当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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三章 炎は時に激しく、時に儚く、時に普遍して燃える

142話 『震える』

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 ──コウくん、今日の朝、仕事辞めて出て行っちゃった。

 レイは何度か瞬きをして、深く息を吸う。吐く。吸う。吸って吸って吸って、大きく吐く。首を横に振る。戸惑いを隠せず、ズボンをぎゅっと強く握りながら、ネネを見る。

「……う、そ……です、よね……?」

「ううん、本当よ」

 即答。
 即座に切り捨てられ、レイは息を呑み、俯く。
 レイカと目が合った。

「……ま、まあっ? このまま二度と会えないってわけじゃないんだし! 連絡取ったら会えるんだし! ねっ、だからそう気を落とさないで!」

 遠くで誰かが声をかけてくるのが聞こえて、しかしレイは、口元を押さえてよろよろと、ゆっくりと後退していく。足がもつれて、ベッドに腰を打って滑るように床に座り込んだ。
 頭が上がらない、とレイはひゅっ、と鳴った息が妙に耳障りで煩く感じる。

 ──連絡、取れる。だから、悲しまないで。

 誰かに昔、そう言われた気がする。
 誰だったろう……。

 少し考えて、目尻に溜まっていた涙が零れ落ちると同時にハッと頭を上げる。

「ミズキ、さん……」

 赤く、綺麗な夕焼けの眩しい通学路。左右には軒並み住宅が並んでいる。
 帰宅中に、そう言われた。
 小学生の頃の話だった。

 ──私、もうすぐ引っ越す。

 突然そう言われて、足を止めた。
 彼女が立ち止まり振り向いて、優しく、けれどもどこか陰の差す子供ではないような微笑みを浮かべていて、なんだか怖かったことを思い出した。

 風が吹く。
 張り詰めていた空気がみるみるうちに流されていくかのような、そんな気持ちで彼女を追いかける。彼女は再び前を向いて、歩いて行く。その背中が、小学生だから当たり前なのにいつもより小さく見えて、すぐ側にいないと消えてしまいそうで、慌ててその隣に立って歩く。

 並んで歩いていると、隣から声をかけられる。

 ──■■■ちゃんは──……。


 ……──ぅぶ!?


 ──じょーぶ!?


 だいじょーぶ!?


「……ぁ?」

 レイが目を開けると、レイカが顔を覗き込むようにレイの頬を両手で挟んで心配そうな目でレイの右目を見る。ハッとレイは気が付く。俯いていたことに。
 何度か瞬きをして、少し落ち着きの色が戻ってくるとレイカの手を掴んでそっと太腿の上に下ろす。顔を上げると、レイカと目が合った。

「だ、だいじょー、ぶ……?」

 レイは掴んでいるレイカの手を、きゅっと強く握りながら顔の前まで持って行く。目を閉じ、額に当たるその手の温もりを感じながら、唇を噛み締めた。
 レイカの手を掴むその手は、いや、手だけではなく、全身が震えている。

 震えがレイカにも伝わり、レイカは困惑の表情を浮かべてレイを呼ぶ。
 レイは、すぐには顔を上げずに、少し固まってからゆっくりと面を上げる。困惑したレイカの顔が瞳に映り、レイは固唾を飲む。

「な、なに……?」

「レイくん……もしかして、怖い……?」

 レイの背筋が急に伸び、体が竦む。口元が震えて、あ、あ、と言葉にならない声が出て、レイカを映す瞳孔が小刻みに震え始めた。
 シン──、と静まり返った部屋の中、レイの声だけが小さく、水に溶けるように響き渡っていた。レイカは瞬きをし、唇を巻き込んでから口を開いて、少し固まってから、深呼吸をして言う。

「……私も、寂しいし、なんか、ずっといた人がいなくなると……怖いよ……。でも、でもねっ、今はさ、その……レイくんが、いてくれるから、ネネさんも、いてくれるから……。だから、ちょっとだいじょーぶ。レイくんも怖いなら、私が一緒にいてあげる。だから、安心して」

 涙が溢れた。顔の前まで持ち上げられているレイカの左手に、ポタ、ポタっ、と温かな雫が零れ落ちる。
 レイカは目をいっぱいに閉じて涙を堪えようとするレイを見て、手に力が込められるのを感じて、何も言わない。黙って、レイを見詰めていた。

 レイは右目から涙を溢しながら「ありがとう」と首を傾けて笑う。

 ※※※

 数分後、その部屋には二人だけとなっていた。
 ネネは席を外していて、レイカはレイの隣に並ぶようにベッドを背に座っていた。

 ゆっくりと、首を回すように周りを見回す。左からカーテン、レイカ、その向こうに開きっ放しのドア。

「レイくん」

「……ん?」

 足を伸ばして、その爪先を内に外に揺らして親指を当てたり離したりしているレイカは、少し恥ずかしそうに頬を赤らめて目を伏せ、チラッとレイの方に目を向け、戸惑い気味に目を逸らし、深呼吸してから再びレイの方に目を向けて言う。

「さっき、聞いちゃったんだけど……その……ミッちゃんの、名前……」

 笑顔、作れてるかな、とレイカは思いながらスカートの裾を掴む手に力を込める。

「……ああ、うん。そう、だね。──うん、そう。そのね、えっと……なんて言えば良いんだろ……」

 言葉を探して、自分の項を撫でるように触るレイを見て、レイカは伸ばしている足を止めて、その上に手を乗せている。スカートの裾に決して小さくないシワができていた。

「……ボク、昔ね、ミズキさんと会ったこと……ううん、違う。友達だったことがあるんだ」

「……えっ? でもでも、レイくん……男子でしょ?」

「……うん。でもね、そうだった事があったんだ。まだ、少しだけしか思い出せてないけど、きっとアレは、ミズキさんだった」

「そう言えば、ミッちゃんがね、男の人苦手なのにレイくんと付き合っちゃったって聞いた時ね、私、すっごくビックリしたの。だって、ミッちゃんって男の人が来ても追い払っちゃう人だったから。なんでレイくんのことは追い払わないんだろー、って」

「もしかしたら、昔、友達だったことと何か関係があるのかも」

「うにゃぁぁぁ……。気になるなぁ……」

「だったら、今度思い出せたら、レイカちゃんに一番に言いに来るね」

「ホントっ!? 約束だからね!」

「うん、約束」

 二人は小指を絡め、顔を見合わせる。レイが微笑むと、レイカも嬉しそうに幼さの残る顔を綻ばせた。
 少しは肩が軽くなった気がして、レイはレイカに微笑んで見せる。スカートのシワは消えて無くなっていた。

 ダッダッダッ──……。

 そう、慌てて階段を上る音が聞こえてきて、レイとレイカは入り口のドアへと視線を集める。そこには見知った顔が顔面蒼白で立っていて──、

「二人とも、大変よ……!」

 ネネが席を外した理由、それは人が訪ねて来たからだ。それに対応するため、ネネは少し面倒くさそうに肩を回し、二人を残して階下に下りて行った。それが今は顔面蒼白で慌てた様子で戻って来て痛ましげに目を細め、言った。

 ──二弥ちゃんが、いなくなった。

 瞬間、レイは耳に何かを詰め込まれ、嫌にぼんやりと聞こえたそれをはっきりと捉え、見たことのない、覚えの無い過去の残滓が蘇る。

 それは、青く澄み渡った空の下でのことだった。

 小高い丘の上で、彼女らは談笑していた。

 青い髪と落ち着いた瞳を持つ者や赤く揺らめく炎と錯覚させるような瞳と髪を持つ者、黄色い双眸の双子、丘の上でひなたに当たりながら眠りこけている女性、そして、いつも隣にいる彼女、白い髪と肌が綺麗な彼女。

 計七人の、大樹の下でののどかな光景がありありと浮かんで来て、レイはハッと我に返る。いや、返らされる。視線がその声の主を探して、レイカを見た。

「にやちゃんが、いなくなった……?」

 確認するようなその呟きを拾い取ったネネは小さく顎を引く。

 レイカの体は弾丸のように部屋を飛び出し、階段の方へと疾走していった。

「ネネさん」と、レイはベッドを杖代わりにして立ち上がる。ふらっ、と体がよろめき、しかし倒れずに腰を引き、足を曲げて耐えるとネネの顔を見る。

「二弥ちゃんのこと……その、話してもらっても良いですか……?」

 ──さっきから頭の中で声が響く。

 ──いーちゃん、いーちゃん、いーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃんいーちゃん……………………。

 頭を反芻する声に思考が阻害され、胸が苦しくなり左目の奥がどろりと底なし沼が波打つような感触に喉の奥から言葉と共に吐瀉物が漏れ出そうになるが、一つ、唾を飲み込んで息を吐く。

 少しは楽になった気がして、レイは唇を巻き込んで湿らせてから口を開いた。

「二弥ちゃんが、どうして、いなくなったのか……教えてください」

「……うん、分かった。レイくん、今回はけっこう落ち着いてるのね?」

「ははは……。これでも、頭の中はぐちゃぐちゃ、してるんですけどね……」

 から笑いして、それからすぐに笑うのをやめて目を開いた。真っ直ぐにネネを見詰めるとネネは、分かった分かった、落ち着いて。と言いながら抑えて、と言う風に宥めるように手を床と水平に空気中に置く。

 それを見てから、レイは頷いて深呼吸をする。
 脳の中を駆け巡る様々な言葉が、思考を邪魔してはレイの体を動かそうとするのを抑えてその場に立ち尽くす。レイの右目を見て、ネネは言いづらそうに途切れ途切れ、言った。

「……原因は、たぶん……二弥ちゃんの、お父さん」

 ──瞬間、レイは目を大きく見開き、鎚に打たれたように上体を大きく前後させた。
 辛うじて倒れずに済んだものの、レイは驚きを隠せずに「えっ」と聞き返していた。

「二弥ちゃんのお父さんがね、学校の先生から、連絡を受けて家に残ったの。そうしたら、学校はまだ終わっていないはずなのに、二弥ちゃんが帰って来て、それで、逃げ出したって……」

 何を言われているのか分からず、困惑気味に目を細めると察した様子でネネはこう告げる。

「つまりね、レイくん。二弥ちゃんが学校をサボってるかもって思って、家で待ち伏せしてたの。それで、二弥ちゃんにバレて逃げちゃって、見つからなくって、それでこっちに来たみたい。探すのを手伝って欲しいって」

「……なんで、あの人は、ボク達に……?」

「──あの子が、二弥ちゃんが私達のことをたくさん話してたみたいで……。だから私達ならって言ってた。……うん。ありがと。ちょっと私も冷静じゃなかった。ごめんね、レイくん。私、二弥ちゃんのこと探して来る。レイくんは風邪なんだから、休んでいてね。大丈夫。絶対に見つけて来るから」

 部屋を出て行こうとするネネの背中に手を伸ばし、声をかけようと口を開いたレイは、少し強く音を立てられたドアに拒絶された感覚を味わい、ビクッと体を震わせる。

「……違う、おねーちゃんは……」

 ──アレは、夢だったはず。

 レイがその場にぺたっと崩れ落ち、項垂れると、眼帯がほろりと落ちる。

 ぴちゃっ、とドス黒い粘着質の液体が糸を引いて床に落ちた。


 ──レイくん。

 聞き慣れた声が聞こえた気がして、顔を上げる。
 目が大きく開き、瞳孔が震える。

 頬にその手が当てられ、持ち上げるように顎へとその手が這うように移動して行く。優しく、柔らかな指先が、まだ温かみを持っている気がして──、

「ミズキ、さん……?」

 もう居なくなったはずの彼女が、目の前に立って、腰を曲げてレイの顔を微笑を浮かべながら覗き込んでいた。





[あとがき]
 ようやくここまで来ましたね……。
 ミズキさん復活だぁぁぁあああああっ。
 その経緯はいずれ書くとして、キャラ復活は作者としては嬉しい限りです。
 さて、更にファンタジーが加速してきましたがまだ三章は続きます。
 レイくんの目はどうなってるのかはまだ秘密です。
 では次回予告に行きましょう。次回は十一月十六日! それではまた次回!
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