捨てられ令嬢の恩返し 投資のお礼に溺愛嫁っぷり、見せつけましょう

灯息めてら

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8,これぞ!虫除けの真髄!

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春も中頃、気温も上がり、過ごしやすい陽気。
そんな中、ついに桜歌は「仕事」で紫苑に呼び出されていた。

「桜歌、仕事いくよー。着替えておいで」

朝の空気の中、軽い調子でそう呼ばれたとき、桜歌は思わず強ばった声を返した。

「はいっ……嫁……やりきってみせます……!」

使用人たちはそんな彼女に苦笑しつつ、手馴れた様子で再び着物を用意し、髪を整え、耳飾りを選び始めている。
すべてが"本気"の動きだった。

やがて用意が整い、紫苑の車に乗せられた桜歌は、きっちりとした着物姿で、緊張しながら助手席に座っていた。

「今日は尾瀬ヶ原家との商談。堅物だけど、ちょっとクセがあってね」
「私は何をするのですか?」
「隣に座っていて」
「……え?」
「愛されてる存在、というお仕事だから。君が可愛くにこにこ笑って……あー、『牽制』してるだけで充分」
「牽制……! なるほど、牽制ですね」

こくこくと頷きながら、彼女は再度気合を入れる。

やがて車が止まる。桜歌は言われた通り紫苑の後ろにぴたりと付いて屋敷へと入った。
迎えの者たちは紫苑には丁重だったが、桜歌を見ると一瞬だけ目を細める。その視線に、なにか妙な気配を感じ、首を傾げる。

座敷へ通された。
商談は形式張った挨拶から始まり、やがて本題へ――かと思いきや。

「紫苑様は、こうしてお連れになる方もお美しいのですね。まさか、正式なお連れ合い……?」
「いえいえ、まさか。けれど、ずいぶんとご寵愛のご様子。……それとも、まだお若くてお好みも広いのかしら?」
向かいに並ぶ、尾瀬ヶ原家の女たち。

一見、礼儀正しく振る舞いながら、言葉の端々に『誘い』と『探り』を忍ばせてくる。
扇子の奥から覗く眼差し、くすりと笑ってさりげなく袖を掠める手。声色ひとつすらも、明らかに紫苑を狙っている。
桜歌は硬直した。

(……え、なんですか、これは……まさかこれが『虫』……?)

すぐ隣、紫苑は涼しい顔で応対している。
しかし、その声の調子がわずかに変わると、相手の女たちが互いに視線を交わし、駆け引きの手を変えてくる。今度は桜歌に対して、直接的な視線が集まり始めた。

「まあ、そちらの方ずいぶんと整ったお顔立ちで……お名前を伺っても?」
「紫苑様とはどういったご関係で? まさか、お名前をいただいていたり……?」
「ああ、うん。そうそう。聡明で可愛い子でしょう」

一言、紫苑が柔らかく釘を刺す。

「ご覧の通り、僕の大事な人だから」

その瞬間、座敷の空気がわずかに張り詰めた。
桜歌は背筋を伸ばし、口元に作り笑いのような微笑を浮かべながら、内心ひたすら叫んでいた。

(……これが『虫除け』の意味なのですね……!)

想像を遥かに超えていた。
御堂家当主というのは、こうして日々、誘いと探りの雨に曝され続けているのか――

(なるほど……これは、隣にいるだけで防げる脅威がたくさんありますね。まさに、盾……)

『隣に立っている』という事実が、これほど強い意味を持つとは――そう思い知らされた。いや、少し認識が甘かった。これは本当にしっかりと『溺愛されている』と見せつけなければ、紫苑も自分も危ない。

「……紫苑、その。今までもずっとこんな……?」

商談後、車に戻ったあと、桜歌は呆れて尋ねた。

「ああ。なかなかインパクトあるだろう? だからこそ、君が『効く』んだ」

紫苑は微笑みながら、桜歌の着物の袖をそっと直した。

「今日の仕事、合格だよ。堂々として気品があり可愛らしい。『文句ない嫁』だった」
「いえ……まだ足りません」
「ん?」
「やるなら、徹底的に。私は決めました。虫も寄り付けない、完璧な溺愛嫁になってみせましょう」

桜歌の頬にはほんの少しだけ、誇らしげな紅が差していた。それを見て紫苑はアームレストに肘を置きながら、どこか機嫌よさげに目を細めた。

「はは。期待しちゃうなぁ……ところでさ」

紫苑はふと、助手席の桜歌に視線を向けた。

「今日、虫の中に『結婚を狙っていない人』がいたこと、気づいた?」
「……え? 狙ってなかったって……?」

桜歌は、眉を寄せながら思い出す。
確かに、座敷であの手この手の探りや言葉を投げかけてきた女たちの中には、積極的な者もいれば、遠巻きにこちらを見て笑っているだけの者もいた。
でも、『結婚を狙っていない』とは?
では何を狙って?

「君も察している通り、ほとんどの人は『奥方』の立場を狙って来てるよ。正室という肩書きは、現代社会でも大きな意味を持つから」

紫苑はまるで世間話でもするかのように軽く言う。

「でも、中には『側室』でいいって人もいる。肩書きがなくても、寵愛さえ受けていればそれでいいって人もいる。御堂家当主の寵愛は、それだけで一族や商家に利をもたらす」
「そ……それって……」
「そう。だから正式な婚姻の有無は重要ではないんだ。寵愛されてる存在がすでにいますよってアピールに、むしろ意味がある」

桜歌は口を半開きにしたまま、言葉を失っていた。
『嫁のふり』というのが、単なる恋愛的牽制に留まらず――政治的な意味を帯びていたことを、今さらになって理解する。

「……なるほど。だから……私が隣にいること、そして堂々としていることが大事なのですね」
「そう。君が笑って、隣に座ってるだけで、相手は『ああ、もうこの枠は埋まってるな』って思う」
「それで素直に引くのですか?」
「引く人もいるし、それで逆に燃える人もいるだろう。そういう人たちは今度、君を排除する方向に動くかもね」
「……!」
「もちろん、全力で君のことは守るつもりだよ。愛する嫁なのだから」

紫苑は軽く笑いながらそう言ったが、桜歌はその言葉に背筋がぞくりとするのを感じた。
まるで、優雅に微笑む商人の仮面の奥で、静かに鋭い計算が巡らされているような声だった。

「心配しないで。君にはちゃんと護衛もつける。あらゆる危険には、僕が先んじて全部手を打つ」
「……紫苑、なんでそこまで……?」
「大事な嫁だからね」

まるで冗談めいた言葉。けれど、その奥にふと、桜歌は別の何か――曖昧だが確かな温度を感じた。

「それでも――もし、仕事が嫌になったら言ってね」
「いいえ」

桜歌は即答する。

「今日一日、紫苑の仕事姿を近くで見て、とても尊敬できると思いました……ですから、私はそんなあなたが変な虫に邪魔されないようにしたい」

一日を通して、感じた視線、言葉の裏、探るような笑み、計算と欲の混ざった空気。
それらすべてを真正面から受けながら、紫苑はひとつも乱れず、崩さず、ただ柔らかくかわし、時には押し返し、交渉をまとめ上げていた。

「これはもう、戦いなのでしょう。であれば、露払いは私がいたしましょう」

戦う相手は妖ではなくなり、命の奪い合いでもない。それでも確かに「現実の深淵」はここにもある。桜歌は、しっかりと彼を見た。

「……私は、陰陽界とはもっと『血生臭い場』だと思ってました。外を駆け、術使って、妖を封ずる。そういう世界だと」
「それも正しいよ。でも、そこだけじゃ世界は回らない」
「……ええ。あなたみたいな人が、この世界には必要です」
「……ふふ、嬉しいことを言ってくれる」
「我が師が、陰陽寮に籠もって社会に出ず、研究ばかりしていた理由も、なんとなく分かった気がします。あの方も高名な陰陽家……こういった求婚の嵐は苦手そうですからね……」

つぶやきのようなそれを聞いた瞬間、紫苑の肩がぴくりと動いた。

「……君の師匠って白銀寺? えー、僕は白銀寺より愛想がいいって?」
「ん?……え、まぁ……愛想……愛想は……あるんじゃないでしょうか? 白銀寺先生は実力があるので引きこもりも許されているだけで……」
「そうだね……」
「? あの?」
「ごめん……あんまり比べないでほしいなぁ……僕と、あんな自分勝手なやつ」

紫苑らしからぬ少し子供っぽい言い方に、桜歌は目を見開いた後クスクス笑った。

「嫉妬ですか?」
「嫉妬ですー。あと、その……まー、君に『あの人の方が格上』みたいな空気出されたの、ちょっと傷つきました」
「そんなつもりで言ったんじゃないですって……!」

口を尖らせる紫苑に、桜歌は苦笑して、それから優しく言った。

「紫苑」
「なに?」
「……今日の仕事、本当に、素敵でした」

紫苑は一瞬だけ、桜歌を見た。
その顔には、ほんのわずかな照れと、誇らしさと――ちょっとだけ、安心のような色が混じっていた。

「うん。……君にそう言ってもらえると、報われた気がするよ」
「それにしても紫苑――その。求婚されすぎでは……今までどう捌いてきたのです?」
「……捌ききれなくて蓄積したからこうなってる」
「ああ、なるほど……」

窓の外では、山吹の花が風に揺れていた。
春は深まりはじめている。桜歌は自分の『仕事』への覚悟を改めてしっかりと心に刻んだ。
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