蹄の歌

秋澤えで

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ルビーと純金の曰く付きネックレス 被害額800万

第7夜 離別

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 「二人は、どうしたい。」


 目や鼻を赤くしているが、涙が止まった頃合いを見計らって、尋ねる。


 「……どうって?」
 「このあたりで移住しやすそうな土地はすぐに目星がつく。ここの島民がどれだけ残っているかわからないが、そいつらと居たいなら二人ともそこへ運ぶが。」


 私がこの島に来たとき、港にあったであろう船はほとんど木屑と化しており、島を出る船があったとするならばどこかに隠して置ける程度の小舟、もしくは急ごしらえの船だろう。そのくらいの足ならどこまで行けるかはだいたいわかる。それに今はどこも治安が悪いためよそ者を嫌う島も少なくはない。難民を受け入れることができるだけの自衛力を持つ島か、大らかであまり発展していない島、現政府軍基地のある島くらいだろう。すぐに絞り込むこともできる。


 「それは、いい。誰が残ってるか、わからないし。今までみたいにおれたちに構う余裕もないだろうから。」


 誰が残ってるかわからない、という言葉に葛藤が見えた。誰が生き残ってるかわからない、逆に言えば生き残っている人間を知れば、死んでしまった人間もまた明確になるのだ。誰か生きていてほしい人間がこの弟分以外にいるのか察することはできないが、もしかしたらどこかで生きているかもしれないと、想像し祈るのは個人の自由だ。現実を受け止めろだの説教じみたことを言うのはお門違いだ。


 「ではどうする。」


 何もこの幼子たちを運ぶだけ運んで放置するつもりはない。いまだ安定しないこの世界は子供二人だけで生きていけるほど甘くはない。後見人などは流石に無理だろうが、余裕のありそうな平和な街、なおかつ様子を見てくれるような大人の一人や二人くらいは見繕うつもりだった。


 「おれは、アーホルンといたい。」
 「エルガー……、」
 「却下だ。」


 こちらをじっと見る丸い目に思わず顔を顰めた。善人でも子供好きでもなんでもない、ただの気の迷いで助けただけなのだ。ライゼはそれとなく止めようとするが珍しくエルガーはそれも気にしない。


 「なんで!」
 「第一に、私は子供が嫌いだ。喧しいし、面倒。第二に、子供二人の面倒を見る余裕は私にない。今でこそお前たちがいるから極力屋敷にいるんだ。いつまでもいられては仕事もやりづらい。」
 「じゃあおれも仕事手伝うから!」
 「はあ?」


 いったい何を言い出すのかと知らず声が低く剣呑になる。まさか何も知らないのか保護者たるライゼの方を見るも、彼は彼で何故か止めようとしない。眉間に皺が寄るのがわかる。


 「……自分が何を言ってるのかわかっているのか。」
 「わかってる!できることは少ないかもしれないけど、絶対役に立つようになるから!」
 「私が言っているのはそこではない。私の仕事をわかったうえで物を言ってるのかと聞いてるんだ。」
 「わかってる!泥棒だろ!?」


 思わず目を見開いた。


 「……カロンさんから聞いた。アーホルンは『龍の蹄』だって。」


 ライゼの言葉に、私のところにいたいというのはエルガーだけではなくライゼの意思でもあることを知る。頭を抱えたくなった。勝手に余計なことを吹き込んだがめつい医者を心の中で罵る。


 「……私を手伝うことは、いわば盗賊に加担することと同じだ。お前たちの故郷を奪った奴らと同じような奴なんだぞ、私は。加担することは同罪。お前たちの恨むべき者と同じ身に落ちたいのか?」
 「あなたはあいつらとは違う。あなたは優しい人だ。悪人かもしれないけど、それでもおれたちのことを助けてくれた。それにおれたちの先のことまで考えてくれる。あんな奴らとは、違う。」
 「同じだ。」


 どこか熱を帯びたような語りを躊躇なく遮る。


 「悪人は悪人で、盗人は盗人だ。それだけに尽き、差などない。薄汚い犯罪者でしかない。」
 「でもっ、」
 「優しい?私がお前たちを見殺しにしなかったことと、盗賊がこの島の人間を虐殺したことを比べているなら認識を改めろ。私とて同じだ。物を盗むとき、それを阻む者がいるのなら私は躊躇いなく殺す。大人だろうと子どもだろうと必要であれば殺す。お前たちを助けたのもただの気まぐれだ。」


 彼らは盗賊により全てを失い、そして盗賊の気まぐれにより生き延びた。それだけだった。むしろ気まぐれより質が悪いかもしれないと一人思う。ただの子供なら助けなかった。たまたまライゼの髪が彼に似た金髪で、恥も外聞もなく喚いて助けを乞うエルガーがかつての私に似ていたから、助けたのだ。彼らという個体を見てすらいない。ただ届かない過去を懐古しただけで、彼らが助かったのはその副産物でしかないのだ。無論それを口にする気は毛頭ない。


 「じゃあ、言い方を変える。」


 これ以上何も言えないだろうと高を括っていた私は虚を突かれる。傷を少しでも隠すために少し長すぎるくらいの前髪の間から、深い青い色がこちらを見据えていた。


 「あなたは少なくとも優しい人じゃない。でもおれたちにとっては優しい人だ、とても。だってアーホルンは、絶対におれたちを殺そうとはしない。」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。ワンテンポ遅れて、理解し、苦虫を噛み潰した。
筋が通ってしまった。盗賊云々以前の話。私はこの二人の子供を絶対に殺さない。殺せない。一度助けた命を自ら消すことは後味が悪く、虚しい。そしてこの幼子たちを殺す理由は、側に置いている限りできはしないのだ。私は、必要であれば殺すと明言した。逆に言えば必要と感じなければ殺しはしないということだ。無意識の言葉選びであったが、私は快楽で殺しはしないし暴力も振るわない。死人が出ることは私の仕事の副産物で、目的ではない。

だからどうした馬鹿馬鹿しい、と思わないでもないが、この不安定な時勢において、子供から見て決して自身を殺さない存在がどれほど稀なものであるか、わからないわけではなかった。


 「……完敗だ。」


 張っていた気が緩みどこか怒気にも似た感情は風船から空気が抜けるように急激に薄れた。当のライゼはニッと嬉しそうに笑うが、それがまた小憎らしい。乱暴に頭を撫ぜた。
エルガーは何が起こったのかわからず戸惑っているが、ライゼの笑顔につられるように笑った。
そんな二人を見て、何とも言い表しがたい思いが去来する。微笑ましさと微かな羨望。
この二人は窮地に立たされたとき、助けを求めるべき大人の選択に成功したのだと。

もし助けを求めたのが、私ではない悪い大人であったなら、こうして笑うことはなかっただろう。生きていたとしても恨みや憎しみにその身を焦がすこととなる。
今更何を考えても、遅すぎた。行き場のない思いにそっと蓋をした。


 「まあ、屋敷に置いておく気も仕事を手伝わせる気もないがな。」
 「はああ!?今いても良いみたいな感じじゃなかった!?完敗だって言ったじゃん!」
 「それはそれ、これはこれ。私の仕事でお前たちが手伝えることなどそもそもない。」


 喚きたてるエルガーと不服ですという顔を隠そうともしないライゼにため息を吐いた。
 手伝うも何も私は依頼の交渉、承諾、依頼品の情報収集、奪取、売買まですべて自分ひとりで済ませている。そしてそれに更なる人手が必要だと思ったことはない。私一人で回っているし許容範囲を超えるような依頼はそもそも受けない。


 「ライゼ、お前が挙げた私の元に居たい理由として最重要と考えられるのは『決して殺そうとしない』というものだ。決して殺そうとしない者は確かにまれだが、それは何も私でなくても良い。」
 「……他にそんな人がいるのか?」
 「一人、あてがある。私と違って盗賊でも犯罪者でもない。情に厚い商人だ。大きいとは言えないキャラバンだが、子供一人二人なら歓迎するだろう。」


 古馴染みの男は決してこの二人を殺そうとはしない。やたらと恐ろしいひげ面の男だが、見た目に反して情に厚く仲間に甘い。犯罪者ではないが、正直グレーであることは流石に飲み込んだ。


 「……でも、」


 納得のいかないライゼが何かを言おうとしたが言葉に詰まる。


 「……何か反対する理由を考えるなら思いついてから口にすると言い。何を話すか決めないままに口を開くと言葉は滑り、説得力はそれだけなくなる。」


 ライゼは俯いて口をつぐみ、エルガーはキャンキャンと噛みついてくる。改めて私がこの二人の面倒を無理だろうなと感じた。理屈っぽい自身が理屈の通じない子供と生活できる気がしないのだ。


 「何にせよ、一度あちらへ戻るぞ。この島の景色も見納めだ。しっかりと見ておけ。」


 かつて栄えた南の島は、今や見る影もない。だが更地からは力強く新たな緑が根を張り始めている。海に面した岬は、風が強い。
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