花咲か少女と怪物の守る庭

秋澤えで

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少女と至上の終幕

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かける言葉が見つからなかった。何を言っても彼には伝わらないそれは確信を伴った諦めだった。優しい彼は、この庭を守ると言いながら戦う気はないのだろう。きっとただここに佇み、人々と炎を迎え入れるのだ。
無駄死にだ。しかし彼にとっては意味のある死だ。庭で眠る同胞と共にこの地に還る。一人ここに取り残された彼は死ぬことによってようやく皆の元へ帰れるのだ。


「パッペル、行きなさい。もうすぐここに街の人たちがやってくるだろう。」


どうしたら、彼は生きることを選んでくれるだろうか。何を言えば、彼は共に逃げてくれるだろうか。
死ぬことよりも、生きることの方が魅力的。でもそれは私が勝手に思っていることだ。実際のところ、死を知らないからそんなことを言える。生きることが素晴らしいこと、なんてろくな人生を送っていない私が彼にプレゼンすることはできないだろう。
死を恐れるのは、わからないからだ。今あるものすべてを失いその魂一つで彼岸へ行く。恐怖が、死を忌避させる。死を恐れず、それどころかある種の救いであると信じる人間に、死生観を話そうとも平行線をたどるしかない。


「嫌、です。」
「パッペル、」
「私一人なんて、嫌です。貴方も一緒じゃなくちゃ、」


私は、わがままを言うことしかできない。一緒にいたいから一緒に来てほしい。生きていてほしいから、死なないでほしい。全部全部、私の我が儘だ。ああ彼が甘やかすから、こんな風に我が儘が次から次へと顔を覗かせ、ごねるように口から零れ落ちるのだ。前までの私なら、何もかも諦めて、こぼれそうになる言葉は唇で押しとどめていたのに。
困ったように大きな黒い手が私の頭を撫でた。撫でるくらいなら私の願いを聞いてくれ、とそう思うのに、相変わらず暖かいそれを振り払うこともできない。


「君の人生はまだまだ長い。これからたくさんの人に出会うだろう。たくさん素敵なものを見て、知り合って、この世界の広さを知っていく。君は、こんなところで終わってはいけない。君は生きなければならない。君の輝かしい未来のために。」
「貴方の、貴方の未来はどうなるんですか。カロスィナトスにだって未来があります。もっとたくさん素敵なものを見て、知り合って……、生きる可能性があるのに、未来を見る可能性があるのに、ここでそのすべてを捨ててしまうんですか?」
「……ああ、ここですべて終わりにしてしまおう。私はもう、疲れてしまった。」


あっさりと、生きるという道を投げ出してしまう。
なぜ疲れてしまったというのだろう。疲れてしまったから、生きるのを辞めようとしてしまうのだろう。
彼にどれほどの苦労が、苦痛があったのか知らない。一人絶望に纏わりつかれたまま生き続けていた彼の時間を、知らない。
それでも、これから来る輝かしい未来を知らないのは、私もカロスィナトスも同じはずなのに。


「君が来てから、毎日が楽しかった。ようやく一人じゃなくなって、まるでうまくいかなかった庭の手入れが進むようになった。ここに独り取り残されてから、君が来て初めて花が咲いた。綺麗なヒマワリだった。君がいれば、この庭にも花が咲いて、病も治って皆との約束も守れるようになったと思った。君がいる間、ここには絶望なんてなくて、ただ綺麗な未来を夢想できた。」
「夢想なんかじゃありません。いつか必ず、貴方の願った未来がここにできます。」
「パッペル、夢は夢なんだ。いつまでも夢の中にはいられない。夢はいつか終わってしまう。夢は泡沫のように消える。いや、別れの時間をわずかながらくれる、この世界の夢は私に少しだけ優しい。」


夢なんかじゃない。夢なんかにさせない。私とカロスィナトスが一緒にいて、この黒い地面を覆いつくすくらいの花が咲いて。夢なんかじゃない。それは現実にできるはずのこと。夢の終わりが迫ってきていても、私たちにはその夢を継続させるための選択肢がある。
私たちは生きていけるはずなんだ。たとえ夢と言われても、終わらない夢を見ることができるはずなんだ。


「いいかいパッペル。ここであったことは全部夢なんだ。君はただネーヴェに向かう。振り向かないで、なんの憂いもなく。」
「夢なんかじゃありません夢なんかにしません。私はカロスィナトスと、」
「これ以上、死にぞこないの夢に君を付き合わすことはできない。君は生きている。輝かしい未来が君をすぐに出迎えるだろう。」
「私は貴方と、生きていたんです!」
「君が将来ふと立ち止まったとき、遥か過去に出会った怪物のことを思い出してくれれば、私は十分だ。君の記憶の片隅、ほんのページの端に私と見た夢を置いておいてくれれば、それで。」


なんて、自分勝手な。自分のことを棚に上げて憤る。
勝手に私に夢を見させて、私に暖かさを教えて、勝手にこの世から姿を消そうとする。あげく私の記憶の端に残してくれと、心の中にその影を置いておいてくれと。私の心にどれほど彼が居座っているのかまるで想像すらもしないままに。


「わがままです、それは。」
「ああ、ごめんね。私の最後の、我が儘だ。」
「……死に際のお願いなんて、聞けません。生きるためのお願いであれば。」


もう死ぬからって、憐れみを誘うようなお願いなんて聞きたくない。自己満足だ。
刻一刻と、終わりは近づいているのに埒が明かない。
もう逃げなくては、誰も生き残れない。何も残らない。ただただ蹂躙されるがままに、訪れる災厄の炎に奪いつくされる。
覚悟を決めなくてはならない。覚悟を折るのであれば、私も同じく覚悟しなくてはならない。ふと、覚悟とは諦めともよく似ていると思った。選択をするには、覚悟と諦めのその両方を持つことが必要なのだ。
私はカロスィナトスと一緒にいたい。一緒に生きていたい。それを覚悟しよう。そして私は、それ以外の一切を諦めよう。


「……私は貴方と一緒にいたんです。どれだけ素晴らしいものが先にあったとしても、これからどんな人と出会っても、貴方がいなければ意味がないんです。私の見るもの感じるもの、全部貴方の隣でありたいんです。」


貴方がいなければ、どんな素晴らしい物も、どれほど美しい物も、ひどく色あせて見えるだろうから。陳腐で使い古されたような言葉。それでもそれ以外に表しようがない。もう彼に出会う前の私にはなれない。


「どれほどの未来がこの先にあったとしても、私はそれを見ながら永遠、後悔し続けます。貴方をここに置いて、一人逃げてきたことを。」
「それは君が若いからそう思うだけだ。それは錯覚なんだ。世界はたくさんの刺激で溢れている。君の心をひきつけるもの、君の眼を奪うもの。たった一年にも満たない記憶は、与えられる色彩に、光に色褪せていく、薄れていく。後悔も痛みも、本当に一瞬だけだ。それを越えた先には、私の影なんてない未来があるから。」
「若いからなんて言わないでください!どうしようもないことで判断しようとしないでください!私は決して忘れません。色褪せさせたりしません!」


青いなんて、わかってる。でもそれは私にはどうすることもできない。果実はすぐには熟せない。それを理由にされてしまえば、私は何も言えなくなってしまう。私の言うことすべてが青さゆえの戯言になってしまう。


「パッペル、」
「……何ですか、」
「面倒臭い。」


ぎゅ、と首を絞められたように思えた。怒り半ばに昇っていた血がすべて足元へ落ちる。


「鬱陶しい。私はここへ覚悟して残っている。それを君の我が儘で邪魔されたくない。君に私の何がわかる。何も知らないまま軽々しく言わないでくれ。私と一緒にいたい?君にそれだけの価値があると思うのかい。どこへ行っても、どこまで行っても、君は文字通りの足で纏いでしかないのに。」


私の中の何かが、粉々にされるのを感じる。
邪魔だった。やっぱり私は鬱陶しかった。優しいから受け止めていてくれただけで、他の人よりも深く同情してくれていただけで、それだけだった。一緒にいたいなんて、身の程知らずだった。どこへでも行こうなんて、社交辞令だったのに、それを真に受けて。こうしてまた、迷惑をかけて。優しくしてくれていたのに、私の我が儘のせいで全部台無しにして
息ができなくて、身体震えた。目の前がぐちゃぐちゃに滲んだ。けれど今だけは、彼の顔が見えないことに少し安心した。彼がどんな顔をしているか、知ってしまったらきっと私は立つこともままならないだろうから。


「……ごめん、嘘だから。ああ、中途半端ですまない。」


大きな身体を丸めるようにしながら、彼が腕を伸ばして、それに捕まる。抱き寄せられると暖かくて、顔は見えないけれど、少しする土の匂いに反射的に力が抜けた。


「……ごめんなさい。」
「違う、悪いのは私だ。突き放すことも、すべて諦めて君と逃げることもできない。すまない、パッペル本当に。全部、全部嘘だから。すまない。」


彼の言葉に怒ることもできない。ただただ突き放されて抱き寄せられて、茫然としながら、ぐちゃぐちゃになった頭を落ち着けていた。全部嘘、本当にそうなのか。だって全部本当のことだから。


「すまない、どうか君だけは、パッペルだけは生きていてくれ。自分勝手なのは百も承知だ。……時間がない頼む、逃げてくれ。」
「嫌、です……何と言われても、私は、貴方が逃げない限り、逃げません。」


森の中、木々の間に光は見えない。けれど先ほどよりも騒めきが大きい。姿はまだ見えないけれど、確実に彼らは近づいていた。
もう時間は残されていない。腹を括ろう。何もかもを失う覚悟を。目の前にある肩にしがみ付いた。

生きることは大事。命さえあれば。でも今だけは違う。彼がいなくては、カロスィナトスがいなくては、意味がない。たとえ生きていても、彼がいなければ死んでいるも同じだ。陳腐で、つまらなくて、鼻に着くけれど、よもや自分がこんな感情を持つなんて思いもしなかった。彼がいなくては生きていけない、なんて。青い、なんて若いなんて言われてしまうのも納得だ。でもどうせ、青くても若くても、傍にいなければ熟す前に地面に落ちてしまうだろうから。


「貴方に逃げるつもりがないのであれば、どうぞ好きにしてください。私もまた、好きにします。」
「ダメだ、君は生きて、」
「ねぇ、」


もう良いでしょう、好きにしても。どうせ時間がないのなら、我が儘を突き通しましょう。何を言われても、私のしたいように。
幸せな人生だったなんて、とても言えない。満足できているなんて言えない。不満なんてたくさんある。嘆きだってたくさんある。でも、


「大好きな人と最期までいられるなんて、それ以上に嬉しいことも幸せなことも、きっと一人で生きる未来にはないでしょう?」


薄汚くて卑屈な人生だった。それでもこんな最期でいられるなら、きっと笑って逝けるから。
それに勝る人生も、未来も、きっとこの世にはないから。
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