当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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四章 進む道の先に映るもの

162話 『敵と味方の間で揺れる』

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 ──白いワンピースの少女が立っていた。

「えっ……」

 レイが後ずさると同時に、彼女は気付いたように顔を上げた。少女と目が合う。隻眼のその幼い顔に、レイは背筋を駆け上る寒気を感じ、警鐘が鼓膜を震わせる。

「剣崎くん。その子、お知り合いですか?」

「え? ぁ、えっと……」

 少女から目を離さずに答えるレイを見て、隣を歩いていた砂糖先生は少女に近づいて行く。その踏み込まれる足に、一歩一歩少女に近づいて行く彼女の一挙手一投足に目を瞠りながら、強くなる警鐘に聴覚を阻害される。

「こんにちは。どうしたんですか? 迷子ですか?」

「──」

 少女はレイに視線を向けるが、それにレイが動けずにいると話しかけてきた彼女の方を正面に隻眼を向ける。金色の瞳に黒色の長髪が醸す不協和音に、見覚えのあるその容姿に、レイは警戒を解くことができずに固まっていた。

「どうしたの? レイ?」

「──っ!?」

 トン、トン、トン。まるで跳ぶように、羽が落ちるように音を立てず、軽くふわりとスキップしながら先生の横を通ってレイの前に立つ。先生は、気が付いていないようにそこに固まって立っていた。
 何もない所に話しかけているようなそれを見つめ、視界の端で動く彼女に意識を向ける。

「僕を、覚えてる? 声、聞こえてる?」

 話すことができない。意識を向ければ、体のどこも動かないことに気が付いて、レイはぞっとした。

「答えてよ、レイ」

 背筋が凍り付く感覚に、レイは内心で冷や汗をかきながら動けないことに戦慄しながら、しかし動けない。
 答えられるわけがない。口が、喉が動かないんだ。

「答えられるよ。だって、僕達は今までもそうやって会話してきた。だから、今までと同じように話せば良いんだよ」

 どうやっ──、ッ!

「ようやく気が付いた?」

 にたぁ、と彼女はおぞましいほどに歪んだ恍惚の笑みを浮かべて、言う。
 それはどこまでも歪み切っていて、もう素の笑顔を忘れてしまったかのような、そんな笑顔が右から左へ、視線はこちらを向きながら流れていく。

「僕のこと、覚えてるよね、レイ」

 彼女は楽しそうにレイの周りを歩きながら、その歪んだ笑みを少しずつ濃くしていき、一周する頃にはもうその表情に薄ら寒い怖気すら感じさせるものに変貌していた。

「僕は、僕のことを思い出したんだよ? 褒めてよ、ねえ、レイ?」

 身を摺り寄せるように動く彼女の金色の視線を受けながら、レイは視界に映る少女が警鐘を鳴らしている正体なのだと気が付く。そして、彼女の正体も──、

「リゼだよ。僕は僕のことを知らないって言ったけれど、外に出てみて、分かったんだ。僕が誰なのか。そして、これからこの町に起こる事も」

 ねえ、レイ。

 小さな少女の手が、レイのうなじへと回される。

「少しだけ、教えてあげる。レイの願いを知ってるから、少しだけ、僕のわくわくを教えてあげる。この町は──ううん、この世界はこれから、壊滅するんだ」

 もう片手も回して、少女は背伸びをしてレイに顔を近づける。

「レイがどうしたいかは、自分で考えて? 僕は、この結末を楽しみにしてるから。それに、どう転ぼうとも、必ず血は流れるしね」

 ちゅ、とレイの頬に糸が垂れ、少女はそれを手で拭う。

「僕は、レイが傷つく所を見たい。君ほどの絶望を抱えて、ぐちゃぐちゃになった人なんて、僕はこれまでに一人しか見てないよ。『白銀の魔女』しか」

 一歩、後ろに下がって彼女はレイに満面の笑みを向ける。
 小さく幼く見える少女は、しかしその容姿とは裏腹に艶かしく笑うのだった。

「でも安心して」

 

「レイとは長年のよしみだから、壊れないようにちゃんと、見ててあげるよ」

 カチ、と音が鳴ったような気がして、レイは動けるようになっていた。
 瞬きをして、目の前の光景を見る。しかしそこにはもう少女の姿は無く、困惑した様子の砂糖先生が周囲を見回しているのが見えた。少しして、レイの方に小走りして来た彼女は、慌てた様子で身振り手振りで口をぱくぱく動かしながらレイの前で混乱して目を回し始める。

「あ、の……。一旦、落ち着きましょう」

「だだだだだだだだだだだだ!?」

「えっと……そうだ、深呼吸。深呼吸しましょう。それで、たぶん、落ち着けますから」

「はははははいぃっ。すーっ、はーっ、すーっ、はーっ……」

 何度か深呼吸を繰り返す彼女を見つめながら、レイは目を伏せて消えた少女の事を思う。リゼ。たしかに彼女はそう名乗り、その名前を持つ少女を、レイは自分の中でしか知らない。容姿の特徴も一致する。彼女の事を、レイは知っている。

「リゼちゃん、か……」

 目の前で落ち着きを取り戻し始める砂糖先生を前に、レイは呟いた。

 とても昔に、聞いたことのある名前だ。
 どこで聞いたか、それはもう思い出せない、過去の事だけれど、確かに聞いた。

 ……。

 ──そう言えば、その時には、隣に誰かがいた。

「──」

 その誰かは、もう思い出せないけれど。

「ゆゆゆ、幽霊とか、そういうの、先生苦手なんですよぉ……」

「あはは……たぶん、幽霊とかじゃ、ないと思います」

 うぅぅ、と 目を瞑る彼女を見て、それから、後ろを向いて目を細めた。
 眉間が狭まり、レイは小さく吐息した。

「……すみません。その、ボクも少し怖くなってきたので、早く向こうに行きましょう」

「そそっ、そうですね! そうしましょう! こんな所で怖がっていてもずっと怖いだけですもんね!」

 慌てた様子でレイの前を歩いて行く彼女について行き、幾つか角を曲がり、階段を上り、更に進むと、ある部屋の前に着いた。そこは先ほどレイが訪れた、女性職員が寝泊まりするための部屋だった。

「ここは……」

「先生達の部屋です。さっき、言いそびれちゃいまして。ごめんなさい」

「い、いえっ。先生が謝ることはないですよ!」

「そう言ってもらえると嬉しいです。中に入りましょう」

 靴を脱いで中に入ると、他の女性職員の姿はなかった。部屋の中を見回して入り口付近に立っていると、砂糖先生はテーブルの上にどこから持って来たのか、それを置いた。

「コンビニで買って来たお弁当ですが、食べられますか?」

 窺うように聞かれ、レイは表情を柔らかくして「はい」と答えた。

「大丈夫です」

「それでは、私はお風呂に入ってる人達やお土産を買っている人達を見て回るお仕事があるので行きますが、剣崎くんはのんびりしておいてくださいね」

「ありがとうございます」

 返事を聞くと、彼女は部屋の入り口へ向かって歩いてレイの隣を通り過ぎ「あっ」と声を出して振り向いた。それに振り向くと、彼女はにこっと微笑んで見せて、そっと伝えた。

「あと、少しの間暇だとは思いますが、ここで待っていてくださいね。しばらくは先生も手が離せないと思うので」

「分かりました」

 小さく頷くと、彼女は安心したようにそっと息を吐いて、それから部屋を出て行った。
 それを見送ってから、レイは再び部屋の中を見回す。しかし変わった点は一つもなく、レイは目を閉じて短い息を吐くと弁当の前へと歩いて行った。弁当は野菜やとんかつが詰められ、透明な蓋には『バランス弁当』と印字されたシールが貼られていた。
 その隣には水のペットボトルも置かれていて、そう言った気遣いのようなものを感じた。

 しばらくそれを見つめてから座ると、目を閉じて手を合わせて言う。

「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」

「──っッ!?」

 突如背後から聞こえてきた声に振り向くと、そこには滝本入江が覗き込むようにしゃがんで、レイを見つめていた。
 その顔には眼帯が着けられていて、こちらを見つめる顔が、どこか道化じみていた。

「どうだい? 似ていると言ってくれると女子としては嬉しい限りなのだけれど」

「……何、してるんですか。返してください」

 そう言って手を伸ばすと、滝本入江はレイの手を払うと、にこっと楽しげに笑う。その反応に訝しむと、彼女は「まあまあ」とレイを宥めながらその隣に腰を下ろした。

「そう警戒しないでくれ」

「何を、しに来たんですか?」

 もう一度聞くと、彼女は笑みをやめて頭を下げてきた。
 意表を突かれたレイは言葉を失い、目を剥きながら彼女のことを見つめていることしかできず、二の次が継げない。

「ごめんなさい。私は、たしかに警戒心が無かったとは言わないけれど、ただ、興味の方が強かった事は否めない。興味本位にあなたの事情を根掘り葉掘り聞いてしまった事を、謝りたい」

「え、っと……。その……」

「簡単には、受け入れてはくれないと思う。けれど、私は謝罪の意を示したい。何か、できる事があるなら、言ってほしい。きっと、力になるから」

 レイは、彼女の頭頂部を見つめて、見えない顔を想像する。それは、酷く申し訳なさそうな、そんな顔をしているんだろうな、と考えつつ、半分呆れた様子で彼女の肩をつっつきながら「……だから」と口にする。

「あまりそういう事は、言わない方が良いよ」

 バッと顔を上げた彼女は目を見開き、それから優しく細めた。

「──君は優しいな」

「ボクは優しくないよ。いい人ぶってるだけだから」

「なら、そういう事にしておくよ」

 短く息を吐くと、彼女は眼帯を外して弁当の隣に置いた。それを見つめて、レイは口を湿らせる。

「それに、滝本さん」

「何か?」

 答える滝本を見つめ、一瞬だけ言葉を選ぶのに時間を使うと、一息ついて「急に態度を変えられると困っちゃうから、あんまりしてほしくないな」と苦笑混じりに言う。

「分かった。心に留めておこう」と胸に手を当てる。

 その姿を見つめ、目を細めてありがとう、と告げる。優しくしてくれることも、話しかけてくれることも。

「謝って、くれたことも」

「ああ、やはり、君の事は好きだと改めて実感したよ」

「あ、あははははは……」

「これは冗談ではなく本気だ。君の底知れないその言動に惹かれたんだろうと思うけれど、まあ、安心してほしい。別に君のその恋人の席を取る気はないよ。私は友人で良い」

「──ごめんね」

「なに、謝ることはない。君が好きな人は、なんでも一人でできる人だったからね。あの人がなぜ君と付き合う事になったのかは気にはなるけれど」

「ごめんなさい」

「気に病むことはない。しかし、私はただ、君に好かれようとはするがそこは了承してくれるとありがたい」

「うん、分かったよ。あと、黒服には気を付けてね」

 滝本入江は首を傾げ、それから数秒の間の後、ぎこちなく頷いた。

「あ、ああ。分かったよ。黒服に、気を付ければ良いんだろう?」

「──うん、おかしな事を言ってごめんね」

「気にしないでくれ。その真意を推し量るには、私は君の事を知らなさ過ぎる。これから知っていくさ」

 さて、と彼女はテーブルを叩きながら立ち上がって、レイを見下ろす。

「そろそろ私は戻るよ。トイレと嘯いてここに来たからね」

 そう言って外へと体を向けて歩き始めた彼女へ、レイは「あ、ちょっと待って」と呼び止める。

「うん? まだ何か──」

 振り返った滝本入江は、袖をつままれ、その手から腕を伝い、レイの顔を見る。

「ごめん、なさい」

 その、悲しげな表情に口元がにやつき、もう片方の手で左胸を払うように胸を押さえた。むず痒い、その鼓動に、にやつく顔が治まらない。

「いや、その、なんだ。どうも、はは……。恋とは、本当に愉快だ。すまない、別に、気にしてはいないさ」

「危なくなったら、呼んで。すぐに行くから」

「あ、ああ、分かった。ははは。その、この手を、離しては、もらえないだろうか。少し、恥ずかしい。いや、緊張、する」

 顔を赤くする彼女の手を離すと、レイは唇を噛んで目を伏せる。その表情にただならぬ気配を窺いつつ、滝本入江はつままれていた裾を握りながら瞬きをする。

「その、どうかしたのかい? 少し、いや、大分、様子がおかしいが?」

「──鎌を、かけたつもりなんだ」

「……ほう?」

「ボクに近づいてくる人なんて、あまりいないから、警戒心が働いて……それで、その、味方かどうか、区別、するために……」

「それじゃあ私は、味方としてもらえたのだろうか」

「うん、敵じゃ、ないみたい」

「それじゃあ、味方かどうかは、まだ判断し切れていない、と言った風に聞こえるねぇ」

「……ごめんなさい」

「謝ることはないさ。私とて、男子である君がここにいることに警戒してあんなことをしてしまったんだ。何も言えない」

「──」

「話は、それだけかい?」

「うん、それだけ」

「それじゃあ、私は今度こそ戻るよ。それじゃあ、また明日」

「うん、また明日」

 手を振って別れた。
 レイは、背を向けた彼女が見えなくなると、唇を噛んだ。さきほどよりも強く、強く。血が滲み、レイは悔いるように目を細めた。

「──危険なことに、巻き込んでしまったかも」

 その呟きは、誰に聞こえるでもなく、部屋の中に霧散して消えた。

 ※※※

 すぴー、すぴー、すぴー。

 レイカが眠っているのを確認して、ネネはドアを閉じて、その前でネネはしばらく立ち尽くしていた。

「──」

 ドアに手を触れながら物寂しげに目を細めて、震える吐息をした。
 すぐにハッとして首を左右に振り、ネネはドアから手を離して胸に当てる。

「……ううん、ダメよ。寂しくなんてない。寂しくなんて、ないんだから」

 パンッ、と乾いた音が廊下に響き、ネネの頬が赤く腫れる。しかし代わりにその瞳は強く、硬くなった。

「よしっ、寝ようっ」





[あとがき]
 一章と比べると一話の長さが随分長くなったと思います。文章も読みやすくなっていると良いなぁ。
 明日も更新しますっ!
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