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忠誠心(物理)と吸血令嬢
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日本のとある森の中。奥へ奥へ入ったその先に、一つの洋館がある。
広大な庭には手入れされた木々に色とりどりの花々。歴史を感じさせるような二階建ての煉瓦造りだが一歩邸内に踏み込めば塵の一つも落ちていない。
壁には絵画、廊下には花瓶、敷き詰められた絨毯。
大きな扉を開け、二階に続く階段を上り、長い廊下を端まで行くと一際大きな扉がある。その部屋にはこの屋敷の主が眠っている。
そう、私だ。
正確には眠ってはいない。朝起きてからこのベッドで微睡を楽しんでいるのだ。朝日を天蓋とカーテンが柔らかく遮り、ぬくぬくとした掛布にくるまる。休日の二度寝。これほど幸せなことはきっとない。
ぬくぬくとした幸せに埋もれながら理性が首をもたげる。掛け時計の針は7時数分前を指していた。この幸せな時間を享受していたいと思いながらもそろそろ起きなくては面倒なことになる。
そろそろあの男がやってくるのだ。
「お嬢様、お嬢様。おはようございます。」
「……もう起きてるわ、サギ。」
控えめなノックと共に落ち着いた声が扉越しにかけられる。
のそのそと身体を起こし赤髪を適当に手櫛で整えて着替えると計ったようにドアが開いた。
「おはようございます、アリス様。本日は午後から当主様がいらっしゃいます。」
「ええ、わかってるわ。」
すたすたと眠気を振り切るように廊下を歩くが、彼は気にした風もなくその半歩後ろをついて歩く。眠気が残った頭では、この戦争に勝つことはできないのだ。
ダイニングルームに行けば、すでに整えられた朝食たち。
サラダ、トースト、ゆで卵、ベーコン、ヨーグルト。ずらりとバランスの取れた食事が並ぶ。さあ食べろ、と言わんばかりに準備万端なテーブル。しかし唯一空のものがある。
「サギ、」
「はい、お嬢様。本日は何型になさいますか?」
「……B型。」
「お嬢様、私はA型がお勧めです。」
「B型。」
「B型は献血の、どこの馬の骨とも知れない血液ですが、A型なら新鮮なものをご用意できます。」
「だからB型って言ってるでしょ!?その注射器をしまいなさい!!」
爽やかで優雅な朝食の場に不似合いな医療器具、主に採血道具たちがカートに乗せられていた。一瞬彼はブスクレた顔をするが、すぐに何かに気が付いたようにハッとする。
「お嬢様!」
「今度は何よ!?」
「注射器がだめなら直接私の首にその麗しい歯を突き立ててくださっても構いませんよ!?」
「朝から気色の悪いこと言わないでちょうだい!」
銀のお盆をひっつかみフリスビーの要領で投げつけるとあっさりと片手で受け止める。そしてまるで何事もなかったかのように水差しからB型の血液を注いだ。私がB型を呑みたいというのを最初からわかっていて用意していたその周到さが恨めしい。
ワイングラスに注がれた血を、大きく煽った。
森の奥のとある洋館。その屋敷の主、榎本守アリスことアリス・フォン・エノモトノカミ。
赤い目に赤い髪を持つフランス人とのハーフ。
私、榎本守アリスはブルジョワ吸血鬼である。
吸血鬼だ。だがしかし一般人の考える吸血鬼ではない。銀食器で普通に食事するし、十字架を見ても何ともないし、日の光を浴びても灰にならない。ニンニクだって食べるし、棺桶で眠ったりもしない。
私は由緒正しいフランスの吸血鬼一族の末裔だが、父が日本旅行に行った際日本の吸血鬼である母に一目ぼれし、押しに押しまくって結婚にこぎつけたらしい。私が16になった今もラブラブで目も当てられない。年中新婚夫婦だ。本当ならフランスに連れ帰るつもりだった父だったが、日本を離れたくないという母の願いを聞き入れ、すっかり日本に定着し、日本の人間たちになじんでいる。少なくとも、京都で夫婦仲よく京都友禅の店を開いている二人がブルジョワ吸血鬼である両親だと全力で認めたくない。
グラスに入った赤い血液が喉を滑り落ちる。
「おいしい……、」
小さくつぶやくと後ろに立つサギが不満げに口を尖らせた。
私にとって、血は主食ではない。人間と変わらない物を食べ、飲む。だが吸血欲がないわけではない。血を飲まなくてもきっと死にはしない。ただ飲まなければひどく、渇くのだ。
空になったグラス。催促するように振るとサギはピッチャーを持つのではなくナイフで自分の手首を切ろうとするためバチン、と強かに引っ叩いておく。
「お嬢様ぁ、ちょっとくらい私の血を飲んでくれてもいいじゃないですか。」
「嫌よ。大体貴方だって目の前で家畜が捌かれるのを見て食欲湧く?」
「魚ならいけます。」
「残念ながら貴方は哺乳類よ。」
ひょいと自分でピッチャーを取りBの血を注ぐ。用意された分は一回で飲みきらなければならない。ピッチャーの中に移された血液は少しづつ粘度を増し最終的には血清と塊に分かれてしまう。生憎、組織液を飲む趣味はない。ああ、憎きはフィブリノーゲン。
至極残念そうにナイフをしまうサギ。
サギはこの屋敷の使用人であり、私の世話係である。
私のために祖父が見繕った、生粋の人間だ。
きちんと躾をすれば優秀な使用人になるし、いざというときには非常食になる。
何より、私たちが手元に置く人間はこの上なく、従順だ。
私たちが人間を使役するとき、魅了の魔法をかける。
魔法と言ってもそれはファンタジックなものではない。
簡単に言えば、対象の人間を吸血するのだ。
魅了の魔法は、そもそも人間から平和的に血を奪うためのものだ。飲むときに暴れられては面倒だし、家畜のように専用のピッチャーとしてそばに置いておくとき、従順でなくては困る。
吸血された人間はその吸血鬼に対し忠誠を誓い、喜んでその血を差し出すのだ。
サギは、それだ。
いや、吸血したのは私ではない。私の祖父だった。サギは厳密に言えば祖父に忠誠を誓っている。そしてその祖父からの命令だから、私にその血を差し出すのだ。
人間、浅野イサギ。それが私の世話係だ。
「アリス様、こちらデザートのアセロラゼリーでございます。」
「ありがとう。」
大人しくなったイサギに一息ついて、そのゼリーにスプーンを入れる。
しかし口に近づけてすぐに気が付いた。
アセロラのものではない、独特な香り。芳醇で甘い、濃厚なそれに思わずつばを飲み込んだ。
「サギ……、」
「はい、なんでしょう。」
やたらと良い笑顔のイサギ。私は口元を引き攣らせたまま無防備な鳩尾に右ストレートを極めた。身体をくの字に曲げて悶絶する彼を見て少しだけ気分が晴れた。
「ぐっ……何をなさるんですかお嬢様……、」
「何をするってこっちのセリフよ!ゼリーに貴方の血を混ぜたでしょう!」
「あれ、バレてしまいましたか。流石お嬢様です。」
「バレるに決まってんでしょ!」
器に入ったアセロラゼリーを鼻先に突き返す。イサギは少しだけ匂いを嗅いで、私にはわかりませんねえ、と言いながら新しいゼリーを差し出した。人間と吸血鬼では嗅覚のレベルが違うのだから当然だ。軽く匂いを嗅ぐ。こちらは何ともなかったためそのまま口に含んだ。
「ちゃんとしたのがあるなら最初から出しなさいよ。」
「いえいえ、少しでも隙があるなら、是非お嬢様に私の血を飲んでいただきたいと思いまして。」
「その無駄な注意力、もう少し有用な方面に使ったらどう?」
「でしたらアリス様も朝からこうして大騒ぎするエネルギーを昼間まで取っておいてはいかがですか?」
「誰のせいだと思ってんのよ!張っ倒すわよ!」
お嬢さまともあろう方がはしたない、とまるで自分は常識人だとでもいうようにたしなめるイサギにフォークを投げつけた私を、いったい誰が責めようか。何より突き刺さるでも怯えて避けるでもなくお盆でガードするあたり、憎らしい。どこまでも用意周到だ。主人は私だと言うのに、手の上で転がされているような気分になる。
ゼリーを食べ切り、残っていた血液を飲み干す。ドロリとしたそれが喉に絡みついた。
十分飲んだはずなのに、まだ渇きを感じることに舌打ちをしたくなる。
「サギ、午前は部屋にいるわ。お父様から連絡があったら教えてちょうだい。」
「かしこまりました。」
私の隙がなくなったからか否か、途端にお行儀の良い使用人に戻る。幼いころからこの屋敷にいる彼は、しっかり躾けられ今では非の打ち所のない世話係だ。忠誠心の押し売りをするところ以外。
「アリス様、」
「なあに?」
話は終わったはずなのに珍しく引き留められる。いつだって微笑みを引っ提げている彼にしてはらしくない、真面目な顔に訝しむ。
「アリス様はなぜ、私の血を飲んでくださらないのですか?」
心底わからない、そんな顔に口を引き結んだ。
私がなぜ、イサギの血を飲まないか。
飲みたいと思わないわけではない。事実、何度も飲みそうになった。それはことごとく、毒を盛るかの如く私に血の奇襲をかけるせいだ。
だが、私にとってイサギの血を飲むことは、負けを意味する。
「わからないの?」
「だってお嬢さまは別に血がお嫌いなわけではないでしょう?なのになぜ、私の血だけは飲まないのですか?」
忠誠を誓い、ありとあらゆる方法で血を飲ませようとするイサギ。だがその忠誠は、思いの先は私にはない。そしてそれは、決して浅野イサギ自身が望んだものではないのだ。
そもそも彼にどこまで自分の意思があるのかすら、わからない。
「サギ。」
「はい。」
「それがわからないなら、貴方もまだまだってことよ。私がなぜ飲まないのか。それがわかって飲んでほしいっていうなら飲んであげるわ。」
「それはどういう、」
さらに困惑の色を濃くするイサギを廊下に置いて一人私は自室に向かった。
私にとって、浅野イサギはただの使用人でも、世話係でも、まして家畜や非常食でもない。
忠誠でもなんでもなく、ただ私を見てくれるまで、私は決して飲みはしない。
今の様子じゃあきっとまだまだ気が付かない。
もしかしたらもう浅野イサギとしての思考の自由がないかもしれない。そうであればこれは私の虚しい独り相撲だ。
だとしても、私は押し付けられるそれを享受するわけにはいかない。
どうか病的な忠誠が愛情に変わるよう、あるかもわからないそれを望みながら私は今日も胸の奥底で燻ぶる”渇き”をごまかすのだ。
広大な庭には手入れされた木々に色とりどりの花々。歴史を感じさせるような二階建ての煉瓦造りだが一歩邸内に踏み込めば塵の一つも落ちていない。
壁には絵画、廊下には花瓶、敷き詰められた絨毯。
大きな扉を開け、二階に続く階段を上り、長い廊下を端まで行くと一際大きな扉がある。その部屋にはこの屋敷の主が眠っている。
そう、私だ。
正確には眠ってはいない。朝起きてからこのベッドで微睡を楽しんでいるのだ。朝日を天蓋とカーテンが柔らかく遮り、ぬくぬくとした掛布にくるまる。休日の二度寝。これほど幸せなことはきっとない。
ぬくぬくとした幸せに埋もれながら理性が首をもたげる。掛け時計の針は7時数分前を指していた。この幸せな時間を享受していたいと思いながらもそろそろ起きなくては面倒なことになる。
そろそろあの男がやってくるのだ。
「お嬢様、お嬢様。おはようございます。」
「……もう起きてるわ、サギ。」
控えめなノックと共に落ち着いた声が扉越しにかけられる。
のそのそと身体を起こし赤髪を適当に手櫛で整えて着替えると計ったようにドアが開いた。
「おはようございます、アリス様。本日は午後から当主様がいらっしゃいます。」
「ええ、わかってるわ。」
すたすたと眠気を振り切るように廊下を歩くが、彼は気にした風もなくその半歩後ろをついて歩く。眠気が残った頭では、この戦争に勝つことはできないのだ。
ダイニングルームに行けば、すでに整えられた朝食たち。
サラダ、トースト、ゆで卵、ベーコン、ヨーグルト。ずらりとバランスの取れた食事が並ぶ。さあ食べろ、と言わんばかりに準備万端なテーブル。しかし唯一空のものがある。
「サギ、」
「はい、お嬢様。本日は何型になさいますか?」
「……B型。」
「お嬢様、私はA型がお勧めです。」
「B型。」
「B型は献血の、どこの馬の骨とも知れない血液ですが、A型なら新鮮なものをご用意できます。」
「だからB型って言ってるでしょ!?その注射器をしまいなさい!!」
爽やかで優雅な朝食の場に不似合いな医療器具、主に採血道具たちがカートに乗せられていた。一瞬彼はブスクレた顔をするが、すぐに何かに気が付いたようにハッとする。
「お嬢様!」
「今度は何よ!?」
「注射器がだめなら直接私の首にその麗しい歯を突き立ててくださっても構いませんよ!?」
「朝から気色の悪いこと言わないでちょうだい!」
銀のお盆をひっつかみフリスビーの要領で投げつけるとあっさりと片手で受け止める。そしてまるで何事もなかったかのように水差しからB型の血液を注いだ。私がB型を呑みたいというのを最初からわかっていて用意していたその周到さが恨めしい。
ワイングラスに注がれた血を、大きく煽った。
森の奥のとある洋館。その屋敷の主、榎本守アリスことアリス・フォン・エノモトノカミ。
赤い目に赤い髪を持つフランス人とのハーフ。
私、榎本守アリスはブルジョワ吸血鬼である。
吸血鬼だ。だがしかし一般人の考える吸血鬼ではない。銀食器で普通に食事するし、十字架を見ても何ともないし、日の光を浴びても灰にならない。ニンニクだって食べるし、棺桶で眠ったりもしない。
私は由緒正しいフランスの吸血鬼一族の末裔だが、父が日本旅行に行った際日本の吸血鬼である母に一目ぼれし、押しに押しまくって結婚にこぎつけたらしい。私が16になった今もラブラブで目も当てられない。年中新婚夫婦だ。本当ならフランスに連れ帰るつもりだった父だったが、日本を離れたくないという母の願いを聞き入れ、すっかり日本に定着し、日本の人間たちになじんでいる。少なくとも、京都で夫婦仲よく京都友禅の店を開いている二人がブルジョワ吸血鬼である両親だと全力で認めたくない。
グラスに入った赤い血液が喉を滑り落ちる。
「おいしい……、」
小さくつぶやくと後ろに立つサギが不満げに口を尖らせた。
私にとって、血は主食ではない。人間と変わらない物を食べ、飲む。だが吸血欲がないわけではない。血を飲まなくてもきっと死にはしない。ただ飲まなければひどく、渇くのだ。
空になったグラス。催促するように振るとサギはピッチャーを持つのではなくナイフで自分の手首を切ろうとするためバチン、と強かに引っ叩いておく。
「お嬢様ぁ、ちょっとくらい私の血を飲んでくれてもいいじゃないですか。」
「嫌よ。大体貴方だって目の前で家畜が捌かれるのを見て食欲湧く?」
「魚ならいけます。」
「残念ながら貴方は哺乳類よ。」
ひょいと自分でピッチャーを取りBの血を注ぐ。用意された分は一回で飲みきらなければならない。ピッチャーの中に移された血液は少しづつ粘度を増し最終的には血清と塊に分かれてしまう。生憎、組織液を飲む趣味はない。ああ、憎きはフィブリノーゲン。
至極残念そうにナイフをしまうサギ。
サギはこの屋敷の使用人であり、私の世話係である。
私のために祖父が見繕った、生粋の人間だ。
きちんと躾をすれば優秀な使用人になるし、いざというときには非常食になる。
何より、私たちが手元に置く人間はこの上なく、従順だ。
私たちが人間を使役するとき、魅了の魔法をかける。
魔法と言ってもそれはファンタジックなものではない。
簡単に言えば、対象の人間を吸血するのだ。
魅了の魔法は、そもそも人間から平和的に血を奪うためのものだ。飲むときに暴れられては面倒だし、家畜のように専用のピッチャーとしてそばに置いておくとき、従順でなくては困る。
吸血された人間はその吸血鬼に対し忠誠を誓い、喜んでその血を差し出すのだ。
サギは、それだ。
いや、吸血したのは私ではない。私の祖父だった。サギは厳密に言えば祖父に忠誠を誓っている。そしてその祖父からの命令だから、私にその血を差し出すのだ。
人間、浅野イサギ。それが私の世話係だ。
「アリス様、こちらデザートのアセロラゼリーでございます。」
「ありがとう。」
大人しくなったイサギに一息ついて、そのゼリーにスプーンを入れる。
しかし口に近づけてすぐに気が付いた。
アセロラのものではない、独特な香り。芳醇で甘い、濃厚なそれに思わずつばを飲み込んだ。
「サギ……、」
「はい、なんでしょう。」
やたらと良い笑顔のイサギ。私は口元を引き攣らせたまま無防備な鳩尾に右ストレートを極めた。身体をくの字に曲げて悶絶する彼を見て少しだけ気分が晴れた。
「ぐっ……何をなさるんですかお嬢様……、」
「何をするってこっちのセリフよ!ゼリーに貴方の血を混ぜたでしょう!」
「あれ、バレてしまいましたか。流石お嬢様です。」
「バレるに決まってんでしょ!」
器に入ったアセロラゼリーを鼻先に突き返す。イサギは少しだけ匂いを嗅いで、私にはわかりませんねえ、と言いながら新しいゼリーを差し出した。人間と吸血鬼では嗅覚のレベルが違うのだから当然だ。軽く匂いを嗅ぐ。こちらは何ともなかったためそのまま口に含んだ。
「ちゃんとしたのがあるなら最初から出しなさいよ。」
「いえいえ、少しでも隙があるなら、是非お嬢様に私の血を飲んでいただきたいと思いまして。」
「その無駄な注意力、もう少し有用な方面に使ったらどう?」
「でしたらアリス様も朝からこうして大騒ぎするエネルギーを昼間まで取っておいてはいかがですか?」
「誰のせいだと思ってんのよ!張っ倒すわよ!」
お嬢さまともあろう方がはしたない、とまるで自分は常識人だとでもいうようにたしなめるイサギにフォークを投げつけた私を、いったい誰が責めようか。何より突き刺さるでも怯えて避けるでもなくお盆でガードするあたり、憎らしい。どこまでも用意周到だ。主人は私だと言うのに、手の上で転がされているような気分になる。
ゼリーを食べ切り、残っていた血液を飲み干す。ドロリとしたそれが喉に絡みついた。
十分飲んだはずなのに、まだ渇きを感じることに舌打ちをしたくなる。
「サギ、午前は部屋にいるわ。お父様から連絡があったら教えてちょうだい。」
「かしこまりました。」
私の隙がなくなったからか否か、途端にお行儀の良い使用人に戻る。幼いころからこの屋敷にいる彼は、しっかり躾けられ今では非の打ち所のない世話係だ。忠誠心の押し売りをするところ以外。
「アリス様、」
「なあに?」
話は終わったはずなのに珍しく引き留められる。いつだって微笑みを引っ提げている彼にしてはらしくない、真面目な顔に訝しむ。
「アリス様はなぜ、私の血を飲んでくださらないのですか?」
心底わからない、そんな顔に口を引き結んだ。
私がなぜ、イサギの血を飲まないか。
飲みたいと思わないわけではない。事実、何度も飲みそうになった。それはことごとく、毒を盛るかの如く私に血の奇襲をかけるせいだ。
だが、私にとってイサギの血を飲むことは、負けを意味する。
「わからないの?」
「だってお嬢さまは別に血がお嫌いなわけではないでしょう?なのになぜ、私の血だけは飲まないのですか?」
忠誠を誓い、ありとあらゆる方法で血を飲ませようとするイサギ。だがその忠誠は、思いの先は私にはない。そしてそれは、決して浅野イサギ自身が望んだものではないのだ。
そもそも彼にどこまで自分の意思があるのかすら、わからない。
「サギ。」
「はい。」
「それがわからないなら、貴方もまだまだってことよ。私がなぜ飲まないのか。それがわかって飲んでほしいっていうなら飲んであげるわ。」
「それはどういう、」
さらに困惑の色を濃くするイサギを廊下に置いて一人私は自室に向かった。
私にとって、浅野イサギはただの使用人でも、世話係でも、まして家畜や非常食でもない。
忠誠でもなんでもなく、ただ私を見てくれるまで、私は決して飲みはしない。
今の様子じゃあきっとまだまだ気が付かない。
もしかしたらもう浅野イサギとしての思考の自由がないかもしれない。そうであればこれは私の虚しい独り相撲だ。
だとしても、私は押し付けられるそれを享受するわけにはいかない。
どうか病的な忠誠が愛情に変わるよう、あるかもわからないそれを望みながら私は今日も胸の奥底で燻ぶる”渇き”をごまかすのだ。
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