夜のジャングルジム

大空 ソラ

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夜のジャングルジム

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 「――うぃっす」

 午後9時。
 残業帰り。その帰り道の途中にある小さな公園で、俺は一人の少女に声をかけた。

 「お!何だ久しぶりだな、兄ちゃん!」

 すると、今の時刻からは沿わないような元気な声が、ジャングルジムの上から響く。


 「うん、久しぶりじゃないな。昨日も会ったな」

 「あ、そうだっけ。なら昨日ぶりー」

 「おう、昨日ぶり」

 「そんなことより、今日のお土産は!?」

 「……挨拶そこそこにお土産の話をするとは、さすがだな」

 「褒めんなって!」

 褒めてないから。決して褒めてないから。むしろ直してほしいことだから。

 「…………まあいいや。ほら、コンビニの塩むすびと水」

 「おお、アタシの大好物じゃねえか!!」

 「会う度に餌付けしてたらさすがに好みくらいはわかるようになる」

 初めておにぎりを与えた時……確か鮭だったか。コンビニの鮭おにぎりを与えた時、こいつは中身の具だけをほじくりだしておにぎりだけで完食した。そしてその残りの鮭を俺に手渡した。『苦手だからやる』と言って袋に乗せた状態で。

 次に梅のおにぎりを与えた。梅だけ手渡された。

 その次にシーチキンマヨネーズを与えた。周りのマヨネーズがついたごはんごと手渡された。

 あくる日にかやくご飯のおにぎりを与えた。『嫌がらせか』と袋のまま投げつけられた。

 とりあえず頬を引っ張っておいた。


 「いやーやっぱりおにぎりはこうだよな。具が入ってるのは邪道だと思うんだ」

 「すぐ隣で唐揚げのおにぎり食べてる奴のことも忘れないであげてください」

 「邪道中の邪道じゃねえか」

 「あー炭酸うめー。唐揚げの油が流れ落ちるー」

 「邪道に邪道を重ねて更に邪道を足すとか兄ちゃんって存在自体が邪道だよな」

 「やめろ。別に俺が悪い訳でもないのに、何故か俺が悪く聞こえるから」

 塩おにぎりだけじゃない。この子は飲み物も水以外はほとんど口にしない。水以外で唯一口に含んだことがあるのは炭酸水のみ。そしてその炭酸水も飲んだ瞬間に俺に向けてリバースされた。特殊性癖を持たない俺には、その行為は特別ご褒美でもなく、ただの嫌がらせにしか他ならなかった。


 「――そういえば、今日もジャングルジムの上だったけどさ。何か理由とかあんの?」

 「ん?」

 この少女と会う時。その時はいつもジャングルジムの頂上に腰掛けている。
 晴れの日も風が強い日も、更に言えば雨が降っている日もかっぱを装着してジャングルジムに居座っている。
 何か理由でもあるのだろうか。まさか、高い所が好きだからとかいう何かと煙みたいな返答はないだろう。そう思いたい。


 「高い所って気持ちいいじゃん」

 …………思うだけはタダだもんな。理想を夢見るのもタダだもんな。


 「人を見下すだけじゃなく、この場所なら街も見下せる。自分が一番頂点で、自分が一番強い。ここに立つと、なんか自分が漫画の主人公になったように感じるんだ」

 「小さい頃、そんなガキ大将いたなぁ…」

 「おお、ガキ大将!アタシの昔のあだ名と一緒だな!なんだ、兄ちゃんもアタシのこと知ってたのか!?」

 「うん、ごめん。俺、君と10歳近く離れてるから君の子供の頃なんてまったく知らない」

 それに初めて出会ったのもつい半年前の話じゃねえか。もう俺との出会いを忘れたのかよ、どんな記憶力だよ。


 「そっか。まあそんなことどうでもいいや。やっぱ気持ちいいなぁ、ここは」

 「どうでもいいって……あ、いや待て、立つな立つな。隣に座ってる俺のが怖い」

 ちなみに今は二人してジャングルジムの上に座っている。存外気分がいい。


 「ここは誰もアタシを叱らないし、グチグチ文句も言わない。何をしても怒られないし、何を叫んでも許してくれる。最高の場所だ」

 「いや、暴れたら怒るから。耳元で叫んだら許さないし」

 「アタシは自由だー!誰にも縛られたりしねー!」

 「止めて、ガキ大将。耳が痛いから」

 「何で怒られなきゃなんねーんだよー!アタシは何も悪いことしてねーだろーがー!」

 「してるから。現在進行形でしてるから」

 「学校で怒られて家で怒られて、アタシが何したって言うんだよー!」

 ダメだこいつ。俺の言葉を一切聞いてくれない。

 「そもそも、先に手を出したのはそっちだろうがー!」

 先にってことは、そのあとやり返したんだろうな。確か空手の黒帯だろ、加減したんだろうな。

 「それなのに泣いて逃げて!結局アタシが怒られんだ!全部アタシが悪いみたいに!」

 …………まあ、確かにそれはおかしいな。


 「家に帰ったら帰ったでその事について怒られるし『私に迷惑をかけるな』って、なんなんだよほんと!」

 ふぅ…ふぅ……と、少女は息を荒くして叫ぶのをやめる。そしてグルン!とこちらに顔を向け、俺を見つめる。

 「…………そんな顔すんなって」

 ーー今にも泣きそうな目で、睨み付ける。


 「うっせーよ……」

 「あまり気にしたことなかったんだけど、お前も何かに悩んだりするんだな」

 「当然だろ、アタシだって人間だ」

 「いつも馬鹿みたいにはしゃいで馬鹿みたいに騒いで馬鹿みたいに叫んでるから忘れてた」

 「褒めんなよ…」

 だから褒めてねえんだよ。何で馬鹿って言って照れるんだこいつは。

 「……まあ、だからそんな顔すんな」

 「ん…」

 座るように手で促すと、少女は素直にそれに従う。
 そして座ったのを確認した後、俺は少女の頭の上に手を置いた。


 「正直、何があったのかもよく知らないし。今までどんなことがあったのかも知らない。それを聞きもしない。お前が話したいと思った時に聞かせてくれたらいい。だからその時がくるまではさ、いつも通りのお前でいたらいいんだ。はしゃいで、騒いで、叫んでいる、そんなお前で」

 「…………ん」

 「ジャングルジムに登って、立って、街を見下ろす。それで、俺が来たら一緒におにぎりを食べて水を飲む。食べ終わったらその日にあった楽しかったこと、楽しくなかったこと、面白かったこと、面白くなかったこと、どれかを話す。それだけでいいじゃん」

 「うん」

 「辛いことがあったらまた吐き出せばいい。なんだったらお前の好物をたくさん買ってきてやる。美味しいもの食べながら、いっぱい喋ろうぜ」

 「桃…」

 「ん?」

 「桃の缶詰が好き」

 「……よし、なら次来る時は桃の缶詰だな」

 「缶きりも。ここで開けて、ここで食べたい」

 「ああ、任せとけ」


 先ほどまでのテンションとは一転。下を向き、背を丸め、小さくなっている少女。
 俺はそんな少女のショートカットの髪に沈む手をそこから離すことなく、左右に動かし続ける。少女が満足するまで、少女が止めろというまで、ずっと。





 「――よし、そろそろ帰ろうぜ兄ちゃん!」

 「お、元気になったか」

 「……な、何のことかわかんねえし」

 「……そうだな。今日はいつも通りジャングルジムで叫んで、いつも通りおにぎりを一緒に食べただけだもんな」

 「おう!」

 結局あの後、30分近く少女は頭を撫でられ続けた。
 その間、少女は何も言わず、そして俺も何も言わなかった。


 「いやぁ…」

 「ん?どうしたんだ?」

 「泣いてるお前を初めてみた」

 「――――ッ!?」

 「案外かわいくて驚いた」

 「な、な、なん、な……!!」

 うん、何だろう。いつものギャップというか、なんというか。こういう強気な子の涙ってずるいよな。無条件でかわいく見えるんだから。


 「また、何かあったら言えよ?そしたらまた泣き顔見れるし」

 「だ、だ、だだ、誰が言うかクソ野郎ー!!」

 「兄ちゃんからクソ野郎に昇華したな」

 「誰が兄ちゃんなんて呼んでやるか!!この変態!変態クソ野郎!!」

 いい人だと思ってたのに、クソ、クソ。と、口悪く俺を罵っていく。
 ――だが、いくら悪態を吐こうと、その少女の顔に説得力はなかった。

 「ああもう!感謝してた自分が馬鹿みたいだ……!!」

 笑顔。
 それも、にじみ出るような、そんな笑顔。
 心から湧き出るそれを、必死に寸前のところでせき止めている。それが他人の俺からも見て取るようにわかるくらいには。


 「くそ!次会ったら覚えとけよ!!」

 「はいはい。明日は残業ないと思うから6時くらいにここを通るけど?」

 「…………わかった、待ってる」

 「……了解。じゃあ、また明日」

 「おう!また明日な!!」

 思い切り目をそらし、手を振りながらその場を立ち去っていった。
 ……かわいい奴だなほんと。
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