんだけどね。卒業前旅行だーとか言って時間つくって」
「へえ」
私がクラスに適応しようと奮闘して一年が経った。
二年二学期の半ばの頃は、クラスメート達はもう仲の良いグループに分かれて結束を強めてしまっていて。
人間関係を築くなんて無理かもしれないと、サトちゃんには泣き言をこぼしてしまう日もあった。
そんな私がついに友達と海に行ってきたと言うのだから。
「すごく嬉しそうだよねぇ。サトちゃん」
「え……あぁ、いやいや」
そりゃあもう感慨深いんだろうなぁ。
口元が緩むのを手で隠そうとしてるサトちゃんに、ありがたい反面、そろそろその保護者っぷりをどうにかして欲しくもなる。
「ナンパされたのかっ!? とか聞かなくていいの?」
「えぇ!? されたのか?」
「されたんだよ」
途端にサッと青ざめるサトちゃんを見て、これは保護者と彼氏、どっちの顔色なのかなぁと考えてみたけど、わからない。
「でもマナが、『すみませんけど、なんか好みのタイプじゃないんですぅ』とかバッサリ斬ったら簡単に引き下がったんだよね……鹿乃子が『あたしの夏を返せっ!』って凄い怒ってて面白かったよ」
「…………」
「ちなみに日菜子も絶対零度の目でお断りしといたよー」
「え……えらいえらい」
何事もなくてホッとしているサトちゃんを見て、とりあえず満足しといてあげる。
私は手提げからタッパーを取り出し、ウキウキしながらサトちゃんの目の前に並べた。
ひとつ。ふたつ。みっつ。
大中小と大きさが違うけど、中身が透けて見える、タッパーの向こう側は皆同じ緑色。
「今日のお夕飯はねぇ。なぁんとサトちゃんの大好きなピーマンづくしなんだよ~」
「ピーマン?」
ジャーン! と両手を広げて派手にお披露目したけれど、いまいち盛り上がりに欠ける不思議顔のサトちゃんに、あれ? っと思う。
「ありがたくいただくけど……。俺、ピーマン好きだなんて日菜子に言ったことあったか?」
いやいや、またまたそんな。
サトちゃんにピーマン料理を作るのは一度や二度じゃあないじゃない。
その度に美味しそうに食べてくれたじゃない。
「サトちゃんピーマン好きでしょ?」
念押しして訊くと、サトちゃんがますます不思議そうな顔になる。
「別に嫌いではないんだけど」
「でも子供の頃から、かなり好きなんでしょ?」
「……? なんでそうなる?」
どうも話が噛み合わない。
私は、あれー? と首を傾げた。
「だって、子供の頃……」
私は、幼少期を回想しながらサトちゃんに話し始めた。
『はい』とお母さんから出されたのは、プリンカップ形のカレーチャーハン。
緑色のそいつは、彩を添えるようにカレーチャーハンの中に混ぜ込まれてしまっている。
私はお母さんとそれを交互に、恨めしげに見つめる。
お母さんは私の視線に気がつくと、にこりと笑顔を返した。
『……おかあさん』
『うん?』
『ひなこ、ぴーまんきらい、なの』
ずず……とお皿を自分の元から押しやり、お母さんの元へと戻す。
『あら? そうなの? じゃあ、仕方がないわねぇ』
お母さんは、嫌いな食べ物を無理強いする人ではなかったと思う。
すぐに私の目の前からお皿を下げてくれた。
『お隣の悟史くんはピーマン好きなのにねぇ』
あ。
記憶の底で、瞬くものがあった。
『そういえば、ピーマン好きな子が、好きだって言っていたなぁ』
あ……あ……!
『や……おかあさん! さげないで! たべるっ……ひなこ、たべる!!』
ああぁぁ……。
あの後、お母さんからお皿を奪い返してピーマンをすごい勢いで食べた。
最初は耐えられなくて飲み込むのが精一杯だった。
それでもお母さんに何度もピーマン料理を作って欲しいとねだった。
そうして、徐々にピーマンが噛めるようになった。
ピーマンは苦かったけど、これが好きだというサトちゃんは何だか大人なような気がして。
苦いピーマンが好きになったら早く大人になれるような気がして。
そんなこんななうちに無理をしなくてもピーマンが食べられるようになっていた。
そんな自分を誇らしく思っていた、あの頃の自分を思い出して、ぐぁーと顔の温度が上昇する。
「お母さんに、今まで騙され続けてたっ!!」
恥と怒りで思わず絶句する。
「サ……サトちゃん、人参は好き!?」
「……ま……まぁ、別に。普通、かな」
「サトちゃん、トマトは!?」
「同じく……だけど」
若干、私に圧倒されつつサトちゃんは答える。
がくっと体の力が抜けて、私は床に両手をついた。
確かに私は偏食が激しい方だったと思う。
でも。
「自分の単純さに、自分でびっくりするよ……まぁ、お陰で……ピーマンは……好きになったんだけど……」
あれから同じ理由で、相当苦手なもの(主に野菜)をお母さんに克服させられた。
私が野菜を克服した過程なんて忘れていたけど、サトちゃんの好みだということは頭に焼き付いていて。
お陰で、この年までサトちゃんがかなりのベジタリアンなのだと信じ込んでいた。
「ひどい。ひどいよ……お母さん……嘘つくなんて……」
ブツブツ文句を呟いている私に、サトちゃんは苦笑する。
「確かに今まで日菜子が俺にふるまってくれた料理は野菜中心だったよな。栄養が偏りがちだったから、ありがたかったけど」
サトちゃんはお盆にご飯と食器をいくつか載せてテーブルへと運んだ。
タッパーを開けて料理をお皿へと盛り付け直してくれている。
「いや、でもまぁ」
仏頂面でテーブルにのの字を書いてる私に、サトちゃんが箸を渡してくる。
「俺はピーマンが好きな日菜子が好きなんだから」
受け取り損ねて落とすかと思った。
「それってもう嘘じゃないじゃんか」
そう言って、くったくなく笑うサトちゃんに、私は胸がきゅうっとなる。
ああ、もう。
やっぱり私って単純だ。
納得のいかないモヤモヤなんて、そんな一言で、その笑顔で、すぐに消えて無くなってしまうんだから。
「いただきまーす」
ふたり、手を合わせてお夕飯
ピーマンは、もう苦くなかった。
応援ありがとうございます!
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