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小学生
ハンカチ
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二人でソファに座りしばしぼうっとする。どうやらホールの入り口と反対側の廊下に出てしまったらしく人通りはほとんどない。だが休憩をするにはとてもありがたい。控えめに壁に掛けられた小さな時計を確認するとホールから出てから約二十分が経とうとしていた。
「ご気分はいかがですか?」
「ん、大丈夫だ。大分楽になった。」
蓮様の言う通り、その顔には仄かに色が戻ってきていた。ふと頭によぎったことを口に出す。
「無理はしないでくださいね?まだ全快と言えないのなら、今回は神楽様とお会いするのはやめた方がよろしいのでは。貴方の意思さえあればまた後日会う機会を作っていただけると思いますが。」
これは事実だ。そんな毎日が忙しいわけではあるまいし、数年間一度も会っていないというのも妙な話だ。十中八九、嘉人様が蓮様に気を遣いすぎて会わせないよう手引きしていたのだろう。蓮様が望むのならある程度の時間をとることを嘉人様はきっと厭わない。
じっと横から蓮様を見ていると何故か深いため息を吐いた。
「蓮様……?」
「あのさ、涼……。」
ぐっと身体がこちらへ向けられ、左手がこちらへ伸ばされ、ぽん、と頭の上に下ろされた。
「……?」
何が何だかよく分からないまま呆然としているとゆっくりと頭を撫でられる。髪型が崩れないようにかそっと撫でられるのがむず痒い。
「あの、何ですか?」
「お前が心配するほど兄貴のことについて気にしてるわけじゃないんだぞ?もう何年も会ってないし、関わりもない。赤の他人と会うのと変わらないんだから。大して何か思うものなんてないからお前もそんなに気にすんなよ。」
ゆるく動かされる左手がどうにも慣れず、払いたくなるがなんとなく気が引けてそのままにしておく。
「ちょっと過保護でしたかね……。」
「ああ、ちょっと過ぎる。逆にお前が神楽と会いたくねぇんじゃないかってくらいに。」
「そんなつもりはなかったのですが……。」
今までの自分の行動を思い起こしてみる。どうして僕はそんなに蓮様を神楽様に会わせたくなかったのだろうか?蓮様に気を遣っていたといっても、そうするようになった原因自体はもう何年も前のことだ。あのアルバムを見たときからすでに何年も経っている。三年前は黒海や前村達に神楽様の話をしていたのだから苦手意識は薄らいでいると分かる筈なのに。
「まぁ俺はもう大丈夫だから、あんま心配するなよ?」
戻るか、と最後に言って僕の手を引き立ち上がらせた。
「それと、涼が神楽のこと苦手でも俺がちゃんと守ってやるから!」
眩しいくらいの笑顔で僕を元気付けるようにそう言って革張りの扉を押す。
神楽様のことを苦手に思っているということはないのに、何となくさっきよりも繋がれた手に力を込めた。
ホールに戻るも特にすることもなく壁の花になる。神楽様と会うといっても僕は小さなころの彼しか知らないため探してあいさつに行くこともできない。さっき寛ぎすぎたせいか、いまいちシャキッとしない。繋がれた手から伝わる温さにほっこりとしていた。
「暇ですねー。」
「暇だなー。」
立食会の終わる時間は聞いていない。すべてその場での嘉人様の指示に従うことになっているのだ。決められていない時間を徒に過ごすというのはどうにも手持無沙汰であくびをかみ殺した。
視界の端で扉が開けられるのが目に入った。先ほど僕たちが出たときに使った扉だ。濃い金髪が扉の向こうへ消えていくのをなんとなしに眺める。ああ、さっき中高生の集団の中心にいた少年だ。そう認識しふと目を床に落とすと紺のストライプのハンカチが赤い絨毯の上にあった。僕らがホールに入ったときは落ちていなかったから、大方今の少年の持ち物であろう。
「すいません、今外に出た子がハンカチ落としたみたいなので届けてきますね。」
「ん、行って来い。」
蓮様に許可を取り、ハンカチを拾い上げて彼の姿の消えた扉を引いた。
金髪の彼の姿はすぐに見つかった。彼も先ほどの僕らと同じように休むために出てきたらしく、壁に背を預けて目をつぶっていた。少々忍びないがいつまでもハンカチを持って右往左往するわけにもいかないので話しかける。
「あの、すいません。」
「……なんだ?」
気だるげに瞼があげられる。いかにも迷惑、とでも言いたげな表情に、あ、面倒だからさっさと渡して蓮様のところに戻ろう、と心に決める。
「このハンカチは貴方のものですか?」
「……ああ、俺のだ。」
礼もないのか、と心中イラッとしながらも外交スマイルを浮かべてハンカチを渡すだけ渡すとさっと踵を返した。……いや、返そうとした。
「おいっ。」
いきなり手首をグイッと引かれる。普通の子供なら転ぶかよろめくのではないかという程の気遣いのない力だった。もっともよろめくなどという無様な真似はしない。眉間にしわが寄りそうになるのを無理やり矯正し、困ってますという笑顔を張り付ける。
「なんでしょうか?」
「お前、名前は?」
初対面でお前呼び、しかもすごい横柄な態度。決して仲良くなれない人種だと察知した。
ぜひとも関わりたくない。偽名を名乗るべきだろうか。いや、そもそも名乗らなければならないのか。
「いえ、お耳に入れるほどの名前ではありませんので……。」
「……この俺の言うことが聞けないのか。」
どの俺だよ。何様だ。俺様か?俺様なのか?
話せば話すほど苛立ちが募る。なんなんだこいつは。逆になんで僕がこいつの言うことを聞かなきゃならないんだ。
「申し訳ございませんが、中で連れが待っているので。」
そういって手を解こうとすると力がさらに込められる。痛い。耐えられないほどでは全くないが少し痣ができるかもなんて思った。なけなしの愛想笑いはすでにない。
「……離していただけますか?」
「はっ、断る。」
グッと引き寄せらそうになるが慣れない靴ながらバランスを崩さないように床を踏む。どうすれば捲けるだろうか。今日一番のため息が出そうになった。
「おい、何してる。」
後ろから聞きなれた声がし、腹に手を回され引き寄せられた。目の前の少年と力の方向だったため不覚にもあっさりと後ろに身体が傾き抱きとめられた。さらに僕の手をつかんでいた手を躊躇なく払いのける。相手のというかその保護者の力がどれほどか分からなったためあまり無碍にできなかったのだがしれっとした動きに嘆息する。
「蓮様……。」
「……誰だ、お前。」
少年は機嫌が急降下したらしく蓮様を金の双眸で睨みつけた。不穏な雰囲気に少し慄きながら後ろの蓮様を伺う。
「お前に名乗る必要はない。」
「はあ!?そんなこと言って良いと思ってんのか!?」
顔を真っ赤にしながら蓮様に掴みかかろうとする。が、もちろんそんなことを僕が許すはずもなく少年の伸ばされた手をつかみ手加減をしながら下ろさせる。
「おまっ、お前、俺を誰だか分かってんのか!」
「誰だって構わない。どうでも良い。」
蓮様は本気で興味がないらしく僕の身体に手を回したまま背を向けようとした。ただ、僕はこの少年をどこかで見たことがある気がした。どこで見たのか、あるいは誰かに似ているのか。
「俺に逆らうってことは黄師原を敵に回すってことだからな!」
「黄師原……?」
少年の言葉に蓮様は眉をひそめた。それに気をよくしたのか少年はなおも重ねた。
「黄師原グループ会長、黄師原慧俊きしはらけいしゅんの一人息子の黄師原煌太郎きしはらこうたろうだ!」
恐れ入ったかとばかりに胸を張る少年を見て目を瞠る。そしてハンカチを拾いこの少年に届けたことを全力で後悔した。
やらかした。
この少年は、赤、白、緑に次ぐ四色目。
「黄色だ……。」
僕の呟きは誰の耳に入ることもなく消えた。
「ご気分はいかがですか?」
「ん、大丈夫だ。大分楽になった。」
蓮様の言う通り、その顔には仄かに色が戻ってきていた。ふと頭によぎったことを口に出す。
「無理はしないでくださいね?まだ全快と言えないのなら、今回は神楽様とお会いするのはやめた方がよろしいのでは。貴方の意思さえあればまた後日会う機会を作っていただけると思いますが。」
これは事実だ。そんな毎日が忙しいわけではあるまいし、数年間一度も会っていないというのも妙な話だ。十中八九、嘉人様が蓮様に気を遣いすぎて会わせないよう手引きしていたのだろう。蓮様が望むのならある程度の時間をとることを嘉人様はきっと厭わない。
じっと横から蓮様を見ていると何故か深いため息を吐いた。
「蓮様……?」
「あのさ、涼……。」
ぐっと身体がこちらへ向けられ、左手がこちらへ伸ばされ、ぽん、と頭の上に下ろされた。
「……?」
何が何だかよく分からないまま呆然としているとゆっくりと頭を撫でられる。髪型が崩れないようにかそっと撫でられるのがむず痒い。
「あの、何ですか?」
「お前が心配するほど兄貴のことについて気にしてるわけじゃないんだぞ?もう何年も会ってないし、関わりもない。赤の他人と会うのと変わらないんだから。大して何か思うものなんてないからお前もそんなに気にすんなよ。」
ゆるく動かされる左手がどうにも慣れず、払いたくなるがなんとなく気が引けてそのままにしておく。
「ちょっと過保護でしたかね……。」
「ああ、ちょっと過ぎる。逆にお前が神楽と会いたくねぇんじゃないかってくらいに。」
「そんなつもりはなかったのですが……。」
今までの自分の行動を思い起こしてみる。どうして僕はそんなに蓮様を神楽様に会わせたくなかったのだろうか?蓮様に気を遣っていたといっても、そうするようになった原因自体はもう何年も前のことだ。あのアルバムを見たときからすでに何年も経っている。三年前は黒海や前村達に神楽様の話をしていたのだから苦手意識は薄らいでいると分かる筈なのに。
「まぁ俺はもう大丈夫だから、あんま心配するなよ?」
戻るか、と最後に言って僕の手を引き立ち上がらせた。
「それと、涼が神楽のこと苦手でも俺がちゃんと守ってやるから!」
眩しいくらいの笑顔で僕を元気付けるようにそう言って革張りの扉を押す。
神楽様のことを苦手に思っているということはないのに、何となくさっきよりも繋がれた手に力を込めた。
ホールに戻るも特にすることもなく壁の花になる。神楽様と会うといっても僕は小さなころの彼しか知らないため探してあいさつに行くこともできない。さっき寛ぎすぎたせいか、いまいちシャキッとしない。繋がれた手から伝わる温さにほっこりとしていた。
「暇ですねー。」
「暇だなー。」
立食会の終わる時間は聞いていない。すべてその場での嘉人様の指示に従うことになっているのだ。決められていない時間を徒に過ごすというのはどうにも手持無沙汰であくびをかみ殺した。
視界の端で扉が開けられるのが目に入った。先ほど僕たちが出たときに使った扉だ。濃い金髪が扉の向こうへ消えていくのをなんとなしに眺める。ああ、さっき中高生の集団の中心にいた少年だ。そう認識しふと目を床に落とすと紺のストライプのハンカチが赤い絨毯の上にあった。僕らがホールに入ったときは落ちていなかったから、大方今の少年の持ち物であろう。
「すいません、今外に出た子がハンカチ落としたみたいなので届けてきますね。」
「ん、行って来い。」
蓮様に許可を取り、ハンカチを拾い上げて彼の姿の消えた扉を引いた。
金髪の彼の姿はすぐに見つかった。彼も先ほどの僕らと同じように休むために出てきたらしく、壁に背を預けて目をつぶっていた。少々忍びないがいつまでもハンカチを持って右往左往するわけにもいかないので話しかける。
「あの、すいません。」
「……なんだ?」
気だるげに瞼があげられる。いかにも迷惑、とでも言いたげな表情に、あ、面倒だからさっさと渡して蓮様のところに戻ろう、と心に決める。
「このハンカチは貴方のものですか?」
「……ああ、俺のだ。」
礼もないのか、と心中イラッとしながらも外交スマイルを浮かべてハンカチを渡すだけ渡すとさっと踵を返した。……いや、返そうとした。
「おいっ。」
いきなり手首をグイッと引かれる。普通の子供なら転ぶかよろめくのではないかという程の気遣いのない力だった。もっともよろめくなどという無様な真似はしない。眉間にしわが寄りそうになるのを無理やり矯正し、困ってますという笑顔を張り付ける。
「なんでしょうか?」
「お前、名前は?」
初対面でお前呼び、しかもすごい横柄な態度。決して仲良くなれない人種だと察知した。
ぜひとも関わりたくない。偽名を名乗るべきだろうか。いや、そもそも名乗らなければならないのか。
「いえ、お耳に入れるほどの名前ではありませんので……。」
「……この俺の言うことが聞けないのか。」
どの俺だよ。何様だ。俺様か?俺様なのか?
話せば話すほど苛立ちが募る。なんなんだこいつは。逆になんで僕がこいつの言うことを聞かなきゃならないんだ。
「申し訳ございませんが、中で連れが待っているので。」
そういって手を解こうとすると力がさらに込められる。痛い。耐えられないほどでは全くないが少し痣ができるかもなんて思った。なけなしの愛想笑いはすでにない。
「……離していただけますか?」
「はっ、断る。」
グッと引き寄せらそうになるが慣れない靴ながらバランスを崩さないように床を踏む。どうすれば捲けるだろうか。今日一番のため息が出そうになった。
「おい、何してる。」
後ろから聞きなれた声がし、腹に手を回され引き寄せられた。目の前の少年と力の方向だったため不覚にもあっさりと後ろに身体が傾き抱きとめられた。さらに僕の手をつかんでいた手を躊躇なく払いのける。相手のというかその保護者の力がどれほどか分からなったためあまり無碍にできなかったのだがしれっとした動きに嘆息する。
「蓮様……。」
「……誰だ、お前。」
少年は機嫌が急降下したらしく蓮様を金の双眸で睨みつけた。不穏な雰囲気に少し慄きながら後ろの蓮様を伺う。
「お前に名乗る必要はない。」
「はあ!?そんなこと言って良いと思ってんのか!?」
顔を真っ赤にしながら蓮様に掴みかかろうとする。が、もちろんそんなことを僕が許すはずもなく少年の伸ばされた手をつかみ手加減をしながら下ろさせる。
「おまっ、お前、俺を誰だか分かってんのか!」
「誰だって構わない。どうでも良い。」
蓮様は本気で興味がないらしく僕の身体に手を回したまま背を向けようとした。ただ、僕はこの少年をどこかで見たことがある気がした。どこで見たのか、あるいは誰かに似ているのか。
「俺に逆らうってことは黄師原を敵に回すってことだからな!」
「黄師原……?」
少年の言葉に蓮様は眉をひそめた。それに気をよくしたのか少年はなおも重ねた。
「黄師原グループ会長、黄師原慧俊きしはらけいしゅんの一人息子の黄師原煌太郎きしはらこうたろうだ!」
恐れ入ったかとばかりに胸を張る少年を見て目を瞠る。そしてハンカチを拾いこの少年に届けたことを全力で後悔した。
やらかした。
この少年は、赤、白、緑に次ぐ四色目。
「黄色だ……。」
僕の呟きは誰の耳に入ることもなく消えた。
応援ありがとうございます!
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