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9話 いざ人間の国へ
出発の朝は、思ったより騒がしかった。
魔王城の正門前に、なぜか大勢の魔族が集まっている。見送りにしては多すぎるのではないだろうか。謁見の間に匹敵する数がずらりと並んで、こちらを見ている。
「……なんでこんなに集まってるの?」
シャードに抱えられたまま小声で聞くと、彼は淡々と答えた。
「魔王様が人間の領域へ向かうんだ。歴史的な出来事ですよ」
「いやそんな大層な……」
「大層ですよ」
真顔で返された。
正門前には馬車が一台。ローザが手配した、エルフ製の上品な白い馬車だ。馬の代わりに翼の生えた鹿のような生き物が繋がれていて、ファンタジー感がすごい。テンションが上がる。
メンバーは私、シャード、ヴェントくん、ローザの四人の最小限。あまり増やすと人間側が警戒するから、という現実的な判断だ。
「ヴィルヘルミーナ様!」
群衆の中から、ひときわ大きな声が飛んできた。
赤い髪を逆立てた、炎のような男が前に出てくる。鎧を纏った長身で、目つきは鋭く、全身から熱気が立ち昇っている——文字通り。足元の石畳がじんわり焦げていた。
「イグニート」
シャードが名前を呼ぶ。
四天王の一人、火のイグニート。ゲームでは凶暴な炎の化身として戦うボスだったが、人型だとこんな感じなのか。熱血系のいかつい兄貴、という印象だ。
「あぁ、魔王様!」
イグニートが片膝をついて、やたらと真剣な顔で私を見上げた。目が潤んでいる。え、泣いてる?
「自ら先陣を切って、少数精鋭での潜入……いや、堂々とした敵陣への切り込み……! この俺が行けぬのが悔しいですが、魔王様のお覚悟、しかと受け止めました!」
「あ、いや、そういうのじゃ——」
「敵の本拠地に乗り込むなんて、前代未聞の戦略です! 俺たちは留守を守ります! 命に代えても!」
熱い。物理的にも精神的にも熱い。近くにいるだけで汗が出る。
「あ、ありがとうイグニート……よろしくね」
「イグニート殿、少し離れてくれないか。魔王様が暑がっている」
シャードが私をさりげなく半歩引かせた。確かに暑い。
「す、すまん!」
イグニートが慌てて体温を下げる。周囲の空気がほんのり揺らいでいたのが収まった。
その後ろでは、魔族たちがわいわいと何やら話し合っている。
「いいか、魔王様が人間の国で作戦を遂行している間、俺たちは絶対に足を引っ張るんじゃねえぞ!」
がたいの良い鬼が声を張り上げる。
「迷子の人間を見かけても攻撃するな! そっと領地の外まで案内しろ!」
「和平が大事なんだろ!? じゃあ外交だ! 外交っていうのは笑顔が大事なんだろ!?」
別の魔族が、ぎこちなく口角を上げてみせた。鋭い牙が剥き出しになっている。
「……笑顔、こんな感じか?」
「こ、怖い……」
「は? 怖いってなんだ。笑ってるだろうが」
「いや怖いって……もっと優しく!」
「こうか……にっ、こ……」
「余計怖くなってる!」
魔族たちが大真面目に笑顔を練習している光景は、なんというか、シュールだった。
隣でヴェントくんがケラケラ笑っている。
「いやー、みんな真面目っすねぇ」
「……なんかいい方向にいっている気がするから、よし!」
もはや訂正する気力もない。結果的に平和になるなら、動機が勘違いでも構わないのだ。和平のためなら手段は選ばない。たとえその手段が「壮大な誤解の放置」であっても。
「では、そろそろ」
ローザが馬車の扉を開けて、こちらに手を差し出した。銀髪が朝の光にきらめいて、一枚の絵画のようだ。
「参りましょう、ヴィルヘルミーナ」
「ええ」
私はシャードの腕から降り、昨日まで練習した所作を思い出す。背筋を伸ばし、扇を胸の前に構え、魔族たちを見渡した。
堂々と。カタリーナならこうするだろう、と想像しながら。
「皆さん、行ってまいりますわ!」
おお、と歓声が上がった。
「魔王様万歳!」
「ご武運を!」
「人間どもの社交界を制圧なさってください!」
最後のは制圧じゃなくて参加なんだけど、まあいいか。
ローザの手を取って馬車に乗り込む。シャードが続き、ヴェントくんは「俺、外で風浴びてるっす~」と言って馬車の屋根にひょいと飛び乗った。自由だなあの人。
馬車が動き出す。
翼鹿がふわりと地面を蹴って、滑るように走り始めた。窓の外で魔王城がゆっくり小さくなっていく。
「……本当に行くのね」
「ええ。人間の国ですよ」
ローザが向かいの席から微笑む。シャードは横で腕を組んだまま目を閉じているが、どうせ全部聞いている。
「カタリーナに会えるかしら」
「会えますよ、きっと」
「緊張してきた……」
「大丈夫です。あなたはあなたらしくいればいい」
「悪役令嬢らしく、よ」
「それも含めて、あなたらしさです」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなった。
窓の外には、見たことのない景色が広がり始めていた。魔界の赤紫の空が、少しずつ淡い青に変わっていく。人間の世界が、近づいている。
▼▼▼
魔王城。
ヴィルヘルミーナたちの馬車が見えなくなった後、正門前の広場にはまだ大勢の魔族が残っていた。
「よし!」
イグニートが腕を組み、残された者たちを見回した。赤い瞳に炎が揺れている。
「魔王様は俺たちを信じて発たれた。期待に応えるぞ、おまえら!」
「おう!」
「まずは笑顔だ。人間がうっかり迷い込んできても、笑顔で対応する。これが外交の基本だと魔王様がおっしゃっていた」
魔王様はそこまで言っていない気もするが、イグニートの熱意に誰もツッコまなかった。
「次に、領地内の治安維持だ。暴れるな、脅すな、無駄に火を吹くな。特に俺は気をつける」
「お前が一番危ないからな」
「うるせえ」
それから、広場では奇妙な光景が展開された。
屈強な魔族たちが円になって、笑顔の練習をしている。鬼が口角を必死に上げ、翼の生えた獣人が愛想笑いを試み、骸骨の騎士が——骨なので表情が変わらず困っている。
「どうだ、俺の笑顔」
「威嚇にしか見えねえ」
「じゃあお前のは?」
「……食うぞって顔になってる」
「難しいな、笑顔……」
「そもそも造形が笑顔に向いてねえんじゃねえか」
「そんなことで諦めてたまるか! やってみせるとお約束したんだ」
イグニートが腕組みしたまま唸った。
「……全力で頑張るしかねぇ。魔王様のためだ」
その言葉に、全員が頷いた。
歴史上、魔族の領地がこんな平和的な努力に包まれたのは初めてのことだった。
魔王城の正門前に、なぜか大勢の魔族が集まっている。見送りにしては多すぎるのではないだろうか。謁見の間に匹敵する数がずらりと並んで、こちらを見ている。
「……なんでこんなに集まってるの?」
シャードに抱えられたまま小声で聞くと、彼は淡々と答えた。
「魔王様が人間の領域へ向かうんだ。歴史的な出来事ですよ」
「いやそんな大層な……」
「大層ですよ」
真顔で返された。
正門前には馬車が一台。ローザが手配した、エルフ製の上品な白い馬車だ。馬の代わりに翼の生えた鹿のような生き物が繋がれていて、ファンタジー感がすごい。テンションが上がる。
メンバーは私、シャード、ヴェントくん、ローザの四人の最小限。あまり増やすと人間側が警戒するから、という現実的な判断だ。
「ヴィルヘルミーナ様!」
群衆の中から、ひときわ大きな声が飛んできた。
赤い髪を逆立てた、炎のような男が前に出てくる。鎧を纏った長身で、目つきは鋭く、全身から熱気が立ち昇っている——文字通り。足元の石畳がじんわり焦げていた。
「イグニート」
シャードが名前を呼ぶ。
四天王の一人、火のイグニート。ゲームでは凶暴な炎の化身として戦うボスだったが、人型だとこんな感じなのか。熱血系のいかつい兄貴、という印象だ。
「あぁ、魔王様!」
イグニートが片膝をついて、やたらと真剣な顔で私を見上げた。目が潤んでいる。え、泣いてる?
「自ら先陣を切って、少数精鋭での潜入……いや、堂々とした敵陣への切り込み……! この俺が行けぬのが悔しいですが、魔王様のお覚悟、しかと受け止めました!」
「あ、いや、そういうのじゃ——」
「敵の本拠地に乗り込むなんて、前代未聞の戦略です! 俺たちは留守を守ります! 命に代えても!」
熱い。物理的にも精神的にも熱い。近くにいるだけで汗が出る。
「あ、ありがとうイグニート……よろしくね」
「イグニート殿、少し離れてくれないか。魔王様が暑がっている」
シャードが私をさりげなく半歩引かせた。確かに暑い。
「す、すまん!」
イグニートが慌てて体温を下げる。周囲の空気がほんのり揺らいでいたのが収まった。
その後ろでは、魔族たちがわいわいと何やら話し合っている。
「いいか、魔王様が人間の国で作戦を遂行している間、俺たちは絶対に足を引っ張るんじゃねえぞ!」
がたいの良い鬼が声を張り上げる。
「迷子の人間を見かけても攻撃するな! そっと領地の外まで案内しろ!」
「和平が大事なんだろ!? じゃあ外交だ! 外交っていうのは笑顔が大事なんだろ!?」
別の魔族が、ぎこちなく口角を上げてみせた。鋭い牙が剥き出しになっている。
「……笑顔、こんな感じか?」
「こ、怖い……」
「は? 怖いってなんだ。笑ってるだろうが」
「いや怖いって……もっと優しく!」
「こうか……にっ、こ……」
「余計怖くなってる!」
魔族たちが大真面目に笑顔を練習している光景は、なんというか、シュールだった。
隣でヴェントくんがケラケラ笑っている。
「いやー、みんな真面目っすねぇ」
「……なんかいい方向にいっている気がするから、よし!」
もはや訂正する気力もない。結果的に平和になるなら、動機が勘違いでも構わないのだ。和平のためなら手段は選ばない。たとえその手段が「壮大な誤解の放置」であっても。
「では、そろそろ」
ローザが馬車の扉を開けて、こちらに手を差し出した。銀髪が朝の光にきらめいて、一枚の絵画のようだ。
「参りましょう、ヴィルヘルミーナ」
「ええ」
私はシャードの腕から降り、昨日まで練習した所作を思い出す。背筋を伸ばし、扇を胸の前に構え、魔族たちを見渡した。
堂々と。カタリーナならこうするだろう、と想像しながら。
「皆さん、行ってまいりますわ!」
おお、と歓声が上がった。
「魔王様万歳!」
「ご武運を!」
「人間どもの社交界を制圧なさってください!」
最後のは制圧じゃなくて参加なんだけど、まあいいか。
ローザの手を取って馬車に乗り込む。シャードが続き、ヴェントくんは「俺、外で風浴びてるっす~」と言って馬車の屋根にひょいと飛び乗った。自由だなあの人。
馬車が動き出す。
翼鹿がふわりと地面を蹴って、滑るように走り始めた。窓の外で魔王城がゆっくり小さくなっていく。
「……本当に行くのね」
「ええ。人間の国ですよ」
ローザが向かいの席から微笑む。シャードは横で腕を組んだまま目を閉じているが、どうせ全部聞いている。
「カタリーナに会えるかしら」
「会えますよ、きっと」
「緊張してきた……」
「大丈夫です。あなたはあなたらしくいればいい」
「悪役令嬢らしく、よ」
「それも含めて、あなたらしさです」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなった。
窓の外には、見たことのない景色が広がり始めていた。魔界の赤紫の空が、少しずつ淡い青に変わっていく。人間の世界が、近づいている。
▼▼▼
魔王城。
ヴィルヘルミーナたちの馬車が見えなくなった後、正門前の広場にはまだ大勢の魔族が残っていた。
「よし!」
イグニートが腕を組み、残された者たちを見回した。赤い瞳に炎が揺れている。
「魔王様は俺たちを信じて発たれた。期待に応えるぞ、おまえら!」
「おう!」
「まずは笑顔だ。人間がうっかり迷い込んできても、笑顔で対応する。これが外交の基本だと魔王様がおっしゃっていた」
魔王様はそこまで言っていない気もするが、イグニートの熱意に誰もツッコまなかった。
「次に、領地内の治安維持だ。暴れるな、脅すな、無駄に火を吹くな。特に俺は気をつける」
「お前が一番危ないからな」
「うるせえ」
それから、広場では奇妙な光景が展開された。
屈強な魔族たちが円になって、笑顔の練習をしている。鬼が口角を必死に上げ、翼の生えた獣人が愛想笑いを試み、骸骨の騎士が——骨なので表情が変わらず困っている。
「どうだ、俺の笑顔」
「威嚇にしか見えねえ」
「じゃあお前のは?」
「……食うぞって顔になってる」
「難しいな、笑顔……」
「そもそも造形が笑顔に向いてねえんじゃねえか」
「そんなことで諦めてたまるか! やってみせるとお約束したんだ」
イグニートが腕組みしたまま唸った。
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