あの夕方を、もう一度

秋澤えで

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後悔のその先 2

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「”涙を流す者”は君じゃなかったみたいだね。」
「”涙を流す者”……?なんだそれは。」


泣き笑いのような表情のまま、コートの内側から一枚の手紙を取り出した。


「この前、ドラコニアでの殲滅戦の直後届いたんだ。誰が書いたのかも、誰が届けたのもわかっていない。ただその内容は王国軍についても王政府についても、今回潰された革命軍に関してもとても詳しく書いてあったんだ。」


その様子じゃあ君とは関係がなさそうだ、と呟くソンジュに顔を顰めた。


「なんでそれをおれの書いたものだと思った?」
「これはわたしの執務室にあった。それで王国軍内部の人間だと思った。それから内容は割と中立で客観的な事実がかかれていた。強いて言うなら革命軍よりともいえるがそれでも偏り過ぎてはいない。……どこか一歩引いたような立ち位置が、アルマのように思えたんだ。」

「生憎、おれじゃない。なにより涙を流す、なんていうのは柄じゃない。」
「それもそうだね。でも君はわたしがこの話をしても上に報告したりすることはない。安全牌だ。何か少しでも知っていたら、というダメもとでもあった。君は関係ない、それだけで十分な収穫だったよ。」
「……そうか。あんたのしたいようにすればいい。」


部屋に来た時よりも幾分晴れやかな、憑き物が落ちたような様子の背中を見送る。

思えばおれは前回なぜソンジュ・ミゼリコルドが王国軍から革命軍に寝返ったのかを聞いたことがなかった。

革命軍の構成員のほとんどがあまり口にしたがらない過去を持つ者である。そのため2番の地位にいながらも詳しいことを聞いたことはなかった。勝手に話し出さない限りは何も言わない。一番最初、革命軍に加入するときのみ最低限の話をするが、ソンジュは別だった。


元王国軍中将の男はメンテが個人的に連れてきた者だった。
メンテが許可した男ならば、と特に追及することなく共に過ごしていた。当然、元王国軍ということもあり警戒もしたが結果的に言えば彼は最後まで革命軍を裏切ることはなかった。

おそらく、例の手紙が退役の決め手になるのだろう。


「”涙を流す者”はメンテなのか……?」


メンテは黙って仲間を募っていたのか?誰にも言わず王国軍に接触を図っていたのか?王国軍に捕縛されたのもその接触に失敗したからなのか?

答えの出ない疑問が次々と湧き上がる。答えは決してわからない。

今のアルマ・ベルネットとメンテ・エスペランサは赤の他人で敵同士なのだから。



ずぶずぶと沈ませる思考の波から引き揚げたのは扉を叩く音だった。


「フスティ、忙しいだろ。どうかしたか?」


ソンジュと同じく、今回の件で中将に昇格したラルジュの息子、フスティシア・マルト―が扉の前に佇んでいた。


「少し言っておきたいことがあっての。」


長くなるなら、と部屋に促そうとするが片手で制される。


「主はドラコニア殲滅戦には参加しとらんかったが、大体のことはわかっとろうな?」
「秘匿されていることがないのなら。」
「ちぃと気を配ってほしいことがあるんじゃ。」


真面目な顔が近づけられ、声を低められる。


「十中八九、裏切り者がでよる。」
「……それは、今回の件が原因で、ということか。」
「おお。……死を恐れて退役するものもおるが、それは止めん。ただ壊滅した革命軍を立て直すのに助力、という場合は困るんじゃ。何も仲間は殺しとおない。」


弱った、とでもいうように顎を撫でる。
フスティシアは表情が読みづらい。
もともとは無表情で、ラルジュによって多少表情に差異が出るそうになったらしいが、その表情のほとんどはアルマから見てラルジュの模写のようなものだと感じていた。つまり、フスティシアの表情は作り物じみている。そのために本心なのか演技なのか、腹の底に何を持っているのかほとんどわからない。


「なんでおれに。」
「主にだけではない。ただ主の同期にメイスを使う男……ヴェリテ、っちゅうのがおったじゃろ。星龍会の熱心な信徒、今件で思うところがないわけでもあるまい。仲間を疑うのは心苦しいが、一応気にかけといてくれんかの?」
「……了解した。」


口でそういいつつも、疑いは無表情の裏に隠す。

確かに客観的に見て星龍会信徒と公言しているヴェリテ・クロワールは不安定に思える。だが彼は少なくとも処刑の時まで王国軍側につき続けた。星龍会の聖地ドラコニアを王国軍に滅ぼされてなお、王国軍についた。そこにどのような葛藤があったのかは、知らない。しかしヴェリテが裏切ることはまずないと確信していた。

問題は、フスティシアが本当にヴェリテを疑っているのかがわからないということだ。
実はおれを疑っており、その牽制のために声を掛けたのか、ソンジュを疑っており、割かし仲の良いおれから探りを入れようとしているのか、読み取ることができない。

ふと思い出す。
フスティシアはドラコニア殲滅戦で養父であるラルジュを失ったと同時に空席により昇進した。しかし上官を失い激しく動揺しているソンジュと異なり、動揺する様子は見られない。ひどく、落ち着いている。


「……軽率なことを聞く。不快ならそう言ってくれて構わん。」
「なんじゃ、改まって。」
「今回の戦いで、ラルジュさん死んだ。あんたはドラコニア殲滅をどう思う。あの人が死ぬ必要はあったか。こちらの損害を想定したうえで命令を出した王政府をどう思う。」


ソンジュから受けた質問と似たようなものを目の前の中将に問う。
考え方を変えれば、彼は養父を革命軍に、戦いに、王政府に殺されたのだ。
目を丸くしてから、愉快そうに目を細めた。本能的に、この表情は模写でもなんでもない彼自身の感情表現である、と理解する。


「何をおかしなことを言うとるんじゃあ?」
「おかしな……?」
「軍人は戦いの中で死ぬもんじゃ。王政府の下にある軍なんじゃからそのために死ぬのも当然じゃろ。どう思うも、死ぬべくしてあの人は死んだんじゃ。それをどうこうわしが言う必要はない。」


当たり前のことを、とでもいうように薄らと笑う。そしてアルマも自分は何を当たり前のことを聞いているのかとあきれた。当然だ。軍人とはそう言う物だ。つい先ほどソンジュにも似たようなことを言ったのに、馬鹿なことを聞いたと、少し後悔する。


「……すまない、忘れてくれ。」
「ええ、ええ。ただの、重要なのは死んだか、死ななんだか、そこじゃあない。本当に重要なのは、当人が後悔するかぁ、否かじゃ。」
「後悔、」
「そうじゃ。たとえ死んでも後悔しとらんなら、なんのかんの言うべきじゃない。」


後悔。なんどもその言葉を反芻した。

今の自分は、後悔がために生きている。唯一、メンテを助けられなかったことが、革命軍副長アルマ・ベルネットとしての後悔だった。
まだあれから10年と少し。それまでの道のりはすべて後悔がゆえであり、いまだそれは清算されない。

あの日死んだアルマ・ベルネットは、メンテ・エスペランサの死を後悔した。

では、あの日死んだメンテ・エスペランサは自らの死を後悔したのだろうか。


もし昨日これを考えたのならば間髪入れず、後悔していたと答えただろう。
自分の、仲間の、国民の意思を達することができず、志半ばで斬首されたのだ。後悔していないはずがない。

だが今日、いやソンジュの手紙の話を聞いてからは、少しわからなくなった。

もっとも古い仲であるおれにさえ言っていなかった、仲間を募る手紙。王国軍中将であるソンジュの勧誘。

あらためて考えると驚くほどおれは、メンテのことを知らなかった。その腹の底に何を一人抱えていたかも、何も。


メンテは、人知れず”涙”を流していたのだろうか。


「まあ、これはわしの持論じゃからの、必ずしも正しいとは言えん。主は主の考えるままでいいんじゃ。」


どこか気遣うような素振りを見せるフスティシアに視線を向ける。

彼は決して気丈に振る舞う性質ではない。周りを気にして格好つけることも取り繕うこともあまりしない。ドラコニア殲滅戦以降、フスティシアが気落ちしている様を見ていない。単純に人から見えるところでそうしない可能性も十二分にあるが、彼の言葉を借りるなら、大将ラルジュ・マルト―は後悔することなく戦死した。ゆえに自身も特に気にせずその事実を受け止めている、ということなのだろうか。


「最後に一つ聞かせてくれ。」
「わしに答えられることならの。」
「フスティシア、あんたは後悔したことがあるか?」


自嘲するようにフスティシアは口角を上げ、大きな掌でぐしゃぐしゃと低い位置にある黒い頭を撫でまわした。

囁きにも近い小さな声に、目を見開く。

それ以上何も聞けぬまま、槌を背負わぬ背を茫然と見送った。


あと数年で、フスティシア・マルト―はメンテを殺す。アルマも殺す。

何年も同じ軍に所属し、関わる機会も多い。その間に血も涙もない鬼のような男、という評価は完全に払しょくされた。ただ、真っ直ぐ一本木のような男だと思っていた。自らの正義を信じ、疑うことを知らぬような迷いなど感じさせない手本に成り得る軍人。任務のためなら心を振るわさず、己の仕事を全うするそんな軍人の鑑。


「何遍も後悔した。性懲りもなく泣いた。じゃが何遍も繰り返しゃあ、納得いくもんも見えてくるんじゃ。」


未来の王国軍大将は後悔の末、未来に何を見ているのか。
どこか満足げな低い声が、いつまでも頭に響いた。
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