当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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三章 炎は時に激しく、時に儚く、時に普遍して燃える

140話 『その人は言った』

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 家に帰る道。通学路。交差点。帰宅中。信号待ち。

 レイカは目の前を白い車体の車が通り過ぎるのをただ見詰めていた。
 特に思考を張り巡らせるわけでもなく、ただ単にぼーっと。ただそれだけ。何もしていない。ただ単に信号の前に立って、向こう岸、とも言える車の川の先に細く、歩道の脇に立っている信号機を見詰めている。

 あー、暇だなー、と言いそうになって、やめた。それを言えば負ける、と思ったからだ。何に負けるのかは分からないが。それでも負ける気がして、信号が青になるまで我慢していたらなんだか勝った気がして、溜飲が下がった。

 歩き始める。

 信号を渡っていると、ふと思い立って二、三歩歩いた所で、縦線の消えた横断歩道の白線の上だけをぴょんぴょんとうさぎの如く背を少し丸めて跳びながら渡って行く。

 ぴょん、ぴょん、ぴょん、ぴょん……。

 渡り終えると、信号がチカチカと点滅し始めて「おぉー」と思わず感嘆の声が出てしまう。もう少し跳ぶのがゆっくりだったらぴったりこっち側に着いたかもしれないのになぁ、と思って少しがっかりもした。

 仕方ないと溜め息を吐いて割り切り、カバンを背負い直して心機一転。再び前を向いて前進する。

「レイくんがいればなぁ……。誰とも話せないと──おっと、危なかったぁー。もう少しで言いそうになっちゃったよ」

 ふぅ、と胸を撫で下ろした所で、「ごめんなさい、ちょっと良いかしら」と声をかけられて「ひやわわわわわわぁっ!?」とつい、悲鳴じみた声が出て来て、顔が熱くなる。

 肩。軽く叩かれたそこに、まだ手を乗せられている気がしてゆっくり、緊張しているようで、固い動きで振り返ると、綺麗な女の人がいた、とレイカが思わず喉を鳴らして、「わぁ……」と声を出してしまうほど、綺麗な人だ。

 その中でも一際目立つのが、彼女のその瞳だった。左右で歪なその色がどうしても気になって気になってそこから目が離せない。女性はレイカの視線に気が付いたらしく、ああ、と言って穏和に目を細めながら言う。

「これ、緑内障って言う病気で左目だけ緑色になっちゃったの。もう見えないけれど、慣れたら意外と気にならないものなのよ」

「あっ、そうなんですか」

 そこまで言って、ふと思い出した。
 そう言えばなんでこの人は話しかけてきたんだろう、と。そう思って、左右で歪なその双眸を見上げ、えと、とほっぺを掻きながら目を逸らして言う。

「な、何か、ご用ですか?」

「ああ、うん。最近、私、この辺りで倒れちゃってお礼言いに来てるのだけれど、ここの人達には『お礼をするなら、中学生の兄妹きょうだいに言ってあげて』って言われてね。でも、ついさっきのお店の人があなたを指さしていたから、声をかけたの。あの時は、本当にどうもありがとう」

「あっ。あの時の人! ホントだ! 全然分かんなかった!」

「今日は……お兄さん、いないの?」

「うん。レイくんね、今日風邪引いてて休みなの」

「そうなの……」と少し残念そうに目を伏せ、それから左上を見るように視線だけを動かすと、翠色の瞳に幾つもの電線が映り込んだ。
 それからすぐに「そうだ」とレイカへと再び視線を戻すと、瞬きをして、彼女を見詰めていた。それを見て、彼女は楽しげな笑顔を見せる。

「もし良かったら、お茶でもどうかしら? この前のことも含めて、私がお金を払うから」

「えっ!? 良いのっ!? うん行く行く!」

 迷いもなく即座に言い切ったレイカを見て、今度は女性の方がきょとんとまじろいだ。それから、息を吐くように微笑を浮かべ小首を傾げて、うっすらと細くなった双眸をレイカに向ける。

「……あなたの周りは、優しい人達ばかりなのね」と、急に目を伏せて彼女は言う。うっすらと浮かんだ笑みも、どこか悲しげで──しかしレイカは何か変かな、と思い首を傾げるだけで特に気に留めず頷く。

「え? うん。優しいよ。レイくんもネネさんもコウくんも、お父さんもお母さんもにやちゃんも。みーんな、優しくて良い人達だよ!」

 彼女は困ったように首を縮めて笑った。笑うその顔がどこか儚げで、悲しげで。レイカは思わず口を開きっぱなしで見惚れてしまっていた。とっても綺麗だなぁ、と。まるでガラスか何かみたい、とも思う。
 ほへー、としばらく見入っていて気が付かなかったレイカは、ふと我に返る。何度か瞬きをして目を丸くしているレイカの目の前で、彼女が手を振っていた。

「あっ、気が付いた?」と言う。

 これまでの寂寥感はなく、少し明るめのトーンの声が出ている彼女は、レイカが渡って来た横断歩道ではなく、ここから左側、つまり、彼女がやって来た方向を指さして「そろそろ行きましょうか」と優しそうに、柔らかにそう微笑む。

 レイカは少しだけ理解が追いつかずにぽかーん、と口を開けて立ち尽くしていたが、すぐにハッと我に返り、慌てて首を振って彼女を追いかけた。

「あ、そう言えば──」とレイカが女性の隣にまで辿り着いてすぐに顔を見上げて言う。

「お姉さんって、なんて言う名前なの?」

「私? ──私の名前は、滝本夕美。好きなように呼んでくれて構わないわよ」

「うーん……それじゃあゆーさん! なんか、ゆるキャラみたいな名前になっちゃったけど……」

「ふふふ。じゃあ、ゆーさんって呼んでもらおうかしら」

 良いのっ!?と目を丸くして聞き返したレイカの顔を見て、こくんと頷く夕美に、レイカは機嫌を良くしてスキップし始めた。
 夕美はそんなレイカの反応を見て楽しむように薄く柔らかな微笑みを浮かべる。

「どこか、行きたい所とかある?」

「えっとねー……うーん……、あ、ここが良いっ!」

「ここ?」

「うん! なんか、大人っぽい感じ!」

 そう言って立ち止まったレイカの右側にはアンティーク調の小洒落たカフェ店が経営していた。こちら側からはガラス張りの壁が見えて、中の様子が反射した光に隠れてうっすらと見えるか見えないか。いや、少しだけ、見える。

 中にはカウンターらしきものがあって、姿勢の良い老人グラスコップを白い布巾拭いているのが見えた。夕美は「うん、分かった」と言ってレイカを連れ立ってそのお店に入る。

 ドアを開けると、カランカラン、と小気味のいいベルの音が鳴り、老人がシワを柔らかく曲げて「いらっしゃいませ」と纏っていた空気をも和らげて言う。

「あれ? どこに座れば良いんだろ……」

「お好きな所へ座っていただいて構いませんよ」

 おじいさんがグラスコップをカウンターに置いて、ニコっと笑う。
 それじゃあ、と、そう言ってレイカは入口すぐ近く、ガラス張りの壁の隣のソファに座り込んだ。「ゆーさん、早く早く!」と急かしながら嬉しそうに店内をキョロキョロと幼い子供のように見回している。

「何頼もっかなぁ~」

「何でも良いわよ。今日のお代は私が出してあげるから。このお店のメニュー制覇しても、大丈夫なくらいにはお金、あるから安心して」

「ホント!? じゃあ、このホットケーキとかは!?」

「うん。良いよ」

「やったー!」と両腕を勢い良く振り上げると、メニューがレイカの背後の壁に勢い良くぶつかった。びくっ、と表情を強張らせ、お店のおじいさんの方へと視線を向ける。

 気持ちの悪い汗が頬を伝うのが分かり、レイカは乾き切った笑いがこみ上げてきて、顎に到達すると、それがポタっ、と落ちる。

 そっとおじいさんの方を向くと、おじいさんは優しく微笑んでいた。

「そんなにはしゃがなくても大丈夫よ」

「わわっ、分かってる、分かってる」

 ふぅ、と一息吐くレイカに「あの、バニラアイスが乗ってる物で良いの?」と夕美が壁にかかっている写真を指さしながら聞く。レイカの目がキラキラと空腹と期待に満ち満ち、こくっと何度も嬉しそうに縦に振るレイカを見て、夕美は「すみませーん」と手を挙げた。

「えっと……あのホットケーキ、二つお願いします」

「はい。承りました」

 注文を終えると同時に、水が運ばれて来た。夕美はそれを少しだけ飲んで、ふと思い出したように言う。

「そう言えば、まだ名前を聞いてなかったわね」

「あっ、ホントだ。私の名前は石田レイカって言いますっ。な、なんか、自己紹介って恥ずかしぃぃぃ……!」

 赤裸々に言って顔を両手で隠しながらテーブルに額をぶつける勢いで伏せるレイカの正面で、夕美は微笑みながら言う。

「よろしくね、石田さん。そして、ありがとう、本当に」

 深く頭を下げられ、レイカはぶんぶんぶんっ、と勢い良く首を横に振る。

「いやいやいや! 私は何もしてなくて、レイくんが言ってくれたから……!」

「でも、私はのお陰で助かったの。今日はお兄さんいないみたいだけれど、いつ会えるか分からないもの。だから、お礼くらいさせて欲しいの。お願い」

「お、おおお礼ならほらっ! ホットケーキ頼んでもらったし!」

「そうじゃなくて、ちゃんと、うん。──ちゃんと、お礼を言いたいの」

「うぅっ……! そんな真剣に言われると恥ずかしいぃぃぃいい……っ!」

 ホットケーキを待っている間、どこからともなく現れた恥ずかしさに胸をくすぐられるような感覚に陥り、顔が迸るほど熱くなっていた。
 ホットケーキを届けに来たおじいさんが面白がるように微笑んでカウンターに戻って行った。心なしか、その肩がふわりと少し軽く弾んでいた。

「あ、ああああ、ほら! ホットケーキ来たから食べよ食べよ! い、いっただっきまーすっ!」

 一口サイズに予め切り込みが入っている三枚重ねのパンケーキにフォークを突き刺し、はむっととろりとした蜂蜜のかかったそれを頬張る。

「んんんんんんんんんーっっ!!?」

 舌が甘く溶けるようにゆっくりと感覚が無くなっていく。
 温かく甘い食感が口の中からふんわりと優しく拡がっていき、ふわぁ、と顎に力が入らず、間の抜けた声が洩れてしまった。
 いや、顎だけではなく顔に、表情全てに締まりがない。

「ふにゃぁぁぁ~……」

「美味し……」

「おじいちゃんただいまー」

 カランカラン、とベルが鳴って、入口のドアが開く。

「ああ、お帰りなさい」

「……今日もあまりお客さんいないんだね」と、入って来た彼女が言う。

「仕方ないよ。こんな古そうなお店なんだから。──もっとオシャレなお店にしなきゃ」

「このお店は、古いけれど思い出の詰まった所なんだよ。それに、このお店の雰囲気が好きで来てくれる人は沢山いるからね」

「ふーん……まあ、良いけど」

 チラッと夕美の方を見ると、彼女は肩背負いのカバンを背負い直してお店の奥に入って行く。夕美はそれを横目で見送った。

「無愛想でごめんなさいね」

「あ、いえ。大丈夫です。……お孫さんですか?」

「はい。根は優しい子なんですけれどね、いやはや、人付き合いがどうも苦手なようで……」

「年頃の子がいると大変と聞くんですけれど、やっぱりそうなんですか?」

「たしかに大変ですが、楽しいですよ」

「──ハッ、何これ!? すっごく美味しーっ!」

 はむっ、とそれを頬張り、んん~……!と唸りを上げ、にへらぁとだらしのない顔でまた再びその愉悦に浸る。しばらくして我に返り、またまた美味しさに浸る。
 まるでそう、お菓子の天国のような──、とは後にレイカがネネに自慢した内容の一部から抜粋したものだ。

「──ところで、石田さん」

「ひゃ~い……」と、だらしなく笑っているレイカは返事する。

「石田さんって、何か最近、そう、ここ数ヶ月以内に、何か悲しい事があったりした?」

 突如、レイカの顔は我に返り血の気が引いていく。
 それを見た夕美は目を細めて限りなく小さな音しか鳴らさずに溜め息を吐いた。

「なっ、え? なんで?」

「ううん。別に」と首を振る。「……ただなんとなく」

「んー、えっと、ねー……うーんと……」

「話したくないなら話さなくても大丈夫」

「……うん。分かった」

 気を紛らわせるようにはむっ、と口にしたそのパンケーキの甘さが、頭に、脳に煩く響いてくるような気がして、舌の上が苦く感じた。

 プルルルルル、と電話の音が聞こえてきて、「あ、電話がかかってきたから、少しごめんね」と夕美が軽く会釈のように頭を下げてポケットからスマートフォンを取り出す。

 レイカはその間、もそもそとフォークを口に入れたまま食べ続けていた。
 電話が終わると夕美は「ちょっと用事ができちゃったからごめんね」と言って、スマートフォンをポケットに直すと、反対側の別のポケットからそれを取り出した。
 小さなノートとボールペンを。

「これ、私の電話番号。何かあったら電話して」

 テーブルの上に紙を置いて微笑むと、彼女は立ち上がった。

「青春してね? まだまだ若いんだから」

 そう言ってレイカの頭を撫でると、彼女はおじいさんにお金を払って店を出て行く。
 レイカは彼女の皿を見た。

「……にゃわっ、もう無くなってる……っ!?」

 まだまだ半分以上残っているレイカと比べて彼女の皿の上にあったはずのものは、跡形もなく綺麗さっぱり無くなっていた。

 レイカが店を後にしたのは、それから数十分後のことだった。





[あとがき]
 作者です。
 最近、帰って来たらまず執筆するのが日課になっていますが、楽しいので良しっ。
 あと、短編をメモ帳に書いたりなどなど、毎日小説で遊んでる今日この頃です。
 そんな暇があればこの作品の続きを──、ですよねー。
 話は思いついているのに何故か筆が進まない病にかかっていて、最近の筆の進み具合が亀のようなんです。なんでだろ。
 さて、作者の近況はさておき、次回予告です。
 次回は十一月十日に更新です。それではまた次回、お楽しみにっ。
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