眠りたい私と4つのベッド

秋澤えで

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眠りたい私と4つのベッド

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 電車に揺られながら、右から左へと流れる町明かりをぼうっと見ていた。車内は空いていて、私と同じようなスーツを着た人しかいない。駅に停まるたび、一人二人と降りて行って。終点につく頃には私一人になっていた。
 一週間働いた身体はもう限界で、かろうじて家に帰るだけの体力が残されているだけだった。家と会社を往復するだけの毎日。週末の夜に予定を入れる予定も休日に遊ぶ予定も入れられない。
 改札で定期をかざして、とっぷりと暮れた街を一人で歩く。ここ最近、早朝と深夜の街並みしか見ることができていない気がする。最寄り駅から歩いて約10分、私の城である小さなアパートがようやく見えた。たった10分、されど10分、仕事で疲れた身体にこの10分は堪える。煌々と光るコンビニへ寄り道することなく、部屋へ直行。メイクを落として、お風呂に入って寝よう。今日の晩御飯は残業中に食べたグラノーラバーだ。なんにせよ、この時間に晩御飯なんて食べたら体重に直結してしまう。
 パンプスの底を引きずるようにして2階の部屋までたどり着く。鍵を開けて扉を開けるころにはもうお風呂へ入る気力もなかった。メイクを落として、歯磨きをして、寝よう。寝てしまおう。明日の朝シャワーを浴びればいい。幸い明日は土曜日だ。上司からの呼び出しがない限り、私の惰眠は約束されている。
 窮屈なパンプスを脱ぎ捨て、締め付けるストッキングを放る。ジャケットを脱いでひっつめていた髪を解くともうメイクを落とす気力もなくなった。一刻も早くベッドへ行きたい。泥のように眠ってしまいたい。
 肌荒れだとか虫歯だとか、もう面倒なことは考えたくなかった。大人としての良識だとか健康だとかマナーだとか、すべて放り出して、私はベッドに倒れこんだ。
 眠りたい、仕事のことを忘れてしまいたい。
 スプリングのきいたベッドは危なげなく、悠々と私の身体を受け止めてくれる。ふかふかとした布団に包れると、ゆるゆると眠気が襲ってきて足元が軽くなった。温かい水に沈むように、頭が鈍る。
 愛しのベッドに身を任せ、温もりに意識を手放そうとして、はっとした。
 私のベッドは一日放置されていたのだ。温もりなんてあるはずがない。なのにこのベッドも布団も温かい。しかも心なしか晴れた日に干したように太陽の香ばしい匂いがする。
 「お嬢さん、お嬢さん、そこの可愛いお嬢さん。お疲れのところ悪いけれど、私の上からどいてくれるかい?」
 「ベッドが、しゃべった……!」
 「ああ、お嬢さん、私はあなたのベッドじゃあないよ」
 喋りだしたベッドに飛び起きると、そこは太陽がやさしく降り注ぐ麦畑だった。そして私が横たわっていたのは私の見慣れたベッドではなく、通常の10倍ほどの大きさの羊だった。
 「ひ、つじ……」
 「おはよう、お嬢さん。すまないね、君が小さくても、いきなりダイブされてしまうと衝撃というものがあるよ。いくらこの自慢の羊毛がもふもふだとしてもね」
 「もふ、もふ……」
 寝起きで頭がはっきりとしない、というより私はもう寝ているのではないだろうか。巨大な羊、燦々と降り注ぐ太陽、黄金の小麦畑。間違いなく夢だ。けれど今の私はとても眠い。はだしで羊毛の海に立とうとするとずぶずぶと足が埋もれていき、温かい。
 「羊さん、ここはどこ?」
 「お嬢さん、ここは太陽の国だよ。いつも温かく日が降り注ぐ国。お嬢さんはどこから来たんだい?」
 「私は日本から来たの」
 「日本? どんな国なんだい?」
 「仕事に追われて、眠る時間も削られてしまうような国よ」
 自分でも何を言っているかわからない。けれどとにかく私は眠かった。
 「それは可哀想に。それでここに来たとたん私の上で寝てしまったんだね」
 「いきなりあなたの上に落ちてきたみたいで、ごめんなさい」
 「構わない、構わないよ。私は紳士な羊だからね。睡眠不足なお嬢さん。よかったら国に帰る前にここでひと眠りしていくといい。この国で寝るのはとても気持ちがいいんだ。いつどこで寝ても暖かく、起きるときはやさしく日光が起こしてくれる。やさしい国だよ」
 体同様器も大きい羊は、そのまま背中で寝るように言ってくれた。ぽかぽかと温めてくれる太陽とふかふかの羊毛に身を投げた。
 「ありがとう、羊さん」
 「お安い御用さお嬢さん。私はレム。今日だけ君のベッドになる羊の名前さ」
 「ありがとう、よろしくね、レムさん」
「どうか君が穏やかに眠れますように」
 大きな羊のレムの言葉を聞くと同時に、私の意識も羊毛の中へ沈んでいった。



 ふと寒さで目を覚ました。つい先ほどまで大きな羊、レムの背中で寝ていたはずなのに、どこを見てもレムはいない。それに一面に広がっていた麦畑も燦然と輝く太陽も姿を消していた。ここはどうもさっきまでいた太陽の国ではないらしい。身震いをしながら立ち上がる。裸足で石畳を歩くのはつらい。
 太陽の国とは打って変わってここはとても寒かった。石畳は冷たく、空には大きな白い月が浮かんでいる。月明りのおかげで周りはよく見ることができた。しばらく歩いていくと大きな湖の前に出た。空の月をきれいに映し、湖の周りには薄桃色の花が咲いている。寒々しく美しい景色。けれど私はそんなことより一刻も早く温かいところで寝たかった。どうしたらさっきの太陽の国に戻れるか見当もつかない。ここで何とか寝床を探すしかなさそうだ。冷たい石の上を歩いていると、湖の傍に穴があるのを見つけた。穴の周りの地面を触るとほのかに温かい。石畳より保温性があるのだろう。布団も羊毛もない。けれどもう限界。私は穴の中に飛び込んだ。
 不思議なことに穴の中はふわふわとしていた。深いと思っていたところに、大きな黒い生き物がいたのだ。
 「ふわふわ……」
 黒い毛の表面は月のように冷えているけれど、深く沈んでいくとぬくぬくと温かかった。また心地よい眠気が襲ってくる。外が寒いせいで、余計に温かく感じた。
 「ちょいと、礼儀のなってないお嬢さん。いきなり人の寝床に入ってきて寝ようとするだなんて礼儀知らずにもほどがある」
 大きなふわふわはごそごそと動き出して太い尻尾を不機嫌に地面にたたきつけた。とがった耳、金貨のような眼。私が飛び込んだ黒いふわふわは穴の寝床で寝ていた黒猫であった。
 「ごめんなさい、大きな猫さん。でも私今すごく寒くて眠いの」
 「そりゃあ寒いさ。ここは月の国。静かで冷たい国だ。けれどここには騒がしいものも煩わしいものもない。ただみな動かず、寝ることのできる国さ」
 大きな猫は髭を震わせ穴から見える月を見上げた。穴の中までやさしく冷たく照らしている。
 「そんなことも知らないで、君はいったいどこから来たっていうんだい?」
 「私は日本から来たの」
 「日本? どんな国なんだい?」
 「仕事に追われて、眠る時間も削られてしまうような国よ」
 大きな猫はため息をついた。開いた口から大きな牙が見えている。
 「なんて騒がしく煩わしい国なんだろうね。ここにいればずっと寝ていられるのに」
 「ずっと寝ていられたら幸せなのに」
 「そうかい、ならしばらくここで寝ていくといい。今だけは僕のこの毛皮を貸してあげよう。ふかふかしていて温かいよ。暑くなったら手足を外に突き出してみるといい。月の光がすぐに冷やしれくれるから」
 「ありがとう、大きな猫さん」
 「私は黒猫のレムレム。小さなお嬢さん、しっかり寝てから帰り道を探すといい」
 「助かるわ、レムレムさん」
 「お安い御用さ疲れたお嬢さん。静かな夢を見れることを祈っているよ」
 レムレムの喉が鳴るのを聞きながら、私の意識は黒い毛の中へ沈んでいった。




 寝ても寝ても、寝足りない。
 ふと目を覚ますと目の前に白い壁があった。ふわふわとしていて、手で触れるとほのかに温かい。後ろを見ると後ろには黄色の壁ある。こちらもふわふわしていて温かい。私はふわふわの壁に囲まれていた。
 眠たくて眠たくて、白い壁にもたれかかると、壁の中へずぶずぶと沈んでいく。どこを触っても温かくて全身を白い壁に埋もれさせた。どこか香ばしい、麦のような匂いがする。頬ずりすると少しくすぐったかった。
 「ちょっとちょっと、くすぐったいじゃないの。静かに寝てなさいかわいい子たち」
 白い壁の上から声が降ってくる。見上げると大きな鶏と目があった。大きな羊と大きな猫と話した後だからもう驚いたりしない。
 「あらあらあら! あなたうちの子じゃないじゃないの。どうしてここにいるの」
 「ごめんなさい大きな鶏さん。さっきまで月の国で猫さんと寝ていたのに、気が付いたらここにいたの」
 「随分と寝相が悪いのね」
 くすくすと笑う鶏に抱き着いたまま羽毛に溺れる。きっと私の後ろの黄色い壁はひよこだ。どうやら鶏の親子の巣に紛れ込んでしまったらしい。
 「出身はどちら?」
「私は日本から来たの」
 「日本? どういう国なの?」
 「仕事に追われて、眠る時間も削られてしまうような国よ」
 「それはそれは、気の毒な国ね。しっかり寝ないと、すがすがしい夜明けは迎えられないのに」
 大きな鶏はこれまた大きな羽で私の頭を撫でた。
 「だから、眠たくて、眠たくて、しょうがないんです」
 「あらあらあら、仕方がないわね。それなら私の羽の中で寝てしまいなさい。とても暖かいのよ」
 「ありがとう、大きな鶏さん」
「私は鶏のアケボノ。夜明けまでまだ時間があるわ。うちの子たちと一緒に寝ていなさい」
 「ありがとう、アケボノさん。お世話になります」
「おやすみなさい、眠たいお嬢さん。夜明けが来たら呼ぶわ。どうかそれまで、いい夢を」
アケボノの声を最後に、私の意識は沈んでいった。




 カーテンの隙間から差し込む日の光で目が覚めた。
 重い身体を起こすとそこは見慣れた私の部屋だった。ベッドのわきには丸まったストッキングと脱ぎっぱなしのジャケットが落ちていて、髪はぼさぼさ、着替えてないシャツはよれよれ。枕もとの時計を見ると朝の6時。鶏の声の聞こえる時分だ。
 足の裏を見てみても、外を出歩いたような汚れはない。大きな羊も、猫も、鶏も、すべて夢だったのだろう。けれど夢にしては鮮明に3匹の柔らかさ、寝心地の良さを覚えていた。
 もう一度、あの温かくて柔らかい場所で寝ることはできないだろうか。
 しわしわになったワイシャツとスカートを脱いで、パジャマに着替える。歯磨きも洗顔も片付けも後でいい。世の中のまじめな大人たちはもう起きて活動を始める時間。
 けれど今日の私は仕事に追われて、“眠る時間も削られてしまうような国“から来た眠たい大人なのだ。そんな大人なんだから眠りたいときに寝てしまえばいいじゃないか。
 まだほのかに温かさの残るベッドに横たわり、布団に潜り込んだ。
 もう一度彼らに会える夢を期待して。
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