文字の大きさ
大
中
小
48 / 131
3巻
3-2
「鳥の餌を持ってきたよ。食べるのを見ていくかい?」
お婆さんが持っていた餌は、コーンミールだ。やっぱり餌扱いの食材なのか……。お婆さんが籠に手を入れ鳥たちに餌をあげる。食べている姿も可愛いな。
「可愛いですね。名前はあるんですか?」
「名前? 鳥だよ。それより、そろそろ夕暮れだよ。家に帰んな」
『カエンナ。カエンナ』
ペットに名前を付けるってことはやらない文化なのだろうか?
鳥がマージ婆さんと同じ声で何度も帰宅を催促するので、挨拶をしてマージ婆さんの家を出る。
「鳥を見せていただきありがとうございました」
「婆さんまたな!」
「気をつけて帰んな」
マイクとも別れ猫亭に戻ると、ラジェの姿を確認したガレルさんが眉を開き笑顔になる。そういえば、誰にも言わずに出かけてしまった。
「ミリーちゃん、ラジェ、おかえり」
「ガレルさん、ただいま。ラジェ君と近所の鳥を見に行っていました。マルクはまだ仕事をしてますか?」
「そうか。マルク、さっき上いった」
ガレルさんはこのあとも厨房の仕事があるそうなので、マルクも誘って三人で何かしようかな。
「じゃあ、ラジェ君と私も四階にいますね」
「よろしくおねがい」
ガレルさんと別れ四階の部屋に戻ると、マルクが私の手作り木簡計算ドリルをテーブルに広げていた。
「ラジェ君、こ こ に 座ってね」
「あい」
マルクの前に座ったラジェと自分のためにお茶の準備をしながらマルクに尋ねる。
「お茶入れるけど、マルクも飲む?」
「うん。僕も飲む。ラジェ君だったよね? 僕はマルクだよ」
「ラジェでしゅ」
「僕、マルク。朝も挨拶したけど、僕も猫亭で働いているんだよ。ネイト兄ちゃんとケイト姉ちゃんは僕のきょうだいなんだよ」
マルクがやや早口で言葉を続けると、ラジェが困ったような顔をする。
「マルク、もう少しゆっくり話してあげてね」
「そうだよね。僕、もう少しゆっくり話すね」
マルクとラジェが仲良くおしゃべりしてる間にお茶を注ぎ、お昼寝をするジークを確認してジョーたちの部屋を漁る。
「あった、あった」
ジョーが私から隠しているお菓子ボックスだ。
最近、私という大きな鼠がいるので、ジョーはお菓子ボックスを手の届かない棚に隠している。風魔法で飛べるので問題ないのだけどね。お昼寝するジークを起こさないようにお菓子ボックスを部屋から持ち出す。
(砂糖の在り処も、こう簡単に見つかるといいのに)
砂糖は厨房のどこかにあると思うのだが、未だ発見できていない。
お菓子ボックスを開けると大量のクッキーが入っていた。お菓子はしばらく毎日のように作っていたのでクッキーのストックは特に多い。入っているのは、主にジョーが練習していたアイシングクッキーだ。
手に取ったアイシングクッキーを見る。はて……この絵はなんだろう? 丸型の青い背景のクッキーにピンクや白の点がたくさんあり、右側に一匹の黄色いスライム? 美味しいならなんでもいいや。
「マルク、ラジェ、クッキーを持ってきたよ」
「ミリーちゃん。いつもありがとう。この絵はなんの絵だろうね?」
マルクが私の手元にある先ほどのスライム付きアイシングクッキーを見ながら尋ねる。
「……お空のずっと向こうの空だよ」
「……そっか。美味しいね」
ラジェは不思議そうに自分の取ったクッキーを見つめながら食べるかを悩んでいるようだ。
どんなクッキーを取ったのかと思えば、前世で畑とかに鳥が近づかないように置いてる目玉の風船みたいな柄だった。
「ラジェ君、食べても大丈夫だよ」
味は美味しいはずだから、味は。
サクッと小さめの一口でクッキーを食べたラジェの目が見開き笑顔になる。
「美味しいでしゅ」
「うんうん。味は美味しいよね」
「ミリーちゃん、旦那さんは毎日頑張っていたよ。この柄なんかは可愛いんじゃないかな」
マルクが健気にジョーのクッキーから綺麗な絵を探し見せてくる。
「そうだね。これはレースの柄かな? 確かに可愛いね。この下の部分の茶色は何か分かんないけど」
わいわいとクッキーを食べていたら、ドアが開きシャツがずぶ濡れのジョーが入ってくる。
「お父さん、どうしたの?」
「ああ。水を被ってしまってな。濡れたままじゃあ気持ち悪いから着替えに――ってミリー、また菓子の箱を見つけたのか? どうやってあの高さから取ったんだよ? 俺でも手が届かねぇ場所に置いてたぞ」
「えへへ」
「しかも、俺の失敗作ばっかり食ってんじゃあねぇよ」
ジョーが呆れたように笑ったので、先ほどのマルクが探してくれた可愛いクッキーをジョーに見せる。
「失敗ばかりじゃないよ。これは可愛いよ。でも、この茶色いのは何?」
「それは、網にかかった熊だ」
ジョーの熊クッキーを見つめ全員が静かになる。
ああ、このレースだと思っていた部分が網なのか……バリバリと無言で網にかかった熊のクッキーを食べる。証拠隠滅だ。
「じゃあ俺は着替えて戻るが、夕食前に菓子を食い過ぎるなよ」
「はーい」
ジョーが部屋を出ると、マルクは中断していた計算ドリルに戻った。
私とラジェはやることがなくなったので、クッキーを食べながらマルクの勉強する姿を眺めていた。マルクは三桁の数字は少し解くのに時間が掛かっているようだ。ラジェがチラチラとマルクの木簡ドリルを見ていたので尋ねる。
「ラジェ君、何か気になるの?」
「ここ間違いでしゅ」
ラジェが指摘したマルクの回答を確かめる。
「あ。本当だ。マルク、ここの足し算を間違えてるよ」
「本当だね。えーとね。これでどう?」
「正解でしゅ」
ラジェが嬉しそうに言うと、マルクと二人で『おー』と声を出す。
「ラジェは計算ができるの?」
「少しだけでしゅ」
同じ年で三桁の計算ができる子供なんてこの辺の平民では滅多にいない。
いや、大人でも商人じゃない限りほとんどいない。近くの市場の店員はよくお釣りも間違えるので一桁も怪しいくらいだ。
初めの頃はくすねているのかと思ったけれど、普通に計算が苦手なだけだった。ラジェは王国の字も読めるというが、どれほど読めるのだろうか?
「ラジェは字も読めるんだよね?」
「分からないでしゅ。ここの字はまだ難しいでしゅ」
この国の字はまだ完璧に読み書きできないけれど、砂の国の字の読み書きはできるのだろう。
砂の国の字ってどんなだろう? 砂の国は砂漠で覆われていると聞いた。砂漠ってカタカナだとデザートだよね。英語のスペルは違うけど……デザート。デザート。デザート。
「ミリーちゃん、ニヤニヤしてどうしたの?」
「マルク、ごめんごめん。ところで、鳥のお婆さんも言っていたけれど、ラジェは砂の国の出身なの?」
「……あい」
「砂の国の文字は書けるの?」
砂の国の話になるとなんだかラジェが沈んだ顔になったが、文字を書いてくれる。砂の国の文字は丸っこくて可愛い字だ――ってあれ……普通に読めるんだけど。
これも転生特典だろうか? ラジェの書いた文字を読む。
【こんにちは。私の名前はラジェです。ミリーちゃん、マルクくん、よろしくね】
「ラジェくん凄いね。文字がとっても綺麗だね。なんて書いてあるの?」
「こんにちは。名前ラジェでしゅ。ミリーちゃん、マルクくん、よろしゅくね」
咄嗟にラジェには字が読めないフリをしたけど、まさか他国の文字まで読めるとは思ってもいなかった。
この国の言語も問題なく話すことができ、読み書きもできたので不思議でないといえばそうだけど……どうすれば良いのかな。とりあえず今は黙っておくか。
「ミリーちゃん?」
「ラジェ君、ごめんね。文字が違うなぁって考えてたの。綺麗な文字だね」
「ありあと」
ラジェの耳が悪いのは生まれつきなのかな?
それにしては自分の名前を含む言葉の端端ははっきり発音ができている。いきなりデリケートなことを尋ねるのも気が引けるな。
治してみたいけどこっそりとはできない。なんだかラジェにはまだ完全に信用されてないようで、触れようとすると少しビクッとするのでいきなり魔法で治すのは躊躇している。
それに、後天的だったらヒールで治せると思うが……先天的なものは治せないらしい。
白魔法使いが周りにいないから詳しくは分からないが、以前ジゼルさんと話していた生まれつき腕のない女の人がそう言っていた。
その人は子供の頃に教会に行って治そうとしたが四肢の欠損を治す白魔法使いの神官自体少なく、生まれつき存在しなかった部分は治療することはできないと診断されたらしい。
理に適っているのかな?
初めから存在しないものは『治す』必要はないということなのだろう。
幸いこの国の王都の住民は手がなかったり、耳が聞こえなかったりしてもそれが何ってスタンスだ。特に誰も気にしてない。
ラジェとはもう少し仲良くなってから耳について聞こうかな……
◆
ガレルとラジェが働き始めて数日が経った。
二人は仕事も少しずつ慣れてきたようで良かった。クリーンを使用した時の魔力での判断だが、ガレルの魔力は平民の平均値であるのに比べて、ラジェの魔力はやはり高いようだ。素晴らしいクリーンで連日掃除をしている。クリーン仲間ができたようで、なんだか嬉しい。
今日、ガレルとラジェは日用品を揃えるために午前の仕事後に買い物に出かけた。
……そして猫亭でお留守番していた私は現在、窮地に立たされている。
遊びに来たニナが、昨年の暮れにマルクと私が一緒に粘土で手形を取った壁飾りを発見したのだ。ただ単にジークの誕生日の時に余った粘土で作った粘土の手形だったが、その恋人のような仕様が今になってニナの地雷を踏んだのだ。
自分だけ仲間外れにされたと泣き出したニナをマルクが宥める。
「ヒック。マルク君、ミリーちゃんと仲良く手形して飾って……ニナは?」
「ニナちゃん。この手形は、ジークの粘土が余ったから作っただけだよ。ニナちゃんを仲間外れにしようなんてしてないよ。深い意味はないよ」
マルクがどこぞの旦那が浮気を誤魔化すような言い訳をしている。
――事の発端は三十分前、ニナが久しぶりに家に遊び来た場面に遡る。
「ニナ、ミリーちゃんのお家に遊びに来るの久しぶり。ジーク君も大きくなってきたね」
ニナが母親から渡されたオリーブオイルを渡しながらジークに手を振る。
「油、ありがとう。あとでお母さんに渡すね。今日は何をして遊ぶ? ニナはおままごとがいい?」
「ミリーちゃん! ニナはもう子供じゃないの。おままごとはもうやらないのよ」
プクッと頬を膨らませたニナだったが、先週おままごとをやっているのを見かけたばかりだ。大人ぶりたいお年頃なのかもしれない。
「そうなんだ。じゃあ別の遊びをしよう」
「ニナ、お母さんの口紅を持ってきたの。お化粧をして可愛い服を着たいの」
「マルクにも化粧をするの?」
「もう、違うよ。ニナとミリーちゃんがお化粧をして、マルク君と結婚式ごっこするの!」
ああ、ニナもお嫁さんに憧れる年齢になったのかぁ。しかし、一夫多妻か。マルクやるな。
「じゃあ、マルクは両手に花だね」
「違うよ。マルクくんはニナで、ミリーちゃんはマイクだよ」
マルクと腕を組んだニナを微笑ましく見る。もう、マルクが好きで好きでたまらないんだね。でも、その計画はちょっとメンバーが足りないんだよね。
「今日、マイクは遊びに来ないよ。薬屋の仕事が忙しいって言ってた。ジークならいるけど」
「ミリーちゃんとジークは姉弟だから結婚はできないよ。今日は僕がミリーちゃんでニナちゃんがジークで結婚式しようか」
「え?」
ニナのテンションが一気に落ちていくのが分かった。マルクやめろ。マグマを噴火させないで! ほら、ニナが下向いて拗ね始めたでしょ! 急いでフォローをする。
「いや、私はジークと一緒でいいよ。ジークもねぇねが良いよね?」
「ねぇね。あーい」
ジークが両手を上げ喜ぶと、ニナの機嫌が直る。ふぅ、良かった。
「じゃあ、ニナとミリーちゃんはお化粧するね。部屋にいるから、男の子たちは入ってきちゃだめだよ」
急に元気になったニナに押され私の部屋へ入る。
「ミリーちゃんのお部屋は前と変わらないね」
「シンプルイズベストだからね」
「え?」
「なんでもないよ。それにちゃんと飾りは増えたよ。ほらコレとか」
昨年の暮れに粘土で形を取った手形を指差すと、ニナが手形を見つめながら尋ねる。
「これは何?」
「新年に粘土でジークの手形を取った物を飾ったんだよ。ジークが大きくなった時に昔はこんなに小さかったんだよって記念になるかなって思って――ニナ、どうしたの?」
急に静かに一点に集中していたニナがマルクと私の手形を指差しながら尋ねる。
「これはなんて書いてあるの?」
「ミリーとマルクに日付だけど?」
「ミリーちゃんとマルクくんが一緒に作ったの?」
訝しげに尋ねるニナ。
待て待て待て。いらぬ疑いを掛けられている気がする。ニナは今にも泣き出しそうだ。
「たまたま粘土が余って時間があったから作っただけだよ」
「マルク君、お勉強が忙しいからって前みたいに遊んでくれないの。ミリーちゃんと遊んだほうが楽しいのかな。ん、グス……う、う、うえーん」
ああ、泣き出してしまった。この年齢の子供は感情の上下が激しい。私もたまにどうしようもない些細なことで泣きそうになることがある。身体の年齢に引っ張られているのかもしれない。
とりあえず、この事態を解決できる人物を部屋に呼ぶ。
「マルク、ちょっと来て」
「え? でも化粧中は入ったらダメって」
「そうなんだけど。私たちの粘土の手形を見たニナが、その、泣いちゃって……」
「え? どうして?」
うん。それは私も聞きたいよ。でも、多分、ニナ本人も気づいていないがこれは嫉妬だろう。小さくても女の子なんだね。
マルクが入ってきたところで、冒頭の浮気を誤魔化す言い訳をする旦那のようなセリフに戻る。ニナに今は何を言ってもイジケモードに入っているから意味がないだろう。ここは別の解決法を考える。
「そうだ! 今日は結婚式ごっこはやめて、粘土で手形を取ろうよ」
「そうだね。ミリーちゃんもそう言ってるし、ニナちゃんもそれでいい?」
「ヒック……う、うん」
よし。ニナが泣き止んだので急いで粘土を買いに十軒先の陶芸工房へと走る。私がいない間、ニナをよろしくマルク!
息を切らしながら陶芸工房の入り口にいた女将さんに挨拶をする。
「こんにちは~」
「あら、猫亭の娘さんね。この前の粘土はちゃんと役に立ったかしら?」
「はい! 実はまた粘土を譲っていただきたくて……」
「うんうん。あるよ。この前と同じ量でいいの?」
「この前より多めにお願いします」
「はいはい。じゃあこれくらいの量なら小銅貨三枚でどうかしら?」
「はい。お願いします」
ここの工房の女将さんはおっとりしているが仕事は早い。代金を払い粘土を受け取り家に急いで帰る。さてと、ニナは機嫌を直したかな?
「ただいま。マルク、ニナ、粘土を買ってきたよ」
「ミリーちゃん、ありがとう。お金いくらだったの?」
マルクが小さな財布を出しながら尋ねる。
「今日はいらないよ。私の奢り! じゃあ早速、手形を作ろうか?」
「うん! ニナもやる!」
粘土を嬉しそうに見つめるニナ。どうやら機嫌は直ったようだ。ニナの結婚相手は将来、大変そうだな。マルク、頑張れよ。望遠鏡でも見えない距離から応援してるから。
粘土の準備ができたのでマルクとニナに渡す。
「ニナちゃん、土台の形はどうする?」
「ニナはハートがいい」
ニナとマルクがイチャつきながら粘土で遊び始めたので私はジークと一緒に手形を取ることにする。
「ジークは何の形が――あ! コラコラ、粘土を口に入れないで」
「あー! ぎゃああ」
口に入れようとした粘土を取り上げると、今度はジークが盛大に癇癪を起こしたので急いであやす。
「猫さんのニギニギだよ。ジーク。見て見て」
ジークが猫さんに集中してる間にさっさと粘土を丸型に仕上げる。ジークの手形を取り自分の手形も付ける。
ジークは騒いでエネルギーを消費したのでまたオネムのようだ。マルクとニナも無事に手形を付けたようだ。
「あとは乾燥させるだけだから、ニナも乾燥したら取りに来てね」
「分かった。粘土余っているから、ミリーちゃんも一緒に三人で手形を取ろうよ」
「うん、いいね」
粘土手形の台の形は何故か三角形で、ニナとマルクは三角形の底角部分、私は頂角部分に手形を付けた。名前を書いて日付を入れたら完成だ。これは誰が引き取るのだろうか……
ニナが帰ったあと、粘土で汚れたテーブルを掃除しながらマルクと互いに無言で目を合わせ、ため息をつく。
「ミ、ミリーちゃんが粘土を買ってきたから、残りの片づけは僕がやるよ。任せてね」
「うん。よろしく」
疲れたのでソファにゴロリと横になる。ニナは良い子なんだけど、マルクのことになると自分の気持ちが抑えきれないようだ。クッションに顔を埋めているとジョーが部屋に夕食を持って入ってくる。
「夕食を置いていくぞ。今日はパスタスープとチーズコロッケだ。ジークの夕食もあるから頼んだぞって、なんだこれ? また粘土で遊んでいたのか?」
「うん。三角関係だよ」
「……どこでそんな言葉覚えてくんだよ」
クッションに顔を埋めたままジョーに手を振る。今日はもう疲れましたなのです。
内見
「ミリー様、おはようございます」
「ミカエルさんもおはようござます」
約束していたマカロンのお店の物件内見の日、ミカエルさんは予定通りの二の鐘が鳴る時間に猫亭の裏口まで迎えに来た。
今日は渡されていた商業ギルドの見習いの服を着て、迎えの馬車が停められている数軒先まで帽子を深く被り歩く。
「本日は、人目に付かないほうがよろしいと思いまして馬車を遠くに停めております。ここまで歩かせてしまい申し訳ありません」
「こちらもそれで都合が良いので大丈夫です。気にしないでください」
馬車に到着すると御者が一礼をして自己紹介をする。
「本日、御者を務めるジョンと申します」
「よろしくお願いします」
ミカエルさんに抱えてもらい馬車に乗り込む。
中はシンプルで前にギルド長の爺さんに乗せてもらった馬車よりもコンパクトだ。でも、座り心地の良い革のシートと小窓が装備されていて十分な設備はある。
ゆっくりと馬車が動き出す。
おお! 揺れているがそこまで不快ではない。
この辺を行き交う馬車は商店の仕入れや運び屋、あとは乗合馬車ばかりなので個人馬車が珍しいのだろう、すれ違う人が私たちの馬車に視線を向けるのが分かる。
「ミリー様、本日は私付きの商業ギルド見習い人のフリでお願いします。偽名は先日のジェームズでよろしいでしょうか?」
料理人のルーカスさんの前で咄嗟に出たジェームズという偽名なのだが、せっかくなので格好良くする。
「ジェームズ・セッチャークでお願いします」
「家名までは必要ないと思いますが……分かりました。ジェームズ・セッチャクですね」
「ううん。ジェームズ・セッチャークです」
「……畏まりました。それとギルド長に拝聞しましたが、オーツクッキーのみならずボーロも平民の市場で売りたいとのこと、とても良いお考えだと思います」
ミカエルさんには時期が来たら数か所の市場で試しに出店することを勧められる。
「試しに出した店舗が軌道に乗りましたら、他にも店舗を増やしていく形が良いかと思います」
「私もそれがいいと思います」
「市場でしたら商品さえあれば、今すぐにでも開店はできますが……先に中央街のお店に集中しましょう」
お婆さんが持っていた餌は、コーンミールだ。やっぱり餌扱いの食材なのか……。お婆さんが籠に手を入れ鳥たちに餌をあげる。食べている姿も可愛いな。
「可愛いですね。名前はあるんですか?」
「名前? 鳥だよ。それより、そろそろ夕暮れだよ。家に帰んな」
『カエンナ。カエンナ』
ペットに名前を付けるってことはやらない文化なのだろうか?
鳥がマージ婆さんと同じ声で何度も帰宅を催促するので、挨拶をしてマージ婆さんの家を出る。
「鳥を見せていただきありがとうございました」
「婆さんまたな!」
「気をつけて帰んな」
マイクとも別れ猫亭に戻ると、ラジェの姿を確認したガレルさんが眉を開き笑顔になる。そういえば、誰にも言わずに出かけてしまった。
「ミリーちゃん、ラジェ、おかえり」
「ガレルさん、ただいま。ラジェ君と近所の鳥を見に行っていました。マルクはまだ仕事をしてますか?」
「そうか。マルク、さっき上いった」
ガレルさんはこのあとも厨房の仕事があるそうなので、マルクも誘って三人で何かしようかな。
「じゃあ、ラジェ君と私も四階にいますね」
「よろしくおねがい」
ガレルさんと別れ四階の部屋に戻ると、マルクが私の手作り木簡計算ドリルをテーブルに広げていた。
「ラジェ君、こ こ に 座ってね」
「あい」
マルクの前に座ったラジェと自分のためにお茶の準備をしながらマルクに尋ねる。
「お茶入れるけど、マルクも飲む?」
「うん。僕も飲む。ラジェ君だったよね? 僕はマルクだよ」
「ラジェでしゅ」
「僕、マルク。朝も挨拶したけど、僕も猫亭で働いているんだよ。ネイト兄ちゃんとケイト姉ちゃんは僕のきょうだいなんだよ」
マルクがやや早口で言葉を続けると、ラジェが困ったような顔をする。
「マルク、もう少しゆっくり話してあげてね」
「そうだよね。僕、もう少しゆっくり話すね」
マルクとラジェが仲良くおしゃべりしてる間にお茶を注ぎ、お昼寝をするジークを確認してジョーたちの部屋を漁る。
「あった、あった」
ジョーが私から隠しているお菓子ボックスだ。
最近、私という大きな鼠がいるので、ジョーはお菓子ボックスを手の届かない棚に隠している。風魔法で飛べるので問題ないのだけどね。お昼寝するジークを起こさないようにお菓子ボックスを部屋から持ち出す。
(砂糖の在り処も、こう簡単に見つかるといいのに)
砂糖は厨房のどこかにあると思うのだが、未だ発見できていない。
お菓子ボックスを開けると大量のクッキーが入っていた。お菓子はしばらく毎日のように作っていたのでクッキーのストックは特に多い。入っているのは、主にジョーが練習していたアイシングクッキーだ。
手に取ったアイシングクッキーを見る。はて……この絵はなんだろう? 丸型の青い背景のクッキーにピンクや白の点がたくさんあり、右側に一匹の黄色いスライム? 美味しいならなんでもいいや。
「マルク、ラジェ、クッキーを持ってきたよ」
「ミリーちゃん。いつもありがとう。この絵はなんの絵だろうね?」
マルクが私の手元にある先ほどのスライム付きアイシングクッキーを見ながら尋ねる。
「……お空のずっと向こうの空だよ」
「……そっか。美味しいね」
ラジェは不思議そうに自分の取ったクッキーを見つめながら食べるかを悩んでいるようだ。
どんなクッキーを取ったのかと思えば、前世で畑とかに鳥が近づかないように置いてる目玉の風船みたいな柄だった。
「ラジェ君、食べても大丈夫だよ」
味は美味しいはずだから、味は。
サクッと小さめの一口でクッキーを食べたラジェの目が見開き笑顔になる。
「美味しいでしゅ」
「うんうん。味は美味しいよね」
「ミリーちゃん、旦那さんは毎日頑張っていたよ。この柄なんかは可愛いんじゃないかな」
マルクが健気にジョーのクッキーから綺麗な絵を探し見せてくる。
「そうだね。これはレースの柄かな? 確かに可愛いね。この下の部分の茶色は何か分かんないけど」
わいわいとクッキーを食べていたら、ドアが開きシャツがずぶ濡れのジョーが入ってくる。
「お父さん、どうしたの?」
「ああ。水を被ってしまってな。濡れたままじゃあ気持ち悪いから着替えに――ってミリー、また菓子の箱を見つけたのか? どうやってあの高さから取ったんだよ? 俺でも手が届かねぇ場所に置いてたぞ」
「えへへ」
「しかも、俺の失敗作ばっかり食ってんじゃあねぇよ」
ジョーが呆れたように笑ったので、先ほどのマルクが探してくれた可愛いクッキーをジョーに見せる。
「失敗ばかりじゃないよ。これは可愛いよ。でも、この茶色いのは何?」
「それは、網にかかった熊だ」
ジョーの熊クッキーを見つめ全員が静かになる。
ああ、このレースだと思っていた部分が網なのか……バリバリと無言で網にかかった熊のクッキーを食べる。証拠隠滅だ。
「じゃあ俺は着替えて戻るが、夕食前に菓子を食い過ぎるなよ」
「はーい」
ジョーが部屋を出ると、マルクは中断していた計算ドリルに戻った。
私とラジェはやることがなくなったので、クッキーを食べながらマルクの勉強する姿を眺めていた。マルクは三桁の数字は少し解くのに時間が掛かっているようだ。ラジェがチラチラとマルクの木簡ドリルを見ていたので尋ねる。
「ラジェ君、何か気になるの?」
「ここ間違いでしゅ」
ラジェが指摘したマルクの回答を確かめる。
「あ。本当だ。マルク、ここの足し算を間違えてるよ」
「本当だね。えーとね。これでどう?」
「正解でしゅ」
ラジェが嬉しそうに言うと、マルクと二人で『おー』と声を出す。
「ラジェは計算ができるの?」
「少しだけでしゅ」
同じ年で三桁の計算ができる子供なんてこの辺の平民では滅多にいない。
いや、大人でも商人じゃない限りほとんどいない。近くの市場の店員はよくお釣りも間違えるので一桁も怪しいくらいだ。
初めの頃はくすねているのかと思ったけれど、普通に計算が苦手なだけだった。ラジェは王国の字も読めるというが、どれほど読めるのだろうか?
「ラジェは字も読めるんだよね?」
「分からないでしゅ。ここの字はまだ難しいでしゅ」
この国の字はまだ完璧に読み書きできないけれど、砂の国の字の読み書きはできるのだろう。
砂の国の字ってどんなだろう? 砂の国は砂漠で覆われていると聞いた。砂漠ってカタカナだとデザートだよね。英語のスペルは違うけど……デザート。デザート。デザート。
「ミリーちゃん、ニヤニヤしてどうしたの?」
「マルク、ごめんごめん。ところで、鳥のお婆さんも言っていたけれど、ラジェは砂の国の出身なの?」
「……あい」
「砂の国の文字は書けるの?」
砂の国の話になるとなんだかラジェが沈んだ顔になったが、文字を書いてくれる。砂の国の文字は丸っこくて可愛い字だ――ってあれ……普通に読めるんだけど。
これも転生特典だろうか? ラジェの書いた文字を読む。
【こんにちは。私の名前はラジェです。ミリーちゃん、マルクくん、よろしくね】
「ラジェくん凄いね。文字がとっても綺麗だね。なんて書いてあるの?」
「こんにちは。名前ラジェでしゅ。ミリーちゃん、マルクくん、よろしゅくね」
咄嗟にラジェには字が読めないフリをしたけど、まさか他国の文字まで読めるとは思ってもいなかった。
この国の言語も問題なく話すことができ、読み書きもできたので不思議でないといえばそうだけど……どうすれば良いのかな。とりあえず今は黙っておくか。
「ミリーちゃん?」
「ラジェ君、ごめんね。文字が違うなぁって考えてたの。綺麗な文字だね」
「ありあと」
ラジェの耳が悪いのは生まれつきなのかな?
それにしては自分の名前を含む言葉の端端ははっきり発音ができている。いきなりデリケートなことを尋ねるのも気が引けるな。
治してみたいけどこっそりとはできない。なんだかラジェにはまだ完全に信用されてないようで、触れようとすると少しビクッとするのでいきなり魔法で治すのは躊躇している。
それに、後天的だったらヒールで治せると思うが……先天的なものは治せないらしい。
白魔法使いが周りにいないから詳しくは分からないが、以前ジゼルさんと話していた生まれつき腕のない女の人がそう言っていた。
その人は子供の頃に教会に行って治そうとしたが四肢の欠損を治す白魔法使いの神官自体少なく、生まれつき存在しなかった部分は治療することはできないと診断されたらしい。
理に適っているのかな?
初めから存在しないものは『治す』必要はないということなのだろう。
幸いこの国の王都の住民は手がなかったり、耳が聞こえなかったりしてもそれが何ってスタンスだ。特に誰も気にしてない。
ラジェとはもう少し仲良くなってから耳について聞こうかな……
◆
ガレルとラジェが働き始めて数日が経った。
二人は仕事も少しずつ慣れてきたようで良かった。クリーンを使用した時の魔力での判断だが、ガレルの魔力は平民の平均値であるのに比べて、ラジェの魔力はやはり高いようだ。素晴らしいクリーンで連日掃除をしている。クリーン仲間ができたようで、なんだか嬉しい。
今日、ガレルとラジェは日用品を揃えるために午前の仕事後に買い物に出かけた。
……そして猫亭でお留守番していた私は現在、窮地に立たされている。
遊びに来たニナが、昨年の暮れにマルクと私が一緒に粘土で手形を取った壁飾りを発見したのだ。ただ単にジークの誕生日の時に余った粘土で作った粘土の手形だったが、その恋人のような仕様が今になってニナの地雷を踏んだのだ。
自分だけ仲間外れにされたと泣き出したニナをマルクが宥める。
「ヒック。マルク君、ミリーちゃんと仲良く手形して飾って……ニナは?」
「ニナちゃん。この手形は、ジークの粘土が余ったから作っただけだよ。ニナちゃんを仲間外れにしようなんてしてないよ。深い意味はないよ」
マルクがどこぞの旦那が浮気を誤魔化すような言い訳をしている。
――事の発端は三十分前、ニナが久しぶりに家に遊び来た場面に遡る。
「ニナ、ミリーちゃんのお家に遊びに来るの久しぶり。ジーク君も大きくなってきたね」
ニナが母親から渡されたオリーブオイルを渡しながらジークに手を振る。
「油、ありがとう。あとでお母さんに渡すね。今日は何をして遊ぶ? ニナはおままごとがいい?」
「ミリーちゃん! ニナはもう子供じゃないの。おままごとはもうやらないのよ」
プクッと頬を膨らませたニナだったが、先週おままごとをやっているのを見かけたばかりだ。大人ぶりたいお年頃なのかもしれない。
「そうなんだ。じゃあ別の遊びをしよう」
「ニナ、お母さんの口紅を持ってきたの。お化粧をして可愛い服を着たいの」
「マルクにも化粧をするの?」
「もう、違うよ。ニナとミリーちゃんがお化粧をして、マルク君と結婚式ごっこするの!」
ああ、ニナもお嫁さんに憧れる年齢になったのかぁ。しかし、一夫多妻か。マルクやるな。
「じゃあ、マルクは両手に花だね」
「違うよ。マルクくんはニナで、ミリーちゃんはマイクだよ」
マルクと腕を組んだニナを微笑ましく見る。もう、マルクが好きで好きでたまらないんだね。でも、その計画はちょっとメンバーが足りないんだよね。
「今日、マイクは遊びに来ないよ。薬屋の仕事が忙しいって言ってた。ジークならいるけど」
「ミリーちゃんとジークは姉弟だから結婚はできないよ。今日は僕がミリーちゃんでニナちゃんがジークで結婚式しようか」
「え?」
ニナのテンションが一気に落ちていくのが分かった。マルクやめろ。マグマを噴火させないで! ほら、ニナが下向いて拗ね始めたでしょ! 急いでフォローをする。
「いや、私はジークと一緒でいいよ。ジークもねぇねが良いよね?」
「ねぇね。あーい」
ジークが両手を上げ喜ぶと、ニナの機嫌が直る。ふぅ、良かった。
「じゃあ、ニナとミリーちゃんはお化粧するね。部屋にいるから、男の子たちは入ってきちゃだめだよ」
急に元気になったニナに押され私の部屋へ入る。
「ミリーちゃんのお部屋は前と変わらないね」
「シンプルイズベストだからね」
「え?」
「なんでもないよ。それにちゃんと飾りは増えたよ。ほらコレとか」
昨年の暮れに粘土で形を取った手形を指差すと、ニナが手形を見つめながら尋ねる。
「これは何?」
「新年に粘土でジークの手形を取った物を飾ったんだよ。ジークが大きくなった時に昔はこんなに小さかったんだよって記念になるかなって思って――ニナ、どうしたの?」
急に静かに一点に集中していたニナがマルクと私の手形を指差しながら尋ねる。
「これはなんて書いてあるの?」
「ミリーとマルクに日付だけど?」
「ミリーちゃんとマルクくんが一緒に作ったの?」
訝しげに尋ねるニナ。
待て待て待て。いらぬ疑いを掛けられている気がする。ニナは今にも泣き出しそうだ。
「たまたま粘土が余って時間があったから作っただけだよ」
「マルク君、お勉強が忙しいからって前みたいに遊んでくれないの。ミリーちゃんと遊んだほうが楽しいのかな。ん、グス……う、う、うえーん」
ああ、泣き出してしまった。この年齢の子供は感情の上下が激しい。私もたまにどうしようもない些細なことで泣きそうになることがある。身体の年齢に引っ張られているのかもしれない。
とりあえず、この事態を解決できる人物を部屋に呼ぶ。
「マルク、ちょっと来て」
「え? でも化粧中は入ったらダメって」
「そうなんだけど。私たちの粘土の手形を見たニナが、その、泣いちゃって……」
「え? どうして?」
うん。それは私も聞きたいよ。でも、多分、ニナ本人も気づいていないがこれは嫉妬だろう。小さくても女の子なんだね。
マルクが入ってきたところで、冒頭の浮気を誤魔化す言い訳をする旦那のようなセリフに戻る。ニナに今は何を言ってもイジケモードに入っているから意味がないだろう。ここは別の解決法を考える。
「そうだ! 今日は結婚式ごっこはやめて、粘土で手形を取ろうよ」
「そうだね。ミリーちゃんもそう言ってるし、ニナちゃんもそれでいい?」
「ヒック……う、うん」
よし。ニナが泣き止んだので急いで粘土を買いに十軒先の陶芸工房へと走る。私がいない間、ニナをよろしくマルク!
息を切らしながら陶芸工房の入り口にいた女将さんに挨拶をする。
「こんにちは~」
「あら、猫亭の娘さんね。この前の粘土はちゃんと役に立ったかしら?」
「はい! 実はまた粘土を譲っていただきたくて……」
「うんうん。あるよ。この前と同じ量でいいの?」
「この前より多めにお願いします」
「はいはい。じゃあこれくらいの量なら小銅貨三枚でどうかしら?」
「はい。お願いします」
ここの工房の女将さんはおっとりしているが仕事は早い。代金を払い粘土を受け取り家に急いで帰る。さてと、ニナは機嫌を直したかな?
「ただいま。マルク、ニナ、粘土を買ってきたよ」
「ミリーちゃん、ありがとう。お金いくらだったの?」
マルクが小さな財布を出しながら尋ねる。
「今日はいらないよ。私の奢り! じゃあ早速、手形を作ろうか?」
「うん! ニナもやる!」
粘土を嬉しそうに見つめるニナ。どうやら機嫌は直ったようだ。ニナの結婚相手は将来、大変そうだな。マルク、頑張れよ。望遠鏡でも見えない距離から応援してるから。
粘土の準備ができたのでマルクとニナに渡す。
「ニナちゃん、土台の形はどうする?」
「ニナはハートがいい」
ニナとマルクがイチャつきながら粘土で遊び始めたので私はジークと一緒に手形を取ることにする。
「ジークは何の形が――あ! コラコラ、粘土を口に入れないで」
「あー! ぎゃああ」
口に入れようとした粘土を取り上げると、今度はジークが盛大に癇癪を起こしたので急いであやす。
「猫さんのニギニギだよ。ジーク。見て見て」
ジークが猫さんに集中してる間にさっさと粘土を丸型に仕上げる。ジークの手形を取り自分の手形も付ける。
ジークは騒いでエネルギーを消費したのでまたオネムのようだ。マルクとニナも無事に手形を付けたようだ。
「あとは乾燥させるだけだから、ニナも乾燥したら取りに来てね」
「分かった。粘土余っているから、ミリーちゃんも一緒に三人で手形を取ろうよ」
「うん、いいね」
粘土手形の台の形は何故か三角形で、ニナとマルクは三角形の底角部分、私は頂角部分に手形を付けた。名前を書いて日付を入れたら完成だ。これは誰が引き取るのだろうか……
ニナが帰ったあと、粘土で汚れたテーブルを掃除しながらマルクと互いに無言で目を合わせ、ため息をつく。
「ミ、ミリーちゃんが粘土を買ってきたから、残りの片づけは僕がやるよ。任せてね」
「うん。よろしく」
疲れたのでソファにゴロリと横になる。ニナは良い子なんだけど、マルクのことになると自分の気持ちが抑えきれないようだ。クッションに顔を埋めているとジョーが部屋に夕食を持って入ってくる。
「夕食を置いていくぞ。今日はパスタスープとチーズコロッケだ。ジークの夕食もあるから頼んだぞって、なんだこれ? また粘土で遊んでいたのか?」
「うん。三角関係だよ」
「……どこでそんな言葉覚えてくんだよ」
クッションに顔を埋めたままジョーに手を振る。今日はもう疲れましたなのです。
内見
「ミリー様、おはようございます」
「ミカエルさんもおはようござます」
約束していたマカロンのお店の物件内見の日、ミカエルさんは予定通りの二の鐘が鳴る時間に猫亭の裏口まで迎えに来た。
今日は渡されていた商業ギルドの見習いの服を着て、迎えの馬車が停められている数軒先まで帽子を深く被り歩く。
「本日は、人目に付かないほうがよろしいと思いまして馬車を遠くに停めております。ここまで歩かせてしまい申し訳ありません」
「こちらもそれで都合が良いので大丈夫です。気にしないでください」
馬車に到着すると御者が一礼をして自己紹介をする。
「本日、御者を務めるジョンと申します」
「よろしくお願いします」
ミカエルさんに抱えてもらい馬車に乗り込む。
中はシンプルで前にギルド長の爺さんに乗せてもらった馬車よりもコンパクトだ。でも、座り心地の良い革のシートと小窓が装備されていて十分な設備はある。
ゆっくりと馬車が動き出す。
おお! 揺れているがそこまで不快ではない。
この辺を行き交う馬車は商店の仕入れや運び屋、あとは乗合馬車ばかりなので個人馬車が珍しいのだろう、すれ違う人が私たちの馬車に視線を向けるのが分かる。
「ミリー様、本日は私付きの商業ギルド見習い人のフリでお願いします。偽名は先日のジェームズでよろしいでしょうか?」
料理人のルーカスさんの前で咄嗟に出たジェームズという偽名なのだが、せっかくなので格好良くする。
「ジェームズ・セッチャークでお願いします」
「家名までは必要ないと思いますが……分かりました。ジェームズ・セッチャクですね」
「ううん。ジェームズ・セッチャークです」
「……畏まりました。それとギルド長に拝聞しましたが、オーツクッキーのみならずボーロも平民の市場で売りたいとのこと、とても良いお考えだと思います」
ミカエルさんには時期が来たら数か所の市場で試しに出店することを勧められる。
「試しに出した店舗が軌道に乗りましたら、他にも店舗を増やしていく形が良いかと思います」
「私もそれがいいと思います」
「市場でしたら商品さえあれば、今すぐにでも開店はできますが……先に中央街のお店に集中しましょう」
感想 512
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
夫の幼馴染に家も財産も奪われたので、彼女が捨てた兄妹を連れて出ていきます〜辺境伯家の住み込み家政婦になった今、戻れと言われてももう遅い~
他力本願寺夫の幼馴染に家も財産も奪われ、身一つで追い出されたアリシア。
しかし雨の宿場町で、その幼馴染が実子の幼い兄妹を置き去りにした現場を目撃する。
「私が守る」――血の繋がらないエミルとリリィを連れ、彼女は辺境伯家で住み込み家政婦として生き抜くことを選んだ。
帳簿と観察力、揺るぎない実務能力を武器に屋敷を立て直し、偏屈だが真っ直ぐな辺境伯ヴィルヘルムの信頼を得るアリシア。
子どもたちに「先生」と呼ばれ、家族のような温かさに包まれながら、彼との心の距離も静かに縮まっていく。
やがて王都から元夫と幼馴染が「戻ってきてほしい」と懇願してくるが――。
アリシアは静かに微笑み、こう告げた。
「もう、遅いわ」
追放された有能妻が、子どもたちとの家族愛と辺境伯との恋で本当の幸せを掴む、ざまぁと甘さの両方を味わえる完全復讐再生ラブストーリー。全40話。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
婚約破棄された翌日、王家の紋章が私の腕に現れました
あめとおと
伯爵令嬢エレノアは、王都の舞踏会で婚約者から突然の婚約破棄を告げられる。
理由は「平凡で地味だから」。
さらに彼は新たな恋人を伴い、人前でエレノアを侮辱した。
失意のまま屋敷へ戻った翌朝――。
エレノアの左腕に、見たことのない黄金の紋章が浮かび上がる。
それは王家の直系だけに現れるという“継承の紋章”だった。
混乱する彼女のもとへ現れたのは王国騎士団。
そして告げられる。
二十年前に失踪した第一王女には、生後間もない娘がいたこと。
その娘こそがエレノアだと。
突然始まった王家での生活。
優しい祖父である国王、過保護な王族たち、そして王国随一と名高い騎士団長。
一方、エレノアを捨てた元婚約者は、自分が取り返しのつかない失敗をしたことを知る。
婚約破棄から始まる、王家認定シンデレラストーリー。
【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜+おまけSS
himahima夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。
えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。
ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ!
アルファポリス恋愛ランキング入りしました!
読んでくれた皆様ありがとうございます。
*他サイトでも公開中
なろう日間総合ランキング2位に入りました!
王太子殿下、最初の一曲は私ではないのですね 〜我慢をやめた公爵令嬢は、婚約指輪をお返しいたします〜
ゆぷしろん 王太子カーティスの婚約者フローラは、彼に何度も「君なら分かってくれる」と我慢を強いられてきた。王宮の茶会や演奏会、誕生日の晩餐までも、殿下は王弟の落胤であるサビーナを優先し、フローラの傷を見ようとしない。ついに生誕舞踏会の最初の一曲まで奪われた彼女は、周囲の視線にさらされながらも笑顔の裏で限界を迎え、婚約解消を決意する。
翌日、王妃の前でこれまでの扱いを訴えると、サビーナもまた殿下の都合のよい言葉に利用されていたと判明。カーティスは自分の甘えと無責任さを認めきれず、国王は婚約解消と王太子活動の停止を命じる。
フローラは誰かの都合に合わせ続ける人生をやめ、自分の心を優先する穏やかな日々を取り戻す。そして、彼女を一人の人として尊重するルシアンの手を取り、初めて自ら望んだ新たな未来へ歩み出していく。
十八年前の赤子の取り違え——婚約破棄された「養女」が、公爵家のただ一人の正統な令嬢だと判明した日
歩人(あゆと)メリルは、レイクハート公爵家に引き取られた「遠縁の養女」として育った。社交界に出ることも許されず、領地の治療院で病人の世話に明け暮れる日々。義姉ソフィアが王家に嫁ぐまでの「つなぎ」として第二王子の仮の婚約者に立てられても、メリルは「いずれ退く身代わり」と承知していた。
けれど治療院に通う第二王子リオネルと、メリルは本当に心を通わせてしまう。義姉ソフィアと後見人ライラは「養女が分を超えた」と激怒し、婚約を破棄してメリルを治療院ごと辺境へ追放した。
だが、辺境で疫病が広がったとき、王都は気づく。病を癒せる「聖癒」の力を持つ者が、もう一人も残っていないことに。
十八年前、ひとつの嘘があった。公爵令嬢の赤子と、後見人の娘の赤子がすり替えられていたのだ。社交界の令嬢ソフィアではなく——治療院の「養女」メリルこそが、公爵家のただ一人の正統な令嬢だった。
日陰で生きてきた手が、王国を救う。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。