捨てられ令嬢の恩返し 投資のお礼に溺愛嫁っぷり、見せつけましょう

灯息めてら

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10,氷室家からの招待

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当日。

車の扉が開き、桜歌はゆっくりと足を外に出した。目の前に広がるのは、見覚えのある――けれど、もう二度と戻りたくないと思っていた場所。

「……氷室家……」

(まさか、こんな綺麗な着物を着て、戻ってくるなんて……思いませんでした)

深い藍に薄金の縁取り、控えめながらも御堂家の家紋が織り込まれた反物。胸元に寄り添うように刺された一輪の桜の刺繍が、風に揺れる。

その隣に立つ紫苑も、いつもの和装ではなく、より格式を意識した黒地の着物に、漆黒の帯。堂々と、けれど静かに場を支配するその立ち姿に、迎えの者たちが自然と頭を垂れた。

(……さあ、たたかいです)

ふたりは言葉なく頷きあうと、廊下を抜けて氷室家の座敷へ向かう。

空気は相変わらず、重く、冷たく、張り詰めていた。始まった商談は淡々としていたが、その裏には明らかな駆け引きと探り。そして時折、会話の端々に――

「おや……春海の、桜歌殿では?」
「お立場も変わると、お振る舞いも洗練されるものですね」
「過去を思えば……ああ、いや、今が輝かしいのは何よりです」

――というような、嫌味と皮肉を滲ませた揶揄が混じってくる。だが、桜歌は微笑んだまま受け流した。

「ありがとうございます。すべて紫苑のおかげです。紫苑は私のことを本当に大事にしてくれるので」
「そうだねえ。これほど可愛らしい嫁だから、当然のことだよね?」
「ふふ、ほら、この調子なのでございます」

穏やかで、揺るがず、凛とした声。

「……確かに、ずいぶんと、寵愛されていらっしゃるようで」
「ええ、もう片時も離れませんの」

まるで言葉の刃を、綿で包んで返すように、桜歌は微笑んで返した。紫苑はそんな桜歌を横目で見て、扇子で口元を隠してこっそり笑っていた。

「……ところで御堂殿。うちのが一人、そろそろ良い歳でしてな」
「ほう」
「いやいや、奥方がいらっしゃるのは承知しておりますよ。ですから、愛人の一人に……どうですかな?」

その瞬間、桜歌がすっと前に出た。

「申し訳ございません」

静かに微笑みながら、しかし確実に距離を取らせる声。

「紫苑は……非常に嫉妬深くて。私をあなた方に見せびらかすほどですのよ」

氷室家の当主が、わずかに目を細める。

「……ほう?」
「まだ、お分かりになりませんか?」
「……?」
「あなた方、氷室家が『捨てた』私を、紫苑は敢えて見せているのですよ?」
「……なっ!」
「私はもうあなた方のものではなく――御堂紫苑のものだと、そう言っているのです」

その言葉に、紫苑すらも、わずかに目を見開く。氷室家の男が苦い顔をした。

「し、しかしそれでも……商売のつながりとしてですな……」
「ああ、その件だけれど」

紫苑が軽く言葉を挟む。

「今後一切、うちは氷室家と取引をやめようと思っててね」
「え……」
「むしろ、うちの嫁をボロボロにした家と、なんで取引すると思ってるのやら」
「な、なんですと!? しかし、それは御堂にとっても損で――」
「うちの嫁が嫌な思いをする方が損なのでね」

紫苑の言葉に呆然とする氷室家を見て――桜歌の目には、静かな炎が宿っていた。

「あなた方の利益など、愛に比べたら大したものではない」
「くっ……そんな……この、女狐ェ……!」
「なんとでもおっしゃってください」
「貴様のせいで……」
「ええ、そうですね。私のせいで――」

桜歌はにっこりと笑った。

「これから、あなた方はずいぶんとお困りになるでしょうが――」
「ぐうぅう……」
「どうぞ、頑張ってくださいませ?」

座敷が、静まり返った。
そして――

「……ふふ。流石、僕の嫁だ」

紫苑が、心から楽しそうに笑った。



氷室家から出た二人は、あまりに疲弊したので少し歩こうということで、近くの自然公園を散歩していた。

「つっ、疲れました……」

桜歌の言葉に紫苑はけらけらと笑った。

「いやほんと、あいつらって言葉の棘が多いからね。でもまあ、最後の顔は見ものだったなあ!」

ふたりは顔を見合わせて、ついふっと笑った。陽が傾き、風が吹く。あの冷たい空間から解き放たれた今、ようやく肩の力が抜ける。紫苑は少しだけ目を細め、優しく頷いた。

「君はちゃんと、今の自分で、堂々と立っていた。夫として、とても誇らしかった」
「……またそういうこと言う……」
「真実だよ。君は御堂紫苑のもの、なんだろう?」
「う……はい、そう、言いました、けれども……!」
「……ふふ」
「もう……」

ふたりの笑い声が、春の風に溶けて空へと静かに流れていった。
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