先生、質問です

柊原 ゆず

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先生、質問です

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 僕は十八歳の夏に初めて恋をしました。あれは暑くて、湿気の高いジメジメとした日だったと思います。僕は教科書を忘れて、夕方の、もう日が落ちかけている教室へと足を踏み入れました。そこには、机に座って提出物のノートを読む先生の姿がありました。半袖のYシャツに紺色のベストを着て、ひどく暑そうにしながらノートに目を通す先生に、僕は思わず足を踏み入れるのを躊躇しました。何故か僕は、そんな先生の姿をずっと見ていたいな、と思っていました。先生の首筋に伝う汗の粒から目を離すことができなかったのです。僕の思いとは裏腹に、先生は人の気配を感じたのか顔を上げて、僕の姿を捉えました。

「あら?林くんだったのね。どうしたの?忘れ物かしら」

 先生はそう言って、僕に笑いかけました。先生の笑顔を見ていたら、何かおかしなことが起こりそうな、嫌な予感がして僕は視線を逸らすように頷きました。けれど先生は不審に思わず、またノートに視線を落とします。僕はほっとして、お目当ての教科書を手に入れ、教室を出ようとしました。

「あ、林くん。ちょっと」

 先生に呼び止められて、僕は足を止めました。先生は僕のところまで来て、「これ、あげるわ」と僕に何かを渡してきました。中身を確認すると、レモン味のキャンディでした。きょとん、とする僕に気付いたのか、先生は困ったように眉を下げて笑いかけます。

「林くん、最近成績良いからね。ご褒美よ。皆にはナイショね」

 人差し指を自分の口元に当てて、そう約束させる先生。先生の唇が、やけにやわらかそうに思えて、僕はそんな邪な考えから目を逸らすために視線を地面に落としてから、「ありがとうございます」と精一杯の言葉を吐き出しました。
 僕はあれから、先生の姿を見るたびに心臓がドキドキと煩くなって、顔に熱を帯びるようになりました。そうなのです。僕はこの時、自覚してしまったのです。僕は先生のことが好きだって。





 僕はあれから、悶々とした日々を過ごしています。先生に片思いしているだなんて。言えない。言えるわけがない。それでも僕は、先生の笑顔だとか、穏やかな声だとか、品のある美しい仕草までもが堪らなく好きで、愛おしいのです。だから僕はこっそり先生の声を集めることにしました。授業中の声も、休憩中に同僚の男性教師と話している声も、部活中の声も、全部。僕は友達なんていらないから、授業の休憩時間も、家にいる時も先生をイヤホン越しに感じます。先生は一人暮らしで、何気ない独り言が多いのは、先生の声を集めて知ったことでした。
 初めて知ったことは、もう一つ。先生は夜、必ずしていることがありました。

「…っん、…ふ…」

 先生の押し殺した声と、水音がイヤホン越しに聞こえてきます。僕は義務教育を終えた十八歳の高校生で、当然保健体育だって受けています。聞こえてくる音が何を意味するのか、分からない程僕は鈍感ではありませんでした。あの先生が、自慰をしている。ぐちゅ、くちゅり、と音が聞こえる度に先生の鼻にかかった甘い声が僕の耳を犯します。せんせい、かわいい。
 気が付けば僕は、ズボンのチャックを下ろし、自分の性器を右手で上下に擦っていました。僕が指を動かす度に、先生の嬌声が耳に響いてきます。先生の声は麻薬か何かでしょうか。僕の頭は熱に浮かされたように、クラクラしてきました。ぼんやりとした頭の中でも、快感はしっかりと享受していて、僕はあっという間に精液を吐き出してしまいました。同じ頃、先生も一際高い声を上げて、放心したように荒い呼吸を繰り返しています。なんだか先生と一つになった気分です。先生と一つになった高揚感に僕はしばらく酔いしれていました。
 あれから毎日、先生が自分の身体を慰める度に、僕も性器で自分をいじめるようになりました。段々と僕は、先生の身体はどんな風なんだろうと思うようになりました。先生とえっちがしたい。そんな非道徳的な考えは勿論、いけないことです。僕は「品行方正な優等生」なので、非道徳的なことはしたくないです。けれど僕はあの日、見てしまいました。野球部でエースの山本くんが、先生を組み敷いているところを。先生は僕の存在に気づいていないようでしたが、山本くんとは目が合いました。山本くんは目を細めて、誘うように笑いました。クラスで人気者、明るくて優しい山本くんのあんな顔を見るのは初めてでした。僕は怖くなって、先生に気づかれないようにその場から逃げてしまいました。今思うとあの顔は、「お前も混ざる?」と聞いていたのでしょう。後になってから僕は、惜しいことをしたと思いました。

「は、林くん…?!」

 だから僕は、今度こそ失敗なんてしません。放課後の生徒指導室に、「分からない問題があります」と言って、先生を呼び出しました。生徒指導室の鍵を閉めた僕のことを明らかに不審そうな顔で見る先生に、僕は先生の声を再生します。それは、先生が自慰をしている時の声でした。動揺する先生が愛しくて、僕は畳み掛けるように質問します。

「山本くんとのセックス、どうでした?」

 僕の質問に、先生の顔色が悪くなっていきました。青というか、白に近い色です。

「林くん、あなたは一体……!」
「先生。僕は、分からない問題があります」
「……え、何言って……?」
「先生とのセックスは、気持ちいいですか?僕はそれがどうしても分からないのです」

 だから先生、僕に答えをください。先生なら、解答をもらえると思うんです。だから、ね。先生。僕は真っ白な顔をした先生に笑いかけました。

Fin.
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