夜の噴水

大空 ソラ

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夜の噴水

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 「――こんばん…は……」

 午後6時。
 大学の講義帰り。その帰り道の途中にある小さな公園で、俺は一人の少女に声をかけた。
 
 『ワンワン!ワンワン!!』

 「ひぃ……」

 しかし、声をかけた相手は俺に気づくことはなかった。というより、周りにいる犬の鳴き声が俺の挨拶をかき消している。
 対する声をかけた少女。彼女は噴水の縁に膝を抱えて座り、頭をその膝の間に埋めて今の状況を乗り切ろうとしていた。

 「……ほら、しっし!」

 そんな光景を見ていられなくなり、噴水の…もとい少女の周りを取り囲んでいる犬たちを手で払いのける。すると二匹いた犬たちは『クゥーン……』と悲しげな声をあげながらその場を離れていった。


 「ひぃぃぃ」

 「ほら、もう大丈夫だよ。犬も追っ払ったから」

 「へ…?」

 俺の声を聞いた少女は、両膝の間に埋めていた頭を抜き出し、こちらに目をやる。
 そして今の状況に思考が追いつかないまま、何度も何度も辺りを見渡す。自分の足元。公園全体。そして目の前にいる人物。それを何度か繰り返し、4度目でようやく事態を把握する。


 「……こ、こんばんは」

 「はい、こんばんは。今日も相も変わらず、不思議な再会だね」

 「言わないでください…私もしたくてこんな状況になっているわけじゃないんですから……」

 「この前は鳩の大群。その前は猫に膝を乗っ取られ。またその前はハムスターが肩に乗ってたっけ」

 「うぅ…」

 不思議に思っていたけれど、この子はやけに動物に好かれているよな。体からでるオーラなのか、若しくは動物を引き寄せる匂いを放っているのかは定かではない。だが、確実に動物を引き寄せる何かを持っていることだけは確かだ。


 「そんな顔するなって。ほら、そこのコンビニで買ってきたから一緒に食べよう」

 「……ありがとうございます」

 「肉まんとあんまんとピザまんとカレーまんあるけど、どれがいい?」

 「えっと……あ、あんまんでお願いします」

 「え、一個でいいの?もう一個あげるけど?」

 「いえ、二個も食べると晩ご飯が食べられなくなるので……」

 ……中華まん二つで満たされる胃って凄いな。
 俺なんてここで三個食べたとしても、家で丼の大盛りを食べれる自信があるよ。中華まん一個で充分なんて燃費がいいんだろうな。


 「そっか。まあいいや。ほら、あんまん」

 「ありがとうございます。いただきます」

 「はい、どうぞ」

 「あーん……うぅ……」

 「え、どうした?」

 あんまんを一齧り。
 しかし彼女はそこで止まってしまった。咥えたまま、微動だにしなくなった。
 もしかして熱かったか?
 出来立てのあんまんて嫌がらせなくらい熱いもんな。猫舌じゃなくてもあれは泣きそうになる。


 「……中身が、凍ってます」

 「…………そうきたかぁ」

 それはさすがに予想外だ。
 まさか店で売っていた物が解凍できていなかったとは。そんな経験したこともないから想像もしなかった。

 「私、何でこんなに不幸なんでしょうか……」

 そう、彼女は所謂不幸少女。
 やることなすこと、自分の意思とは関係無しに不幸が舞い降りる。
 聞いた話によると、今のようなことを筆頭に動物が苦手なのに懐かれる……もとい絡まれる。家族でお出かけする日は毎回と言っていいほど天気が崩れる。
 そして小さな事件や小さな事故によく巻き込まれるらしい。電車に乗る時は必ずといっていいほどに電車やレールのトラブルで延着が発生すると聞いた時はかわいそうだと思いながらも少し笑ってしまった。確かに小さな事故ではある。

 「……まあまあ。ほら、サイダーもあるから。これでも飲んで元気を出そう」

 「うぅ…ありがとうございます……きゃっ――!」

 キャップが開いた瞬間に噴出すサイダー。そして見事なまでにその全てを顔に受ける少女。
 ……ダメだ笑うな。今ここで笑ったら少女が泣いてしまう。この前のことを忘れるな。おにぎりをあげた時に一口も食べることなくカラスに掻っ攫われた時に笑ってしまった時に号泣した少女の顔を。

 「だ、大丈夫?ほら、ハンカチ」

 「重ね重ねありがとうございます……」
 
 「俺の方こそごめんね。炭酸なんて買ってこなければよかった」

 「――っ!い、いえ!その、これは私が不幸だから悪いのであって!アナタは悪くありません!アナタは私なんかに親切にしてくれる優しい人ですから!!だから謝らないでください!!」

 「お、おう……」

 急に態度が豹変する。
 彼女にはそういうスイッチがあって、自分の不幸が原因で起こった事象に対して相手に謝られることを極端に嫌う。それこそ病的に。
 何か事件や事故が起こる時は自分が悪い。相手に謝らせてはいけない。
 そんな風に何かに怯え、そして謝罪する。

 「あ……す、すいません。私、また……」

 「いいっていいって。そういう所は君の美点だよ。でも、行き過ぎるとそれも美点ではなく欠点になる。だから、気にしすぎるのも控えていこうね」

 「はい……」

 そう、相手を気遣うことが出来るのは美点だ。
 ただ度が過ぎればそれもありがた迷惑というか、鬱陶しく思う人もいる。その線引きが難しい。彼女の謝罪はどちらかというと後者に受け取られることが多いだろう。それほど、熱心に極端に自分を卑下するから。

 「じゃあ気を取り直して。ほら、こっちの肉まんは大丈夫そうだし半分こしようか」

 「あ、ありがとうございます」

 肉まんを半分に割り、その片割れを少女に手渡す。
 少女は申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうにその片割れを受け取る。そして目を細めながらその肉まんにかぶりつく。

 「……美味しい」

 小さないながらも、満面とは言えないでも、確かな笑顔で少女はそう囁いた。
 俺はそんな少女を尻目にもう半分にかぶりつく。
 ……うん、一人で食べるのとは違う美味しさがある。小さいことかもしれないけれど、こう思わせてくれるだけで俺は充分少女に感謝している。
 一度……いや、何度も『私の不幸が移るといけないので』って距離を置かれていたが、俺はそうは思わない。だって俺、今人並み以上の幸福を得ているから。







 「――よし、食べ終わったしそろそろ帰ろうか」

 「あ、はい。その…いつもありがとうございます。美味しかったです」

 「結局あんまん以外の3種類を半分ずつ食べたもんね」

 「うぅ…晩ご飯食べられるかなぁ」

 「成長期なんだから大丈夫大丈夫」

 花の女子高生だもんな。これからもまだまだ成長していくことだろう。

 「……でも、美味しかったです」

 「そう言ってもらえるなら買ってきた甲斐があるよ」

 500円ちょっとでこんなに嬉しそうにされると、それはそれで逆に申し訳なくなるけどさ。

 「お兄さんは、いつも優しいですね」

 「そう?そういう風に考えたことなかったからわからない」

 「優しいですよ。こんなにドジで不幸な私を見捨てないでくれますし、むしろ構ってくれます。一緒にいると自分に何らかの不幸が訪れるかもしれないのに、そんなことを気にせずに出会ったあの日から変わらずに接してくれます」

 当然だ。俺は君から不幸だけでなく幸せも貰っているんだから。

 「私の周りの人はそうではありませんでした。唯一変わらずに接してくれるのは家族だけで、それ以外の友達や先生は私を避けることがほとんどです。でも当然ですよね、歩いていたら目の前に花瓶が落ちてきたり、街中でいきなりカラスに威嚇されたり、ころんだ拍子に前にいる人を巻き添えにしたり、一緒にいて平和なことなんて何一つありませんでしたから」

 「……それは何回も聞いたね」

 「はい。何回でも言います。でも、今日は違います」

 「ん?」

 「でも、お兄さんだけは違いました。一緒に事故に巻き込まれても笑っていました。野犬に囲まれて怯えている私を見て、背中に隠してくれました。噴水が故障してびしょ濡れになった私にタオルを貸してくれました」

 懐かしい思い出が蘇る。そういえばそんなこともあったっけ。でも、そんなの別に不幸でも何でもないんだけどな。

 「――そして急な大雨で雨宿りをしていた初対面の私に傘を譲ってくれました。自分はびしょ濡れになるのがわかっているのに、笑顔で。私はあの日の思い出を今でも忘れません。そして一生忘れることはないでしょう。私の大事な大事な、本当に大切な思い出です」

「次の日だったかな。君が傘を持ってこの公園で待っていたの」

 「はい。どうしてもお礼が言いたくて。こんな優しい人を自分の不幸に巻き込むことだけはしたくなかったんですけど、どうしても、どうしてもお礼だけは伝えたくて」

 「そして、今に至ると」

 「……はい。何回も反省しました。何回も後悔しました。何回も悩みました」

 少女は俺の顔を見上げた。

 「でも、嬉しかったんです。楽しかったんです。幸せだったんです」

 苦悩するような表情から一転。微笑みを見せる。

 「私の不幸を知っても一緒にいてくれる。隣からいなくならないでくれる。それが嬉しくて、本当に本当に嬉しくて、ダメだとはわかっていても、何回も何回もここに来てしまいました」
  
 「それでいいと思うけどね。自分の気持ちには素直になるのが一番だ」

 「はい、いつかは覚えてませんがこう思うこともありました『自分が今まで不幸だったのは、この出会いの為だったのかな』なんて。ふふ、こんな風に考えたのなんて生まれてこの方一度もありませんでした」

 「…………そんな風に言ってもらえるなんて思いもしなかった」

 「はい。でも、だから、だからこそ、私はアナタに伝えないといけないことがあるんです」

 一息ついて。自分を鼓舞するように深呼吸。そして意志のこもった目で、でもどこか弱弱しく揺れるその目で、俺を見つめる。

 「――これ以上、私と関わらないほうがいいと思うんです。今はまだ大丈夫でも、今後はどうなるかはわかりません。今までの人生不幸ばかりだった私が言うんです、間違いありません。アナタにもいつか私の不幸が移る日がやってきます。そして呆れて私の前からいなくなるんです。……私は、そんなの見たくないです。アナタが傷つくのを、不幸になるのを、絶対に見たくないんです。ですから……だから……こんな風に会うのは今日で最後に――――終わりにしましょう」

 「その言葉を聞くのも何回目だろう。そして何回も言う。俺の気持ちは変わらない。ずっと同じ気持ちだよ」

 「でも…私はアナタが不幸になるのを……」

 「……うーん。じゃあこう言った方が正しいかな」

 涙がこぼれそうになっている少女の目を見ながら、俺の気持ちを。少女が理解していない、今のおれ自身の気持ちを、短く口に出す。

 「俺は今、君とこういう風に会えているということ自体が幸せなんだ」

 気持ちが伝わるように、ゆっくり語る。

 「……だからさ、俺を不幸にしないでほしい――俺は、君と会えなくなると、不幸になる」

 その瞬間、決壊した。
 ぎりぎりの所で貯めていたものが、少女の頬を伝う。

 「…………なんで、なんでそんなこと言うんですか。ずるいです……お兄さんは、ずるいです」

 「俺は君との時間を幸せに思っているんだ。それは嘘偽りない、俺の気持ちだ」

 「怖かったのに……こんな日々が終わるのが怖くて寂しくて……でもお兄さんのことを考えたらって……でも、でもお兄さんが……うえぇぇぇぇん」

 顔を両手で覆い、声を出して泣き続ける少女。
 俺は何を言うでもなく、そんな少女の頭を撫でながら、時間が過ぎるのを待ち続けた。



 「――――ありがとう、ございました」

 数分後。
 少女は泣き止んだ。鼻をすすり、目を擦りながらも、前を向いていた。
 その目には光があった。

 「……明日さ」

 「はい…」

 「明日、一緒にあんまん食べようか。あの公園で」

 「…………はい!」
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