当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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二章 無意味の象徴

112話 『温度』

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 レイが『竜』と対峙して間もない頃──、

「──っ、お姉ちゃん!」

 左。振り向くと同時に、ナツメがその胸に飛び込んだ
 しかし、抱き締められたナツミは、居心地が悪そうに唇を噛んで目を背ける

「ナツ、メ……」

「よかった……心配、した……」

 耳元で、湿りつつある声色で、ナツメがぽつぽつと呟き始める

「私……お姉ちゃん、いなくて……怖くて……何回も、死んじゃったって……思って……でも、お姉ちゃん、探して……こわ、かったぁぁ……」

 抱き締めるその腕に力が入り、確かめるように頬を当ててくるナツメの少し震えた声が少しずつ胸を蝕んでいく

「ごめんね……ごめんね……ごめんね……」

 やがて、しきりに謝り始めたナツミに体を強く抱きしめて、もう一人じゃない事を実感に至るまで頷き返していた

 『──ちゃんと、返事、してあげてね』と、その言葉がナツミの頭の中で反芻する。都合の悪い事を忘れさせてくれる頭が、それでも憶えている言葉を、辛くて悲しくなるばかりのこの言葉を憶えている。忘れさせてくれない。何度も何度も頭がそう忠告する度にナツミは少しずつ居心地が悪くなっていくのを感じ取っていた

「……あのね、お姉ちゃん」

「ん……。どーしたの?」

「やっぱり、温かい……」

「ナツメもあったかいよ……?」

「……だって、おかーさん、しんじゃ──」

 突然、ナツメは押しのけられ、ナツミの膝の上に座るような形になってしまう。突然の出来事に困惑するナツメは、自分の双子の姉であるナツミに問いかけようと身を乗り出して、その目を見て、気付いた。彼女はナツメなどこれっぽっちも見ていない。彼女が見ていたのは、過去の残滓に過ぎないと。何かを言おうと開いた口が、かける言葉を失くしてもなお閉じない

 ナツメは、ナツミに捨てられたのだ

「ぁ、れ……?」

 おかしな事に、ナツミを見つけて嬉しいはずなのに、涙がぽろぽろと溢れてきた。何度、それを拭いても拭いても次から次へと新たに涙が溢れては落ちていく。ぽろぽろ、ぽろぽろ。何が起こっているのか、整理が追いつかないまま、ナツメは落ちていく涙を拭いて、拭いて、拭く

「──っ。ぁ……」

 ナツミが薄い唇を噛んで、視線を下に落とす。そこには自分の太ももと、固く握り締められた拳があった

 頭が上がらず、視線を戻す事ももうできない。喉も何かを詰め込まれたようで、呼吸以外の役割を果たそうともしない。なのに、胸の中ではかきむしりたくなるほどの言葉が渦巻いている
 ごめんね、心配かけて。私はお母さんを生き返らせる。ナツメと一緒にいたい。逃げたい。声が出ない。胸がかゆい。泣きそうなくらい嬉しいよ。今すぐ泣いて、お母さんに抱いて欲しい。頭を撫でられたい。さみしい。怖い。決めなきゃ。すごいよ。独りなんだ。寒くて冷たい。お母さんのご飯を食べたい。三人が良い。『赤いはちみつ』は、もう見たくない。『おかし』ももう要らない。助けて。お母さん、ナツメ。──。……。

 視線を受けたナツミは怖くなった。手足が震えて、力が入っていた拳は指が白くなり震えるほどに強い力が込められていた

「……ねえ、ナツメ」

「──なぁに……? お姉ちゃん……」

 鼻を啜る音が鼓膜を震わせ、悲哀に顔が歪んでしまう。口の端が引き攣って、思うように舌が回らない。胸をくすぐる罪悪感と苦しみとが、喉を震わせる声を塞き止めるせいで全身と対象的に喉だけが震えない

「……そ、の……」

「……なぁに?」

 拳はまだ震えている。視線も、未だ上げる事すら叶わない。それでも、伝えたい事があるからこそ、今、必死で喉を震わせる

 ──『だから』と、頭の中で少し気を遣った声が響いた『ちゃんと、返事、してあげてね』

「私、は──」

 震えて、震えて……。

「ナ、ツメ、わたし──!」

 お願い。今だけ、それだけでも、いいから。
 私は、言わなきゃ、だから──、

「わたしは!」

 喉が脳が、全身が震えに震えて、ようやく、言いたい言葉が出て来た。

「お母さんを、生き返らせる! その為に、私は、生き返らせてくれる人を探すの!」

「え……っ?」

 突拍子も無い妄言を聞かされたナツメは、口をぽかんと空けて、信じられないといった風に突然、乾いた笑いを鳴らし始めた。ケタケタケタケタ。それでも、ナツミの表情は依然として変わらずに真っ直ぐ、ナツメを見ているとは言い難いものの、その瞳に、紛うことなき信念の松明に、火を焼べていた

「ほ、ほんと……? おかーさん、生き、返る……の……?」

「うん。ほんとに生き返るの」

 ナツメは、笑っていた。嬉しそうに、失った希望を取り戻したかのように。だが、「でもね──」と続けたナツミの言葉によって、再びその明るくなった表情は暗闇の遥か奥深くまで突き落とされる事となった「──ナツメは、連れて行けない」

「え、ぇ……っ?」

 困惑するナツメを諭すように頭を撫でるがナツメの不安を拭い去ることはできず、ナツメは唇を噛んで目に涙を溜めて、俯いた。そこにあったのは優しかったはずの、温かかったはずだったナツミの足だ。擦り傷も、そうじゃない血も、沢山付いている。温かかったはずだ。それなのに今はこんなにも冷たく、吐き気を催すほどの甘い血の臭いに塗れている

「なん、で……?」

「それは──」

「なんで……なんで、なんで……? 私は、おかーさんの役に立ちたかった。おかーさんと一緒にいたかった。それだけなのに……おかーさんが、死んじゃって……お姉ちゃんも、ナツメを、捨てて……」

「違う──っ!」

「違わないッッッ!」

 息を荒げて言い切ったナツメは、ゆっくりと顔を上げてナツミと視線を交わした。同じ顔、同じ瞳、同じ声、何もかもが自分と同じ姉を見詰めて、縋るような声で言う

「お姉ちゃんは、ナツメを捨てて……。一人が良いんだ。だから、あの時も……。お姉ちゃんは、私の事なんか、どうでもいいんだ……!」

「違うってば! 話を聞いて!」

「聞いた! 聞いて、こうなって! ──もう聞きたくない! これ以上、聞きたくないの! お姉ちゃんは……私の事なんか、嫌いなんだ──っ!」
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