ぼくの受難の日々

安野穏

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ぼくの存在意義

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 涙?ぼくの頬を伝う冷たいもの。頬を手で押さえる。レンダークさんの魔法で、ぐっすりと眠ったはずのぼくは、何かの夢を見ていた。何を夢見ていたのか思い出せないのに、胸が裂けそうにせつない。ぼくは大きくフゥッと息を吐き出した。

 旅に出てから、こんなことが多くなった。夢の中で僕はいつも泣いている。それなのに、目が覚めるときれいさっぱりとぼくは夢を忘れている。大事なことだと思うのに、何故か思い出すのが怖くてそのままになってしまう。



「よぉ、バカモエギ、目が覚めたか?」

 タクミくんの声。ぼくはプクッと頬をふくらませた。

「ぼくはバカじゃないよ」

 ベッドの上に起き上がると、テーブルの椅子に腰掛けているタクミくんをにらみつけた。

「きちんとした魔法使いでもねえくせに、魔法を発動させてくたばってる奴はバカだよ」

「そう言うタクミくんなんかもっとバカじゃないか!」

「おっ、それは聞き捨てならねえな。俺のどこがバカって言うんだよ」

 タクミくんは立ち上がると、ぼくのそばに来た。ぼくの顔をチラッと見ると、ドカッとベッドの端に腰掛ける。

「ふん、タクミくんがどんなにがんばったって、ノブユキさんにはなれないもの」

「バッ、バカヤロウ!」

 タクミくんの顔が真っ赤になる。図星だ。小さい時からタクミくんは、ノブユキさんを見てた。ずっと、ノブユキさんに憧れてる。だから、娘のぼくが気に入らないらしい。確かに、剣を持ったノブユキさんは格好いい。ぼくやタクミくん、タクトくんに稽古をつける時のノブユキさんは、ビシリと決まっていて、娘のぼくが見ても惚れぼれする。タクミくんがプレイボーイ気取りなのも、ノブユキさんが浮気者だからだ。

 ノブユキさんの浮気が原因で、ルイさんたちは派手な喧嘩をする。そのとばっちりを毎回受ける娘のぼくとしては、そんなノブユキさんの真似ばかりするタクミくんに、神経を逆なでさせられている気分になる。それで、ぼくたちは、会えばこうして喧嘩するのだ。

「ノブユキさんの真似ばっかしているタクミくんの方がずっとバカだ」

「おまえな、俺のどこがおじさんの真似しているって言うんだよ」

 タクミくんは、心外だと言わんばかりの顔をしている。ぼくは上目遣いにタクミくんを見る。こいつ、自覚してないのか?

「確かにおじさんは男の俺が見ても、すばらしいよ。あの剣捌き、俺が十年たったって、あそこまではいかねえよ」

「ヘェ、わかってるんじゃない」

「だからだ、俺は努力しているだけだ。少しでも、おじさんに近づけるようにな。決して、物真似なんかじゃねえ!」

 バンと両手でベッドを叩いて、タクミくんはぼくに迫る。タクミくんの怒った顔が目の前にある。ノブユキさんみたいな黒い髪、黒い瞳が煌めいている。ぼくの頬が赤く染まる。これって、タクミくんに言い寄られているみたい。ぼくは目を逸した。

「ぼっ、ぼくはタクミくんが、ノ、ノブユキさんみたいにプレイボーイ気取りだから、タクミくんがノブユキさんみたいな浮気者になったら、・・・」

 あれっ?ぼく、声までうわずって、何を喋ってるんだろう?途端に、タクミくんが大声で笑い出した。

「ファザコン」

 ボソッとタクミくんが呟く。ぼくはカチンときて、タクミくんの頬を叩いていた。

「バッカヤロウ!図星さされたからって、叩くこたあねえだろうが」

「ぼくは、ファザコンじゃない!」

「けっ。おまえ、自覚ねえのか?チビガキの頃から、モエギは何かと俺たちに八つ当たりしてたじゃねえか。おじさんが俺たちに稽古をつけ始めると必ず絡んでくる。だいたいだ、剣の素質もねえたった五才のチビガキが俺たちと一緒に剣をならうなんて異常なんだよ」

「バカ!タクミくんなんか嫌いだぁ!出てけぇ!出てけぇ!」

 ぼくは手辺り次第の物をタクミくんに投げつけた。タクミくんはほうほうの体で部屋を飛び出して行った。ぼくはベッドに突っ伏して、大声でしゃくりあげる。図星をさされたのはぼくの方だ。ぼくはエイーガにいた頃、自分が一端の大人のような気分でいた。例え、ルイさんやノブユキさんがいなくても、ぼくは一人でやっていける。それは過大な自信だった。

 でもとぼくの心の中の違うぼくが言う。本当は親の愛が欲しかった。子供の頃みたいに素直にルイさんやノブユキさんに甘えていたかった。エイーガに来てから、二人は忙しくなり、ぼくは一人取り残された。マーサおばちゃんが亡くなってから、ぼくは余計に孤独を感じた。才能の無いぼくだけが誰からも必要とされない世界。ずっとぼくは一人だった。

 ぼくが一人で家事をしていたのも、ぼくの存在意義を見出せなかったからだ。ぼくが家事をしなくても、誰かを雇えばそれで済む。そうなれば、ぼくはどこにいればいいのだろう?それがぼくは怖かった。



「モエちゃん、どうしたのですか?」

 レンダークさんの手がぼくの肩に触れた。

 ぼくはたまらなくなった。

「うわぁぁぁぁぁーーーーん!」

 張り上げられるだけの大声で泣き出したぼくは、レンダークさんに子供みたいにしがみついた。

「モエギさん?」

 戸惑ったようなフェルの声。ぼくは聞こえないふりをした。しっかりとレンダークさんの両腕を掴んで、胸に顔を埋める。レンダークさんが子供をあやすかのようにぼくの背中を幾度も撫で擦る。

「殿下、今はそっとしておいて下さい」

 レンダークさんの声に応ずるように、ドアがバタンと閉じた。たぶん、フェルが部屋を出ていった音。ぼくはヒクンヒクンとしゃくりあげる。

 ぼくがエイーガに住むまでは、ルイさんもノブユキさんもぼくだけの物だった。例え、派手な夫婦喧嘩をしても、親らしいことは何一つしてくれなくても、ルイさんもノブユキさんも必ずぼくのそばにいてくれた。マーサおばちゃんもずっと一緒にいて、ぼくは一人じゃなかった。少なくとも、ぼくが孤独を感じることはなかった。



「もえぎ、タクミとタクトだ。おまえの従兄だ」

 ノブユキさんに連れられてきた二人の男の子は、ぼくにペコンとお辞儀をした。そのお行儀良さにぼくは不安を覚えた。それでなくとも、エイーガは今まで住んでいた駐屯地とは段違いでぼくは、怖気付いていた。ルイさんとノブユキさんには懐かしい故郷でも、ぼくにとってのエイーガは見知らぬ人がたくさん住んでいる他所の街だった。

 ぼくは恐かった。ノブユキさんは急に現れたタクミくんとタクトくんに夢中で、いつかぼくを忘れてしまう。ぼくの存在は不確かで、ぼくの足はいつも宙に浮いている。糸の切れた凧か、飼い主に見捨てられた子猫みたいに、ぼくには居場所がなくなる。夜中にふと目を覚ますと、ぼくはいつもルイさんとノブユキさんを捜した。置いて行かれたくなかった。

 エイーガにきたばかりの頃のぼくは、よく熱を出した。熱が出ている間、ぼくは同じ夢を見た。たった一人で閉じ込められている夢だ。ぼくは、ぼくの犯した罪に震え、人間を恨んだ。ぼくを裏切った人間たちを滅ぼしたかった。ああ、ぼくは傲慢すぎたのだ。

「・・・苦しいのはあなただけではありません。周りを見るのです。生命は一つです」

 慈愛に満ちた声が聞こえる。ぼくは悔いる。たった一つの愛さえ守れなかったぼくに、何が残る?ぼくはどうすればいい?

 夢の中でさんざん泣き喚いて、ぼくは目覚める。あの夢は一体何だったのか?未だにわからない。ぼくが学校に通い始め、友達ができると夢は見なくなった。ただ、ぼくはいつもポツンと一人にされるのが嫌いになった。それでいて、ぼくは他人との距離をおいた。

「レンダークさん、ぼくって何者なのかな?」

 急に思い出した子供の時の夢、ルイさんとノブユキさんの変な言葉、ぼくの発動した神霊魔法、ぼくの中には何か秘密があるのだろうか?

「モエちゃんはモエちゃんですよ」

「ううん、そうじゃなくて、ぼく、本当にルイさんとノブユキさんの子供なのかな?」

 レンダークさんがぼくから少し身体を離した。ぼくを優しくジッと見る。レンダークさんの瞳、ラピスラズリみたいに輝いている。綺麗だ。そして、懐かしくてたまらないその瞳に魅せられる。

「間違いなく、モエちゃんはルイさんの子供です。私はモエちゃんが生まれた時を知っています」

 レンダークさんの目が遠くを見るように細くなった。

「あれは私が九才の時でした。修業の旅に出たっきり、音信不通だったルイさんとノブユキさんが二人で戻られたのです。あの時は大騒ぎでしたよ」

 思い出したようにレンダークさんは、お腹を抱えて笑い出した。

「あの時のおじさまの顔、モエちゃんに見せたかったくらいです」

 苦しそうに一頻り笑った後、レンダークさんはぼくを見て微笑んだ。

 つまり、レンダークさんの話を要約すると、ルイさんとノブユキさんがエイーガに戻った時に、ルイさんのお腹の中にぼくがいたってわけ。当時、ルイさんは十四才。当然、成年式前で、結婚とか認められていない。その上、ライバルのオーダ家の嫡男の子供だというだけで、おじいちゃんは絶句。顔を真っ赤にして、悶絶したそうだ。それは、オーダ家のおじいちゃんも同じで、今に致る二人の犬猿の仲はここから始まったという。

 ともかく、ルイさんとノブユキさんの結婚に大反対という意見は一致していて、ぼくが生まれた暁にはどこかへ養子に出すという案まで進んでいた。最初、ルイさんとノブユキさんは、ぼくをエイーガで産むつもりで帰ってきたらしい。どうも、穏やかに子供を産む環境でないと悟った二人は、おじいちゃんたちの奸計よりもいち早くエイーガを飛び出したのだ。

「さすがに、お二人は見事でしたよ。おじさまたちの追撃をなんなくかわして、エリシュオーネ山脈沿いの村に身を潜ませたのですからね。モエちゃんはその村で生まれたのです。ちょうど、私はルイさんが気がかりで、おじさまたちとは別に後を追いました。マーサと一緒にです」

「あっ、そういうわけ?」

 ぼくはうんうんとうなずいた。マーサおばちゃんは子供を産むルイさんが心配で、ついてきたんだ。ルイさんが連れて行ったわけじゃなかった。ぼくって、結構、ルイさんたちを偏見の目で見てたかな。ちょっと、反省。

「合流した私たちをお二人は、追い返したりしませんでしたよ。お陰で、私は生まれたばかりのモエちゃんを抱くという特典にあずかりました。髪の色はノブユキさんにそっくりで黒々としていましたが、顔だちとかはルイさんにそっくりで、マーサは『ルイお嬢様の小さい頃に生き写しです。』と感激していました」

 ぼくは照れ臭くなる。レンダークさんはぼくを抱いた時の格好をして見せた。あぶなかっしい手付きで、腕を動かす。

「赤ちゃんというものを抱いた時がなかったものですからね。グニャグニャとした温かくて柔らかい存在に、私はいたく感動させられました」

 当時を思い出すのか、レンダークさんはまぶしそうに目を眇めてぼくを見た。

「そう、モエちゃんの手の中に子供がいたら、あの時のルイさんがそこにいるようです。モエちゃんを抱いてノブユキさんを見るルイさんは、誇らしげに微笑んでいました。ノブユキさんも顔がゆるんだままで、しばらく元に戻りませんでしたよ。二人はモエちゃんが生まれて一年ほど、そこで暮らしたのです」

 ぼくはまたポロポロと涙をこぼしていた。自分が生まれた時の様子を聞いて、感激したからだ。小さい時から、ぼくは自分の存在意義を疑っていた。ルイさんとノブユキさんの愛情を疑ったわけではない。ぼくは根元となる部分を欲しがったのだ。絶対に糸の切れない凧、飼い主に愛され続ける子猫、ぼくはそれらになりたかった。決して、置いて行かれないためにだ。

 ぼくは涙を手の甲で拭った。いつまでも、ベソベソと泣いていた自分が恥かしい。

「ごめんね、レンダークさん。ぼくはまだ子供なんだね」

 あれっ、自分の口から出た言葉にぼくは驚いている。「自分はまだ子供だった」と、誰かに言った。言ったのはいつ?

「モエちゃん、君は決して一人じゃありませんよ。ルイさんやノブユキさんがそばにいなくても、わたしたちがいます。そうですね、婚約のことは気にしないで下さい。あれはおじさまたちの気休めなのです。本当はお二人ともわかっていらっしゃるのです。モエちゃんの幸せを一番に願っているのは、意外とあのお二人かも知れませんね」

 レンダークさんは楽しそうに声を出して笑った。ぼくもつられて、笑いだした。ぼく一人がカチコチに凝り固まっていて、空回りしていた気分。婚約という枷に縛りつけられていたのは、ぼくだけだった。

-カチャン。

 ドアが細めに開けられた。覗いているのはたぶんフェル。ぼくたちの笑い声が聞こえたから、様子を見るつもりなのだろう。きっと、あいつはこの部屋の前から離れずに、ドアの前で佇んでいたのだ。忠犬だ。また、ぼくの目に犬の耳と尻尾を付けたフェルが浮かんだ。その耳と尻尾がダランを情けなく垂れているのだろう。フェルはなぜそんなにぼくの事が好きなのかな?うん、人に好かれるというのは悪い気がしない。相手がどんなに情けない奴でもだ。

「殿下、もう大丈夫ですよ」

 レンダークさんが声をかけた。ドアが開いて、ドアの陰からフェルがチョコンと顔を覗かせる。叱られた小犬みたいな顔をしている。犬の耳と尻尾がやはりだらんと垂れて見える。

「モエギさん?本当に大丈夫なんですか?」

「うん、ごめんね。いつも、心配ばかりしてくれて、ありがとう」

 ぼくは素直だった。この十三年間で一番素直だった。素直になると、自然に言葉が出てくる。ありがとうなんて言葉、普段のぼくなら、間違ってもフェルに使わない。フェルがわなわなと全身を震わせている。

「ぼっ、ぼく、感激です!モエギさんに感謝されるなんて、うれしいですぅ!モエギさん、ぼくがんばりますからね!絶対に、モエギさんを守ってあげられるくらいに強い男になりますからね!」

 最初、dランとしていた犬耳がピンと立ち、尻尾をぶんぶんと思いっきり振るフェルの声が、力強い口調に変わった。レンダークさんがぼくたちを微笑ましく見ている。ぼくは気恥かしい。フェルはやはり犬だ。まるでぼくの忠犬のようだ。

「ぼく、ちょっと疲れちゃった。少し寝る」

 照れを隠すために、ぼくは布団を被って横になった。二人がそっと出ていき、ドアがカチャンと静かに閉められる。ぼくは大きく深呼吸をした。

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