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出向

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 眩しい……。
 目を開くと異様に遠い天井が見えた。
 起き上がると、シンプルだが、こぎれいな調度品が自分の周りを囲んでいることに気づく。

「何処だここ……」

 記憶がおぼろげだ。

 何とか記憶を呼び起こしてみる。

 たしか、昨日の夜遅くに、ダンジョンで救出した少女と俺たちは魔王城に帰還したのだ。

 それから魔王城の廊下でラルフに会うと

「なんだ貴様ら、陰気な顔をして……。もしや、依頼に失敗したのか!?」

 貴様らといいつつ、シェーンを見て奴は怒声を飛ばしたのだ。

「いえ、ダンジョンは攻略できました。しかし……」

 シェーンは言葉を濁して少女の方を見る。
 ラルフは視線をシェーンから少女に変え、無遠慮に顔を見つめた。

「フワハハハハハ!!」

 するとラルフは何を勘違いしたのか快活に笑い始めた。

「でかしたぞ、シェーン!依頼をこなす肩出間に勧誘までしてくるとはあっぱれじゃ!」

 勘違いしたラルフを止められるわけもなく、罪悪感で体で凍り付いた。
 さしものシェーンも苦い顔をするだけで何も言うことができないようだった。

「さあ、今日は酒宴じゃあ、飲め!ものども!」

 ラルフに酒を渡された。
 祝いの酒を飲む権利などないが、酒を飲んだ。
 飲んで飲み続けた。
 そんなに飲んだのは無意識にエレベーターのことを忘れたいと思っていたからかもしれない。
 
 それからの記憶がない。

 おそらく、酔いつぶれてここに運ばれたのだろう。
 だるい体を起こす。

「いて!」

 頭痛がひどく、立ち上がっただけでも痛みが走った。
 ベッドに手をついて、痛みが通り過ぎるのを待つ。

 この状態で働けるかは微妙だが、今日の予定を聞かなければならない。
 頭痛と吐き気でよろよろとするが、壁にもたれて、ラルフの部屋を目指す。

 廊下に出ると、嫌に大きな声で隣がラルフの部屋だとすぐに分かった。
 こんな朝っぱらから何をしているのだろうか……。

 中を覗いてみると、ラルフと少女がにらみ合っていた。
 少女の顔を見るとまた、あのエレベーターのことを思い出してしまって罪悪感がこみあげてきた。
 してはいけないというのに少女を視界から急いで外してしまった。

「貴様!名は何という?」

 ラルフの声が無駄に広い部屋の中で響く。
 まずい。
 帰りの道中のイメージだが、少女は無口だった。
 返事をせずにラルフを怒らせるかもしれない。

 「あたしの名はトリシュ・プレダー」

 そんな俺の予想に反して、少女はよどみなく返事をした。

「ふむ。飯の事しか考えん餓鬼族の分際で、いい名を持っているではないか」

 ラルフの口から餓鬼族という言葉を聞いた瞬間、背中に電流が流される感覚に襲われる。
 昨日の言葉のせいだろう。
 あの時のことは、珍しくシェーンがしおらしくしていたので今でもはっきりと思い出される。

『餓鬼族は他の種族と比べて、並外れた腕力がある代わりに、エネルギー効率が非常に悪い。食事をしないまま三時間経てば飢えが来て、半日立てば餓死する。今回はそいつらが乗ったエレベーターがたまたま・・・・壊れた。救えない話だな本当に』

 過ぎ去ったことで、何もできないというのになぜそんなことを言ったのだろうか。
 俺には今もわからない。
 わかることはその言葉が更に俺の罪悪感を膨張させたことだ。
 償うといったが今になって並大抵のことではないとわかってきた。

「む、リード!他人の会話を盗み聞きなど、我がしもべにあるまじき行為であるぞ!」

 ラルフが背を向けたまま、叱責の言葉を投げかけてきた。
 負の念を心から生じさせていたからそれでバレたのかもしえない。
 それにしても、人聞きの悪い。
 少し立ち聞きしていただけだというのに。
 
 文句はあっても、ラルフに言う蛮勇などないので、謝罪しておこう。

「失礼しました。以後肝に銘じます。すぐ立ち去りますので」
 
 俺は一度寝かされていた部屋に戻るとする。
 仕事のことを聞く必要があるが、叱責された後では間が悪いからだ。

「待て。ちょうど貴様の事は呼び出そうとしていたところだ。座れ」

 だが予想に反して、叱責した後だというのに魔王はここにとどまれと言った。
 促されるまま、縦長のテーブルに添えられた椅子に座る。
 片や、俺の被害者、片や、暴力団の頭。
 それに挟まれる俺。
 胃が痛くなりそうな布陣だ。現に俺の腹は不調を訴え始めているような気がする。

「お前を呼び出した理由はほかでもない。この小娘の教育係をしてもらうためだ」

 ラルフはそう言って、俺の目を睨んできた。
 なんとなく事情は分かった。
 ラルフはもうシェーンから事情を聞かされ、委細承知なのだろう。
 この子の面倒を一生に見ることを。

「教育係ですか?
 俺も教えられるようなことは在りませんよ」
「何を言っとるか貴様!
 教えられることがなければ、教えられるようになればいいだけのこと!」

 そんな泣かぬなら泣かせてみせようホトトギスみたいなことを言われても……。

「いや、でもどうやって教えられるようになればいいていうんですか」

 めちゃくちゃなことを言うので、抗議の意を込めて尋ねる。
 ラルフは顔を真っ赤にした。
 予想はしていたが、やっぱり怒らせてしまった。

「貴様、情弱か!
 迷宮関連のことなど、エルフの森でいくらでも講座をやっておるわ」
「エルフの森?」

 ラルフの怒声によって昇天しかけた俺の心はその言葉で現世にカムバックする。
 何だその魅力的な名前の土地は!?
 
 異世界で誰もが一度は会いたいと思う存在―エルフがいかにもいそうな名前だ。
 くそ、なんで田舎のリザードマンなんかに転生してしまったのだろう。
 どうせならその近辺に転生すれば今頃……。
 美少女エルフとイチャイチャ、金がドバドバな生活ができたかもしれないのに。

 いや待ってよ。
 まだあきらめるにはまだ早い。。
 間に会う可能性もなきにしにあらずなんじゃ。
 そうすれば、トリシュも俺も迷宮に入ることなどなく、平穏に暮らせるんじゃなかろうか。
 あんなことが会ったのだ。彼女が迷宮に入れば大きなダメージを受けることは想像に難くない。
 それが避けられるというのならそれ以上のことはない。

 この活路について、ラルフから聞いて掘り下げねばならない。
 そう決心してラルフの顔を再び見ると、不思議なことに赤から青に変わっていた。
 信号みたいなことになっている。
 尋常な事態ではない。

「成金のエルフどもが、意を構えている土地じゃ。一万年前はただの田舎の亜人に過ぎなかったというのに、増長しおってからに」

 ラルフは心底気に入らんといった感じで、苦々しそうに相貌をゆがめている。
 子供が初めてコーヒーを飲まされていたような顔だ。
 
 俺が偏見でいい奴と思てるだけで、エルフは案外悪い奴らなのだろう。
 少し早まった期待をし過ぎたかもしれない。
 俺は日本での常識をこの世界にも当てはめようとする悪癖があるからできるだけ早く改めるようにしよう。
 
 気を引き締めて、ラルフを見る。
 ラルフはもう回復したようで、威厳のあるたたずまいに戻っていた。
 切り替えが早い人だ。

「アルテー!!」
「はい!旦那様!」

 ラルフが大声で、誰がしかの名前を叫ぶと。
 弾むような高い声が返って来た。
 口調から推測すると使用人のようだけど、なんでこのタイミングで呼びだしたのだろう?
 
 少しすると扉から赤い髪のメイドが入って来た。
 俺が前来た時に、俺のことを保菌者呼ばわりした少女だ。
 呼ばれた本人であるメイド自体もなんで呼ばれたのか分かってないようでキョトンとした顔をしている。
 その様子は和ような気持ちを喚起させるが、ラルフの意図が分からないので抑え込む。
 メイドはラルフに見つめられて、息をのんでいる。

「貴様に、命を下す。こやつらを、エルフの森へと導け!道中、野良のエルフどもと絶対に口をきいてはならぬぞ!」

 魔王がメイドにどっかのおとぎ話に出てきそうな文言で命令する。
 破ったら、豚が何かになりそうだ。
 そんな、口調で言われたというのに、メイドの顔は青い。
 その表情は見れば、彼女の中で恐慌に近い状態にあることは推測できた。

「承知しました。旦那様、このアルテマイヤ、肝に銘じます……」

 それでも、メイドは目に涙をためて、主人の命を受諾した。
 このメイドは俺を菌扱いした傑物だというのに、この反応。
 
 俺はエルフを絶対やばい奴らだと確信した。
 手遅れになる前に断わなければならない。
 
 ラルフを見ると、目を閉じてすでに拒絶の意を表明していた。
 もうすでに手遅れだった……。
 態度が断ることを許さんといっている。

「貴様ら、何をしている、ささっと、支度をして、ここから出っていかんか!」

 魔王の非情な一言が俺たちにかけられた。
 ラルフの有無を言わさぬ一言に俺たち―下々の者たちは何も言えるはずもなく。

 俺たちは、エルフの森に向けて旅立った。





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