花咲か少女と怪物の守る庭

秋澤えで

文字の大きさ
13 / 18

終末と怪物の世界

しおりを挟む
ざわざわ、ざわざわ。人々の声が酷く耳についた。手押し車をいつもより早く押す。とにかく、街から早く出たかった。先日の火事から街の人たちは疑心暗鬼になっていた。あの火事は何だったのか、と。ただの火事だったのか、占い師が予言した『災厄の炎』もしくはその前兆なのかと。確かに予言が告げられた時、人々は怯えた。だがそれでも心のどこかでは本気にしていなかったのだ。グラオザームに『災厄の炎』から襲われる謂れはない。だから怯えつつも、根拠のない余裕を持っていた。だが今回三軒の家が全焼した。人死こそなかったものの、家財を失うことは死活問題で、だれも他人事と見ることはできない。今まであまり信じていなかったうえに、『災厄の炎』を防ぐために、と怪物のいるという北の庭に私を送っていたため、安心していたのだ。だが安寧は崩れた。今やだれもが、次に火事が起きるのは自分の家なのではないだろうか。次は街全体が炎に包まれるのではないか。戦々恐々としている。
そして、急かすように疑うように、彼らは言う。

「北の森の奥、恐ろしい怪物のいる庭に、本当に花は植えられているのか。」
「そもそもあの足で森の奥まで辿り着けるのか?」
「今までずっとみんなを騙してたんじゃないか?」
「ああほら、今日も行くのだろう。」
「いったいどこへ?」

ぼそぼそと、いや隠すつもりもないのだろう。得体のしれない『災厄の炎』よりも、目に見える私という存在の方が、不安不満のはけ口にしやすい。噂話、疑念の眼。実害がないと言えばないのだが、不愉快だ。そして何より、気が滅入る。小さなコミュニティでつまはじきにされるのは命に係わる。今まで何とか生き延びてきたが、それも無に帰っていた。保護されなければ、私みたいなのはまだ生きていけない。

怪しむならついてくればいい。疑うなら確かめに来ればいい。不安なら庭を造る手伝いをすればいい。そう堂々と言えたならどれほど楽だっただろうか。私はただ、何も聞こえないふりをして足を動かした。
正論とはいえ、それを言っても彼らが来ないのは目に見えていた。そして私自身、来てほしくない。疑いは晴らしたい。けれどあの庭に、他の人が入ってきてほしくなかった。あの場所を、あの空間を壊されたくない。だからこそ、私は黙っていた。少なくとも、明確な実害がない限り何も行動を起こしたくない。

次の春、次の春が来ればあの庭は花で咲き乱れる。そうすれば『災厄の炎』は訪れないと自信をもって言える。花が咲けば、占い師の言っていた通り『災厄の炎』が防げる。カロスィナトスも病気が治って人の姿に戻れる。そうなれば北の地に街の人たちも来ることができる。彼らの恐れる怪物はいない。予言通りの花は咲いている。そうなればもう、疑いの目は向けられない。そうなれば何もかも平和になる。

次の春、次の春が来ればすべて解決する。静かで穏やかなあの場所はきっと失われてしまうだろうけど。前の生活に戻るだけ。それだけだと思えばいい。
少なくとも、春までは私とカロスィナトスのささやかな平穏は続くんだ。まだ誰も知らなくていい。疑うなら疑えばいい。その息苦しさの代わりに、私は優しい怪物と共にいられるから。

全ては花開く春に。だからそれまでは。

ガラガラと音をたてる車輪に意識を集中させた。


森の中は相変わらず茂る葉に陰っている。街に比べて日が当たらないため寒いけれど、針の筵のような場所よりもずっと落ち着く。いつものように鳥が私を追い越すように森の奥へと飛んでいった。鳥は、森の奥の屋敷よりもずっと先、北の森に住んでいるとカロスィナトスが以前言っていた。その先は寒い場所らしい。けれどこの森よりも植物が豊かで動物たちもいる。前に話に出たとなかいというものもきっとそこにいるのだろう。
ふと、思った。私はどこにもいったことがない。グラオザームの町の外に出たことは数えるほどしかなく、ほかの町に行ったこともない。今までどこかに行きたいと思ったこともなかった。外に出れば保護してくれる人もなく野垂れ死ぬのは必至。楽ではないけれど街の中で生きていられた。必要以上に外に目を向けることもない。けれど今、私は街の中よりもほかの場所に平穏を見出している。
私の足じゃ遠くへいけない。どこにも行けない。けれど、彼がいれば行けるだろう。彼は私を庭まで連れて行ってくれる。
そこまで考えて自嘲する。そんなことに彼を付き合わせてはいけない。それは私の我が儘でしかないのだから。

彼と一緒にいられるのも、そう長くない。春が来れば彼は元に戻り人の中で生きていける。
カロスィナトスは優しいから、私が頼めば一緒にいてくれるだろう。我が儘も聞いてくれる。でもそれじゃあダメだ。いつからなのかは知れないけれど、彼はずっと一人だった。彼の人柄は穏やかで、元来一人で過ごすような人じゃないのだろう。奇病のせいで一人でいざるを得なかっただけで、きっとあの人は人に囲まれて過ごすような人なのだ。

怪物がいなくなったとあれば、私の仕事は終わる。安全なのが分かったらお役御免。庭仕事はきっと私よりももっと上手な、それを生業にするような人が引き継ぐだろう。私にしかできない仕事はなくなり、私はまたヒエラルキーのはるか下に一人沈んでいくことになる。それが果たして、前と全く同じかは分からないけれど。


「この館よりずっと先かい?」


水やりも一通り終わりココアを飲みながら庭の端に座ってカロスィナトスと話していた。


「はい、この先には何があるんですか?」


館越しに北を見るけれど私には町までの道を塞ぐ高く深い森にしか見えない。北には動物が住んでいて寒いけれど動物が生きていけるだけの草も花もあると言っていた。今まで一度だって私の方から質問なんてしたことはなかったけれど彼が怪訝な顔をすることもなくことも無さげに言ってみせた。


「しばらく森が続くけれど、森を抜けた先には雪の街、ネーヴェがある。」
「雪の街?」
「ああ、そこは豪雪地帯でね。冬になると街のどこを見ても真っ白、毎日雪かきをしなければ追いつかないほど。」
「へえ……!」


ネーヴェ。聞いたこともない街の名前だった。
グラオザームにも雪は降るけれど、雪かきなんてしたこともない。雪は積もらない。いつも空から降ってきて、それから地面に吸い込まれて消えてしまう。ごくごく稀にうっすらと積もることもあるけれど、雪かきなどしなくても一日経てば溶けてなくなってしまう。


「寒い所だけど、夏は涼しい。冬はこちらよりも長いけど良い所だよ。大きな池があるんだけど、冬になるとそこが凍り付くんだ。その上でスケートをしたり、穴をあけてワカサギを釣ったりもする。」
「釣り……、」


釣りなんて一度だって見たことない。そもそも魚なんて高級品ほとんど食べたことがなかった。グラオザームと交流があるのはいつも南や東の街々。深い森が横たわっているせいで北方とはかかわりがないのだ。
ネーヴェ、聞けば聞くほどに行ってみたくなる。そこにはきっと私の知らない世界がある。


「行ってみるかい?」
「え?」
「気になるんだろう。落ち着いたらネーヴェに行ってみようか。庭の花が咲けばひとまず時間もできる。」


思わず目を見開いたことに気づいたカロスィナトスは不思議そうに私を見た。


「パッペル?」
「……ありがとうございます。でも、」


思ったままのことを言おうとして、口を噤んだ。そんなことを聞くなんて可愛くないから。何も深くは聞かず、社交辞令のように礼だけ言えばいい。それはきっと余計なことだろうから。
なんでもないです、そう言おうとしたがグ、と近づけられた顔に言葉を失う。ピントの合わない視界に金色の大きな目が見えた。


「パッペル、言いたいことがあるなら言って良いんだよ。私と君の仲じゃないか。」


冗談めかすように言って大きな手が私の頭を撫でる。少し重くて冷たい掌に身体の芯が暖かくなるのを感じた。
気を悪くしないだろうか。面倒くさいと思われないだろうか。鬱陶しくないだろうか。瞬く間に不安が湧き上がってくるけれど、大らかに撫でる大きな手にそれは泡沫のように消えた。


「邪魔じゃ、ないですか?」
「まさか、邪魔なんかじゃあないよ。君と話すのは楽しいし、好きだ。君のことを疎ましく思うことなんてないよ。」


低い声が心地よく上から降ってくる。身体の中心に焼き石でも入れてるんじゃないかってくらい、全身火照るように熱くなった。


「ありがとう、ございますっ……、」


きっと私は、今以上の幸せを感じたことはないだろう。そして多分、この幸福感以上のものを彼以外の人からもらうこともない。
熱い喉から絞り出されたそれは無様に掠れていたけれど、カロスィナトスは呆れるでもなく微かに困ったように笑った。


「パッペル、泣かないでくれ。君に泣かれてしまうと私はどうしたらいいかわからない。」


いつの間にか溜まっていたらしい涙を黒い指先が攫って行った。真冬なのに、顔も喉も身体も、燃えるように熱かった。


「君が望むなら、どこへでも行こう。美しいものは草花以外にもたくさんある。この世界はきっと君が思ってるよりもずっと広いんだ、パッペル。」


その言葉一つ一つが、私を泣かせる原因だと彼は知っているのだろうか。いや、きっと知っているのだろう。彼は敏い人だから。その言葉はどれも私を泣かせるけれど、そのどれもが私を心の底から喜ばせるものだから。
カロスィナトスは飽きることなく滑り落ちる涙を困ったように、でも少しだけ嬉しそうに拭っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

夫の妹に財産を勝手に使われているらしいので、第三王子に全財産を寄付してみた

今川幸乃
恋愛
ローザン公爵家の跡継ぎオリバーの元に嫁いだレイラは若くして父が死んだため、実家の財産をすでにある程度相続していた。 レイラとオリバーは穏やかな新婚生活を送っていたが、なぜかオリバーは妹のエミリーが欲しがるものを何でも買ってあげている。 不審に思ったレイラが調べてみると、何とオリバーはレイラの財産を勝手に売り払ってそのお金でエミリーの欲しいものを買っていた。 レイラは実家を継いだ兄に相談し、自分に敵対する者には容赦しない”冷血王子”と恐れられるクルス第三王子に全財産を寄付することにする。 それでもオリバーはレイラの財産でエミリーに物を買い与え続けたが、自分に寄付された財産を勝手に売り払われたクルスは激怒し…… ※短め

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 【ご報告】 2月15日付で、誤字脱字の修正および一部表現の見直しを行いました。 ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。 引き続きよろしくお願いいたします。

処理中です...