行きて帰りし物語

鷲見

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二章

ほころび

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「バルィ、どうかしたのですか」
 コンコンと指でつつかれて、わたしはセンサーに集中していた意識を取り戻しました。
「珍しいですね、お前がこもったままになるとは」
『申し訳ありません、翌檜あすなろ
「謝るのは、わたしにではないでしょう」
 くすっと穏やかに笑う翌檜の姿に、わたしはもう一度完全に自分の機能の再起動を行うと、周囲の様子を改めました。
 真っ暗な洞窟の中、唯一中央の焚き火だけが翌檜の灰褐色の髪に照り返されてゆらゆらと揺らしておりました。
    先ほどまでは無かったこの焚き火は、わたしがセンサーに潜り周囲の探索を行っている間に誰かがつけてくれたものなのでしょう。
 ここは、魔物の巣窟です。
    魔物だけではなくマルヴも住み着いているこの洞窟では、ほんの少しの油断すらも大きな怪我に繋がってしまいそうで、無駄に緊張してしまいます。
 それだというのに、いつの間に眠るように篭りきりになっていたのかと、起動確認を行いながらぼんやりと考えました。
 わたしは勇者の剣です。
    勇者をささやかながらもサポートするために感情や思考のプログラムは組み込まれてこそありますが、夢を見る機能なんかは搭載されていないはず。
 それだというのに、まるで夢でも見ていたかのように思考プログラムが浮ついているような心地がしました。
 夢を見るための器官自体が存在しないのですから、夢なんかは見るはずがないのです。
    それだというのに長い長い夢でも見ていたかのような感覚があって、感情プログラムが混乱をきたしているようでした。
 そう、とてもとても長い夢だったように、思うのです。
 そんなプログラムがないのは分かっておりますし、実際にはセンサーが感知した別の場所での何かを見ただけに過ぎないのは分かっているのです。
 しかし何故かわたしは今、もやもやとしたものを胸に抱えこんでいるようで落ち着きがありませんでした。
「あぁ、戻ってきましたよ、バルィ」
 言われてセンサーをそちらに向けますと、暗闇の中から徐々にこちらに近付いてくる人影が感知出来ました。
 細身で軽装備の青年と、盾持ち輝ける鎧を纏った大柄の男。
    わたしの勇者と、翌檜の相棒のガーラハドでした。
 ガーラハドは少しばかり疲れたような表情で、勇者はいつも通りの無表情のままこちらに戻って参ります。
 あぁ、そう。そうでした。
 今我々は、この洞窟の奥に居る魔王を退治し、ここに巣食っている魔物を殲滅するためにやって来たのでした。
 この洞窟の奥には恐ろしい魔王が居り、彼の闇の力に惹かれてかマルヴや魔物がここを拠点に動いているという報告があったために、【勇者】の中でも特に実力のある彼等に殲滅指示が下り、早朝からこの洞窟に入っていたのです。
 しかし陽光も届かぬ洞窟に巣食う魔物のあまりの多さに結界を敷いて少しばかりの休憩をし、朝を待って再び行動を開始しようと話をしていたのでした。
 そう、そのはずなのですけれど。
「……もういい……ひとりで行く」
「大丈夫なのか?朝を待ってはどうだ」
「せめて少しくらい休憩をしては?」
「いらない」
 ガーラハドと翌檜は、【勇者】の中でも歴戦の猛者で、私の勇者が唯一仕事を手伝ってもらう珍しい方々でもありました。
 しかしそれももう不要とばかりにすっぱりと切り捨てた勇者は、わたしを腰のベルトに収めると二人にちらりと視線を投げただけで再び歩き出しました。
 勇者は、表情の乏しい人で感情の起伏もほとんどありません。
 そのために付き合い難いと言われ、彼等のようにチームで行動をする相手も居らず、ほとんどの場合は一人で行動し、そうでなければ今回のように即席のチームに参加をして魔物を殲滅に当たります。
 わたしはもう少しばかり、勇者も愛想をよくすればいいとは思うのですが、流石にそこまでの意見は出来ません。何しろ彼はわたしのただ一人の勇者でありますので。
 ですが、そう、彼はこんなにもぶっきらぼうでありましたでしょうか。
 どんなことにも感情を表さず、棘を突き刺すように人の手を振り払ったりはしたでしょうか。
 引っ掛かりはするものの、徐々に濃くなっていく闇の気配に、わたしは気を引き締め直しました。
 いくら魔物を倒したとて、この奥に居る魔王を倒す事が出来なかったならば何の意味もないのです。
 洞窟は真っ暗で、勇者が魔術でもって生み出している光の球がなければ周囲の様子すらわからなかったかもしれません。しかし結界を抜けて時間にして三十分ばかり歩くと、徐々に徐々に闇の気配は濃くなり、強いプレッシャーを感じるようになりました。
 魔物の姿は今は見えません。己の王を守るために王の間に集結しているのか、それともガーラハドたちを倒すために出撃でもしているのか。
 わかりませんが、邪魔が居ないのは有難いことでした。
 闇の気配がビリビリと身体を叩き、勇者がわたしを抜き放ちます。
木々のざわめきにも似た何かが、向かう先から聞こえてくるような気がしました。
 そうしてトンネルを突き進んだ先には、マルヴの王様が……魔王が、居ました。
 自らも魔王と名乗ったそいつは燃える盛る炎の髪に彼の腰ほどに太い両腕、全身を覆う筋肉はまるで岩のようで、足の裏からは根が生えたようにデンと構えて動きません。
 とんでもない相手でした。
 とても強い男でした。
 戦いは丸一日続きました。
 わたしは疲れ果て輝きを失い、それでも彼は戦う事をやめず、魔王もまた彼との勝負をやめませんでした。
 その戦いを制したのは、やはり勇者でした。
 魔王がズンと地響きをたてて倒れ伏し、疲れてへとへとになっていた彼もまた、地面に膝をつきました。
 そこで、わたしは気付きました。
 魔王が倒れた時に、魔王の額にあった二本の角が、倒れた拍子にぽっきりと両方折れてしまった事に。
 その姿を見て、わたしはまた胸にざわざわとしたものを、感じました。


*    *    *


 そんな戦いから程なく、魔力を失い人間に堕ちた魔王エードラムは、勇者の勧めによって共に暮らすようになりました。
 勇者はわたしの意見なんかは一切聞かず、居たければ居てもいいと言って部屋を一室エードラムに与え、それからはほとんど彼の存在を無視するようにいつも通りの生活をしておりました。
 その様子にエードラムは少しばかり困った顔をしたものの、自分が他に行き場所がない事を理解しているのか文句を言うでもなく黙って勇大の世話をし、黙ってこの家での生活を始めていました。
 わたしはわたしで、エードラムの存在を特に気にするでもなく、彼ではなく勇者の方をよく見るようになっていました。
 勇者の様子は今までと少しも変わりません。
 表情を変えず、口数は少なく、エードラムの存在など一切気にもせず、勇大と二人暮らしであるのと変わらずに過ごしております。
 エードラムとの接触は当然あります。
 勇者が忙しい時に食事を作るのはエードラムですし、時には勇大を保育園に送り、迎えるのもまたエードラムです。
 少しくらいは意に介してやってもいいとは思うのですが、勇者はあくまでも普段通りに……そう、エードラムが家に来る前とほとんど変わらずに振舞っておりました。
 唯一彼と直接接触していたのは、車で彼の生活用品を購入しに行ってやったときくらいです。
「どかすぞ」
『あぁ、はい』
 この日も、エードラムはいつものように勇大を保育園に送った後に、家の中の掃除をしておりました。
 しかし、そういえば、この男はいつこのような技能を身につけたのでしょうか。
    エードラムに机の上に持ち上げられ、掃除をしているのを眺めながら思います。
 そういえばエードラムは料理をするのも掃除をするのも、まして勇大の世話をするのにも一切よどみはありませんでした。
 最初こそ少しばかりの抵抗を感じていたようでしたが、ほんの数日で何事もなかったように普通に今のような生活をし始めたのです。
 それは寧ろ勇者よりも人間らしい暮らし方で、この男が魔王であるという事なんてすっかり忘れてしまうような暮らしぶりでした。
 また、もやっとしました。
 そのもやもやは、まるで何かを忘れている時のようで、その言葉が喉元に引っ掛かって出てこないような、そんな嫌なもやもやでした。
 わたしには感情プラグラムはあれど脳みそなんかはありませんし、胸だって当然ありません。
 それだというのにこの苦しさは何なのでしょうか。
「なぁ、おい」
『何です』
「……あー、いや、何でもねぇ」
『何なのです。言いたいことがあるならば言えばよいでしょう』
「そりゃそうだが……言いたいことっつーのが、わかんなくなっちまったんだ」
 ロボット掃除機を慣れた手つきで起動させたエードラムは、どこか遠くを見るような目で動くそれを見詰めておりました。
 その言葉が、その表情が、わたしに肉体があればきっと同じような表情をしていたのだろうなという表情で、わたしは言葉を止めてエードラムを見詰め続けてしまいました。
 エードラムは、何かを言おうとするように口を開き、しかしまたすぐに閉じてしまいます。
 何かを言いたいけれど言えない、言葉にしたいけれど言葉が出てこない、そんな表情で。
「……アイツ、あんなだったか?」
 それでもやっと、エードラムはひとつの問いを搾り出しました。
「まだアイツを知ってからそう長くねぇのは分かってる。アイツの性格だってよく知らねぇ。だが、アイツがあんなだったか……いや、ちげぇ。なんだ……何が言いたいんだオレは……」
『エードラム……』
「分かってんだ。分かってるんだが、分かってちゃいけねぇと思ってる……」
 なんだこれは、と、エードラムは言いました。
 彼の言葉には一貫性はなく、支離滅裂とも言える言動です。
 しかしわたしには何故か彼の気持ちがとてもよく分かって、けれど分かってはいけないような気もしてしまっていて、何とも言葉にし難い心地がしておりました。
 そもそも、魔王なんぞという存在とこんな風に生活をするのも、会話をするのも、嫌で嫌でたまらないはずです。
 それであるというのに、ごく普通に会話をしているのにとてつもなく違和感を感じつつも、不思議ではないような心地もして、やはりそれも頭を悩ませる原因になっておりました。
「オレは、お前等を知っている気がする」
 それもずっとずっと昔から。
 エードラムの言う言葉に、わたしは異論を返せませんでした。
 わたしも何故か、そう感じてしまっていたからです。
 当然そんなものは世迷言でしかありません。
    彼と出会ったのはあの戦いの時が初めてですし、生活を共にするなんてした事があるわけもありません。
 それであるというのに、わたしもエードラムも、この日々は初めてではないと感じていたのです。
 理由はありません。
 ただ、たっぷりと水を湛えた器にほんの小さな傷がついて水が漏れたかのように、ほんの少しだけの違和感が我々の中にはあったのです。
 その違和感の正体が何なのかは、わかりはしませんが。
「あー……すげェ胸糞わりぃなんだこれ」
『同意したくはありませんが、同感です』
「アイツのツラがぴくりとも動かないのもムカつくし、こっちを完全に無視してんのもムカつく」
『えぇ、そうでしょうとも』
「アイツはあれが普通なのか?アイツは、最初からあんなだったか?」
 聞かれても、わたしには返せるものはありません。
 わたしにとっては勇者は最初からあぁだったように思いますし、しかし違うとも言えてしまいそうにも思えるのです。
 それが、何故なのかはわかりません。ただ、そう思うだけで。
 どうしたらいいのか、どう言えばいいのかも、わかりません。
『魔王よ、お前はこの違和感を解決する気はありますか?』
「まぁ…そりゃあ……」
『では、これから浮かんだ違和感は全て話してください。わたしも、話しましょう』
「あぁ、そういうのな……それしかねぇかな……」
『嫌なのですか?』
「嫌っつぅか……それもわかんねぇんだけどよ」
 その場に座り込みながら、エードラムははっきりとしない返答を返します。
 まぁ、それも分からなくはありません。わたしも同じ気持ちでしたし、例え互いの違和感を話し合ったところで解決をするかも分からない問題です。
 ですが、それしかないのも確かです。
 違和感は共有しなければ、違和感だとも気付かないかもしれないのですから。
「今はまぁ……アイツのツラか?」
『そうですね。あんな風であったような気がしません』
「無視されんのもクソむかつくしな」
『はいはい』
「あとは……なんだ」
 二人して考え込みます。
 今のところの違和感は本当に勇者に関することだけで、それであるので違和感とも言い切れず、しかしそれは大きすぎる違和感であったのです。
 他に何か、と言われても、思い浮かびません。
 確かにもやもやはしているのですけれど。
「あっ……」
 しかし不意に、エードラムが顔を上げつつ声をあげました。
 無言でセンサーを向けると、座り込んでいたエードラムはまたゆっくりと立ち上がりながら口元に手を当て、眉間にとても深い皺を刻んでいました。
 それはまるで、気付いてはいけないものに気付いてしまったかのような表情で、知れずわたしも緊張してしまいます。
 そして、その言葉に、わたしは今度こそ言葉を失いました。
 

 
「なぁ、アイツの名前って……何だった?」
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