捨てられ令嬢の恩返し 投資のお礼に溺愛嫁っぷり、見せつけましょう

灯息めてら

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4,これは「投資」らしい?

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季節が一歩進んでいた。
庭の梅がほころび、風の匂いにもかすかな陽気が混じり始める。

桜歌は、縁側に座っていた。片手には細身の黒杖。まだ足取りは重く、長く歩くと息が上がるが、それでももう多少の介助があれば、風呂も食事も、ある程度は自力でこなせるようになっていた。喉に多少の痛みはあるが、言葉もすらすらと出るようになった。使用人がふと庭先の砂利を掃きながら声をかける。

「桜歌様、昼食の支度ができております」
「わかりました。あ、『様』は……不要です……!」

この抗議も、もはや儀式のようなもので、使用人たちには淡々と受け流されている。桜歌は杖をついて立ち上がり、ゆったりと廊下を進んだ。これはもしもの時の脱出ルートの確認だなんて自分に言い聞かせながらきょろきょろ見回して廊下を進むと、不意に紫苑が仕事をしている様子が見え、障子の向こうから声が漏れ聞こえてきた。

「……いや、うちの流通を止めたければ、それ相応の代価は払ってもらわないとね。書類、見せてくれる?」

低く、落ち着いた紫苑の声はいつもとは調子があまりにも違う。
桜歌は息を殺して、障子の隙間から中を覗いた。

紫苑は座卓の前に座っていた。相手は痩せた中年の男で、身なりからして陰陽師の関係者らしい。二人の間には巻物、帳簿と思しき封筒がいくつか並べられている。紫苑は笑っていた。あの胡散臭い、柔らかい笑みだ。

だが――その口調も、視線も、手の動きも、隙がなかった。言葉の端々に駆け引きがあり、相手の感情を読み切っているようなやり取りに満ちていた。

「譲歩はしない。ね、わかるよね? 交渉って、信用と対価のバランス。そちらも事情は同じでしょう?」

その言葉に、中年の男は歯を食いしばったような顔でうなずく。紫苑はそれを見て、初めて本物の微笑を浮かべた。

「話が早くて助かるよ。それじゃあこの方向性で書類を調整。次の流通ラインもきちんと整えておくよ。陰陽寮にも通すから、手間賃は含めておいて」

桜歌は目を見開いた。
胡散臭い、軽薄な商売人――そんな印象しか持っていなかった紫苑が、今はまるで別人のようだった。ぴんと張り詰めた緊張のなかで、それでも軽やかに言葉を操り、相手を導く。威圧ではなく、駆け引きと理屈だけで物事を動かしている。

(……あれが、御堂紫苑……)

「どうかされましたか、桜歌様?」

背後から静かな声がして、桜歌は飛び上がりそうになった。振り返ると、使用人が一人、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

「あ、いや……あの、紫苑の、仕事って……」

思わず漏らした問いに、使用人は驚くでもなく、すっと答えた。

「紫苑様は、陰陽界の流通全体を支えておられる商家――御堂家の若当主です。陰陽寮とも、ほとんどの名家とも取り引きがあります」
「……全部、つながってるのですか?」
「ええ。霊具、符、霊薬、儀式用品……それらが正しく運ばれなければ、陰陽師たちは動けません。ですが、物を売り買いするだけでは不十分です。均衡を保つには、目利きと手綱が要る。紫苑様は、それをひとつも欠かさずこなしておられます」

桜歌は呆然とした。
もっとこう、胡散臭い裏取引とか、怪しい霊物の売買とか――そういう『あくどくて黒い金儲け』をしているのかと思っていた。けれど実際は、それとは正反対――清濁を呑み込みながら、陰陽界の流通すべてを支える、この平和の要の仕事だったのだ。

仕事を終えたらしき紫苑が、ふと廊下に歩み出てくると、こちらに気づいて目を細めた。

「おや。盗み聞きはあまり感心しないなあ」

軽口。いつも通りの胡散臭い調子。しかし桜歌はもう、少しだけ理解してしまっていた。その軽さの下に、どれほど精緻な計算と、尽きることのない手間、重たい責任があるのか。

「……あなた、いったいなんなのです……」

桜歌は上手く感情を言葉にできずにぽつりと言葉をこぼす。すると、紫苑は肩をすくめて笑った。

「さあ? ただの商人だよ。ただ、ちょっと目が利くだけ。あ、そうだ、ちょうどいい。今日の昼は牡蠣の雑炊とのことだよ。回復期にはぴったりだろう?」
「……」

桜歌は少し考える。やはり彼の仕事ぶりを考えると、自分の存在に対しての違和感が強く強く浮かび上がる。

「あの、紫苑。結局……私のこと、いつ売るつもりなんですか?」

それはもう、何十回目かの質問だった。桜歌の目は真剣で、どこか焦ってさえいる。紫苑は肩をすくめ、あきれたように笑う。

「売らないって言ってるでしょうが。そんなに信用ないかな僕は」
「じゃあ、なんでこんな丁寧に世話をするのです? しっかりした食事に治療……一銭にもならないのに……何が目的なのです?」

それは桜歌の中でずっと渦巻いていた問いだった。回復するほどに、日常に戻るほどに、むしろ不安が増していく。どうしてこんなにも丁寧に扱われているのか。その理由が見えない。紫苑はふと足を止め、桜歌の隣に立って外を見やった。障子越しに差し込む光が、彼の頬を淡く照らしている。

「んー。投資だよ」
「と、投資……?」
「投資ってのはね、未来の価値に金や手間をかけることさ。僕は『君の行く先』に興味がある」
「未来って……私はもう、令嬢としては捨てられた身、陰陽の家出身ながら陰陽の術も失った。ただの……」
「家柄や戦力だけが君の魅力だとでも? 僕は『君』に期待してるんだよ」

紫苑は楽しそうに目を細めた。

「君は一度壊されて捨てられた。でも、だからなんだ? 僕は『君』を特別面白いと思ってる。だから手をかける。育ててる。そういうの、悪くないでしょう?」
「……」

桜歌は言葉を失った。紫苑の口調は冗談めいていて、信じ切るには軽すぎる。けれど、今までの世話のすべてが『売るため』ではなく、『育てるため』だったのだとしたら――

「……なんで、言わなかったんですか……」
「君が聞かなかったから。聞かれたら答えるよ。聞かれてもいないことをぺらぺら伝えるのは、あまり上品なやり方じゃないと思ってる」

紫苑は肩をすくめて、また窓の外を見た。

「まー、でも好意は、伝えていたつもりではあったんだけれどなぁ」

それは愚痴ではなかった。静かで、揺るぎのない、まるで保証のような言葉だった。桜歌は、胸の奥がきゅうっと締めつけられるのを感じながら、小さくうなずいた。

「……ごめんなさい。助かったと、思っています……その、ありがとうございます……紫苑」

桜歌は静かに赤面した。好意。そう。感じては、いた。ただ一緒にいる時間が、呼吸の一部になっていることを。
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