当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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三章 炎は時に激しく、時に儚く、時に普遍して燃える

138話 『出会いの残滓を捨てて』

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 レイカが学校に行くと言ってすぐのこと。
 玄関で、コオロギは肩からかけた、幾つか物の入っている茶色い革のカバンの紐を持ち上げるようにかけ直し、かかとを踏んでいた靴をちゃんと奥まで履く。

「やっぱり、せめてレイくんだけにでも……」

「いえ、大丈夫ッス。荷物ももう移動させてるし……譲ちゃんほどじゃないにしろ、レイくんにもお別れを言うなんて、辛いッスから」

「その場合、私はどうなるのよ?」

「……姐さんは仕事仲間だから、せめて、言わないといけないと思ったンス」

「ふーん」

「それじゃあ、もう行くッス」

    ドアに手をかけようとして、最期にネネの顔を振り返って見る。
 彼女は、辛そうに短い間隔で瞬きを繰り返していた。それを見て、前を向いたコオロギの瞳には強い光が灯っていて、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。
 ドアを開け放った。

 朝の光が目に滲みて、鼻から深く息を吸う。
 思いっ切り口から吐いて、歩き始めた。

 ──もう、時間がない。

 コオロギは確かにそう言った。

 コオロギが出て行って、住人の総数が一人減った家の玄関で、ネネは立ち尽くしていた。その暗く陰の差す背中はごっそりと中身が無くなっている枯れ木のように頼りなく、ただ、『立っていたから立っている』ようだった。
 そこに何か、風が吹くなどが起これば、いとも簡単に倒れそうな雰囲気に近く、それを立たせている細い糸が途切れた途端、膝から崩れ落ちる。

「理由くらい……」

 そう呟くネネは、寒気を覚えて両腕を抱えるように背中を丸めて大きく、震えた息を吐く。まるで極寒の地にいるかのような幻覚に囚われ、ネネは首を振った。

「ずっと一緒にいた人がいなくなるのは……やっぱり……辛い、わね……。こんな、急スピードで二人も……」

 ふらりと、手をついて立ち上がる。
 誰も手を付けない、作りかけの朝ご飯の匂いが虚しく漂う。
 両手で顔を隠し、天を仰ぎ、大きく息を吸い込む。吐く。
 過去の残滓を引き摺るわけにもいかず、ただただ、それを捨てるように息を吐いた。

 ※※※

 約十年前。

 ──その日は、大事な日だった。

 どこかの廃屋に、友達のヒトミとカエデに連れて来られてやって来た。

 その時には既に、地元の話だけれど、いつの間にか『スケバン』とか、『総長』とかいうものにされていて、それなりに私を慕ってくれる人達もできていた。女の子ばかりだし、代わりに学校で中々友達もできず、先生からも腫れ物扱いなんだけれど。

 ここに来ると彼女達はいつも、白い丈の長いジャケットと言うか、上着を肩にかける。それが私を慕ってくれている人達は好きなようで、ちょっとした特別感と言うか、優越感があった。

「オラァ、前出ろッ!」と、ペケマークのマスクを取ったら可愛い、衿島さんが男の子のお尻を蹴った。

「あぃ──ッたたぁ……!」

 不思議に思った。その子は同じ年くらいの、男の子だったから。
 こんなことになったのは、不良に絡まれたから返り討ちにして、繰り返していたらいつの間にか……みたいな感じだったんだけれど、私の所には女の子達しか来なかったから、ここに男の子が来たことが不思議で仕方がなかった。

 中学生に成り立ての頃だった。

「総長」と隣に立って親指を立てて指を指す。「コイツ、隣のシマの奴らが送って来たんすけど。……どーします? ぶちのめしますか? それとも『キリカネ』さんに送っときます?」

 衿島さんに聞かれて、やっぱりまだ馴れない私はチラッと入り口の方で腕を組んだりして立っているヒトミとカエデの顔を見た。助けて、と言うつもりだったけれど、二人は同時に親指を立ててウィンクしてきて、泣きたくなってきた。

「えっ、えと……その人は……どう言ったご用件で……」

「おい、話せ」

 衿島さんが顎で私を示した。制服を着たままの男の子が「ああ、そうだ」と胸ポケットからそれを取り出した。

「……手紙?」

「は、はい。……えっと、その、桐谷さんが、手紙を……と」

「えっと……私宛に?」

「は、はい! そ、その……どうぞ!」

 なんだろう、と思ってその手紙を受け取った。

 『明日ノ正午
    河川敷デ待ツ!

  逃ゲレバ容赦ハシナイ
           平河』

 ……明日、学校だよと突っ込みたくなった。

「あの、総長」

「え? あ、うん。どうしたの? 衿島さん」

「なんて書いてあったんすか?」

「えっと……明日のお昼に、河川敷に来て……って意味だと思うけれど……。明日、学校なのにね」

「あァン!? おいテメ分かってんのかァ? わざわざ果たし状叩きつけてきて、挙句アタシらの姐さんが学校行ってる時間を選ぶとか頭おかしいんじゃねーのか? あァンゴラ」

「果たし状?」

 隣に立っている、元総長さんの顔を見ると、「ああ、それはね」と説明してくれた。
 曰く、決闘したいから、その通告らしい。

 私が総長さんに喧嘩で勝って、実質的な『スケバン』になってから、こうして総長さんは私に色々と教えてくれた。

「えっと、その、一旦落ち着こ。ほ、ほらっ、この人は頼まれただけなんだから。え、えっと……その、言いにくいかもしれないけれど、お願いします。その、土曜日か日曜──あ、日曜日は部活の大会が……。えっと、今週の土曜日にしてくれませんか、ってお願いできますか?」

「は、はい……! でで、できます!」

「ありがとうございます。……あ、あと、あなたの名前は……」

「あ、俺、『有馬 昴』です」

「有馬くん。……うん、分かった。有馬くん、それじゃあ、日時変更のお願い、よろしくお願いします」

 ぺこっとお辞儀をすると、驚かれた気がした。顔は見えないけれど。

「それじゃあ、後はこっちでどうにかするさ」と頭をぐしゃぐしゃにされた。「中坊には荷が重いだろ? 土曜に河川敷に来る、それだけ分かってれば良いさ」

 総長さんはそう言って前に出る。
 この人は格好いいな、と思う。服とかは怖いけれど、顔は、なんだか頼れる人みたいでとても格好いい。いつか私もあんな風に頼られたりするといいな。

「おいお前」

「は、はい……っ!」

「果たし状を送りつけてくるなら、自分のことばかりじゃなく相手のことも考えることができてこその礼儀だ。それすらできない奴の挑戦は呑まない、そう言ってきな。もし受けて欲しかったら今週の土曜にしろ、ともな。分かったら行け!」

 有馬くんが走って行った。
 私は、ただただそれを見詰めていた。

 ──それが、コウくんとの初めての出会いだった。

 ※※※

「……よし。大丈夫。もう平気よ」

 手を離すとネネの顔にはいつも通り、朗らかな笑顔が浮かんでいた。
 自分の頬を二回、パチっ、パチっ、と叩いてから短く鼻から息を吐く。

「誰も食べて行かなかったわね……。全く、朝ご飯くらい食べに行きなさいよ……!」

 あ、と今思い出したように正面を向いて不満そうに眉根を落として頬を膨らませる。

「ソファに、レイカちゃんの食べ残しがあるのを忘れてたわ……。帰って来たらお仕置きねっ。……いつもより軽く。軽くだけれどね」

 そう言って、ネネはリビングに戻る。
 その背がいつもより小さくなっていた。





[あとがき]
 おはようこんにちはこんばんわ、作者です。
 なんだか話が動き出した感があるけど、やっぱりこの調子でのんびり進んでいくと思います。三章はまだまだ続きます。たぶん、この調子で更新していたらあと二ヶ月くらい。
 伏線とか、巧妙に隠して張ってみたいとは思うけど、上手く張れないのがこの作者。
 とは言え、幾つか伏線は張っているのでそれも込みで見ていただけたらなぁ、とは思います。
 さて、次回は十一月四日です。
 それではまた次回。
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