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真っ白な黒い箱 (1)
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「是非、お手合わせを願いたい。」
その顔はにこやかであるのに、どこか威圧感を感じさせた。身に覚えは十二分にある。
ヒムロ。そう呼ばれる文官であった。
文官でありながら元武官という異色の経歴を持つ上、都勤めに珍しく名字を名乗らず働いている。そしてこの国の実質ナンバー2とも言える権力者宰相、リチュエル・オテルの右腕である。
手合せ、を乞う男の腰には刀が差されている。製作地であった東にある村を訪れて以来、使っている人間を見るのは初めてだった。
「先日、革命軍と交戦したという報告を聞いている。……彼らについては閣下も危急の案件として捉えておられる。特に因縁深い貴殿についても気にかけておられる。せっかくお互い同じ獲物を使っているんだ。悪くはないだろう?」
そして、王国軍から革命軍に鞍替えしたヒルマの兄であり、”涙を流す者”の協力者、かつ革命軍とのパイプを持つリチュエル・オテルの部下。
「……了解した。」
前回、この男と出会った覚えはない。
俺を覆うほどの男の影からようやく出て、警戒するようにヒムロを見ていたバンクたちに指示を出す。
今回ヒムロがやってきたのは王国軍の修練場、三番部隊の修練中であった。異様な空気が漂う修練場、もちろんアポなどない唐突な襲来であった。アポなしで来た上に、こちらのことを気にする素振りを見せないその様子は傲慢そのもの。
「アルマ、」
「いい、続けろ。こちらを気にする必要はない。」
何も知らない者から見れば。事務を通すことなく直接来たことは仕事ではなく個人的に来たと思わせるため、また必要以上に自身の動きを他人に知らせないため。そして一番の目的は手合せではなく他の部分にある。
宰相直属の部下と王国軍中将では地位を比較しようにも土俵があまりに違うため、どちらが敬を払うかがはっきりしない。が、宰相直属ということはこちらとしては宰相の遣い、宰相その人と同等の敬を払う必要がある。つまりある程度無茶は黙認すべきだろう。十中八九、この男は宰相の指示の下で動いている。多少の私情はあるにしても。
非公式であれば、極力騒ぎにならない方が得策だろう。こちらのことは気にしないように修練を続けさせる。もてなしをしないことは無礼であろうが、お互い様だ。
「これでも元武官でね。腕はなまっていないつもりだ。」
「心得ている。今は振るうことはないのか。」
「鍛錬は続けているが、最後にまともに戦場に出たのは、ドラコニアだ。」
抑えられ、俺にだけ聞こえる声でそう言った。
ドラコニアの殲滅戦、大火炎の戦い。公式では王国軍の古参以外参加していないはずだった。にも拘わらずドラコニアで参戦していたということは宰相が個人的に兵を出したということを示す。
それが果たして革命軍側なのか、王国軍側なのかは定かではない。いつから革命軍とかかわりがあったのか。ヒルマの言っていたグレー、がなるほどふさわしい。
誰かに聞かれる可能性を知りながらこの場でその話を持ち出すということは、この後確実俺を誘い出すためだろう。
そんな七面倒くさいことなどする必要はないのに。
「それは、楽しみだ。」
なぜメンテは単身で王国軍へと赴き、捕縛されたのか。俺の知らないあの日のことと関連しているかもしれないのであれば、それなによりの誘いなのだから。
上段から振り下ろされる刃は力強い。上背と筋骨隆々といった様からして納得であった。そのアドバンテージを堂々と生かす様や威圧感は同じく大男である大将フスティシア・マルトーに似通ったものがあった。
「ハァッ!」
「っ、」
ただ大きく異なるのはその引き際の潔さだ。振り下ろした直後には次の動作を考えており食い下がらず、次の一手に備える。肉薄しても具にそれを察し退かれる。
「……やりづらいな、アンタ。」
「っそれは貴殿こそ。」
素早さや流動的な戦い方ではなく、一振りしては後退し、またじりじりと隙を伺う。一挙一動洗練されているが、掛け声のため動きが予測しやすい。格下であれば十分に威嚇できるが、俺にはあまり効果がない。きっちりとした所作からしてどこかの流派なのだろう。完全に我流の俺とは真逆。
「あまり、手を抜かれるのは些か業腹なのですが、」
「……手を抜いているつもりはない。ただ測りかねているだけだ。」
一対一だからこそ、このような悠長な試合ができる。普段の戦場ではこういった類の剣術は使われない。動きが少なければ少ないほど、鉛玉を食らいやすいのだから。接近戦同士であればある程度対応できるのだろうが、かなりの混戦であったであろうドラコニアでこういった戦いをしていたとは考えにくい。
「手を抜いているのはそっちじゃないか?」
「まさか、」
心底攻めづらい。動きは少ないが止まっていても隙が無い。待ち構えている相手に突っ込んでいくにしても無策では思うつぼ。
太刀筋、居住い、気迫、どれをとっても堅実剛健と言える。だからこそ戦場でもない場で泥仕合や方法を選ばない術を選ぶことが躊躇される。だがそちらの流儀に合わせられるほどの引き出しはもちあわせていない。
中段に構える相手に対し同じく中段で距離を詰めた。刀身が交わるや否や繰り出される巻き返しに刀が下へと流される。そして上段から振り下ろされる刀のさらに手前に肉薄した。身体が大きければリーチも大きい。しかしその内側に入ってしまえば一旦距離を取るか両手をふさぐ刀を捨てて素手で応戦するしかない。だが手合せでは普通獲物を取り落した時点で勝敗が付く。そのためヒムロに残された手は兎に角退くこと。にも拘わらず、懐に入り込まれたヒムロは刀から手を離した。そして空いた手を躊躇なく俺に向かって伸ばした。
「っ……、」
慌てて勝敗を表すため持っていた刀を首へと向けるが、失策であった。刀を落として素手に変わった時点で相手が勝負しに来ているわけではないと気が付かなくてはならなかった。何とか身をよじり迫る手から逃れたが、その手は胸倉を掴みあげた。
「アルマッ!」
バンクが叫ぶ声が聞こえて一気に冷静になる。胸倉の手を軸に身体を捻りブーツで手首を蹴り抜いた。そうしてやっと緩んだ手から逃れ地面に着地した。体格差のある相手に胸倉を掴まれるのはいつかのラパンのおかげで慣れていた。
想定外と言えば想定外であったが、本当に想定ができなかったかと言えば怪しい点については俺に落ち度があった。端的に言って、少々侮っていたのかもしれない。
「アンタ今こいつを殺すつもりだったろ!自分がなにしてんのかわかってんのか!?」
バンクが庇うように俺とヒムロの間に割って入った。今や上司だというのに雑用時代からの付き合いの所為か未だに弟か何かを見るような目で見てくる節がある。ギャンギャンと吠え立てるバンクを止めようとして、ふと襟元が緩んでいることに気が付く。見れば襟元の釦が外れていた。だがただ外れたり糸がちぎれたりしたわけではない。そう簡単なことでは壊れることのない軍服の釦がいくつかの欠片になり果てていた。釦の無残な姿にぞっとする。あのときヒムロは完全に俺の首を掴む気でいた。俺がひかなければ砕けていたのは俺の首の骨だったかもしれない。
「……ああ、すまない。つい熱くなってしまって。」
少し呆然としてからはにかんでまた最初のような人の良い笑顔を浮かべた。
獲物を手放してから素手での戦闘に迷いなく切り替えたところからして、ただの剣士や文官ではない。今でも十分に戦い慣れている者の手腕であった。決して戦闘に出たのが数年前のドラコニアが最後というはずがない。
なんとなく、態度の変わりようや手管がラパンと通じるものがあると感じた。
「ついじゃねえだろ!そっちの上官にこいつを始末するようにでも頼まれたのか、ああ!?」
「バンク、それ以上やめろ。」
ヒムロ単体であれば個人的に啖呵を切っても最悪構わない。だがその上司を引き合いに出すのであれば話は別だ。話が面倒な方面までもつれ込むのが目に見えている。何より現在の状況が状況だった。
今回の遠征で三番部隊は革命軍の偵察だった。表向きは。だがその実望まれていたのは偵察などではなく革命軍との交戦、打撃を与えること。あわよくば本体の主である総長の首をとることであった。他部隊の管轄でありながら俺のいる三番部隊が駆り出されたのは、偏にあるであろう闘争心と復讐心のままに動くことを期待されたからだ。しかし思惑は外れ、双方にとって大した損害のない交戦、および偵察のみと終わった。本体の大きさ、部隊編成、指揮官や幹部メンバーについて新しい情報を手に入れたものの、総統パシフィスト・イネブランラーブルの期待通りとはいかなかった。それはその男だけの問題と留まらない。
親身になって考えてくれる者や付き合いの長い者などは、よくやったと、冷静に任務の遂行ができて何よりであると喜んでいたが、それ以外者や上層部からすれば俺たち3番部隊は手榴弾のようなものであったのだ。たとえ命令に背いたとしても、損害を与えることができたのであれば御の字。仮にそれで死んだとしても、それは任務を放棄したと考えられるだけで、上層部への痛手は少ない。一部隊が壊滅することは痛手だが、革命軍総長と直接ぶつけられることを考えれば安いリスクであったのだろう。だが結果はいたって無難なもの。上層部としても落胆するものもいるであろう。
「……ベルネット中将。よろしければこの後お時間をいただきたい。」
「はあ!?この状況でうちの中将を連れて行かせるわけねえだろうが!」
そしてそれは王政府の権力者、宰相リチュエル。オテルとしても同じこと。と、何も知らない者からはそう見えるかもしれない。
実際はもっと入り組んでいてお互い五里霧中と言っても過言ではない状況なのだが。
客観的状況、他人から見ればきっと言外の期待にこたえられなかった部隊の部隊長と不満を抱いた権力者の腕利きな遣いという実に不穏な場面に見えることだろう。
だが俺たちにとってそんな明確な違いなどない。お互いに腹を探りあっていて、疑いあっている。相手の思惑は、目的は、どのような方針で動くのか、どのような情報を持っているのかなどなど。
姿の見えない『涙を流す者』に振り回される者同士で。
「ああ、時間を作ろう。」
「アルマッ!」
「報告書の提出を後回して休憩ぶち抜けば話をするだけの時間は作れる。」
「すまない、ありがたい。色々と話したいことがある。……それから君の心配するようなことは、王に誓ってないと宣言しておこう。午後になれば、無傷で君たちに返す予定だ。」
「無傷なのは当たり前だろうがッ……!」
ぴいぴいと喚くバンクのほかにも物を言いたげにこちらを見てくる3番部隊の兵士たちにため息をついた。今回のことがあったとは言え、少将警戒しすぎている。前々から俺に対して過保護であったが、中将となりこの部隊の部隊長になったにも関わらず過保護に拍車がかかるばかりだ。威厳がなくとも過保護であるがゆえについてきてくれるのは結構だが、部下でありながら弟に接するかのような態度で来られるのも考え物だ。
「バンク、問題ない。午後には戻る。」
「でも、」
「でももくそもあるか。……執務室の机の上、革命軍の部隊編成と指揮系統についてまとめてある。あいにくと俺は脳筋だ。不備がないか見ておいてくれ。」
「それとこれとは話が、」
「頼む。」
「…………あーもう見ときゃいいんだろ見ときゃ!ちゃんと午後には帰ってこいよ!返せよ!?」
「承知した。」
らしくなく”お願い”をすれば大抵手綱をとれるのも、嫌いじゃない。
**********
「会議室を一部屋借りている。そこで話そう。」
「周到だな。」
先導する私の後ろをついてくる黒い頭は私の肩甲骨あたりまでしかない。
王国軍三番中将。この国の軍事力の一柱を担う軍人、アルマ・ベルネット。
すでに齢20は超えていたはずだが、小柄で童顔なその様からは15、6歳と言われても疑う者はきっといないだろう。釦が壊れ垂れ下がった襟から細く白い首が見えて肝が冷えた。
先ほどは危うく、殺しかけた。もしあの時彼が身を引かなければあの首を握りつぶしていたことだろう。冗談や誇張抜きに、ついただの試合でしかないことを忘れてしまった。反射的に、やらなければやられると思ってしまったのだ。それはきっと前提にあるだろう。
「あんたの妹は元気そうだったよ」
ほんの一瞬、すれ違った際私にだけ聞こえる小さな声で彼は言った。私とアルマ・ベルネットに面識はなかった。一度も同じ部署にいたことはないし、その時のようにせいぜいすれ違ったことがあったかなかったか、そんなところであるはずなのに。
ヒルマからの報告によると革命軍総長より接触する指示が出され、”涙を流す者”からの手紙を渡し、簡単に言葉を交わしたと。その際、宰相については告げたといっていたが、私について触れたかは定かではない。ただ触れなかったと考えるべきだろう。宰相閣下の名前を出すだけで十分、私の名を出す必要性はどこにもない。
なんにせよあれは私をおびき出す、ひいては宰相と接触を図りたいという意思表示であったのだろう。ただ、確実に私をおびき出すため、そして自身もまた”涙を流す者”からの指示を受けているということを強調するためにヒルマの名前を出した。
それだけのはずだ。
革命軍にいる以上、誰かに手を出されることはない。革命軍にはあくまでもヒルマを伝令役と見張りとして預けている。前線に駆り出されることはないし、ある種の人質としての役割もある。疑いをもたれていた情報局にいるよりもはるかに安全だ。
けれど彼は違う。いや、わからない。彼がどう出るのかまるで想像がつかないのだ。
「……なあ、借りた会議室はここの棟じゃないのか?」
「え、ああ、そう、そうだった。すまないここだ。」
振り向くと怪訝な顔をしたアルマ・ベルネットに見上げられる。見ればこの建物にある会議室が集められた一帯を通り過ぎようとしていたところであった。思っている以上に私は、緊張していたらしい。
アルマ・ベルネットの存在は寝耳に水だ。
今まで革命軍とのかかわりがあったという調べは一切上がってこない。幼少のころに当時少佐であったカルムクール・アムに拾われ王国軍本部へとやってきて、以降ずっとここに所属し続けている。どこを見ても怪しげな点はない、清廉潔白な軍人だ。やや行動に思い切りの良さがあるがそれも目立った欠点ではなく、これと言った失態もない。模範的、といえる。
だからこそ、なぜここにきて突然”涙を流す者”に指名されたのか。現在”涙を流す者”から誘いを受けたものはみな現在の王政に少なからず不満を持っており、なおかつそれを変えたいという意思を持っている。革命軍然り、宰相閣下然り、元中将ソンジュ・ミゼリコルド然り。
だが彼にその様子は見られない。それどころか革命軍に対し恨みを持っている軍人の筆頭として名が挙がる。アルマ・ベルネットはラパン・バヴァールに並び、カルムクール・アムに恩義があり、なおかつ彼以外には扱えないと狂犬などと称されていたそうだ。そんな彼が、カルムクール・アムの仇である革命軍と果たして手を組むのであろうか。
「……入らないのか。」
「いや、入ろう。時間には限りがある。午後までに返せなければ例の彼が怒るだろう。」
「バンクに関してはすまないと思っている。いろいろと過敏になっているんだ。」
私よりも先に扉を開けた後ろ姿、無警戒な項が見えた。
手を伸ばせば十分殺せる距離。
「慕われているということだろう。」
ブラックボックスだろうとなんだろうと、我々の邪魔をするのであれば私のすべき行動は決まっている。
その顔はにこやかであるのに、どこか威圧感を感じさせた。身に覚えは十二分にある。
ヒムロ。そう呼ばれる文官であった。
文官でありながら元武官という異色の経歴を持つ上、都勤めに珍しく名字を名乗らず働いている。そしてこの国の実質ナンバー2とも言える権力者宰相、リチュエル・オテルの右腕である。
手合せ、を乞う男の腰には刀が差されている。製作地であった東にある村を訪れて以来、使っている人間を見るのは初めてだった。
「先日、革命軍と交戦したという報告を聞いている。……彼らについては閣下も危急の案件として捉えておられる。特に因縁深い貴殿についても気にかけておられる。せっかくお互い同じ獲物を使っているんだ。悪くはないだろう?」
そして、王国軍から革命軍に鞍替えしたヒルマの兄であり、”涙を流す者”の協力者、かつ革命軍とのパイプを持つリチュエル・オテルの部下。
「……了解した。」
前回、この男と出会った覚えはない。
俺を覆うほどの男の影からようやく出て、警戒するようにヒムロを見ていたバンクたちに指示を出す。
今回ヒムロがやってきたのは王国軍の修練場、三番部隊の修練中であった。異様な空気が漂う修練場、もちろんアポなどない唐突な襲来であった。アポなしで来た上に、こちらのことを気にする素振りを見せないその様子は傲慢そのもの。
「アルマ、」
「いい、続けろ。こちらを気にする必要はない。」
何も知らない者から見れば。事務を通すことなく直接来たことは仕事ではなく個人的に来たと思わせるため、また必要以上に自身の動きを他人に知らせないため。そして一番の目的は手合せではなく他の部分にある。
宰相直属の部下と王国軍中将では地位を比較しようにも土俵があまりに違うため、どちらが敬を払うかがはっきりしない。が、宰相直属ということはこちらとしては宰相の遣い、宰相その人と同等の敬を払う必要がある。つまりある程度無茶は黙認すべきだろう。十中八九、この男は宰相の指示の下で動いている。多少の私情はあるにしても。
非公式であれば、極力騒ぎにならない方が得策だろう。こちらのことは気にしないように修練を続けさせる。もてなしをしないことは無礼であろうが、お互い様だ。
「これでも元武官でね。腕はなまっていないつもりだ。」
「心得ている。今は振るうことはないのか。」
「鍛錬は続けているが、最後にまともに戦場に出たのは、ドラコニアだ。」
抑えられ、俺にだけ聞こえる声でそう言った。
ドラコニアの殲滅戦、大火炎の戦い。公式では王国軍の古参以外参加していないはずだった。にも拘わらずドラコニアで参戦していたということは宰相が個人的に兵を出したということを示す。
それが果たして革命軍側なのか、王国軍側なのかは定かではない。いつから革命軍とかかわりがあったのか。ヒルマの言っていたグレー、がなるほどふさわしい。
誰かに聞かれる可能性を知りながらこの場でその話を持ち出すということは、この後確実俺を誘い出すためだろう。
そんな七面倒くさいことなどする必要はないのに。
「それは、楽しみだ。」
なぜメンテは単身で王国軍へと赴き、捕縛されたのか。俺の知らないあの日のことと関連しているかもしれないのであれば、それなによりの誘いなのだから。
上段から振り下ろされる刃は力強い。上背と筋骨隆々といった様からして納得であった。そのアドバンテージを堂々と生かす様や威圧感は同じく大男である大将フスティシア・マルトーに似通ったものがあった。
「ハァッ!」
「っ、」
ただ大きく異なるのはその引き際の潔さだ。振り下ろした直後には次の動作を考えており食い下がらず、次の一手に備える。肉薄しても具にそれを察し退かれる。
「……やりづらいな、アンタ。」
「っそれは貴殿こそ。」
素早さや流動的な戦い方ではなく、一振りしては後退し、またじりじりと隙を伺う。一挙一動洗練されているが、掛け声のため動きが予測しやすい。格下であれば十分に威嚇できるが、俺にはあまり効果がない。きっちりとした所作からしてどこかの流派なのだろう。完全に我流の俺とは真逆。
「あまり、手を抜かれるのは些か業腹なのですが、」
「……手を抜いているつもりはない。ただ測りかねているだけだ。」
一対一だからこそ、このような悠長な試合ができる。普段の戦場ではこういった類の剣術は使われない。動きが少なければ少ないほど、鉛玉を食らいやすいのだから。接近戦同士であればある程度対応できるのだろうが、かなりの混戦であったであろうドラコニアでこういった戦いをしていたとは考えにくい。
「手を抜いているのはそっちじゃないか?」
「まさか、」
心底攻めづらい。動きは少ないが止まっていても隙が無い。待ち構えている相手に突っ込んでいくにしても無策では思うつぼ。
太刀筋、居住い、気迫、どれをとっても堅実剛健と言える。だからこそ戦場でもない場で泥仕合や方法を選ばない術を選ぶことが躊躇される。だがそちらの流儀に合わせられるほどの引き出しはもちあわせていない。
中段に構える相手に対し同じく中段で距離を詰めた。刀身が交わるや否や繰り出される巻き返しに刀が下へと流される。そして上段から振り下ろされる刀のさらに手前に肉薄した。身体が大きければリーチも大きい。しかしその内側に入ってしまえば一旦距離を取るか両手をふさぐ刀を捨てて素手で応戦するしかない。だが手合せでは普通獲物を取り落した時点で勝敗が付く。そのためヒムロに残された手は兎に角退くこと。にも拘わらず、懐に入り込まれたヒムロは刀から手を離した。そして空いた手を躊躇なく俺に向かって伸ばした。
「っ……、」
慌てて勝敗を表すため持っていた刀を首へと向けるが、失策であった。刀を落として素手に変わった時点で相手が勝負しに来ているわけではないと気が付かなくてはならなかった。何とか身をよじり迫る手から逃れたが、その手は胸倉を掴みあげた。
「アルマッ!」
バンクが叫ぶ声が聞こえて一気に冷静になる。胸倉の手を軸に身体を捻りブーツで手首を蹴り抜いた。そうしてやっと緩んだ手から逃れ地面に着地した。体格差のある相手に胸倉を掴まれるのはいつかのラパンのおかげで慣れていた。
想定外と言えば想定外であったが、本当に想定ができなかったかと言えば怪しい点については俺に落ち度があった。端的に言って、少々侮っていたのかもしれない。
「アンタ今こいつを殺すつもりだったろ!自分がなにしてんのかわかってんのか!?」
バンクが庇うように俺とヒムロの間に割って入った。今や上司だというのに雑用時代からの付き合いの所為か未だに弟か何かを見るような目で見てくる節がある。ギャンギャンと吠え立てるバンクを止めようとして、ふと襟元が緩んでいることに気が付く。見れば襟元の釦が外れていた。だがただ外れたり糸がちぎれたりしたわけではない。そう簡単なことでは壊れることのない軍服の釦がいくつかの欠片になり果てていた。釦の無残な姿にぞっとする。あのときヒムロは完全に俺の首を掴む気でいた。俺がひかなければ砕けていたのは俺の首の骨だったかもしれない。
「……ああ、すまない。つい熱くなってしまって。」
少し呆然としてからはにかんでまた最初のような人の良い笑顔を浮かべた。
獲物を手放してから素手での戦闘に迷いなく切り替えたところからして、ただの剣士や文官ではない。今でも十分に戦い慣れている者の手腕であった。決して戦闘に出たのが数年前のドラコニアが最後というはずがない。
なんとなく、態度の変わりようや手管がラパンと通じるものがあると感じた。
「ついじゃねえだろ!そっちの上官にこいつを始末するようにでも頼まれたのか、ああ!?」
「バンク、それ以上やめろ。」
ヒムロ単体であれば個人的に啖呵を切っても最悪構わない。だがその上司を引き合いに出すのであれば話は別だ。話が面倒な方面までもつれ込むのが目に見えている。何より現在の状況が状況だった。
今回の遠征で三番部隊は革命軍の偵察だった。表向きは。だがその実望まれていたのは偵察などではなく革命軍との交戦、打撃を与えること。あわよくば本体の主である総長の首をとることであった。他部隊の管轄でありながら俺のいる三番部隊が駆り出されたのは、偏にあるであろう闘争心と復讐心のままに動くことを期待されたからだ。しかし思惑は外れ、双方にとって大した損害のない交戦、および偵察のみと終わった。本体の大きさ、部隊編成、指揮官や幹部メンバーについて新しい情報を手に入れたものの、総統パシフィスト・イネブランラーブルの期待通りとはいかなかった。それはその男だけの問題と留まらない。
親身になって考えてくれる者や付き合いの長い者などは、よくやったと、冷静に任務の遂行ができて何よりであると喜んでいたが、それ以外者や上層部からすれば俺たち3番部隊は手榴弾のようなものであったのだ。たとえ命令に背いたとしても、損害を与えることができたのであれば御の字。仮にそれで死んだとしても、それは任務を放棄したと考えられるだけで、上層部への痛手は少ない。一部隊が壊滅することは痛手だが、革命軍総長と直接ぶつけられることを考えれば安いリスクであったのだろう。だが結果はいたって無難なもの。上層部としても落胆するものもいるであろう。
「……ベルネット中将。よろしければこの後お時間をいただきたい。」
「はあ!?この状況でうちの中将を連れて行かせるわけねえだろうが!」
そしてそれは王政府の権力者、宰相リチュエル。オテルとしても同じこと。と、何も知らない者からはそう見えるかもしれない。
実際はもっと入り組んでいてお互い五里霧中と言っても過言ではない状況なのだが。
客観的状況、他人から見ればきっと言外の期待にこたえられなかった部隊の部隊長と不満を抱いた権力者の腕利きな遣いという実に不穏な場面に見えることだろう。
だが俺たちにとってそんな明確な違いなどない。お互いに腹を探りあっていて、疑いあっている。相手の思惑は、目的は、どのような方針で動くのか、どのような情報を持っているのかなどなど。
姿の見えない『涙を流す者』に振り回される者同士で。
「ああ、時間を作ろう。」
「アルマッ!」
「報告書の提出を後回して休憩ぶち抜けば話をするだけの時間は作れる。」
「すまない、ありがたい。色々と話したいことがある。……それから君の心配するようなことは、王に誓ってないと宣言しておこう。午後になれば、無傷で君たちに返す予定だ。」
「無傷なのは当たり前だろうがッ……!」
ぴいぴいと喚くバンクのほかにも物を言いたげにこちらを見てくる3番部隊の兵士たちにため息をついた。今回のことがあったとは言え、少将警戒しすぎている。前々から俺に対して過保護であったが、中将となりこの部隊の部隊長になったにも関わらず過保護に拍車がかかるばかりだ。威厳がなくとも過保護であるがゆえについてきてくれるのは結構だが、部下でありながら弟に接するかのような態度で来られるのも考え物だ。
「バンク、問題ない。午後には戻る。」
「でも、」
「でももくそもあるか。……執務室の机の上、革命軍の部隊編成と指揮系統についてまとめてある。あいにくと俺は脳筋だ。不備がないか見ておいてくれ。」
「それとこれとは話が、」
「頼む。」
「…………あーもう見ときゃいいんだろ見ときゃ!ちゃんと午後には帰ってこいよ!返せよ!?」
「承知した。」
らしくなく”お願い”をすれば大抵手綱をとれるのも、嫌いじゃない。
**********
「会議室を一部屋借りている。そこで話そう。」
「周到だな。」
先導する私の後ろをついてくる黒い頭は私の肩甲骨あたりまでしかない。
王国軍三番中将。この国の軍事力の一柱を担う軍人、アルマ・ベルネット。
すでに齢20は超えていたはずだが、小柄で童顔なその様からは15、6歳と言われても疑う者はきっといないだろう。釦が壊れ垂れ下がった襟から細く白い首が見えて肝が冷えた。
先ほどは危うく、殺しかけた。もしあの時彼が身を引かなければあの首を握りつぶしていたことだろう。冗談や誇張抜きに、ついただの試合でしかないことを忘れてしまった。反射的に、やらなければやられると思ってしまったのだ。それはきっと前提にあるだろう。
「あんたの妹は元気そうだったよ」
ほんの一瞬、すれ違った際私にだけ聞こえる小さな声で彼は言った。私とアルマ・ベルネットに面識はなかった。一度も同じ部署にいたことはないし、その時のようにせいぜいすれ違ったことがあったかなかったか、そんなところであるはずなのに。
ヒルマからの報告によると革命軍総長より接触する指示が出され、”涙を流す者”からの手紙を渡し、簡単に言葉を交わしたと。その際、宰相については告げたといっていたが、私について触れたかは定かではない。ただ触れなかったと考えるべきだろう。宰相閣下の名前を出すだけで十分、私の名を出す必要性はどこにもない。
なんにせよあれは私をおびき出す、ひいては宰相と接触を図りたいという意思表示であったのだろう。ただ、確実に私をおびき出すため、そして自身もまた”涙を流す者”からの指示を受けているということを強調するためにヒルマの名前を出した。
それだけのはずだ。
革命軍にいる以上、誰かに手を出されることはない。革命軍にはあくまでもヒルマを伝令役と見張りとして預けている。前線に駆り出されることはないし、ある種の人質としての役割もある。疑いをもたれていた情報局にいるよりもはるかに安全だ。
けれど彼は違う。いや、わからない。彼がどう出るのかまるで想像がつかないのだ。
「……なあ、借りた会議室はここの棟じゃないのか?」
「え、ああ、そう、そうだった。すまないここだ。」
振り向くと怪訝な顔をしたアルマ・ベルネットに見上げられる。見ればこの建物にある会議室が集められた一帯を通り過ぎようとしていたところであった。思っている以上に私は、緊張していたらしい。
アルマ・ベルネットの存在は寝耳に水だ。
今まで革命軍とのかかわりがあったという調べは一切上がってこない。幼少のころに当時少佐であったカルムクール・アムに拾われ王国軍本部へとやってきて、以降ずっとここに所属し続けている。どこを見ても怪しげな点はない、清廉潔白な軍人だ。やや行動に思い切りの良さがあるがそれも目立った欠点ではなく、これと言った失態もない。模範的、といえる。
だからこそ、なぜここにきて突然”涙を流す者”に指名されたのか。現在”涙を流す者”から誘いを受けたものはみな現在の王政に少なからず不満を持っており、なおかつそれを変えたいという意思を持っている。革命軍然り、宰相閣下然り、元中将ソンジュ・ミゼリコルド然り。
だが彼にその様子は見られない。それどころか革命軍に対し恨みを持っている軍人の筆頭として名が挙がる。アルマ・ベルネットはラパン・バヴァールに並び、カルムクール・アムに恩義があり、なおかつ彼以外には扱えないと狂犬などと称されていたそうだ。そんな彼が、カルムクール・アムの仇である革命軍と果たして手を組むのであろうか。
「……入らないのか。」
「いや、入ろう。時間には限りがある。午後までに返せなければ例の彼が怒るだろう。」
「バンクに関してはすまないと思っている。いろいろと過敏になっているんだ。」
私よりも先に扉を開けた後ろ姿、無警戒な項が見えた。
手を伸ばせば十分殺せる距離。
「慕われているということだろう。」
ブラックボックスだろうとなんだろうと、我々の邪魔をするのであれば私のすべき行動は決まっている。
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