花咲か少女と怪物の守る庭

秋澤えで

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懇願と守る場所

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必死に足を動かした。一刻も早くカロスィナトスの元へ行き、伝えなくちゃならない。それなのにいくら歩いてもまるで前に進まない。入り組んだ木の根が絡み合うように地を這い、私の足をとる。何度も躓きながら、転びそうになりながら足を動かすのにいつまでたっても屋敷なんて見えてこない。ひたすらに暗い森が続いていく。最近嫌いじゃなくなった森なのに、今は只管に疎ましい。カロスィナトスに背負われて歩いた森は、あんなにも穏やかだったのに。彼の足は長かった。私の足は短く欠けている。彼には体力があって、私には体力がない。歩いても歩いても、木々が続く。私がこうして歩いている間にも、街の人々が彼の元へ向かっていると思うと気が気じゃない。もしかしたら、もうたどり着いているかもしれない。もしかしたらもう火が放たれているかもしれない。何かもが遅いかもしれない。悪い方へ悪い方へと思考が流されていく。泣き止んだはずなのに、ジワリと視界が滲んだ。また、あの炎に何もかも奪われてしまうのか。街を襲う炎なんかじゃない。あの屋敷を、あの庭を、この森を、私の居場所を燃やす炎。それこそが私にとっての災厄の炎だ。


「っは、っはぁ……!」


昔よりもきっと体力はついている。それでも不十分で、身体は軋む。義足の装着部がこすれて痛みを訴える。足りない。何もかもが足りない。もし一瞬で森を駆け抜ける足があったなら。もし街の人たちを止めるだけの力があれば。もし何もかも自分に任せてくれれば問題ないと言えるだけの人徳と信用があったなら。もし屋敷までの最短距離を知るほど森に精通していたなら。何もかもがもしもの話。私は低機能な身体を使って彼の元へ向かわなくてはならない。今日の森は騒がしい。いつもならどこか遠くから聞こえる獣の鳴き声や、静かに歯を擦れ合わせる葉のさざめきだけが夜を支配しているのに、今晩はざわざわと大きな音をたてる。風でも木々の囁きでもない、乱暴で喧しく鳴らされる音たち。月明りのない晩に揺れる赤い明かり。

私では彼らを止められない。私では、私の居場所を守れない。

だから捨てよう。麗らかな森の木漏れ日も、花を咲かせる未来の庭も、庭を眺めた暖かな屋敷も。そのどれもを、私は捨てよう。私がただ、彼だけを守ろう。彼だけを逃がそう。生きてさえいてくれれば、彼が私の居場所になるから。欲張れば、すべてを失ってしまう。順番を付けなきゃ守れない。

チチチ、と頭上から声を聞いた。落ち着かない胸もそのままに見上げると二羽、鳥が私を見下ろしていた。確証があったわけじゃない。でも感じ取った。彼らは、私がいつも森に入るとカロスィナトスのところへ知らせてくれる鳥たちだ。
彼らはどんな人よりこの森のことを知ってる。そしてカロスィナトスの居場所も知っているだろう。


「ねえ!!」


無我夢中だった。藁にも縋る思いの呼び声に、鳥たちは逃げなかった。


「お願い!カロスィナトスのところ連れてって!危ないの!街の人たちが庭に向かってる!」


鳥たちに伝わってるかなんてわからない。いやきっと今この瞬間を見ている人がいたなら頭を疑われるのは必至だろう。けれどいつかにカロスィナトスが彼らと雑談ができると言っていたそれを信じて、頼み込む。


「彼を助けたいの!逃げなきゃいけない!お願い!あの人のところへ連れてって!」


枯れかけた喉からでた声は汚い。鳥の内の一羽が私の方を見て、小首をかしげたことに絶望する。わかっているのか、わかっていないのか。一羽がバササ、と音をたてて木々の中に消えていった。けれど一羽は枝にとまり、残る。どうすれば良いのかわからず立ち尽くしていると、鳥は枝から枝へと飛び移り始めた。普段なら遥か頭上を軽やかに飛んでいく彼ららしからぬ動きに、それを必死に追った。もしかしたら一羽はカロスィナトスに知らせに行って、この一羽が私を案内してくれているのかもしれない。違うなら、その時はその時だ。何にせよ、森の入り口から入れなかった私が正攻法で街の人々に追いつくことは不可能だろう。それなら賭けるしかない。

先に行っては私を待つ鳥に、少し申し訳なさが募る。
こんな時なのに、彼といたいと思う私は浅ましい。彼を助けたいだけなら彼らに伝言を頼めばよかっただけの話なのだ。カロスィナトスと仲の良い彼らなら、きっとちゃんと伝えてくれるはずだから。それなのにつていってと言った。嫌だった。彼が逃げ出せて、助かったとして、私はどうすれば良い。そうなれば、私は彼といられない。彼のことを第一に考えてるふりして、結局は私が一緒にいたい、それだけなのだ。

どうか生きていて下さい。許してくれるならば一緒にいさせてください。

前へ前へ進んでいく。先を行く鳥を信じて。何度も転んだ。何度も鳥の姿を見失いかけた。泥だらけ汗に塗れて無様に走る。もう遅いかも、なんて嫌なことを頭の外へと追いやって。遅くなんてない。まだ間に合う。臆病な彼らは、きっとすぐには屋敷に近づけないから。大丈夫。
その時、前からこちらへ近づく音を聞いた。思わず足を止める。


「カロスィナトス!」


前方から姿を現したのは私の探していたその人だった。安堵のままに飛びつくと危なげなく受け止められる。


「パッペル、」
「カロスィナトス!早く逃げないと!みんなが庭へ向かってるんです!」
「パッペル、」
「庭も屋敷も、何もかも燃やすって……、全部燃やしてから自分たちの手でやり直すって言って、」
「パッペル、聞いてくれ。」


話さなきゃいけないことがあるのに、口から出てくる言葉にはまとまりがなく焦る。必死に口を回していると宥めるように頭を撫でられた。昼間と同じ暖かさと重みにぐちゃぐちゃになった思考が少し落ち着く。


「私に知らせに来てくれたのかい?」
「はい、とにかく逃げなきゃいけないって思って……。」


一刻も早く伝えなければいけないと思い、一も二もなく飛び出してきた。恐怖の掻き立てられるがままに森へと向かう人々はもう止まらない。不安の種を皆焼き払うまでは。カロスィナトスの性格上、彼らと対峙して追い払うことはないだろう。やろうと思えばできるかもしれない。けれど心優しい彼のことだ。本気でみんなに力を振るうことはない。許されるのは、今はただ逃げるだけ。


「伝えに来てくれてありがとう、パッペル。」
「……っはい!」


褒めるような労うような声色に、こんな非常事態だというのに足が宙に浮いているような感覚を味わった。なおも私の頭を撫でる彼の金目は相変わらず優しい。暗い森の中なのに彼のその目だけは優しく光っていた。


「……ここは危ない。パッペルは街へ戻ると良い。森の中ではきっと火が回るのも早いだろう。」


私を気遣うような言葉なのに、緊張で喉が詰まった。彼の頭の中には私と一緒に逃げる、という選択肢はまるで存在しないのだ。邪魔じゃないと言ってもらえた昼との差に苦しくなる。彼が何も私を邪険にしたいわけじゃないのはわかる。自惚れでもなんでもなく、言葉のままに私を心配しているのだろう。事実、きっと私が走るスピードよりも火が回るスピードの方が早い。不安と絶望と緊張に痺れた舌を動かす。


「私は、もう街に戻れません。……友人を振り切って、この森に来てしまいました。」


もし街の人たちが庭まで来たなら、私がずっと花を植えてきたことが証明でき、疑いは晴れるだろう。けれど彼女は、ネルケは違う。引き留める彼女を振り払って私は森へと来てしまった。きっと彼女はわかっているだろう。私が庭を燃やされることを恐れて街を飛び出したわけではないことを。それだけの理由ではないと。ネルケは私を見るカロスィナトスを見たといった。言葉の通りなら、彼女が見たのは彼の姿だけだろうだが彼に背負われた私の姿も見られていると考えた方がいいだろう。実際のところはわからない。けれどそれは大きな不安要素だった。その光景を見られていたなら、森へと走った私は街の人たちよりも怪物である彼を優先したという他でもない証拠になってしまう。そうなれば、いよいよ私が生き抜く道がない。
私はもう、逃げることしかできない。


「もうあの街に、私の居場所はありません。」


最初からないに等しかった居場所は、もう跡形もない。そして私があの街にいたいと思える理由もない。私が望むことは、一つだけだ。
安全に生きることでも、平凡に過ごすことでもない。


「私は、貴方と一緒にいたいです。」


邪魔になっても、足手まといになっても、私はカロスィナトスと一緒にいたかった。自分をごまかす可愛くない言葉は出てこない。見栄や建前なんて、考える余裕もない。
彼の隣、そこが私のいたい場所だ。
カロスィナトスは黙って私を見下ろしていた。その眼に厭う色や苛立ちは見えない。ただ彼は考えあぐねるように私を見下ろしていた。


「パッペル、おいで。」


ようやく出た言葉に一歩近づくとふわりと身体を浮遊感が襲う。けれどすぐに彼の腕が私に安定感を与えた。慣れた風に私を抱えるカロスィナトスは屋敷の方に歩き出す。自分で歩いていた時とは比にならないほどにグングンと景色が後ろへと流れていく。


「少し急ぐから、しっかり掴まっててくれ。」


言われるがままに彼の首に腕を回した。ぴたりと身体がくっつくように密着すると頭上から微かに微笑む気配がした。
急ぐから、と言い走り出したカロスィナトスにしがみ付く。しかしもう周りを見る余裕はなかった。先ほども十分に速かったがその何倍も速かった。少しでも身体を起こせば吹き飛ばされてしまうんじゃないかという風を感じ、薄らと瞼をあげれば絵具を混ぜ合わせたように混ざり合う景色が見えた。ごうごうと耳元で鳴る音に、騒がしい森の音は悉くかき消される。
混ざり合う景色、かき消される音、確かなのは私がしがみ付く彼の身体だけだった。
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