薬膳茶寮・花橘のあやかし

秋澤えで

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紫苑とハーブのクラムチャウダー  6

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 「どうしたんですか、縛兎さん」
 「……前から橘から相談を受けていた。山の中を彷徨う女の幽霊を、あの世へ連れて行ってほしいと」

 どこか苦し気に縛兎は橘からの相談事を口にした。
 幽霊はよく冷える冬の夜、雨に紛れて花橘へやってくるのだと。花橘へ来て、何をするでもなく一晩すごし、夜明けとともに姿を消す、幽霊がいると。

 「それって……」

 察しの悪い私でもこの話を聞けば何の話かは分かった。

 「ベニが着替えている間、橘に山の中で会ったものについて話した。世間話のようなものなのだ。だからあえてあれが動く死体であることは言わなかった。……橘はあれを幽霊だと思い込んでいるらしい」

 幽霊であれば、縛兎があの世へ連れていくことができると踏んで、彼に依頼したのだろう。けれど予期せず遭遇した縛兎はそれが幽霊ではないことをすでに知っている。

 「その場で連れて行けなかったのはベニのことを連れていたからだと勝手に納得していたようだった。おそらく今日の夜、あれはこの花橘へ来る。橘はそれを警戒してヒイラギと南天を採りに行った。そして俺にその時まで花橘にいるように頼みたかったんだろう」

 縛兎はその願いを黙殺した。当然だ。たとえあの死体が花橘に来たとしても、縛兎にできることは何もない。さっきの同じように、ただ見ていることしか。

 「橘さんは、毎年のようにあの姿を見てるんですね……」
 「だろうな。何度も俺に依頼してきたがタイミング悪く、あれは俺がいる間には現れなかった。……もっと早くわかっていれば話は別だったんだが」

 縛兎は言い出すタイミングを失ったのだろう。幽霊なら自分で何とかできるが、動く死体となれば自分の領分外。それこそ、なんとかできるのは製作者だけだと。

 「製作者がいなければどうにもできませんもんね」
 「……ベニ、どうしてあの死体がここをうろついてると思う?」

 唐突な質問に答えに窮するが、思考を巡らせる。

 「それは、製作者がここに思い入れがあるから、もしくはあの死体をここで手に入れたから、とかじゃないですかね?」
 「ああ、だから俺は一瞬橘を疑った」

 思わずぱっと縛兎を見つめる。言いづらそうに彼は首から下げていた数珠を指先で弄んでいた。

 「古い術だ。だが橘なら知っていてもおかしくない。だが橘は心底あれをあの世へやりたがっている。憐れみと悲しみの情から懇願している。製作者なら術を解けばいいだけの話だ。それをしないなら製作者じゃない。じゃあほかに誰がいるか」

 他に誰が。この山付近のことであれば私もある程度は知っている。山の中に住んでいる生きた人間は橘だけだ。あとは様々な妖が住み、小さな神様たちが行き交う。他に不思議な術を知っていそうな者はいただろうか。

 「……ベニは、槐という男を知ってるか?」
 「槐……、あ、骨董屋さんですね!」

 あの怪しげな骨董屋の名は呼ぶことこそないが、槐だと聞いた。月の祭りで会って以来、彼の姿は見ていない。

 「あの死体に術をかけ、そのまま放置しているのは槐だろうな」
 「……え、」
 「橘以上に古今東西の情報に精通し、あらゆる知識を、技術を持ち、同時に俺達には理解しがたい倫理観で生きている。……こんなことをするのは奴しかいないだろう」

 脳裏を怪しく笑う骨董屋の顔が過った。
 そう話したことがあるわけではない。けれど橘に信用されていて、自由に花橘へ出入りしている。骨董屋は悪いものではない。ただ縛兎の言葉が腑に落ちた。
 彼は私たちとは違う倫理観で生きている。

 「……骨董屋さん、槐さんは何者なんですか」
 「奴は神獣。万物を知る知識と為政の瑞獣だ。奴ほどの大物がどうして、日本のこの小さな山の小さな店に出入りし続けるのか。本当に橘のことを気に入っているだけか? 探せば世界中似たような奴はいるはずだ」

 縛兎が何を考えているのか、言わずともわかった。

 「この山へ出入りするのは、あの動く死体のことを監視するため……」

 頭から冷水をかけられた気分だった。骨董屋は変わり者だろう。私たちとは違う尺度で生き、いたずらに橘や私に構う。長い時間を生きる妖独特の関心だと思っていた

 変わり者、そんな可愛らしい言葉では到底言い表せない悍ましさだ。
 骨董屋はここで死んだ人間の身体に魂を結び付け、放置している。その先に何もないことを知りながら、ただ這いまわるだけの存在になれ果てることを予想しながら、それでも骨董屋は縛り付けることを選択した。興味を失ったわけでもなく、かつて作った人もどきの存在を忘れたわけでもない。骨董屋はただ哀れな人の残骸を見ていたのだ。

 橘の少し疲れたような荒んだ目を思い出した。私たちがここへ帰ってきてから、否おそらく縛兎から話を聞いてからの変化だろう、明確に憔悴していた。
 橘は毎年のように崩れ行くあの人のことを見ている。そしてその人に終わりが来ることも、あの世へと旅立つことを望んでいる。

 では骨董屋槐は、何を思い、その姿をこの山で見続けるのか。
 どちらも、私には抱えきれないような、理解することすら烏滸がましいような事情があるのだろう。

 「……縛兎さん、」

 それでも私は、今聞かなければならないと思った。

 「あの人は、いったい誰なんですか?」

 鼻先を雨の名残が一滴濡らした。縛兎は静かに逡巡し、そうして苦し気に、やるせなさそうに口を開いた。

 「あれは橘紫苑。初代花橘の店主であり、橘炉善の妻だった女だ」
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