蹄の歌

秋澤えで

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ルビーと純金の曰く付きネックレス 被害額800万

第10夜 終幕

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 泣き声が止み、エルガーとライゼが団員たちに挨拶を済ませ落ち着いたころ、腕をくみ二人が団員と話しているのを見ていたトルペに声を掛ける。


 「あの二人のこと、よろしく頼むぞ。」
 「おお、当然だ。……もう行くのかぁ。」
 「ああ、もう私がここにいる理由はない。」


 もともと強かな子供である二人がやっていけないとは思っていなかったが、歓迎され時折笑顔すら見せる二人の様子に安堵を覚える。この商団の一員となった以上、もう私がここにいる意味はない。


 「お前も来ればいいのによぉ。」
 「私にはやることがある。」
「 ……まあ盗賊ごっこに飽きたら来りゃあいい。おれたちはいつでも歓迎するぜ。」


 世間を騒がせる大悪党もこの男からすればごっこ遊びか、と思わないでもないが、この男がごっこ遊びだと思えなくなったとき、ゼンフが言ったように私を止めにくるのだろう。善良なこの男は、不必要に命が散ることをひどく厭う。曰く、善なる変革悪なく変革、いずれも犠牲を必要とし、その犠牲となるは力なき子供である。とのことであった。かつての革命の徒に相応しくない考えだと思っていたが、いわば革命の徒であったからこその思いかもしれない。


 「何かあれば連絡する。せっかくおれがやったんだ、ちゃんと電話には出やがれ。箱ん中に入れたままじゃあ宝の持ち腐れだ。」
 「……善処はする。」


 二人の子供を一瞥し、出入り口へと足を向けた。


 「アーホルン!」
 「っ、」


 気づかれないように去るつもりだったが思いのほか大きな音を立てるベルによってあっさりと阻まれた。背中に飛びつかれる前に仕方なく振り返ると、予想通り二人してしがみ付いてくる。


 「……降りろ、離せ。」
 「ダメ!」
 「何がダメだ……。」


 ぐ、と頭を掴み下ろそうとするががっしりと手足を使ってしがみ付く二人が離れる様子はない。ここに身を置くことが決まり、二人が馴染んでやっていけそうだとわかった時点で私の存在はこの場において邪魔になる。たった数カ月屋敷に置いただけで、大して構ってやったわけでも遊んでやったわけでもない。あらゆる土地を旅して、文化に人に触れるこの商団で過ごす日々は、きっと濃密で鮮やかだろう。数ケ月の雪国での暮らしなどあっさりと埋もれていく。ならばスパッと別れてしまった方が後腐れもなく、はやくここの生活にも慣れるだろう。

 そして何より子供二人にへばりつかれる私を見るトルペとゼンフの生暖かい視線が辛い。何を考えているか手に取るように理解できる。


 「お前たちはこいつらについていくことになった。異論はないな。」
 「それは、それはないけどっ!」
 「トルペは善人だ。情にも厚い。お前たちを殺すことのない大人だ。信用できる。違うか?」
 「違わない、あの人は良い大人。わかってる。ここに居たいとも思える。」


 じぃ、と長い前髪の間から深い青が私を見据える。このとき私は初めて二人の子供がやたらと身体をよじ登るのかということに気が付いた。彼らは目を合わせたがっていたのだ。自然に、などとてもできないが、先程のゼンフを真似るようにそろりと腰を落とした。


 「では、なんだ。」
 「まだ、ちゃんと言えてなかったから。」


 視線が近くなったからだろうか、エルガーが首に抱き付いてきた。細い腕にぐっと喉が詰まる。


 「ありがとう、アーホルン!おれとライゼを助けてくれてありがとう!あの時関係ないのに見捨てないでいてくれてありがとう!おれの声をきいてくれてありがとう!」
 「……ああ、」


 そういえば礼など言われたことがなかったと他人事のように思い出す。言われるタイミングも彼らがいうタイミングもなかった。先ほど散々泣いたというのに、首筋を濡らされため息を吐いた。


 「あと手ぇ噛んでごめん……、」
 「あれくらい、別に構わん。」


 泣き止ませるつもりで片手で頭を撫でると火が付いたように激しく泣き出したため困惑し慌てて離した手が宙を彷徨う。行き場を失った手を、一歩下がっていたライゼがとり両手を握る。そちらに目を向ければすぐに視線がしっかりと合わせられる。近くでみる彼の子の顔は未だに生々しい継ぎ目をしていた。


 「アーホルン、ありがとう。あなたが居なきゃおれはあのまま島で死んでた。エルガーを一人にして、死ぬところだった。助けてくれてありがとう。おれたちに未来をくれてありがとう。」


 真っ直ぐな目は以前のような熱っぽさはなく静かに凪いでいて、これが正しかったのだと再認識される。


 「……たまたまだ。たまたまエルガーの声を聞いたからお前たちは助かった。感謝するなら自分たちの運の良さと、偶然私に助けを求めたエルガーに感謝しろ。」
 「うん。エルガーにも感謝してる。でもそれだけじゃない。」


 握っていた私の右手を自身の顔へと触れさせる。指先が柔らかい子供らしい皮膚にふれピクリと震える。そっと継ぎ目に指を添えさせた。


 「この顔もありがとう。」
 「顔ならカロンに、」
 「違う。……聞いた。結構範囲大きかったから、左腕、痛かったでしょ。」
 「またあの人は余計なことを……。」


 眉を顰める。カロンは大してものを考えていないのか何なのか余計なことばかり言う。それも嫌がらせのうちかもしれない。少なくとも私は特に口止めもしなかった。やたらと自身をもって私という悪人を優しい称する理由がわかった気がした。

 ライゼの顔はひどく損傷しており、まともな皮膚はわずかしか残っていなかった。しかしカロンの手元に子供に使えそうな皮膚はなかった。カロンは適当な子供を攫ってくるかなどと提案したが、流石にそんな外道な行いができるほど、私は鬼畜生ではなかった。結果、私は左腕内側の皮膚を移植用に提供した。腿や尻の皮膚を使うことも多いらしいが、駆ける足こそが命ともいえる私はとてもそれらを差し出せはしない。


 「おれにもう一度顔をくれてありがとう。おれたちを生かしてくれて、ありがとう。」
 「……どーいたしまして。」


 いまだかつてこれほどまで礼を言われたことがあっただろうか。うまい言葉も見つからず、目を逸らしつつ棒読みに返すことしかできなかった。見透かすようにクスクスとライゼが笑う。
 黄金色の髪越しに見える彼の顔は、シャムロックとは似ても似つかなかった。



 「アーホルン!会いに来いよ!絶対だぞ!」
 「気が向いたらな。」
 「手紙書くから。シュナーベル送ってくれれば、おれもエルガーも書いて送り返すから。」
 「気が向いたらな。」


 泣き止んだエルガーを降ろしトルペの元へ行くように促す。こっそりと去ることは叶わず見送られる。慣れないことを気まぐれにしてみれば、始終慣れないことをさせられる、されることがよくわかった。


 「アーホルン。次に電話が鳴るときはちゃんと出ろよ?お頭じゃなくてこいつらからかもしれないからな。」
 「言ってろハゲ。」
 「おれはハゲちゃいねぇ!スキンヘッドだ!」


 ぺちんと頭を引っ叩くと青筋を浮かべて怒鳴られる。屋敷に置き去りにしてきた箱を思い描く。たまには箱から出してやるのも悪くないと思うあたり、どうにも調子が狂っている。


 「蹄のぉ。」
 「あんたは何だ、手袋。」
 「翼のによろしくな。」


 初めてこの男に会って以来、彼のことについてこうも明らかに言われたことはなかった。それほどまでにこの男、トルペ・アルミュールという手袋の男はシャムロックをタブー視し続けていた。なんの心境の変化かと目をそばめるも、その目からは昔から変わらぬ後悔、憐れみ、悲しみの色しか見えなかった。なんとなく舌打ちしたくなる。正直者を見ることはあまりにも簡単に自分の心に影を差す。なぜ、彼がこのタイミングでシャムロックを指したのか、それはわからない。


 「……伝えておこう。」


 あの時の男がよろしく伝えてくれ、などと言っていたことを言えば、彼はどんな顔をするだろうか。
 ガランガラン、と大きな音を立てたのを背中に聞きつつ、強く踵を蹴った。



**********



 おれたちの住んでいた島が襲われてから半年が過ぎた。まだエルガーは真っ暗なところが苦手だし、夜に泣き出すこともある。おれも雨や曇りの日に顔の傷が痛むことがある。それでも、あの地獄のような一日はもう過去のこととして考えられるようになった。島に一度戻ったときにアーホルンが言っていたことはきっとこのことだったんだと、今はわかる。

 トルペが団長の商団、ハントシュー・キャラバンはおれたちに良くしてくれた。おれたちにできる仕事なんてほんの少しだろうに、いろいろと仕事を回してくれる。市に参入するときエルガーは客引きなんかをしていて、島にいたころとは少し違う意味で強かに要領がよくなった。おれは顔の傷のこともあるからほとんど裏方の雑用をしてるけど、時間があれば主計のメンバーが簡単な計算を教えてくれる。移動中なんかは商団のみんなにおれもエルガーも構い倒される。突然商団に入った子供なんて足手纏いだろうに、誰も嫌な顔なんかせず可愛がってくれる。主計長のゼンフなんてその筆頭で、こっそりおれたちに砂糖菓子なんかをくれる。曰く、商団は癖のある男ばかりで可愛げなんてなかったから突然できた弟分が可愛くて仕方がないらしい。生まれてこの方、エルガーを可愛がったことはあれど自分がこうも子ども扱いされて甘やかされたこともないから戸惑うし困惑することもあるけど、どれも嫌じゃなかった。

 それから、前髪を伸ばすのを止めた。継ぎはぎだらけの顔を、おれ自身は嫌だ思ってない。おれがエルガーの代わりに怪我したことで、エルガーは助かった。ぐちゃぐちゃにされた顔だってカロンに直してもらったものだし、アーホルンにもらった顔でもあったから。でもおれの顔を見ると他の人は顔を顰めたり可哀想だなんて言ってくるから、隠したかった。
でもトルペはそれを笑い飛ばして問答無用でおれの前髪を切った。驚いていたおれにまた笑った。誰かを守るために負った傷だ、隠すな、むしろ誇れ。そう言われた。そういう問題じゃないとか隠すのと誇るのは別の話だとか、言いたいことはいろいろあったけど、一部始終を見ていたゼンフに怒られるトルペを見ていたらどうでもよくなって、がたがたになった前髪で笑った。

 ここに来てから、おれもエルガーもよく笑うようになったし、よく泣くようになった。


 「エルガー、送話器を落とすなよ。いいか、ライゼ。今からおれの言う番号のボタンを押すんだ。」
 「わかった。」


 トルペが話したいことがあるからと言ってテーブルの上に持ってきたのはアーホルンの家にあったものよりも大きくいろいろなボタンのついた電話。大事な話はあとでするからとおれとエルガーを電話の前に座らせた。ゼンフの言った番号を押し終わるとしばらくした後にノイズがスピーカーから流れ出す。


 「蹄のが出るかぁわかんねぇが、出なくてもがっかりすんな。出る方が稀だからなぁ。」
 「出るよ!絶対出る!」


 頬を紅潮させて送話器を両手で握るエルガーを横目に、何が見えるわけでもないのにスピーカーをじっと眺めた。いつどこに居るかもわからなければ、ほとんど屋敷におらず国中を走り回るアーホルンが電話に出る可能性は、トルペの言う通りすごく低いのかもしれない。


 「たぶん、アーホルンは出ると思う。」


 根拠もなく、そう思った。
 ザザというノイズが、10秒、20秒と続く。トルペが諦めて通信を切ろうとしたとき、ブツッとつながる音がした。
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