当たり前の幸せを

紅蓮の焔

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六章 『追憶の先に見えるもの』

254話『ボクは愛を知らなかった』

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 ──るんちゃんが『博士』と呼んだ怪物と対峙した時のこと。

「──ッッ!」

 名無しが即座にそれの目玉にナイフを投げつけ、その首にしがみつき締め上げる。

 直後、我に返ったるんちゃんが嫌な予感に振り返ると──

「ぁ──」

 そこにはどろりとした闇を操るエミリがいた。

 足下にそれらを溜め込み、どろりとしたそれは空中に浮かび上がるときゅるきゅると音を立てながら回転する鋭く太い針となる。

 それを見た瞬間に咄嗟に喉が動く。

「──ま、待ってくださっぁあ、ぁ、ぁぁ……」

 肥大化したその針は高速で撃ち出され、見事怪物を串刺しにしたのだった。
 巨大な黒針に穿たれた『博士』はこれ以降、動く事はなかった。

 それと同時、彼女の黒い瞳に、まるで壊れるようにヒビが入る。
 フッ、と霧散する彼女の周囲に停滞していた泥が如き影。

「行こう、るんちゃん」

 手を伸ばすエミリに対し、床を見下ろしたるんちゃんは、返事をしなかった。

 俯いたままのるんちゃんは、自らの手を見下ろしていた。

 一瞬だけだが、自分を見た気がした。

 目があった気がした。

 その瞳を思い返すたび、心がずしりと重たくなる。

「──るんちゃん?」

 自分を呼ぶ声にはたと弾かれるように顔を上げたるんちゃんは、既に前を行く二人の後を追った。
 今電磁バリアをくぐり抜けた三人は、ちょうど遠くから響いてきた喧騒を聞いて、エミリはそちらへ目を向けた。

「向こうで何か揉め事が起きたようだ」と、名無しが呟く。「──今の内に行くぞ。このままでは見つかりかねない」

 そう言う名無しを先頭に、エミリ、るんちゃんの順で街の中心部へと目指し始めた。

 遠くからうぉううぉうと犬の鳴き声が響いてくる。近づいてくる気配は無いが、そちらの方面から煙が上がるのを三人は見た。

 立ち止まりかけたるんちゃんを掴んだエミリは、名無しと共に走る。るんちゃんは大きく目を見開いた。
 そのまま三人はそれらを通り過ぎ、最短で中央のビルを目指した。

「これから私達は別行動だ。いいな?」

「うん。分かってる」とエミリ。

 それは、事前に話し込んだ作戦の一つ。

「るんちゃん」

 道を進むエミリは、走りながら振り向いた。
 あまり気の進まない顔で、るんちゃんはニコリと笑ってみせた。

「ボク達は皆と合流する」

 その言葉を受けて、るんちゃんは一瞬何を言われているのか分からず眉をひそめた。
 しかしふと、彼女は大きく目を見開いてその表情を強張らせた。
 エミリは目を眇める。

「──ええ、分かってます」

 張り詰めたその声に、エミリは目を眇めたまま、るんちゃんから顔を背けた。

「また後で会おう」

 そう言うと同時、二人の目の前から名無しが消え、二人はそのまま、正面に見える会社の下へ辿り着いた。遠くから破壊音が聞こえるが、近くではなんの気配もなく、静まり返っている。

「るんちゃん、皆の居場所はわかる?」

「──ええ、もちろ」

 るんちゃんが答えようとしたその時、巨大な影が、突如として二人を覆った。

「なっ!?」
「んっ?」

 振り仰いだ二人は、そこに待つ巨大な鳥を垣間見ることになる。

「──なんだぁ、お前ら?」

 それは、人の言葉を話した。

 その鋭い眼光に見据えられ、るんちゃんの喉が凍りつく。
 それはまるで、時が静止したかのようだった。

 その静寂を破壊したのは、遠くで打ち鳴らされた爆音だ。

 いや、爆音と言うよりは砲撃に近い音だった。

「なんでこんな所にガキ共が……」

「それは奴らの仲間だからでしょ?」

 そう聞こえた次の瞬間、それは二人の目の前になんの前触れもなく現れた。

 一人の少女。

 るんちゃんより少し高いくらいの彼女は、にこやかな笑顔で語りかけてきた。

「ごめんね、君たち。悪いことしちゃって。でも仕方ないよね? だって全部、あの女が悪いんだから。あの女に関係してる奴らみんな、悪だよ」

「何を、言ってるんですか?」

 絞り出すような声で尋ねるるんちゃんへと、彼女はその愛想笑いを浮かべたまま、ぱっとなんの前触れもなく消え去った。

「ッ!!」

 瞬間、エミリが咄嗟にるんちゃんを弾かれたように押し倒した。
 そこから一瞬遅れて、肩を素早く掠めた物が。

 その鋭利な刃物──いや、鋭く尖った牙は、確実にるんちゃんの心臓を貫通していただろう。

 肩を掠めたるんちゃんは突然起こった出来事に対応できず、ただただ目を丸くしたまま尻もちをついた。

 彼女は既に二人から距離をとっていた。

「見えてたの?」

 彼女は怪訝な顔でエミリへ尋ねた。
 エミリはるんちゃんの無事を確かめると立ち上がり、腹の奥底に停滞しているわだかまりを、少しばかり手で掬うような、そんなイメージを以て力を放出する。

 雪のように白かった髪が爆発的な速度で黒く染め上げられ──ごポッと、水音がした。

「ぇ……」とるんちゃん。

 口から黒い液体を吐き出したエミリは、一点を見つめたまま動かなくなってしまった。

 ※※※

 その時、エミリは何を見せられているのか分からなかった。

 真っ暗な部屋だった。
 薄暗く、明かりは差し込んで来る月光のみ。
 そこに照らされるようにして、その光景は広がっていた。

 目の前には小さな女の子がいて、その女の子を蹴り、殴り、あらゆる悪意を持って痛めつけている男がいた。

 周囲に目を向けてみると、自分の背後に伸びる廊下、そこに痛めつけられている女の子がいることに気がついた。

 二人とも、歳はエミリと似たようなものだった。

 二人とも、その場から全く動こうとしなかった。

 この中で動いているのはたった一人。

 あの男だけだ。

 何かに激怒しているのか、しかし、ただ無言で蹴り続けている。
 血走った目と、押し黙る口と、女の子を痛めつけている体と、その全部がちぐはぐで、どうにも気味が悪かった。

 エミリはそれを止めようとしたが、足下の違和感に立ち止まり、目を下へ向ける。

 それは、ゆっくりと広がるようにしてエミリの足下へと広がってきていた。

 血だ。

 痛めつけている女の子の胸には包丁が突き立てられており、それは何度も何度も刺した後のようで、既に動いていない理由について、エミリは理解した。

 その時、エミリはやはり何も感じなかった。

 瞬間、背後から途轍もない威圧感を覚え、勢いよく振り返る。

 しかしそこには何もおらず、そこにいたはずの少女の姿も既に無い。

 ──君は、愛を知らない──

 そんな言葉が頭に響いてきて、エミリはその気持ちの悪さに思わずその場に嘔吐してしまう。

 吐瀉物を見つめ、訳のわからないまま、再び脳内に声が響き渡る。

 ──君は、愛を知らない──

 それは、全身が張り裂けそうな心地だった。

 体の内側から何かが溢れ出して、壊されるかのような。

 メシ、ミシ、と口中で音が鳴る。

 それはあまりにも強く歯を噛み合わせる音だった。

 頭がおかしくなりそうなその声が、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も──延々と、責め立てるかのように彼女の脳内に響き渡る。

 ──君は、愛を知らない──

 割れそうになる頭を必死に抱え込んでその声に対抗する。

 ──君は、愛を知らない──

 目の奥からどろりと何かが押し出されるような感覚がして、ぎゅっと目を瞑る。

 喉の奥からも、全身の穴から何かがあらゆる熱によって押し出されるような感覚がして、それを手放すのが言葉にしがたいほどに恐ろしくて、まぶたの裏側に一人の姿を想起した。

 最後に見たいと思った、離れたくないと思った、また話したいと思った──後悔が、生まれた。

 それを境に、ふとそれは治まった。

 目を開ければ、そこは暗澹とした暗闇の中。

 何事も無かった事を確認するように、自分の体を確かめる。

 手があり、足があり、体があり、髪があり、顔があり、何も変わらなかった。
 頬に触れた時、手が濡れた。それ以外は何も、何も変わらなかった。

 そうして、深呼吸の後に落ち着きを取り戻したエミリは周囲に目を向ける。

 黒よりも深い黒が、そこにはいた。

 周囲も暗く、何も見えないのに、同じ色をしていて、なのになぜかそこにいると認識できる人影が、目の前に立っていた。

 彼女が言う。

「僕は、大切なものを、一つも守れなかった。だから君には、失って欲しくないんだ」

 初めて彼女は声を出した。

 目を丸くするエミリに、影は話し続ける。

「僕のお姉ちゃんは、虐待の末に親に殺された。あの男は、何かに取り憑かれたように延々とお姉ちゃんの死体に向けて、執拗に暴力を振るった。僕はそれを見る事しかできなくて、ただ呆然と、喪失感に身を委ねる事になった。怒りは涌かなかった。ただ、ものすごく恐ろしかった。そんな事にはなって欲しくはないな」

 エミリは、しかしそれを理解できなかった。

「──僕は君に、後悔してほしくない。自分自身の愛に、君は気づくべきだ」

「ならどうして、ボクにアレを見せたの?」

「──僕の後悔を、知って欲しかったから」

 影は静かに告げた。自らの後悔を。

 それを聞き届けて、エミリは俯いた。

 しばらく、るんちゃんとまともに会話をしていない気がした。
 ここ数時間の間で、るんちゃんとの会話がこれほど途切れたのは、出会って初めてかもしれない。

 目の前の、記憶の手がかりに夢中になり過ぎたのだろう。

 それを自覚したエミリは、ゆっくりと息を吐き出す。
 目を閉じ、自分の中へと意識を向けた。

 そこは自分のいた所とさして変わりない、真っ暗闇だった。

 自分の中には、何も無かった。

 それを自覚したエミリは、ずきんと胸の奥が痛みを覚えたのに戸惑った。
 二の腕を掴み、俯いたままのエミリは固まってしまう。

 それはまるで空っぽの箱のようで、さっきまでの思いが否定された気分だった。

 しかし、それを覆すように、一つだけ、掌よりも小さな光が生まれていた。

 その光を覗くと、そこには、これまでに過ごしてきた日々が詰め込まれていた。

 雪の上を話しながら歩いていた時、魔力の手ほどきを受けた時、るんちゃんと寝た時、数こそは少なかったが、大切で、温かいものがそこにはあった。

「……ボクは、るんちゃんが好きみたい」

 ──それは、いつもと変わらない平坦な口調。

「るんちゃんが言ってたこと、分かったよ」

 思い返すのは出会ったばかりの時の記憶。
 できれば傷ついてほしくないと、そう言っていた意味が、今なら理解できた。

 まほまほくんについで同じ事を言われた際には要領を得なかったが、やはりそうなのだ。

「ボクも、るんちゃんには傷ついてほしくない」

 それを、自覚した。

 ※※※

 ごポッと、エミリがドス黒い液体を口から吐き出した直後、その場に倒れ伏した。

 混乱の最中、目の前の光景にるんちゃんは固まってしまう。

「……エミリ、ちゃん?」

 るんちゃんの声が震える。
 ──しかしその直後、エミリはむくりと起き上がった。

「るんちゃん」

 エミリは前を見つめたまま、るんちゃんへと声をかけた。

「ボクも、るんちゃんの事が好きだよ」

「えっ……」

「だから、一緒にいようね」

 おもむろに立ち上がって、エミリは正面に対峙する女と、上にいる鳥に順番に人差し指を向けて言う。

「もし襲ってくるなら、ボクは君たちを倒す」

「襲う気なんざねーよ」

 鳥から、一人の少年が飛び降りてきた。

「コーイチくん、何勝手に決めてるの?」

「どうせこいつらにゃ俺たちを殺せねえよ」

「……だからって」

「理不尽に大切な人を殺されるってのは納得いかないだろ? ナツミ」

「…………」

「それを交換条件に、ここの襲撃を決めたわけなんだから、自分が他人の大切な人を奪ってどうするんだ」

「……分かった」

 そう、苦々しい顔で、ナツミと呼ばれた女は固く握りこぶしを作った。

「──さて、こう言った直後だけど、お前らに質問だ」

 くるりと二人の方を向いて、コーイチが尋ねる。

「お前ら、何モンだ? なんでこんなとこにいる?」

 それは酷く冷たい殺気を放っていて、先程まで自分たちを庇ってくれた相手だとは思えないほどであった。その豹変の仕方に戸惑いつつ、エミリは答えた。

「ボク達は……あそこに行かなきゃいけない」

「ふぅん? その理由は?」

「あそこには、ボクの記憶の手掛かりがあるかもしれないから」

「……つまり?」

「ボクが、本当にボクなのかを確かめに行きたい」

 エミリがそう告げると、コーイチは怪訝そうな顔をした。
 あまりにも突拍子もない話に、疑いの念を拭いきれないコーイチは、遠くから響いてきた遠吠えを聞き、顔を青くする。

「──今の、は」

 そのまま振り返った先にいるナツミも、似たような顔をしていた。

「ボクも、協力しようか?」

 それは、エミリの提案だった。
 その言葉に目を丸くし、再び振り返って正面を向いたコーイチが、今度は目を眇める。

「ボクならきっと、手を貸せ──」ふと、るんちゃんの方を見た。「ううん、ボク達ならきっと、手を貸せる」

 目があったまま、二人は固まった。

「だめに決まってるだろ?」

 直後、エミリが手を払うようにして伸ばした。
 するとほぼ同時にコーイチの頬に一筋の傷が入った。

「見えた?」

 頬に触れたコーイチは、目を大きく見開いて目の前のエミリを見た。

「……お前、名前は」

「エミリ」

 ひと呼吸の後、コーイチは上空で待機していた鳥に向けて口笛を吹きながら手を振った。
 するとその鳥はコーイチの側に柔らかな風を生みながらそっと降り立った。

「──今からコイツらを連れて駆けつけるぞ」

「なっ!? 正気!?」とナツミ。

「……俺達だけじゃどうせ歯が立たない。それならなりふり構ってられるかよ」

 ナツミはコーイチの判断に反論しようとしたが、そこへコーイチが言葉を重ねる。

「やれる事やらなきゃ、失うだけだろ?」

 それっきり、ナツミは反論しなかった。

 斯くして、四人はその鳥の背に乗り、遠吠えのする方へと向かって行った。





[あとがき]
 現在書けてるのはここまでです!
 次回は七月一日!

 全然書けなくてやばい。
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