あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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太陽がてっぺんにのぼり、容赦なく頭上に降り注ぐ日を避けるように木陰に入る。しばらく何もない荒れ地が続いていたがここには木々が生え、奥には申し訳程度だが泉もある。休憩地として選んだここはラルムリューへの道すがら見つけた小さなオアシスだった。数時間も止まらないため物資を下ろす必要もなく、腰に下げていたラパンは腰に下げていた水筒を煽った。日に当たっていたせいか金属製の筒が熱くなっていた。馬に乗っていた仲間も今では各々休憩を取っている。唯一いまだカルムクールだけが指示や方角、時間の確認に忙しなく動き回っていた。真面目なのは結構だがこの炎天下だ、隊長に倒れられては全体の士気に関わると、誰にともなく言い訳をしてそちらに足を向けた。


「やあやあラパンくん!ご機嫌いかが?」
「アッセン……、とクソガキ。」
「クソガキなんて失礼だなぁアルマくんだよ。」


いくつかある馬車のうちの一つから飛び出してきて、相も変わらずへらへらと腹の読めない笑みを浮かべるアッセンに舌打ちをするが、どうにもこの女兵士は自分が嫌がるのを見て喜ぶきらいがあるということを失念していた。アッセンに続いて自身の腰ほどの身長しかない子供が馬車から飛び降りる。こいつはこいつで無表情。現在もっともラパンに懸念を抱かせる種、アルマ・ベルネット。ラパンの不平を聞くことなく、少佐であるカルムクールの一存によって王国軍本部へ連れていくことが決まった子供はしばらくきょろきょろと視線を走らせた後、少し離れたところで地図とにらめっこするカルムクールの背中を見つけて何を言うでもなくじっと見つめていた。


「薄気味悪ぃ……、」
「まあそう言わないでよ。ただの子供でしょ。」


聞かせるつもりのなかったつぶやきは見事にアッセンに拾われまた顔を顰めた。情報局は地獄耳揃いかと悪態をつくと褒め言葉だと喜ばれる。


「アルマくん、そこにカルムクールくんいるからさ、気になることがあれば聞いておいで。忙しそうだけど、勤務中に何かしてないと落ち着かないってだけで、あんなに地図を確認する必要はないんだ。話しかければ普通に答えてもらえるよ。」
「わかった。」


自分に向けられていたような笑みではなく邪気のない顔でアルマに指示を出す。子供は最低限の返事だけして彼女によって指さされた部隊長の元へと歩いていく。その背中は薄く小さい。相変わらず腰に括りつけられた黒い爪だけが不穏だ。


「あのガキに聞かれて困ることがあるんすか?」
「あんまり露骨に疑ってる雰囲気出したら可哀想でしょ。……君は随分あの子を警戒してるみたいだけど、そんなに心配しなくていいんじゃない?少し話してみたけど、本当にただの聞き分けのいい子供だよ。」
「アッセン、ただの子供は血なまぐさい武器を腰に下げたりはしないんすよ。」
「ラパンくん、王国軍に入り込もうとする子供は兵士の前で転寝したりはしないと思うよ。」


ぎゅっと眉間に皺が寄るのがわかり、その顔を見てまた彼女は揶揄うように笑う。
ずっと同じ馬車にいたアッセンが言うには、あの怪しげな子供はしばらく起きていたそうだが途中で眠ってしまったらしい。そしてその寝ている間に彼女は毛布を掛けたりしたが特に起きる様子もなく、起きてから話をしてみても怪しい点は一切ないそうだ。


「まあ確かにあの爪が気になるのはわかるよ。馬車の中にいる間もずっと腰から外さなかったし。」
「……じゃあ寝てたのはあんたが戦闘要員じゃないから警戒する必要がないって思ったんじゃないっすか?」
「それもないね。少し見て戦闘要員か否かなんてわかんないでしょ。それに視察隊とはいえ兵士の中に非戦闘要員がいるって気づくとは思えない。アルマくんは四局のことも知らなかったし。」


頂戴、といって返事を聞くまでもなく勝手にラパンの手から水筒を奪い煽る。やたらと傍若無人な彼女の振る舞いは昔から変わらず腹立たしいが怒っても喜ばせるだけと経験上わかっているので文句をぐっと飲み込む。アルマ・ベルネットの見張りと観察報告の報酬だと思えば何とか溜飲も下がる。


「四局知らないのは演技、とか。」
「ないと思うよ。嘘ついてる風じゃなかったし。……やっぱりただの子供じゃない?腰に着けたままの爪は親の形見とかそういうのじゃないの。」
「……だとしても、怪しいっす。」
「相変わらず忠犬は健在だね。警戒するのは結構だけど、あんまりきつく当たると君の心象は正直悪いよ?ただの子供か否か信じられなくても見る限り子供らしい子供だし、周りから見るとちょっといただけないから一応覚えておいて。」
「どう思われようと、」


あの人の安全のためなら問題はない、その言葉は飲み込んだがアッセンは続きに予想が付いたようで茶化すように軽く口笛を吹いてみせた。歩いて行ったアルマ・ベルネットの方を見ると視線を合わせるように屈んだカルムクールと何やら話をしている。今更あの子供を追い出すために、ラパンができることはなにもない。できることと言えばほぼ無警戒な上司に代わり、常に懐疑の目を向け続けることだけだろう。正直さっさと事故なりなんなりで始末してしまいたいが、この時期にしてしまえば真っ先にラパンが疑われる。証拠を残さない自信はあるが、カルムクールに失望されることだけは避けたいのだ。ことを起こすならもっと後。おそらくカルムクールはアルマ・ベルネットを自身の側に置くだろう。そうなれば副官であるラパンも必然的に接触することが多くなる。始末できないならば自主的に軍を去るようにしよう。実践でも訓練でも、追い込む機会はきっとあるだろう。


「ラパンくーん?悪い顔してるよ。大好きなカルムクールくんを取られて嫉妬の炎に襲われてるの?」
「頭沸いてるんすか?」


アッセンの手の中にあった水筒を奪い返し二人の方へと足を向けた。




「何話してるんすか?」
「おお、ラパン!アルマにこれから本部に行ってからの説明だ。アルマ、ラパンはおれの副官をしてる。関わることも多くなるからな、わからないことがあればすぐこいつに聞いてくれ。」
「……おれもあんまり詳しいこと聞いてないんすけど。ていうか本部に連れていくって言っても、連れて行ってどうするんすか?入隊許可が下りるのは16からっすけど。訓練学校に入れるにも14以上ですし。」


ちらりと自分たちを見上げるアルマ・ベルネットに目をやる。今の様子を見る限り、特に主張したい事柄はないらしく大人しく、と言うより何もわかってないかのように話を聞いている。ラルムリューの支部での主張やラパンと対峙した時のふてぶてしい態度はかけらも見られない。随分と態度が違うものだ。どちらが演技でどちらが素なのか、はたまた両方とも素か演技か……、考えるが当然答えは出ない。ラパンだけに態度が違うのか、カルムクールの前でだけ違うのかはまだわからないがそうだとしたらで言及できない。警戒するとはいえ、特大のブーメランを放つ趣味はラパンにはない。


「いや、正式に入隊できる年になるまではおれの雑用として働いてもらおうかと思ってよ。」
「はぁ……!?雑用って、こいつまで8歳なんすよ!?足手まといにしかなりません!」
「はっはっは、年のことは気にしなくてもいいだろ。ラルジュ中将は大佐時代に引き取った子を雑用にしてたが、今その子は14だからたぶん雑用始めたのはアルマと同じくらいの年だと思うぞ。」
「ラルジュ中将は特例中の特例でしょう。……たしかに佐官以上には雑用の保持が認められますけど、基本的に佐官は将官に比べて前線に出る回数が多いですし、それは次に貴方が中佐に昇格しても同じことっす。」
「お、なんだかんだアルマの心配してんのか?」
「どれだけ好意的に捉えれば気が済むんすか!?邪魔だって言ってんすよ!」


わざと茶化しているとわかっていても煽られるとつい乗ってしまう性分を何とかしたい。昂ぶった気持ちを押さえつけるようにラパンは深くため息をついた。言いあう大人の様子に怯えの一つでも見せれば可愛いだろうに、アルマ・ベルネットは無表情でデルフトブルーのコートをくい、と引っ張った。


「ん、どうしたアルマ?」
「その、雑用っていうのは、なんだ?具体的に、何をする?」


急な角度で背の高いカルムクールを見上げていたアルマ・ベルネットを自然な手つきで持ち上げて視線を合わせた。出会って間もないが、やはりこの子供の表情筋がまともに動くのはこの少佐が何をかした時だな、と改めて感じた。鉄面皮はカルムクールの前ではあっさりと崩され、おっかなびっくりといったように戸惑っていた。抱きかかえられるのには慣れていないらしく、落とされないように掴まる場所を探した両手はしがみつく様にコートを握りしめていて下手くそというほかない。


「まあ文字通り雑用だ。書類を運んでもらったり、掃除とかも頼むかもしれねぇ。あとは時間と体力さえあれば訓練にも参加してもらう。最初のうちは簡単な仕事だが、後々はいろいろと手伝ってもらうと思うぞ。」
「いろいろ、か?」
「おお。ラルジュ中将んとこの雑用坊主はもう実践で戦闘に参加してる。本来なら16になって正式に入隊しねぇと任務には参加できないんだが、雑用は監督者、お前の場合はおれの指示があればすぐに実践に参加することができる。」


他の奴らと比べて早く経験が積める、カルムクールの言葉を聞いてアルマは明らかに目の色を変えたことに気づき、胡乱げなまなざしを送った。この小さな子供は実は戦闘狂か何かなのではないかとラパンには思えてしまう。血なまぐさい爪を持つ子供。数日前に調べさせた結果、ラルムリューとフェールポールの間に裂傷による失血死をした死骸がいくつか見つかった。状況的に考えて、まず間違いなくその裂傷を付けたのはあの黒い爪だろう。どう考えても怪しというのに、決定打にかけるのは持ち主が子供だということだ。仕方なく戦うことになり、応戦し、切り付け怯ませて逃走したような子供にも思えるのだ。いくつの死体があったのに、そのどれもが即死ではなく失血死。つまり子供にはとどめを刺す力も技術もなかった、という風に考えられる。死体の服装や身元を確認しても、十二分に子供の正当防衛が通るような奴らのため、なおさら。


「……早く、強くなれるか?」
「なれるなれる。アルマが頑張ればな。」


笑顔でアルマに言うカルムクールと、カルムクールの言葉に微かに口元を緩めるアルマ。腹の底を見せない子供だがそれは抱き上げている少佐も同じだろう。二人して笑ってるくせに本心がいまいち見えない。


「じゃあなるよ、それ。雑用。」


大して悩んだ風もなくすぐに返事をするアルマにカルムクールは笑みを深くした。



「そうか!大体はおれの側にいてもらうことになるが、9割方ラパンもおれの近くにいるし、たぶんお前らの仕事はかなり被ると思うからわからないことがあればラパンに聞いてくれれば問題ない。」
「ん、わかった。」


持ち上げられたせいでほぼ同じ高さから赤い目に見つめられる。よろしく、と言われるがどうにもよろしくしたいという気持ちが伝わってこない。もっとも、よろしくする気がほとんどないのはラパンも同じだ。やはり、カルムクールを見る目と違ってこちらを見る目は無機質で、まるで眼中にないとでも言われているようで不愉快だ。しかしアルマの後ろから笑顔の圧力が欠けられているため、不快感はぐっと押し込めた。


「……よろしく。」
「よろしく、バヴァール大尉。」


お互い心にもないようなことを言って早々に目を逸らした。
この上司の決めたことはまず覆ることはない。頑なな彼は誰に何を言われようと突き通すだろう。雑用とはいえ前線のすぐそばに出ることもある。そんな役にあんな子供を置くのは常識的に考えてあり得ない。ただむしろラパンからすれば好都合とも言えた。戦いの側にいれば、うっかりあの子供が死ぬこともある。そうでなくても事故にみせかけて自身で始末することもできるだろう。

だがもしも、もしもこのアルマ・ベルネットが潔白で武芸の才に恵まれたただの子供あったとき、おれはどうすれば良いだろうか。

一瞬の逡巡でラパンはああ、とすぐに答えがでた。

何にせよ始末することに違いはなさそうだ。
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