Flower memory

塔城 笑

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序章

1.始まりは日常、少しの異常

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 暗闇の中で、少女が泣いている。涙が頬を伝い地に落ちると、闇は波紋を描いて揺れた。その様子を彼は静かに眺めていた。手を伸ばせば届きそうなほど近くに居るのに、遠くに居るかのように少女の姿は霞む。様々な感情が入り交じり、混濁した意識で、彼はどこか少女から遠ざかろうとしていた。

 ベッドの真上にある東側の窓から朝日が差し込む頃、よく響く機械音により彼は覚醒する。まだ幼さの残る高校生らしい整った顔。乱れてはいるが癖の無いさらさらと流れるような黒髪に、目を閉じている時にはわからなかった切れ長の鋭い目。眠気からか憂いを帯びた黒瞳は、まだ視点が定まっていない。
 まだ寝たいという思いと闘いながらやっと身体を起こすと、枕元のタッチパネル式の携帯端末を操作してアラームを止める。画面に表示されたデジタル時計を見れば、六時を少し過ぎたところだった。いつもならもう少し寝ているが、今日は用事があるため早めに起きなければいけない。
 部屋着から制服に着替え一階に降りるが、向かうのは母が朝食を用意してくれているダイニングではなく、廊下の奥にある、仏間として使われている和室。壁には先祖代々の写真が飾られ、部屋の一角に仏壇が置かれている。
「――さくら…」
線香を焚き、仏壇の前で手を合わせる。呟いた名は数年前に突然行方不明になった妹のものだ。幼い頃二つ下の妹、さくらとは今時珍しいほど仲が良く、一緒にゲームをしたり買い物に行ったりと何かと二人でいることが多かった。あの日も二人で遊んでいたとき、ふと目を離した隙に居なくなってしまった。
「珍しいじゃない、さくらに手を合わせるなんて」
「母さん…ちょっと、久しぶりに夢に出てきたから」
さくらの失踪は自分のせいだと自分を責め、しばらく線香もあげなかったが夢の少女がどうしてもさくらに見えてしまい仕方なく仏壇の前に立った。懐かしい思い出に浸っているとまた落ち込みそうなので、さっさと和室を後にする。

 いつもより少し早めに家を出て、自転車で学校へ向かう。グラウンドの脇にある陸上部の部室で学校指定のジャージに着替えると、身体をほぐし始めた。ふと誰もいないグラウンドを見渡すと、数メートル先に雑誌が落ちているのが見える。図書室に置いてあるものだったはずだから、誰かが借りたは良いが落としてしまったのだろう。パラパラと見ていると【多彩な天才高校生!今後に期待】と書いてあるページを見つけた。なぜか目を留め、文を読み始める。
《天才過ぎる高校生、立花 椿くんが陸上、水泳、音楽に続き武道でも受賞。今後活躍に…》
そこまで読んで、ため息を吐く。天才なんて知らないしどうでも良い。雑誌は後で図書室に返しに行こうと自分のロッカーにしまっていると、人も集まって来た。全員が集まると、顧問の先生の指示で朝練が始まった。

 朝練を終えて校舎に入ると、同じく朝練勢や早めに来る生徒たちが少なからず見えた。図書室は担当の委員か先生がが朝早くから鍵を開けておいてくれる。教室三つ分ほどの広さの図書室には高校生が好みそうな本が大量に置いてあり、既に数人生徒の姿が見える。カウンターへ行くと担当の図書委員が手続きをしていた。
「すみません、グラウンドに雑誌が落ちていたのですが…」
「おー、サンキュ。…ったく、本は大事に扱えよなー」
見るからに陽キャで本なんかに関わりの無さそうな男子生徒が雑誌を受け取ってくれた。同じ学年ではあるようだが、面識が無いのでつい敬語になってしまう。最後の呟きから、本が好きなんだということが伝わってきた。

 朝練があったため放課後は短く、まだ明るいうちに帰ることが出来そうだ。しかし帰ろうと仕度をしていたところに違うクラスの女子生徒が声を掛けてきた。内容としては、後で今は使われていない教室に一人で来いというものだった。会話を聞いていた友人が囁いてきた話に寄ると、彼女は学校一の美女で大勢の男子に告白されても揺らがないと言われているらしい。一部の先生方も狙っているとか。

 部活を終えて告げられた場所へ行くと、彼女が待っていた。夕日のせいかそれ以外の理由なのか知らないが顔が赤いように見える。
「遅くなってごめん。用って何かな」
友人に言われたため大体の予想は付いているが、他の用事ということもあるので一応聞いておく。
「あ…えっと、あなたのことが好きなんです…!」
予想通りの言葉が返ってきた。しかし、今は誰とも付き合う気は無いので冷たくならないように言葉を選びながら微笑んで話す。
「ありがとう。でもごめん、俺は今誰とも付き合う気は無いんだ」
そう告げると、彼女の目に涙が溜まり泣き出してしまった。泣かせるつもりはなかったのだが、ぽんぽんと頭を撫でて宥める。落ち着くのを見計らって家路についた。

 下校中、ふとさくらが消えた公園を通りかかる。入り口で止まっていると、体格の良い男子生徒が数人寄ってきた。
「オレの彼女泣かせてくれたみてェだな、あァ?」
「誰のこと。俺と話してたあの子には彼氏は居なかったはずだよ」
飄々と言い放つと、うるせぇ!これからなンだよ!と叫びながら殴り掛かってきた。人数に頼るとかカッコ悪。
「――ッ…!」
ひょい、と拳を避けると身体の力が抜けてストンと膝をつく。何が起きたかわからず戸惑っていると強い眠気に襲われ、倒れ込む。さすがに心配したのか、男子生徒たちが声を掛けてくるが遠ざかる意識の中では聞こえないに等しい。
 りん、と鈴の鳴る音が小さく聞こえた。それは意識が遠ざかるほどに大きくなり、人の声のように聞こえてくる。
『――げて………ない…』
まだはっきりとしない途切れ途切れの声。
『――いちゃ…ダメ…!』
単語を拾い、警告の言葉だと悟る。でもどうしろと。身体は動かない。
『――逃げて、危ない!お兄ちゃん、来ないで!』
やけにはっきりと聞こえた。自分を“お兄ちゃん”と呼ぶ、昔は毎日聞いていたこの声は。
「さくら――」
そこで、意識は完全に途切れた。
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