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3巻
3-3
「できれば早くみんなにお菓子を広めたいですが、早計な判断は危ないですね」
私の返しにミカエルさんが目じりを下げながら笑う。
「菓子の店はまだ珍しいですからね。クッキーを取り扱っている商会でさえ、専門店は軽々と出しませんからね。それゆえ、ミリー様のお店は他の菓子を取り扱う商会に刺激を与えると思います」
「良い意味での刺激ですか? 他の商会はやはりクッキー一つだけでお店を展開するのは難しいという判断なのでしょうか?」
「そうですね。みな、クッキーだけでは勝算がないと考えているでしょう。ミリー様の店は、菓子のレシピがある商会には良い刺激になると思いますよ」
確かに菓子の値段を考えると貴族や金持ちしか購入しないだろうし、私ではないんだから毎日クッキーを食べたいとも思わないだろう。
菓子の専門店は結構ハードルが高そう……大丈夫かな。
市場で平民用の店舗を出すとしてもクッキーとボーロだけの商品ならいつも見かける販売スペースの広さだと物足りなくなりそうなんだよね。まぁ、あとから考えよう。
四十分ほど馬車に揺られ、中央街の最初の物件に到着した。
ここは大通りに近い、家賃が月に金貨一枚のエリア。売り場を兼ねたダイニングと厨房の双方が広い物件だ。
「ここからミリー様は商業ギルド見習いのジェームズです。二人きりになるまでそのように扱いますのでよろしくお願いします。では、先に降りて私を待っていてください」
御者が踏み台を出してくれたので、トントンと軽やかに馬車を降りると後ろからすぐにミカエルさんも降りてきた。
キョロキョロと周りを確認する。月に金貨一枚も家賃を取るだけあって、この辺りは上品な店が多いようだ。お目当ての物件は紅茶屋と化粧品屋に挟まれている。そして通りを挟んだ目の前には、ん? 何屋だろう、これ?
「ジェームズ、こちらですよ」
「はい。ミカエルさん」
案内された物件の外観はアイボリー色の二階建の建物だった。
扉側には大きなショーウインドーがあり、ダイニングエリアには外の景色が見える窓ガラスが設置されていた。
店内はウッド素材で、天井、壁、それに床までアイボリー一色で統一されている。
二十席ほどのテーブル席のスペースがあり、その他に五席ほどのカウンター席がある。奥にある厨房は売り場よりも断然広そうだ。ミカエルさんが物件の説明を始める。
「こちらの店舗は元々食事処でしたが、以前のオーナー兼シェフがご病気を召され、閉店されたそうです」
ミカエルさんに案内された厨房には六口の魔道具のコンロとオーブンが二つ、氷室の置けるスペース、それから食材の保管庫があった。
「氷室用のスペースが広いですね」
「そうですね。以前ここに備えつけてあった氷室自体はすでに手放されているようですが。このスペースに嵌まる氷室なら金貨一、二枚ほどでしょうか。中古なら金貨一枚以下で手に入ると思います」
大きな氷室は氷が多く必要なので、維持費として氷代が掛かると付け加えられる。まぁ、氷なら自ら作ることができるけど、毎回そんなことやっていたら魔法の件がバレてしまう。
「コンロとオーブンは魔道具ですので、表の家具なども込みで造作譲渡料が必要ですが新品を購入されるよりは安いです」
ダイニングルームにあるテーブルなどの家具、厨房などにある設備一式も買い取ることができるという。見る限りとても綺麗に使われていたと思う。
「譲渡料はいくらですか?」
「全て込みで金貨二枚です。こちらは新品ですと金貨十枚前後します。中古ですと新品の半額ほどでしょうか。こちらのコンロの魔道具は三年前に新調されたようですので比較的新しいですね」
トイレも付いて金貨二枚、確かに安い。でも、それでも金貨二枚だ。それに氷室代もある。
「そうなんですね。氷室の魔道具ってあるのでしょうか?」
「氷室の魔道具ですか? 見たことはないですね。部屋を涼しくする魔道具なら見たことありますが……」
部屋を涼しく? クーラー?
王都でクーラーとかいらないでしょ。氷室の魔道具はないのか。
コンロの魔道具があるんだし、ありそうだと思ったんだけど。
「分かりました。従業員用の住み込みの部屋があるのですよね?」
「はい。二階部分になります。ご案内します」
案内された二階部分には個室の部屋が五つあり広さも十分だった。これなら、住み込みの従業員も快適に過ごせそうだ。
「そういえば、目の前のお店は何屋ですか?」
「あれは本屋ですよ。日中は本が直射日光を浴びないように窓や入り口を閉め切っているのですよ」
本屋があるの? マリッサに聞いてはいたけれど、実際に見るのは初めてだ。確かに窓は全て板張りになっていた。
「看板がなかったので分かりませんでした」
「本屋自体数が少ないですからね。あの本屋は写本がとても美しいと評判の店です。貴族のお客様が多いですが、学園の生徒さんも多く利用してると聞きます」
機会があれば覗いてみたいと思ったが、学生ではない子供は入店を禁止されていると言われた。酷いと思ったけれど、本屋に入ったマイクを想像して納得する。
うん、お子様のベタベタハンズでうろつく場所ではないよね。早く大人になりたい。
この物件で最後に確認しておきたい場所をミカエルさんに尋ねる。
「それで、トイレはどこですか?」
「最後に掃除されたのはお店を閉めた二か月前ですので……ご注意下さい」
こ、怖い。そーっとトイレのドアを開ける。
おお! 想像していたよりも悪くないと思う。ちょっと臭うけどね。
とりあえずクリーンを掛けておこう。トイレの壁紙が少し捲れている。
こういうのを含め全体的に改装する必要があるだろうね。一体、いくらになるのだろうか? 胃が痛い。トイレの前で不安そうに待っていたミカエルさんに声を掛ける。
「トイレ、大丈夫でした。質問ですが、ここを補修する場合の費用はどれくらいでしょうか?」
「正直改装の内容によりますが、このレイアウトのままなら金貨二、三枚ほどで済みますが、大きな変更がある場合は金貨五から八枚程になると予想されます」
これはあくまでも予想額で、基本は大工との交渉次第だという。
大工は希望がなければギルド専属の者に紹介可能だそうだ。専属大工はすでにギルドとの間に守秘義務に関する血の契約を交わしているのでペーパーダミー商会のことも口外しないから安心してくれとミカエルさんが説明する。
「それなら、ギルド専属の人の方が安心ですね。この物件はいいと思いますが他の場所も見たいです」
「それでは次に向かいましょう」
次は月の家賃が小金貨六枚の裏通りの物件だ。
物件の隣の店は靴屋とシガールーム。向かいは空店舗か。物件の外観はシックな感じだね。店の中は結構暗く、バーみたいな雰囲気だ。正直、厨房が狭くて使いにくそうだ。トイレは普通。
「ここはナシですね。周りの店も含めお菓子屋の雰囲気じゃないと思います」
「そうですね。では次に参りましょう」
二件目の物件を出て馬車に戻ろうと歩き出したら、ドンと人にぶつかった。
イタタ。私は何故か毎回のように人とぶつかると飛ばされる役なんだけど。お尻が痛い。
「君、大丈夫か? 前を見ずに歩いていた僕が悪かった。怪我はないか? あれ、君は……」
少年のような声の主の顔を確認する前にミカエルさんが駆け寄ってきた。
「ミ、ジェームズ、大丈夫か? 立てるか?」
「大丈夫。わ、僕も前を見ていなかったから」
「これはこれは、東商業ギルドのミカエルさん。お久しぶりです」
ぶつかった相手がミカエルさんに挨拶をする。あれ? 知り合いだった? ミカエルさんも商人の顔で相手へ挨拶をする。
「ナーザス商会のヘンリー様ですね。ここで会うとは奇遇ですね。今日はお買い物でしょうか?」
ナーザス……? それって私が捨てられた家の名前だ。ぶつかった相手の顔を確認する。この顔、覚えがある。以前、文房具店で見た私の元兄だ。
「取引先に挨拶に伺っただけですよ。その子はどなたでしょうか?」
「これはギルドの見習いでジェームズと申します」
「ジェームズ君か。私はヘンリー・ナーザス。ナーザス商会の者です」
ヘンリーに商人の挨拶をされたので、同じように挨拶を返しぎこちなく答える。
「ジェームズ・セッチャーク、です。ヘンリー様、以後お見知りおきを」
「丁寧にありがとう。……君はもしかして姉か妹がいたりしないか?」
「弟のみでございます」
なんだろう急に……まさか、あの文房具店での私を覚えているということなんてないよね?
「そうか。変な質問をして悪かったね」
「いえ、大丈夫です」
「ミカエルさんも足止めをしてしまい申し訳ありません。来週にまた商業ギルドへ伺う予定ですので、その時に改めてご挨拶させていただきます。それでは良い日を、失礼します」
ミカエルさんとヘンリーを見送る。凄い偶然の再会だったな。
今後、ヘンリーに対してはジェームズ・セッチャークなんておふざけで付けた名前を名乗らないといけないのが恥ずかしい。
でも、もう一つの候補のジェームズ・ドライマティーニとかにしなくてまだ良かったと胸を撫で下ろす。
御者の待つ馬車に乗り込むとミカエルさんが尋ねる。
「ミリー様、ナーザス商会のヘンリー様とはお知り合いですか?」
「いえ。知り合いではないですが、以前文房具屋でお見かけしたことがありました。ほんの僅かな時間でしたのであちらは覚えてないと思ったのですが……」
「そうですか。彼はあの年齢ですでに商人として頭角を示しているので侮れません。ナーザス商会は良い後継者に恵まれました」
「そうなんですね。気をつけます」
「次の物件は……大通りからは遠いのですが、新しい建物が多い場所ですね」
大通りから馬車で十分ほど進むと色とりどりの建物が並ぶ鮮やかな通りに出た。規模だけで比べるといささかこじんまりとはしているが、確かに新しくて綺麗な商店街だ。
やがて馬車が停まったのは白いコンクリート風の外装に、薄紫のドアが印象的な丸いショーウインドーのある建物だった。
中はスケルトン物件で何もないが二軒目よりは少し広いかな。
「ミリー様、こちらは大通りからは遠いですが貴族の従者などは馬車を使いますので距離に問題はないかと思います。この商店街の周りの住宅街は裕福な平民が多いです」
「改装費用はどれくらいでしょうか?」
「大工との交渉になりますが、改装費用は金貨二から四枚に加え家具やコンロなどの費用ですね。スケルトン物件は居抜き物件よりも改装費用に料金が掛かる場合が多いですが、スケルトン物件を好む大工も多いですね」
「真っ白なキャンバスのようなものですか?」
「そうですね。スケルトン物件は初期費用が若干高額になると思われます。中古の設備を揃えるのに金貨十枚は超えると考えておいたほうがいいでしょう」
ふむふむ。一件目は既存のレイアウトのまま修繕することになるだろう。対してこちらの三件目は好きなように改装できるが費用は高額だ。
「周辺のお店を見てきてもいいですか?」
「はい。勿論でございます」
物件の隣にあるのは宝石屋、それから香水屋だ。
キラキラした物がたくさん並んでいる。道を挟んで建っているのはお洒落な食事処と塩屋だ。
この辺の雰囲気は悪くないんじゃないかな。午前中の客通りも悪くない。うんうんと頷きながら物件に戻りミカエルさんに尋ねる。
「従業員用の部屋はどこですか?」
「こちらです」
案内されたのは、こちらも二階部分にある従業員用の住み込み部屋だ。なんか、中が暗い。
「窓が少ないですね」
「そうですね。こちらの小窓しかございません」
うーん……ここに五分ほどしか滞在してないのにすでに息苦しい。
部屋は五つあるがどれも狭い。一番狭い部屋は前世のカプセルホテル並みだ。ここでちゃんと身体を休めるのかな。
「ミカエルさん、一件目をもう一度内見してもいいですか?」
「問題ありませんよ。こちらと一件目で迷っておられるのですか?」
「そうですね。もう一度見て確かめたいなと思ってます」
最初に見たアイボリーの物件に到着したので内見の前に店の周辺を歩いてみる。 茶屋、化粧品屋、本屋の前には馬車が停まっている。馬車に紋章が付いているので貴族の馬車だろう。茶屋にも化粧品屋にも先ほどより客が入っているようだ。
「ミカエルさん大通りを歩いても良いですか?」
「もちろんですよ。せっかくですから途中でランチをしましょう」
大通りには歩いてすぐに出れた。本当に近い。
大きな商会の店が並んでいて劇場などもある。
前世の写真で見たシャンゼリゼ通りの小型版のような通りだ。東区の平民街とは雲泥の差だ。
前にギルド長の爺さんと来た時は馬車からの景色しか見えなかったが、この世界にもこんなにキラキラした場所があったんだね。菓子屋がこの国で本当に流行るのかと悶々としていた気持ちが吹き飛ぶ。
歩き始めて十数分した場所には一際目立つ大きな建物があった。
ローズレッタ商会だ。ここが中央街の中心地なのだろう。建物もだが、ローズレッタ商会のショーウインドーはどこの店よりも大きい。外から見える店内はまるでデパートのようだ。
中に入りたいけれど、ミカエルさんは爺さんの右腕なので知り合いも多いだろう。店内に入るのは今日はやめておく。
「ジェームズ、ここの裏通りに美味しいお店があります。そこでランチをしましょう」
「わーい。楽しみです」
裏通りには食事処がたくさんあり、人で混み合っていた。
丁度ランチ時だしね。実はこの国で猫亭以外のちゃんとした食事処で食べるのは初めてだ。
ミカエルさんに連れられ入ったお店は『レストラン・ブリーナ』という高級そうなお店だった。お店に入ると丁重に個室へと案内された。
「ミリー様、こちらの店は味も美味しいですが、何より全席個室なのが売りです。ここの有名な料理はパイ包み焼きです。特にシチューの包み焼きは美味しいです」
「じゃあ、私はシチューの包み焼きでお願いします」
シチューの包み焼きの値段は銅貨一枚だ。価格は猫亭の倍だがロケーションを考えると妥当だろう。
注文を取りに来た男性にランチセットを勧められたのでセットも付ける。
パン、サラダと飲み物のセットを付けると銅貨二枚か。なかなかお高いが、飲み物の選択肢に単体だったら小銅貨七枚の果実水やお酒も入っているのでお得なのかも知れない。
ランチにお酒を飲むのはこちらでは普通だ。猫亭ではジョーがランチにまで酔っ払いはいらないと酒を出していないだけなのだ。
ミカエルさんは紅茶、私はオレンジの果実水を頼んだ。
ちょっとした雑談をしていたらノック音が聞こえ、注文したセットが先に配膳される。パンは白パンだ。モキュモキュとサラダを咀嚼する。サラダは……まぁサラダだね。ドレッシングはオリーブオイルと塩だ。でも、味は新鮮で美味しい。先に持ってくるよう頼んだ果実水も濃厚な味だ。
「ミリー様、中央街を歩いてみていかがでしたか?」
「華やかですね。商売の競走も激しそうですが、東区にはない店がたくさんあって驚きました。買い物客も多く賑わいもありますね」
「王都の中央街ですからね。華やかさは国で一番でしょうね。物件は二つに絞られたみたいですが、どちらかより好みな物件はございましたか?」
「スケルトン物件は周りの雰囲気と一から改装できるのが良いですが、やはり初期費用が高額かなと思います。大通りに近い一件目の家賃は高額ですが、間取りが良くいろんなお客さんが訪れやすいと思います。ただ広い店にはそれだけコストも掛かりますし……家賃とか総額で考えた時に失敗したらと不安には思います」
「ミリー様、商売に絶対はありませんが、私はミリー様のお菓子を信じているのでお店を出していただくように申し出たのです。安心してください! 可愛い物は私が広め成功させます!」
いや、私は甘い物を広めたいんだが……拳を上げやる気に満ちたミカエルさんに苦笑いで礼を言う。
そんな話をしていたら、シチューのパイ包み焼きが運ばれてきた。
シチューの器の上にそのままパイ生地を載せオーブンで焼いたドーム型のパイだ。バターの匂いが部屋中を包む。サクッとパイを崩してシチューと共に口に入れと舌の上でパイとシチューの旨みが広がる。
ジョーの作るパイも美味しいが、ここのパイはサクサク感が違う。それがシチューと良く調和している。
「とても美味しいです!」
「ミリー様にも気に入っていただいたようで良かったです」
パイを完食して一件目の店舗に戻り中を再度内見する。
やはりキッチンが広いのは良い。家具もこのまま使用可能な物が多い。中央街の中心から徒歩の距離にあるのもいいと思う。家賃が金貨一枚なのは痛いけど……レシピ販売だけ月に金貨一枚以上稼いでるしね。
チャレンジしてダメでも商会には一年以上お店を続ける資金はある。それに、スケルトン物件はやっぱり従業員の住む場所が狭く不安だ。
一件目がいいと思うけど、ジョーとマリッサに相談して最終決定しよう。
「ミカエルさん、ありがとうございます。数日考える時間をください。こちらの物件が今のところ一番有力です。他の方に取られたくないので仮押さえはできますか?」
ギルド管理の物件なので仮押さえは必要ないと言うミカエルさんをジト目で見る。
「そんな目で見ないでください。今回紹介したのが全てギルドに有利になる物件ではありませんので」
「その言葉、信じますよ」
その後、ミカエルさんに来た時と同じように馬車で猫亭の近くまで送ってもらった。
厨房に入りジョーに声を掛ける。
「お父さん、ただいま~」
「おう、帰ったか。それでいい場所はあったか?」
ジョーがガレルさんに聞こえないように耳打ちしたので小声で返事をする。
「あったよ。なんだかギルドの思惑にハマった気がするけどね」
「エンリケさんの右腕なら悪いようにはしないだろ? マリッサも上にいるから、今なら家族会議できるぞ」
「うん! じゃあ、先に上がって待ってるね」
四階に上がりマリッサとジークにただいまの挨拶をすると、すぐに後ろからジョーも合流する。
「それで、店舗はどんなだ?」
「えーと――」
ジョーとマリッサに今日の内見の話と、第一希望の物件のことを説明する。
「金貨一枚か。良い物件だな。どの辺になるんだ?」
「あの通りなら知っているわ。ジョー、覚えてる? 学生の時にあそこの本屋に写本してもらったことがあったわ」
「そうなの? どんな本を?」
マリッサが懐かしそうに部屋から詩集を持ってくる。
私の返しにミカエルさんが目じりを下げながら笑う。
「菓子の店はまだ珍しいですからね。クッキーを取り扱っている商会でさえ、専門店は軽々と出しませんからね。それゆえ、ミリー様のお店は他の菓子を取り扱う商会に刺激を与えると思います」
「良い意味での刺激ですか? 他の商会はやはりクッキー一つだけでお店を展開するのは難しいという判断なのでしょうか?」
「そうですね。みな、クッキーだけでは勝算がないと考えているでしょう。ミリー様の店は、菓子のレシピがある商会には良い刺激になると思いますよ」
確かに菓子の値段を考えると貴族や金持ちしか購入しないだろうし、私ではないんだから毎日クッキーを食べたいとも思わないだろう。
菓子の専門店は結構ハードルが高そう……大丈夫かな。
市場で平民用の店舗を出すとしてもクッキーとボーロだけの商品ならいつも見かける販売スペースの広さだと物足りなくなりそうなんだよね。まぁ、あとから考えよう。
四十分ほど馬車に揺られ、中央街の最初の物件に到着した。
ここは大通りに近い、家賃が月に金貨一枚のエリア。売り場を兼ねたダイニングと厨房の双方が広い物件だ。
「ここからミリー様は商業ギルド見習いのジェームズです。二人きりになるまでそのように扱いますのでよろしくお願いします。では、先に降りて私を待っていてください」
御者が踏み台を出してくれたので、トントンと軽やかに馬車を降りると後ろからすぐにミカエルさんも降りてきた。
キョロキョロと周りを確認する。月に金貨一枚も家賃を取るだけあって、この辺りは上品な店が多いようだ。お目当ての物件は紅茶屋と化粧品屋に挟まれている。そして通りを挟んだ目の前には、ん? 何屋だろう、これ?
「ジェームズ、こちらですよ」
「はい。ミカエルさん」
案内された物件の外観はアイボリー色の二階建の建物だった。
扉側には大きなショーウインドーがあり、ダイニングエリアには外の景色が見える窓ガラスが設置されていた。
店内はウッド素材で、天井、壁、それに床までアイボリー一色で統一されている。
二十席ほどのテーブル席のスペースがあり、その他に五席ほどのカウンター席がある。奥にある厨房は売り場よりも断然広そうだ。ミカエルさんが物件の説明を始める。
「こちらの店舗は元々食事処でしたが、以前のオーナー兼シェフがご病気を召され、閉店されたそうです」
ミカエルさんに案内された厨房には六口の魔道具のコンロとオーブンが二つ、氷室の置けるスペース、それから食材の保管庫があった。
「氷室用のスペースが広いですね」
「そうですね。以前ここに備えつけてあった氷室自体はすでに手放されているようですが。このスペースに嵌まる氷室なら金貨一、二枚ほどでしょうか。中古なら金貨一枚以下で手に入ると思います」
大きな氷室は氷が多く必要なので、維持費として氷代が掛かると付け加えられる。まぁ、氷なら自ら作ることができるけど、毎回そんなことやっていたら魔法の件がバレてしまう。
「コンロとオーブンは魔道具ですので、表の家具なども込みで造作譲渡料が必要ですが新品を購入されるよりは安いです」
ダイニングルームにあるテーブルなどの家具、厨房などにある設備一式も買い取ることができるという。見る限りとても綺麗に使われていたと思う。
「譲渡料はいくらですか?」
「全て込みで金貨二枚です。こちらは新品ですと金貨十枚前後します。中古ですと新品の半額ほどでしょうか。こちらのコンロの魔道具は三年前に新調されたようですので比較的新しいですね」
トイレも付いて金貨二枚、確かに安い。でも、それでも金貨二枚だ。それに氷室代もある。
「そうなんですね。氷室の魔道具ってあるのでしょうか?」
「氷室の魔道具ですか? 見たことはないですね。部屋を涼しくする魔道具なら見たことありますが……」
部屋を涼しく? クーラー?
王都でクーラーとかいらないでしょ。氷室の魔道具はないのか。
コンロの魔道具があるんだし、ありそうだと思ったんだけど。
「分かりました。従業員用の住み込みの部屋があるのですよね?」
「はい。二階部分になります。ご案内します」
案内された二階部分には個室の部屋が五つあり広さも十分だった。これなら、住み込みの従業員も快適に過ごせそうだ。
「そういえば、目の前のお店は何屋ですか?」
「あれは本屋ですよ。日中は本が直射日光を浴びないように窓や入り口を閉め切っているのですよ」
本屋があるの? マリッサに聞いてはいたけれど、実際に見るのは初めてだ。確かに窓は全て板張りになっていた。
「看板がなかったので分かりませんでした」
「本屋自体数が少ないですからね。あの本屋は写本がとても美しいと評判の店です。貴族のお客様が多いですが、学園の生徒さんも多く利用してると聞きます」
機会があれば覗いてみたいと思ったが、学生ではない子供は入店を禁止されていると言われた。酷いと思ったけれど、本屋に入ったマイクを想像して納得する。
うん、お子様のベタベタハンズでうろつく場所ではないよね。早く大人になりたい。
この物件で最後に確認しておきたい場所をミカエルさんに尋ねる。
「それで、トイレはどこですか?」
「最後に掃除されたのはお店を閉めた二か月前ですので……ご注意下さい」
こ、怖い。そーっとトイレのドアを開ける。
おお! 想像していたよりも悪くないと思う。ちょっと臭うけどね。
とりあえずクリーンを掛けておこう。トイレの壁紙が少し捲れている。
こういうのを含め全体的に改装する必要があるだろうね。一体、いくらになるのだろうか? 胃が痛い。トイレの前で不安そうに待っていたミカエルさんに声を掛ける。
「トイレ、大丈夫でした。質問ですが、ここを補修する場合の費用はどれくらいでしょうか?」
「正直改装の内容によりますが、このレイアウトのままなら金貨二、三枚ほどで済みますが、大きな変更がある場合は金貨五から八枚程になると予想されます」
これはあくまでも予想額で、基本は大工との交渉次第だという。
大工は希望がなければギルド専属の者に紹介可能だそうだ。専属大工はすでにギルドとの間に守秘義務に関する血の契約を交わしているのでペーパーダミー商会のことも口外しないから安心してくれとミカエルさんが説明する。
「それなら、ギルド専属の人の方が安心ですね。この物件はいいと思いますが他の場所も見たいです」
「それでは次に向かいましょう」
次は月の家賃が小金貨六枚の裏通りの物件だ。
物件の隣の店は靴屋とシガールーム。向かいは空店舗か。物件の外観はシックな感じだね。店の中は結構暗く、バーみたいな雰囲気だ。正直、厨房が狭くて使いにくそうだ。トイレは普通。
「ここはナシですね。周りの店も含めお菓子屋の雰囲気じゃないと思います」
「そうですね。では次に参りましょう」
二件目の物件を出て馬車に戻ろうと歩き出したら、ドンと人にぶつかった。
イタタ。私は何故か毎回のように人とぶつかると飛ばされる役なんだけど。お尻が痛い。
「君、大丈夫か? 前を見ずに歩いていた僕が悪かった。怪我はないか? あれ、君は……」
少年のような声の主の顔を確認する前にミカエルさんが駆け寄ってきた。
「ミ、ジェームズ、大丈夫か? 立てるか?」
「大丈夫。わ、僕も前を見ていなかったから」
「これはこれは、東商業ギルドのミカエルさん。お久しぶりです」
ぶつかった相手がミカエルさんに挨拶をする。あれ? 知り合いだった? ミカエルさんも商人の顔で相手へ挨拶をする。
「ナーザス商会のヘンリー様ですね。ここで会うとは奇遇ですね。今日はお買い物でしょうか?」
ナーザス……? それって私が捨てられた家の名前だ。ぶつかった相手の顔を確認する。この顔、覚えがある。以前、文房具店で見た私の元兄だ。
「取引先に挨拶に伺っただけですよ。その子はどなたでしょうか?」
「これはギルドの見習いでジェームズと申します」
「ジェームズ君か。私はヘンリー・ナーザス。ナーザス商会の者です」
ヘンリーに商人の挨拶をされたので、同じように挨拶を返しぎこちなく答える。
「ジェームズ・セッチャーク、です。ヘンリー様、以後お見知りおきを」
「丁寧にありがとう。……君はもしかして姉か妹がいたりしないか?」
「弟のみでございます」
なんだろう急に……まさか、あの文房具店での私を覚えているということなんてないよね?
「そうか。変な質問をして悪かったね」
「いえ、大丈夫です」
「ミカエルさんも足止めをしてしまい申し訳ありません。来週にまた商業ギルドへ伺う予定ですので、その時に改めてご挨拶させていただきます。それでは良い日を、失礼します」
ミカエルさんとヘンリーを見送る。凄い偶然の再会だったな。
今後、ヘンリーに対してはジェームズ・セッチャークなんておふざけで付けた名前を名乗らないといけないのが恥ずかしい。
でも、もう一つの候補のジェームズ・ドライマティーニとかにしなくてまだ良かったと胸を撫で下ろす。
御者の待つ馬車に乗り込むとミカエルさんが尋ねる。
「ミリー様、ナーザス商会のヘンリー様とはお知り合いですか?」
「いえ。知り合いではないですが、以前文房具屋でお見かけしたことがありました。ほんの僅かな時間でしたのであちらは覚えてないと思ったのですが……」
「そうですか。彼はあの年齢ですでに商人として頭角を示しているので侮れません。ナーザス商会は良い後継者に恵まれました」
「そうなんですね。気をつけます」
「次の物件は……大通りからは遠いのですが、新しい建物が多い場所ですね」
大通りから馬車で十分ほど進むと色とりどりの建物が並ぶ鮮やかな通りに出た。規模だけで比べるといささかこじんまりとはしているが、確かに新しくて綺麗な商店街だ。
やがて馬車が停まったのは白いコンクリート風の外装に、薄紫のドアが印象的な丸いショーウインドーのある建物だった。
中はスケルトン物件で何もないが二軒目よりは少し広いかな。
「ミリー様、こちらは大通りからは遠いですが貴族の従者などは馬車を使いますので距離に問題はないかと思います。この商店街の周りの住宅街は裕福な平民が多いです」
「改装費用はどれくらいでしょうか?」
「大工との交渉になりますが、改装費用は金貨二から四枚に加え家具やコンロなどの費用ですね。スケルトン物件は居抜き物件よりも改装費用に料金が掛かる場合が多いですが、スケルトン物件を好む大工も多いですね」
「真っ白なキャンバスのようなものですか?」
「そうですね。スケルトン物件は初期費用が若干高額になると思われます。中古の設備を揃えるのに金貨十枚は超えると考えておいたほうがいいでしょう」
ふむふむ。一件目は既存のレイアウトのまま修繕することになるだろう。対してこちらの三件目は好きなように改装できるが費用は高額だ。
「周辺のお店を見てきてもいいですか?」
「はい。勿論でございます」
物件の隣にあるのは宝石屋、それから香水屋だ。
キラキラした物がたくさん並んでいる。道を挟んで建っているのはお洒落な食事処と塩屋だ。
この辺の雰囲気は悪くないんじゃないかな。午前中の客通りも悪くない。うんうんと頷きながら物件に戻りミカエルさんに尋ねる。
「従業員用の部屋はどこですか?」
「こちらです」
案内されたのは、こちらも二階部分にある従業員用の住み込み部屋だ。なんか、中が暗い。
「窓が少ないですね」
「そうですね。こちらの小窓しかございません」
うーん……ここに五分ほどしか滞在してないのにすでに息苦しい。
部屋は五つあるがどれも狭い。一番狭い部屋は前世のカプセルホテル並みだ。ここでちゃんと身体を休めるのかな。
「ミカエルさん、一件目をもう一度内見してもいいですか?」
「問題ありませんよ。こちらと一件目で迷っておられるのですか?」
「そうですね。もう一度見て確かめたいなと思ってます」
最初に見たアイボリーの物件に到着したので内見の前に店の周辺を歩いてみる。 茶屋、化粧品屋、本屋の前には馬車が停まっている。馬車に紋章が付いているので貴族の馬車だろう。茶屋にも化粧品屋にも先ほどより客が入っているようだ。
「ミカエルさん大通りを歩いても良いですか?」
「もちろんですよ。せっかくですから途中でランチをしましょう」
大通りには歩いてすぐに出れた。本当に近い。
大きな商会の店が並んでいて劇場などもある。
前世の写真で見たシャンゼリゼ通りの小型版のような通りだ。東区の平民街とは雲泥の差だ。
前にギルド長の爺さんと来た時は馬車からの景色しか見えなかったが、この世界にもこんなにキラキラした場所があったんだね。菓子屋がこの国で本当に流行るのかと悶々としていた気持ちが吹き飛ぶ。
歩き始めて十数分した場所には一際目立つ大きな建物があった。
ローズレッタ商会だ。ここが中央街の中心地なのだろう。建物もだが、ローズレッタ商会のショーウインドーはどこの店よりも大きい。外から見える店内はまるでデパートのようだ。
中に入りたいけれど、ミカエルさんは爺さんの右腕なので知り合いも多いだろう。店内に入るのは今日はやめておく。
「ジェームズ、ここの裏通りに美味しいお店があります。そこでランチをしましょう」
「わーい。楽しみです」
裏通りには食事処がたくさんあり、人で混み合っていた。
丁度ランチ時だしね。実はこの国で猫亭以外のちゃんとした食事処で食べるのは初めてだ。
ミカエルさんに連れられ入ったお店は『レストラン・ブリーナ』という高級そうなお店だった。お店に入ると丁重に個室へと案内された。
「ミリー様、こちらの店は味も美味しいですが、何より全席個室なのが売りです。ここの有名な料理はパイ包み焼きです。特にシチューの包み焼きは美味しいです」
「じゃあ、私はシチューの包み焼きでお願いします」
シチューの包み焼きの値段は銅貨一枚だ。価格は猫亭の倍だがロケーションを考えると妥当だろう。
注文を取りに来た男性にランチセットを勧められたのでセットも付ける。
パン、サラダと飲み物のセットを付けると銅貨二枚か。なかなかお高いが、飲み物の選択肢に単体だったら小銅貨七枚の果実水やお酒も入っているのでお得なのかも知れない。
ランチにお酒を飲むのはこちらでは普通だ。猫亭ではジョーがランチにまで酔っ払いはいらないと酒を出していないだけなのだ。
ミカエルさんは紅茶、私はオレンジの果実水を頼んだ。
ちょっとした雑談をしていたらノック音が聞こえ、注文したセットが先に配膳される。パンは白パンだ。モキュモキュとサラダを咀嚼する。サラダは……まぁサラダだね。ドレッシングはオリーブオイルと塩だ。でも、味は新鮮で美味しい。先に持ってくるよう頼んだ果実水も濃厚な味だ。
「ミリー様、中央街を歩いてみていかがでしたか?」
「華やかですね。商売の競走も激しそうですが、東区にはない店がたくさんあって驚きました。買い物客も多く賑わいもありますね」
「王都の中央街ですからね。華やかさは国で一番でしょうね。物件は二つに絞られたみたいですが、どちらかより好みな物件はございましたか?」
「スケルトン物件は周りの雰囲気と一から改装できるのが良いですが、やはり初期費用が高額かなと思います。大通りに近い一件目の家賃は高額ですが、間取りが良くいろんなお客さんが訪れやすいと思います。ただ広い店にはそれだけコストも掛かりますし……家賃とか総額で考えた時に失敗したらと不安には思います」
「ミリー様、商売に絶対はありませんが、私はミリー様のお菓子を信じているのでお店を出していただくように申し出たのです。安心してください! 可愛い物は私が広め成功させます!」
いや、私は甘い物を広めたいんだが……拳を上げやる気に満ちたミカエルさんに苦笑いで礼を言う。
そんな話をしていたら、シチューのパイ包み焼きが運ばれてきた。
シチューの器の上にそのままパイ生地を載せオーブンで焼いたドーム型のパイだ。バターの匂いが部屋中を包む。サクッとパイを崩してシチューと共に口に入れと舌の上でパイとシチューの旨みが広がる。
ジョーの作るパイも美味しいが、ここのパイはサクサク感が違う。それがシチューと良く調和している。
「とても美味しいです!」
「ミリー様にも気に入っていただいたようで良かったです」
パイを完食して一件目の店舗に戻り中を再度内見する。
やはりキッチンが広いのは良い。家具もこのまま使用可能な物が多い。中央街の中心から徒歩の距離にあるのもいいと思う。家賃が金貨一枚なのは痛いけど……レシピ販売だけ月に金貨一枚以上稼いでるしね。
チャレンジしてダメでも商会には一年以上お店を続ける資金はある。それに、スケルトン物件はやっぱり従業員の住む場所が狭く不安だ。
一件目がいいと思うけど、ジョーとマリッサに相談して最終決定しよう。
「ミカエルさん、ありがとうございます。数日考える時間をください。こちらの物件が今のところ一番有力です。他の方に取られたくないので仮押さえはできますか?」
ギルド管理の物件なので仮押さえは必要ないと言うミカエルさんをジト目で見る。
「そんな目で見ないでください。今回紹介したのが全てギルドに有利になる物件ではありませんので」
「その言葉、信じますよ」
その後、ミカエルさんに来た時と同じように馬車で猫亭の近くまで送ってもらった。
厨房に入りジョーに声を掛ける。
「お父さん、ただいま~」
「おう、帰ったか。それでいい場所はあったか?」
ジョーがガレルさんに聞こえないように耳打ちしたので小声で返事をする。
「あったよ。なんだかギルドの思惑にハマった気がするけどね」
「エンリケさんの右腕なら悪いようにはしないだろ? マリッサも上にいるから、今なら家族会議できるぞ」
「うん! じゃあ、先に上がって待ってるね」
四階に上がりマリッサとジークにただいまの挨拶をすると、すぐに後ろからジョーも合流する。
「それで、店舗はどんなだ?」
「えーと――」
ジョーとマリッサに今日の内見の話と、第一希望の物件のことを説明する。
「金貨一枚か。良い物件だな。どの辺になるんだ?」
「あの通りなら知っているわ。ジョー、覚えてる? 学生の時にあそこの本屋に写本してもらったことがあったわ」
「そうなの? どんな本を?」
マリッサが懐かしそうに部屋から詩集を持ってくる。
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